夢破れて山河あり~ミュージシャン崩れが教える音楽理論やり直し
「コード感」総集編 (その3)
「コード感」シリーズ総集編1は こちら
。
第16回
気管支炎、だいぶ良くなったが、まだ深い咳がでる。
もう1か月以上、この状態でいつも通り仕事をしているが、やっぱりきつい。。。まとまった時間を取って、本当に休まないと治らんかもしれない。
どうも、タンに色が付き始めたら合併症の疑い(細菌感染)があるらしいが、今までのところは透明だから、まあそれはない、ということだろう。
娘の気管支炎は2人とも良くなって、今日も定期健診では問題ないと言われた。
娘の方が先に発症した、ということもあるが、抗生物質が効いているのだろう。
やはり自分はマシーンじゃないし、バケーションが必要、ということだろうか。
と、いうわけで、気分転換といっても、まとまった時間が取れないのでブログの更新ぐらいしか出来ませんが、今日も更新しまーす。
「コード感」の続編です。
コード感のお題でお話している内容は、「単旋律」を用いて、ある「和音」(7ths)を表現することについて、クラシックとジャズの対位法・和声学など、さまざまな見地から考察を加える、ということなのですが、結果として、
7thにより生じる不協和音は当該7thが下方向にステップで移動して解決する、という性質を利用して、その7thコードの響きを単旋律で実現する
ということでした。
それで、枯葉の例で見られるように、楽曲のコード進行の大部分を占める、ルートが5度下に進行する場合に有効なパターンが、3R57というパターンであるということをご説明しました。
これは、ジャズの理論ではあまり詳しくは取り扱われない内容ですので、古典(クラシック・Traditional)の見地から、指摘されるポイント、すなわち 「不協和音は2度で移動して協和音に解決する」 という原則に従いました。
しかし、当然ですが、 音楽は自由ですので、何をどう演奏してもかまいません。
ところが、「自由だ」なんて言われると、初めてインプロビゼーションを指南する場合などには、「それじゃあ何をどうしたらいいかがわからない」ものです。このコード感シリーズは、当然そのままこの原則に従って演奏していただいてもかまいませんが、言うなれば、「 自由に演奏しろ、と言われて、どのように自分が表現したい「なにか」を追求するか」 という、むしろプロセスを重視していただきたいという希望もあります。つまり、
インプロビゼーションでは、何かしらの目的を持って、それを表現するべく演奏する、
ということです。
ここでちょっと考えてみたいことは、インプロビゼーションすなわち「即興演奏」という言葉の意味についてですが、おそらくはここにも何かしらの誤解が生じている場合というのがあると思われます。
もっとハッキリ言えば 、「即興」とは、なにも「その場でそれまで存在しなかった何かを考え出す」という作業ではない、 ということです。Scott Henderson氏の例に倣い、音楽を話し言葉に例えて考えると、たとえば結婚式で急に頼まれて祝辞を述べる場合、何も「その場で今まで誰も口にしたことのない、新しい概念で祝福の念を表現する」ことではありませんよね?普通は、祝辞を述べるように頼まれた時点で、新郎・新婦に鑑みて、自分のボキャブラリーである程度述べる内容を考えておくでしょう。また、自分の前に祝辞を述べる人が何人かいたら、それを聞いていて「やっぱりこの部分はこうしよう」などと、あらかじめ考えておいた祝辞を細かく変更したりします。
音楽でも同様で、それまで自分が経験したことのない何かを表現することは、ほぼ不可能である、と言えると思います。なので、たとえば「枯葉」を演奏することに決めたとしたら、過去にどのような演奏事例があるかをチェックしたり、あるいは同じようなコード進行の部分で、自分の好きなプレイヤーがどのようなプレイをしているかを研究したりします。それで、ある程度自分のソロを構成し、演奏するわけですが、たとえば枯葉を過去に何万コーラスも演奏してきた人たちと演奏する場合などは、そうした下準備が不要で、いきなり「せーの」で始められる、とこういうわけです。それで、ソロを回すうちに、そこからインスピレーションを得て、自分なりの解釈でそこからソロを発展させることなどができるわけです。
逆に言えば、もしインプロビゼーションが純粋に「その場でそれまでになかった何かを創造する作業」であるならば、練習すること自体が無意味である、ということになります。
そうしたわけで、ある「スタンダード」を初めて演奏しようとする場合、先人の演奏例などを研究する、という作業が重要になります。
実は、「コード感」で現在まで御説明してきた内容というのは、そうした研究に最も威力を発揮します。
というのも、現在まで御説明したポイントは、すべて 分析ツールにほかならない からです。
たとえば、
1)7thは下方向にステップワイズで解決しているか?
