松山は母の実家。
母は弟、いわゆる私の叔父(スー兄)と二人兄弟だった。
そのスー兄が 平成10年4月8日 享年44歳で亡くなった。
スー兄は当時、入退院を繰り返していた祖父と、年老いた祖母(アケさん)
そして妻、子供(3人)と暮らしていた。
突然天国へ行ってしまったスー兄。
嫁は子供を連れて出て行った。
それまでにも、母と私は時間の許す限り松山に来ては
祖父の看病をしていた。
スー兄が亡くなり、祖父の看病を祖母メインにさせる事は不可能。
・・・・悩む私たち家族・・・・
私は松山へ行く事を決心した。
私が祖父母の家に住み、祖父の看病をしようと。。。
23歳の終わりに私は松山へ行く事を決心した。
歯科助手として働いていたし、彼氏もいた。
今の時代いくら近くなったといえど 大阪⇔松山
海を越えなければならない距離・・・
彼氏に私の松山行きを伝えた時
別れるとかそんな言葉は出なかった。
でも私は「他に好きな子出来たら私に同情せず言って。
私の勝手で行くんやから」
と言わずにはいられなかった。
「何でそこまでするの?」「彼氏置いて行くの?」
悪気は無いのだろうけど、傷つく言葉が色々あった。
でも、私が決めたんだ!!誰に頼まれたわけでもない。
私が自分で決めた事、後悔しない・・・
平成11年の夏に行く予定にした。
夏のボーナスを貰ってから退職するからだ(笑)
友達がお別れ会を開いてくれたりもした。
“私が決めた事”
でも、正直少し寂しかった。
まだ24歳。。。。