2005年06月18日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
車に轢かれた 白くて綺麗な猫 さん。昨日の夜の出来事でした。
一日経っても映像と音は張り付いたまましょっちゅう頭をかすめます。
私にとっては初めての衝撃的なシーンでした。

目の前でトラックと乗用車があの子の体をずたずたにしたのですが、
どちらも気づかないか、気づいても過ぎ去って行きました。

私は牛やブタや鳥や魚を食べます。
加工されてるものにはもっと他の動物も入ってるでしょう。
自分の手を汚さず、どんな死に方をしたものの体か知らずに食べています。

(そのせいで、そのあとスーパーで肉売り場に近づけなかったんですが・・)

私は虫を殺します。
ベランダに蜘蛛が巣を張りますが、蜘蛛を追い払っても戻ってきて翌日また同じところに巨大な巣を張るんです。
最近では巣を壊し、蜘蛛を殺してしまいます。
その時せめて苦しまずと致命傷を負わせます。でも罪悪感や悲しみを感じることはないです。
害虫駆除とかゴキブリ退治とかも、罪悪感はないのです。
虫好きの方からみたら残虐非道な行為です。
猫には思い入れがあります。犬にもあります。けれど虫にはない。
身勝手なことだなぁと自分で思います。

虫も、食べる肉の元の生き物も、その生き物は私と同じように命あるものです。
植物も食べられるために命があるわけじゃない。でも食べます。あるいは花を切って生けたりもします。


今でもあの子を轢いて過ぎ去った車を恨めしく思ってしまいます。私の見た光景を見せたい。
運転していた人は自分の車のタイヤが猫の頭をつぶしたのは見えてません。音も外にいる私のようには聞こえていないでしょう。
その後振り返らず車を降りなければ、なにか落ちていたゴミを踏んだと思い込んだら記憶にさえ残らないかもですし、悪意なんて全くないかもしれない。
でも、そんな彼らの姿はきっと私の姿です。

だからどうとかって建設的に考えるわけじゃないんですけども・・

生きてるだけで罪深く奇跡的で、幸せでそして苦しく重いものだなと。
たくさんのことを思いながらも今日も私はごはんを食べてお肉も食べるでしょう。
それをやめなきゃとは思いません。
どっちかっていうとやめずに、生きるのなら食べるべきと思っています。いろんなものを食べることで背負うべきと。

私もたくさん、気づかずあるいは知らないふりをして、いろんなことを彼らのように通り過ぎているんだと思います。
轢いて過ぎ去った彼らの姿は・・やっぱり私を映していると思えるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005年06月18日 16時34分34秒コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: