ゆきあけのボヤキ

祖父の事


「几帳面・キレイ好き」誰もがこう言うであろう。

どの写真をみても祖父の服が一番ピシッとしているしズボンの折り目もカッチリ。

そしてとてもセンスが良くおしゃれな人だった。

家の中はいつもピカピカで、ちり一つ落ちてない家だった。

毎朝家の周りを掃き、玄関も雑巾がけが日課になっていた。

祖母が「うちの庭には雑草が生えん」と本気に思っていた。

生えないのではない。どんなに小さな雑草も見逃さず祖父が毎日抜いていたのだ。

花や植木が大好きで、いつも庭や家はキレイに飾られていた。


祖父は貧しい小作の家で育ち、とても苦労してきたようだ。

そして、祖母の家に養子として婿入りした。

3人兄弟の末っ子として育ち、小さい頃から働き者だったらしい。

自分の仕事前に、体の弱い兄・姉の仕事を手伝い面倒見も良い人だった。

そのため、いわゆる母の従兄弟達はそんな叔父(祖父)を見てきたため

恩をとても感じているらしく、今でも私にまで良くしてくれる。


そんな祖父も昔から大病ばかりしてきた。

けれどそのつど元気になり、色んな趣味をやってきた。

カラオケも大好きで、私も連れられてよく歌いにいった。

電話口で歌ってくれた事も度々あった(笑)

几帳面さをかられ、老人会の会長までも任されていた。

決して自分からでしゃばる事はなかったので、余計に慕われたのだろう。

何事も完璧にこなしていく器用な人だった。


私が生まれた頃、父が当時働いていた所の親方がいなくなったそうだ。

突然の無職。祖父母が大阪に遊びに来るという。

心配をかけたくなかった父と母は何事もなかったかのように振舞った。

母は朝お弁当を作り父を見送る。

そして夕方、さも仕事をしてきたかのように父が帰宅する。

その頃住んでいた私達の家の下、

いわゆる大家さんはお米屋さんだった。

祖父母が帰ったあと両親は大家さんに

「お米が無くなったらいつでも言ってね」と言われ驚いた。

祖父母は父が仕事に行けてない事を気付いていたようだ。

けれど決して両親に問う事はせず、こっそり大家さんにお金を渡し

「お米が無くなったら持って行ってやって欲しい」と。。

かなりの金額を預けていったそうだ。

そういえば、帰る日が近づくと祖父は母に「買い物はどこでするんじゃ?」と聞き

冷蔵庫に入りきれない程の食料を毎日買ってきたという。

無職になっている事を両親に問い、お金を渡すことよりも

気付かないふりをし続けて、食べる事だけでも困らないようにする事を選んだ祖父。

母からこの話を聞かされた時

‘表立った優しさ’と‘裏で支える優しさ’を私は祖父から学んだ。


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