ゆきあけのボヤキ

私(し~ちゃん☆)の事


長女気質でおせっかい。

八方美人でストレスが溜まりやすくネガティブ。

誰とでも直ぐに打ち解けられるけど、実は恥ずかしがり屋で人見知りする。

小学校の文集での担任の先生から私の性格コメント。

“何事もやる気満々 明朗活発 クラスの人気者”

だけどほんとは自他共に認める“泣き虫の甘えん坊”


自分で言うのも何だけど、私は小さい頃から周りを困らせる事は何一つしなかった。

ただ、びっくりするくらい高熱をよく出し両親を心配させた。

大人になってからも40度を超える熱を年に何度かは出し

父は私をおぶって救急病院へ、母は果物を口に運んでくれ

まるで子供のように私は看病された(笑)


幼い頃から誰よりもたくさんの愛情を受け、何不自由なく育ててもらった。

父方では末孫、母方では初孫として本当に可愛がられた。

それは大人になった今でもそうだ。

未だかつて両親から“し~☆”と呼び捨てにされた事は一度もない。

歳の離れた従兄弟達は「大きくなったなぁ~」と会う度言う。

「年いったなぁ~」って普通は言うんじゃないの?

いつまでも子供扱い!?お姫様扱いである。


物心つく前頃からO型のわりに几帳面で

箱の少しの破れ・歪みや、テーブルにつくコップの跡が気になり

直せと言ったり、コップを置く度フキンで拭いたり細かい性格だったようだ。

本が大好きで、2歳半ですでに本をスラスラ読んでいたらしい。

近所に女友達がいなかったため、母は私を気遣い3年行きの幼稚園に行かせようとしたらしい。

進学幼稚園だったらしく、私は今でいう幼稚園お受験を早行きのため2歳半で経験した。

幼稚園生よりもしっかりしていた私は園長先生に即合格を頂いたそうだ。

けれど、祖母(アケさん)の「手元においておけるのはあと少ししかない」という言葉で

母は私を3年行きの進学幼稚園へ行かせる事をやめた。

幼稚園に入る頃には祖父母にしょっちゅう手紙を書いていた。

おもちゃよりも本を欲しがり、ドリルを買っては近所の小学生のお姉ちゃんの家で一緒に勉強していた。

“この子は将来どんな賢い子になるんだろう~?”と周りは思っていたらしい。

・・・期待裏切ってごめんなさい(涙)


小学生・中学生の頃はとても負けず嫌いで勉強もスポーツも一生懸命やった。

学区内では進学校にあたる高校に入学したものの、 その頃から勉強の方がおろそかになっていった。(汗)

陸上部に入り、長距離パート・3000Mの選手となった。

陸上をやってて良かったと今でも思う。

決して他の選手より真面目では無かったけれど、先生にもよく怒られたけれど

あんなに何かに打ち込み、そして青春を共にした仲間に出会えたことは

高校生活で最高の収得だったと今でも感謝している。


90%以上進学する中、私は就職組となった。

両親は何も言わなかった。

レベル低々の短大・大学なら行けたかもしれない。行けたであろう。

でも私はそうしてまで進学したいとは思わなかった。

結婚とか家事とか、そういう方面に興味・関心がすでにいっていた。

仲の良い先生には「オマエは結婚に向いてるからさっさと(当時の彼氏)結婚しろ」と言われたぐらいだ。


知り合いの歯科医院に助手として勤め始めた。

勤め出してしばらくすると“やっぱり衛生士学校に行ったら良かった”と思う事もあった。


そして24歳で松山へ移り住んだ。

私の今までの人生振り返ると、これで良かったの?と思える事も多々ある。


小学校の先生には「将来は土井たかこさんのように議員へ」とか

中学校の先生には「私立高校へ行き、し~☆の才能を大人になってたくさん発揮出来る場を」とか

今思えばまた違った生き方もあったなと。

父は何も言わなかった人だけど、本当は私が幼い頃から入れたかった高校・大学があったらしい。

後々母からこの話を聞いたとき胸が張り裂けそうだった。


たくさんの周りの期待を裏切ったのか、期待に副えた生き方を出来てきたのか、私は答えをまだ知らない。


この世に誕生した時から計り知れない愛情を受けていた私は

ひとり・一人・独りになるのが怖い。

強がってはいるけれど本当は弱い人間なんだと自分でも思う。

友達が言ってた。

「し~ちゃん☆は今まで何不自由なく幸せにきた分、私らと違って打たれ弱い」

的確な意見だ。

そう、私は打たれ弱く、周りをとても気にしてしまう優柔不断な人間だ。

だけど、それでも私は頑張って生きていきたい。


~Tomorrow never knows~




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