2)7thや2ndなどのディゾナンスは、並行して使用されているか?
3)あるコード上で、別のコードが表現されていないか?
などがあるでしょう。 こうした観点から、自分の演奏する内容を決定するのではなく、たとえばBill EvansやCannonball Adderleyの演奏を検証する わけです。
換言すると、 こうした観点それぞれにおいて、ある特定の選択をした場合に、最も自然にコード感を出すことができる、 ということを延々と説明してきたわけです。
しかし、当然ながら、実際の演奏を分析すると、これらの観点のいずれかにおいて「NO」という分析結果が出る場合の方が多いです。しかし、「最も自然にコード感を出す方法」を知っている、ということは、先人たちによる実際の演奏がこうした基準からどの程度、あるいはどのようにして乖離しているか、を緻密に理解するための座標軸を与えるものとなります。
無論、こうした対位法的観点以外にも、和声的観点などがあり、それらはトラディショナル(古典)、現代音楽、ジャズ等々、音楽の種類によっても全く異なる観点が存在しますので、それぞれに個別の座標軸が与えられるので、多次元的に理解が可能となるわけです。
実際にそれを分析で使用するか如何を問わず、こうした観点は多いに越したことはありません。こうした観点が多ければ多いほど、ある音楽的事象をより立体的に理解することができる、というわけです。
因みに 、「7thにより生じる不協和音は当該7thが下方向にステップで移動して解決する」 というのはクラシック(トラディショナル)の観点の一つですが、これだけでクラシック(古典)のサウンドが実現するかというと、それは大きな誤解です。たとえば
平行の完全音程(オクターブと5度)を避ける
というクラシック(トラディショナル)の大原則は、先日ご紹介した、7thの和音でルートが2度上下に移動する場合においては、これが守られていません。
平行の完全音程(オクターブと5度)を避ける理由は、各声部の独立性を維持するため、ということですので、コード感とは関連性がありません。したがって説明していません。
が、
理由は何であれ、これを遵守すると、さらにクラシックのサウンドに近づきます。
第17回
「コード感」シリーズ第17回です。
今日のお題は、
私がこのようなことを考えるようになった経緯
についてです。それでは、いってみます。。。
和声学の理論を紐解くと、カデンツの最小単位として、言わずと知れた 「ツーファイブ」 すなわち IIm7-V7-Imaj7 という進行が取り上げられています。
これは、機能和声学において、それぞれ サブドミナント(SD)、ドミナント(D)、トニック(T) という、和声の機能的役割からみた、「コード進行の最小単位」とされているものです。機能和声学とは、各コード(和声)には機能があり、 曲がコードの機能によって進行させられる 、とする理論です。これについては諸論ありますが、代表的なものは
1) ドミナントを、トニックの5度上方の音をルートとする和音、サブドミナントを、ドミナントの2度下方(サブ=Sub-) とする説。巷では、^ 4=Subdominant, ^5= Dominant, ^1=Tonic が非常に広く知れ渡っており、たまに ^7=Leading Tone を知っている人がいる程度ですが、それだけではなく、オクターブにある7つの音には 、^1=Tonic, ^2= Supertonic, ^3= Mediant, ^4=Subdominant, ^5= Dominant, ^6=Superdominant, ^7=Leading Tone と、それぞれ名前が付けられています。これに基づけば、たしかにそういうことになります。
2) ドミナントをトニックの5度上方の音をルートとする和音、サブドミナントを、トニックからドミナント・モーションで、さらに5度下方に進行した音をルートとする和音だ という説。この説はあまり一般的ではありませんが、通常Dominant Motionといえば 5度下方に進行することを指し 、この意味合いでは、ドミナントが「5度下方に進行してトニックに進行する和音」、サブドミナントが「トニックから5度下方(Sub-)に進行した場合の和音」と言うことになりますので、なるほど説得力があります。
ジャズの指南書では、ツーファイブのコード進行におけるラインの構築・あるいはコンピングは、基本中の基本として採り上げられています。
クラシック(トラディショナル)においても、このII-V-Iという進行は基本中の基本とされており、分析等を行う場合は、これに基づいて曲を解析させらるなどします。
