NO30. 子どもに捨てられてやること



9月30日の夜から翌日の深夜にかけて、我が家の愛犬、ポッタ(豆柴風雑種)が6匹の子どもを産みました。 

家族みんなで一緒にいきみ、とりあげた子犬たち。 

目も耳も開かずにモグラのように転がっていた子犬たちも、まる2ヶ月が過ぎようとしています。 
もうやんちゃざかりでありとあらゆるものを噛みたいし、
人が行くところはどこでもついて行きたいし、
おしっこうんちはあちこちにちらばるし、
何しろてんやわんやであり、同時に可愛い盛りでもあるのでしょう。


この間、子犬たちの可愛さや成長を見ることはとても楽しかったけれど、やはり母としては母犬であるポッタの姿に感動することがたくさんありました。 

まず出産。 

犬は安産の神様と言うけれど、
やっぱり1匹目は何度もいきんでも出たりひっこんだりしてなかなか生まれず、産気づいてから4時間ぐらいでやっと生まれてきました。 

誰にも教わらないのに、うまれるとすぐ、赤ちゃんの入った袋をくいやぶり、へその緒を噛み切って、子犬をなめあげ、胎盤を全部食べてしまいます。 
そうすると子犬はもうもぞもぞとおっぱいに吸い付き、
そんな平和もつかの間でじきに次の陣痛がきます。 

それを繰り返すこと6回。 

ポッタ自体が7キロ程度の犬なので、
お医者さんには「まあ、うまれても3~4匹でしょう」と言われていました。

4匹生まれたところでおなかもふにゃふにゃしていたので、
「よくがんばったね」と産箱も全部きれいにしてから、更に2匹もうまれたのです。 

6匹目まで全部始末をし、小犬たちにまみれてぐったりと寝ているポッタは、今まで見たことのない慈悲深い目をしていました。 

我が家で一番の犬好きの娘が、
   「赤ちゃんが生まれて、ポッタより赤ちゃんを可愛く思っちゃったら悲しいな、と思ってたけど、ポッタを赤ちゃんにとられちゃったみたいでちょっと淋しい。」 と言っていました。 

まさしくそういう感じで、産まれた後も本当にかいがいしく精一杯子犬の世話をしていました。 

子犬のうちはおしっこもうんちも母犬がなめとってやるのですが、
とにかくまめになめてやるので3週間ほどは私たち人間が子犬のウンチを見ることがなかったくらいです。

誰かがおっぱいを吸うペチョペチョという音をたてると、一気に6匹がむしゃぶりつくので、上げた足を下ろせず、横になることもできずに飲み終わるのを待っていたものです。


でも、今の私が何よりも心にしみたのは、子犬たちの自立を前にしたポッタの姿です。 

子犬たちは1ヶ月過ぎから少しずつ離乳を始め、もうふやかしたドッグフードをむしゃむしゃと食べています。 

おしっこうんちもペットシーツの周りで何となくできるようになり、なめて刺激してもらわなくても自分でふんばれます。 

人間の存在もわかるようになり、ママのおっぱいよりも私たちの方へとんできたりします。 

そんな中でも、相変わらず母性的なポッタは、
   離乳食を食べているそばで所在なげにおっぱいをゆらしていたり、
   食べている子犬のお尻を順番になめていたり、
   ちゃんとペットシーツに吸い込まれたおしっこを一生懸命なめとろうとしていたり・・・。 

そういうポッタの姿を見るとなんとも切なくなるのですが、同時に尊敬するのです。 
私にはあんなにあからさまに捨てられる度胸はないな、と思うのです。

“子どもを自立させる”と言えば聞こえがいいけれど、
本当は親の方はまだ未練たらたらなのに、
子どもがその親を振り捨てて自立していくっていうのがみじめでかっこ悪いから、
先に自分から離れて威厳を保とうとしているだけなのかもしれません。


変わらない母性の暖かさを、うっとおしがり、突き放して、自分の足で歩いていくこと。
それが本当に親を踏み越えて自立することなのかもしれません。 

その何だか情けない、みじめな役回りをしっかり引き受けることが、親の大事な仕事なのかもしれません。 


私も親にしてきた仕打ちの数々を思い出しながら、 
ポッタの爪には垢があるかしら、と考えています。


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