ゆきあけのボヤキ

サナの闘い


“感染性心内膜症” これがサナに最終つけられた病名だった。

どこからどういう経路で菌がサナの体内に入ったかも不明だった。

夏の健忘症も腎盂炎も肉離れも全てこの病気の予兆だったのだ。

当時通院していた病院がもっと早く気付いてくれていたならサナは助かった。

どうしてもっと早く見つけてくれなかったのか、今でも恨んでいる。


私の車でサナ両親、マサ姉を乗せ病院へ通うことになった。

面会は夕方4時より10分間、3人まで、家族のみ。。。

ICUの前で私達は何をするでもなく、ただじっと座った。

夕方4時、面会の時間がきた。

私は震える手を止めたく、サナの友達と手を繋いでサナ父のあとについた。

何度も何度も厳重な扉を足のスイッチで開けサナの元へ向かった。


私が見たサナはサナじゃなかった。

人工呼吸器をつけられ、手にはたくさんの管で繋がれ、顔は赤黒く腫れあがり、頭からの管には血が・・・・

何で?何で?救急車で運ばれる前の日電話でしゃべったやん。

何でいきなりこんなんなってんの?

「し~☆!!ちゃんと見たってくれ!これがサナや!」とサナ父が言った。

違う・・・違う・・・


家族のみ3人の面会だったが、交代で何人も入った。

面会が終わってからマッピーと2人で大泣きした。

信じられへん・・・・

もう助かる見込みのないサナはその後すぐ個室に移された。

私の父も来た。父は変わり果てたサナの手を涙を堪えながらさすっていた。


この日から私達はサナの病院へ泊り込んだ。

泊まりといっても、ICUの前にある椅子を並べて仮眠を取る状態だった。

状態が安定している時は家に帰った。

サナ両親が床に入るまで私はサナ家にいた。

そしてまた朝暗いうちから迎えに行き病院へ行くという毎日だった。

2~3日だと言われたサナはそれを乗り越えた。


12月2日はサナの32歳の誕生日。

この日が命日になることだけは避けたかった。

サナが元気だった頃マッピーに買ってもらうと言っていた指輪。

私も知っていた。写メールが届いていたから。

マッピーはこの指輪を買いに行くと言った。

私は店に電話をかけ在庫を確認した。


マッピーとサナの2人の時間を毎日作った。

サナの指にはめてあげたらしい。アクセサリーは全て外されるので、また箱に直しサナ母に預けた。

サナ!!欲しがってた指輪、良かったね!!


12月5日 血圧と心拍の数値がかなりおかしいと私は思っていた。

看護婦さんに尋ねた。

「私の今までの経験上、この数値は大丈夫ですよ。今日は皆さんゆっくり家で休んで下さい。」と言う言葉を信じ家に戻った。


マッピーは今どき携帯を持っていなかった。

というより、サナに持たせてもらえなかった(笑)

「今からサルと風呂行くから何かあったらサルの携帯に電話して」

とマッピーから連絡があった。

サルというのはマッピーの親友である(笑)

サルもまた私を妹のように可愛がってくれるうちの一人だ。

明日も早いからもう寝ようと思いつつも中々寝付けず私は本を読んでいた。


そこに1本の電話が入った。

着信を見るとサナ母だった。



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