クラシック(トラディショナル)について、ちょっと補足を入れると、日本ではII-V-Iよりも、IV-V-Iという進行がカデンツの最小単位として教えられている場合が多いです。従って、欧米で言う「ジャズ理論」に相当する、日本国内におけるポピュラー・ミュージックの理論でも、「スリーコード」といえばIV-V-Iを指すことが多いです。
私や妻の経験上から言えることは、少なくともアメリカとウクライナ・旧ソビエトでは、クラシック(トラディショナル)においても、「スリーコード」は IV-V-Iではなく、II-V-I です。
これは、IVコードがサブドミナントの代表であることに変わりはないが、 IVコードと同じ機能を持ちながら、Tonicコードまで一貫してドミナント・モーションを実現することができる、IIm (あるいはii) コードを、カデンツの基本とする 考え方に基づいています。

さらに、Vコードについては、通常はV7として用いられ、 3全音「トライトーン」 という非常に不安定な音程が含まれており、これが3度または6度に解決することにより、トニックが確定される、とされています。Vコードには解決を求めるパワーがあり、それがV-Iという進行の原動力となっている、というわけです。トライトーンが生じるのは、ある調性において、1ヶ所のみとされています。
さらに、このトライトーンが解決するパワーが、トニック以外の和音について用いられる場合があり、ジャズ理論では、こうして用いられるトライトーンを含む和声を、 V of ~ 、クラシックでは進行全体を指して Tonicization などと言われていますが、こうした状況において用いられる7の和音(~7)は、ノンダイアトニックです。つまり、楽譜にすると臨時記号がふくまれます。巷で教えられている「カデンツ」は、基本的にはこんな感じですが、詳しくは専門書等を参照してください。
なるほどぉ。
そこで、素朴な疑問だが。。。
V7 コードからI コードへの進行は、トライトーンという不安定な音程が安定した音程に解決するという原動力があることは、わかった。
それでは、IIm7 コードや IVmaj7 コードからV7 コードに進行する原動力は、
一体どこにあるのか?

もっと言えば、コードなんて、どこへでも進行して行っているように思えるが、そうした場合の進行には、V7-Iにおけるトライトーンに相当する「原動力」は、無いのか?
私が対位法的観点について考察し、トライトーン以外にも、2度・7度といった不協和音程が、協和音程に解決する力こそが、楽曲を進行させる原動力になっているのではないか、と考えるようになったのは、この疑問に端を発しています。当然、
「それじゃあ、トライアドなど、不協和音が生じない和声には原動力がない、ということか?」
という疑問が生じると思います。
こうした疑問に率直に回答すると、トライアドをはじめとする不協和音がない和声でも、別の和声へと進行する「原動力」があります。
なぜなら、ある調性において、 その調性を構成する音それぞれに、ある特定の方向に進行する傾向がある ためです。
その代表例が、 Leading ToneがTonicに解決する傾向 です。それだけではなく、^1=Tonic, ^2= Supertonic, ^3= Mediant, ^4=Subdominant, ^5= Dominant, ^6=Superdominant もまた、それぞれある特定の方向に進行する傾向がある、といわれています。
ここで思い出して頂きたいのは、 「 和声とは、それぞれの旋律の動きの「おまとめ論」すなわち総体である」 ということです。つまり、ある声部で動きがあれば、当然それに応じて和声も変化してゆく、というわけです。ある和音において、不協和音程が存在しなくても、声部における「動き」により和声が変化して、その結果として和声が進行してゆくのは、このためです。

これに対して、トライアドの係留(いわゆるsus4)や、2度・7度といった不協和音程は、協和音程に解決する、より切迫した必然性が造り出されており、クラシック(トラディショナル)の楽曲においても、 単旋律における自然な動きの「傾向」よりも優先されている ことは、先般お話したとおりです。
そんなわけで和声学のクラスなんかでも、たとえばバッハなどを分析し、不協和音の協和音への解決が、リーディング・トーンがトニックに解決する傾向に優先されていることなどを確認します。
さて、調性(トーナリティ)の存在するコンテクストでは、こうした単旋律における音の動きの「傾向」に依存して、曲が進行してゆくこともあるかもしれません。しかし、自明ではありますが、 調性が存在しないコンテクストでは、リーディング・トーンがトニックに解決する傾向など、そうした調性に依存した「原動力」を利用することが出来ません。
しかし、そうした場合でも、この不協和音程が協和音程に解決する「原動力」を利用することができるとしたら、どうでしょうか?
