雪月花

モノローグの苦笑












 気が付けば、子供じみた腹いせはできなくなっていて、子供の頃に知らなかった我慢というものが身に付いている。汗を流して声をからして泣叫ぶことも駄々をこねることもなく、迷子になることも少ない。極めて穏やかな生活だといってもおかしくはないのに、歪んでいる、と思う。ゆがんでひずんでたわんで、もう少しの妙な力でぽきりと、壊れきってしまったほうが自然なくらいだ。致死量までの毒を毎日ほんのわずかずつ盛られているみたいに、今日はまた過ぎていく。何も残さないまま。ただひとつ毒と違うのは、それが毒かも、致死量かどれくらいかも知らないまま、誰もが盛り、盛られているところだ。未発見の公害にも似て。
 年を重ねれば重ねるほど、辛い思いをしたときに攻める相手が自分しか居なくなる。偽善でもなんでもなく現実にそうなのだから余計に、きつい。大切なものが確かにわかっていてなおかつこの世に存在することはきっと良いことで、幸運なこと。それでも、そのものが今手に届かない場所にあるという事実が加われば、あたしは疑問をもつ。手に入らない大切なものの存在など、知らないほうが良かったんじゃないか。そうやって。そんな屁理屈の螺旋から自分を引っ張りだすのは、時として大仕事だ。

だってあなたは傍に居ないじゃない。

 全ての物事は繋がっている。時間は繋がっているのだし、あたしは生きているのだし。だから、過去の何かを今やこれからの何かと完全に切り離して考えることも、これっぽっちも理由に含まないことも、結局は無理なんだと考えている。あなたが傍に居なかったことが理由じゃないけれど、あなたが傍に居ないのは事実で、どうしようもないことだから。どこかで何かしらの影響を与えているはずだよ、あたしのこなす数々の選択に。
 良くないことだとわかってはいるけれど、最近、後悔することが多い。いくら後悔したって、たいていのことは遅くても数年後には笑い話か良い教訓。それでも、後悔せずにはいられないんだ。自分の、あさはかさ。それに、弱さ。後悔とは違うな。いや、でも名前を付けるとするならやっぱり後悔かな。そして、前を向け自分、と言い聞かせる。無駄な時間も無駄な経験もないんだよ、と。言い聞かせる側の「あたし」が妙に必死なのが滑稽だ。まるで、そうだね、これは失敗だったねと後悔する側の「あたし」に賛同してしまったら、ほんとうになにかが壊れてしまうんじゃないかと恐れているみたいだ。ほんとうに、取り返しの付かない何かが起こるみたいだ。

欲しいのは匿名の体温で。

 そうだよ、欲しいのは匿名の体温だった。顔も名前もいらなかった。ただ、あたしを傷つけないとわかっているもの。いや、あたしを傷つけることができないと思われるものにしかない体温。それなのにあたしの間違いは、何かに駆られてその体温に、あろうことか名前を付けて、所有した気になってしまったこと。そうして、所有したなどと思い込んだがために、数々の後ろぐらい事柄を引き起こしてしまったこと。世の中に対してでも、他人に対してでもなく、他でもないこのあたし自身に対して。
 名前をもつものにあたしは興味をもつ。そして、すぐに興味を失った。それでも、愛してさえいなくても、去るものを追おうとしたり惜しがったりするのが、ここ最近見つけたあたしの悪いところだ。貧乏性というか、執着心というか。中身になど興味を持たなければ何も事件は起きなかった。それでも、ひととおりの物事には礼儀の一部として関心を持とうとするのがどうやらこのあたしで。そして、あわよくばあのひととのような空気を作れたらと夢を見てしまうのが常。まるで、夢にまで見る伝説の城をこの手で作ろうとする新米大工のように。そんな大工はえてして軽く見られがちだけれど、本当は、誰も思いもよらぬ程に、毎回毎回に真剣に取り組んでいる。賭けであり、祈りである作業は、自分の心と体を使ってしか始まらないと知っているから。

そして疲れた。

 そう。興味のあるうちが花だったから。それでもね、やっぱり応えたよ。かの体温がすぐに別の誰かを見つけていたと、数日後に聞いたときは。自分自身がそこまで、リプレイサブルな女なのかと思って空しくなった。これは決して未練ではない。それはわかる。未練は未練で別に知ったから。どうやらあたしは人一倍プライドをたっぷりと持ち合わせていて、それが良きにせよ悪しきにせよ思わぬところで感覚を増幅するんだ。
 怖いのは、こうしてどこか不健全な恋愛に似たものが過ぎる度に、やっぱりあたしにはあの人しかいなかったんじゃないかっていう思いが強くなること。今は手の届かない場所にいる人の存在の絶対的な意味を知るために、あたしは莫迦なことを繰り返しているだけのようだ。もうたくさんだ。どれほど大切かは、わかっている。何年先に一緒に毎日を過ごせるようになるかはわからなくても、あの人ほどあたしを安全に扱える人はいない。大切さはわかっている。このあたしがいちばん。だからこそ、莫迦なことを繰り返してしまうのだ。いない、そのことの大きさは、他の誰にもわかってたまるものか。何でもいいから温かいもので埋めたくなるひびを、そこから錆びていくことの怖さを、冷たさを、知っているのはあたしだけだ。

大切な人がいる。

大切な人がいるなら、なぜその人だけに心を持っていかないの、という友人もいる。でもね。次にいつ会えるかわからない、あたしを愛してくれている、愛する人と約束をするのが、どれほど怖いことか。信じるだの信じないだのの話ではなくて。そういうことでは全くなくて。彼の気持ちと自分の気持ちとに素直に頷いた途端、あたしはまた昔のように、胸の中の肉を掻きむしられるくらいに、餓えて乾いて泣き続けてくまを作って朝を迎える日々になる。あの苦しみは、いやだ。愛しているなら我慢できるなんて、そんな程度の関係では既になかった。
 恋愛はみな同じようなものだと思っていた。同じように温かく、単純で、ときに苦しくややこしいものだと。でも現実を知ったのは、あの人を手放してからだった。まさに特別でしかなかった。気付くのが遅すぎたのか、出会うのが早すぎたのか。もう並び替えのきかない順序を思って苦笑いをするよ。

おやすみ。







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