そこで、John Coltraneの、いわゆる「トライトニック・システム」を分析します。その代表例として、Giant Stepsの進行を分析すると、1曲通してこれが可能であることが分かります。

しかし、先般お話しました通り、 モーダルインターチェンジなど、 不協和音がステップで解決不可能な場合もあります。

それにも関わらず、Giant Stepsのようなアトーナルな進行において、すべて不協和音がステップで解決可能な進行が選ばれているというのは、単なる偶然でしょうか。。。
いずれにせよ、不協和音程が協和音程に解決する「原動力」は、アトーナル領域においてその真価を発揮する、と言えるでしょう。なぜなら、 トーナリティという「引力=グラビティ」(のような自然の法則)が存在しないのであれば、不協和音程が協和音程に解決する「原動力」は、楽曲の進行において「主役」たりうる からです。
現代音楽(英語ではTwentieth-Century Music)の和声においても、不協和音程が協和音程に解決すべきである、ということは、PersichettiのTwentieth-Century Harmonyにも記されています。
しかし当然ですが、これはあくまでも「そうした傾向にある」あるいは「そういう決まりになっている」と解釈すべきで、 実際には反例も多数存在します 。つまり不協和音程の解決はグラビティとして考えるべきであり、そうしたグラビティに従って「地に足が付いた」曲を書くことも大切ですが、同時にそうしたグラビティからどのように抜け出すか、というのが、音楽のチャレンジである、と言うことができると思います。
つまり、「グラビティである」という意味合いにおいては、調性も、不協和音程の解決も、同じである、ということです。
>
最終回
コード感最終回です。
終わりに。。。
女性のファッション雑誌で、あるスタイルが紹介されると、街中がそれと全く同じカッコをしたお姉ちゃんたちで溢れ返る。お店に行っても、それ以外のスタイルのアイテムを探すことすら困難になってしまう。こうしたコマーシャリズムは、メディアが発展し、ネットで探せば何でも見つけて入手出来てしまいそうな昨今でさえ、人の価値観を当惑させ、ある意味で一般大衆を「洗脳」してしまいます。コマーシャリズムにより創造されたトレンドが、一般大衆の「美意識」におけるダイナミズムというか、範囲を決定するのです。それ以外のものは、入手も出来なければ、目にすることさえも出来ない。
しかし、そうやって創出されたトレンドにより確立されたかに思われる「美意識」は、変わってゆきます。なぜなら、トレンドは常に「次のトレンド」を求めているからです。平たく言えば、おんなじようなカッコして、おんなじようなメイクの女の子ばかりを見てると、いっくら美人でも、やがて見飽きてしまうんですねえ。
恐ろしい。。。
その一方で、時代を経ても、基本的に変わらないものもあります。たとえば、学生服なんかは「ダサい」か「イカす」かといった議論を拒絶する存在であり、コスプレおたくならずとも、そこには一貫した美意識を認めることができます。男性の背広や作業着としてのツナギなんかも、細かい部分を除いては、時代を超えた美意識で作られた、timeless pieceだといえるでしょう。
コード感シリーズでお話してきた内容は、そうした学生服的・セビロ(ツナギ)的な美意識の話です。
学生時代は、私服といえばGパンにTシャツとか、学生服とは全く異なるというパターンが多いですよね。。。僕だけでしょうか?
大人になってくると、「替え上着」なんていって、セビロとチョット違うだけ、とかいうビミョーな「おしゃれ」のニュアンスが分かるようになってくる。んが、休日もそのまんまセビロやツナギじゃあ、ちょっとつまんないでしょう。。。
しかし、セビロ・ツナギや学生服がカッコ良く自分なりに着こなせるんだったら、それもアリでしょう。。。逆にその方がイイかも!
さ、次の音楽系お題を考えないと。。。
>
「コード感」シリーズを初めから読みたい方は こちら 。


