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灰色猫のはいねの生活
9月
9月の秋休みと呼ばれる連休があけてから、まるちゃんのクラスでは、ぽつんと一つの机が空いていました。
幸子ちゃんの机です。
その机を使う人がいなくても、まるちゃんは気にも止めませんでした。
幸子ちゃんは、とてもおとなしくて授業中に指されても、蚊の鳴く様な声しか聞こえません。
おさげにした黒い髪を、きっちりと三つ編みにした幸子ちゃんは、休み時間にみんなでわいわいはしゃぐこともないし、体育の時間もいつも見学でした。
ぽつんと空いている机は、もともとぽつんと1人でいる幸子ちゃんそのものの様でした。
いつもの放課後、たまちゃんと一緒に教室を出ようとした時、ふと、その机が目に留まったのは、偶然だったのでしょうか?
「あー、1人なんてつまんないな。」
まるちゃんは公園の真ん中でため息を吐きながら言いました。
一緒に遊ぶ約束をしたたまちゃんは、急に用事が出来てお母さんと一緒にお出掛けしてしまったのです。
丸尾くんは塾だろうし、いつもなら誰か彼か見付かる公園には誰の姿も見えません。
家に帰って、りぼんでも読もうかな。
「本当に1人なんてつまんない!」
そう言って、公園を出ようとした時です。
「そうでしょ。」
後ろから声がしました。
「本当に1人なんてつまらないでしょ。」
「幸子ちゃん…。」
まるちゃんはびっくりしました。
確か幸子ちゃんは今日も学校を休んでいたはず。
それよりも、いつもおとなしい幸子ちゃんが、きりっと顔を上げて、はきはきとまるちゃんに話し掛けたのです。
三つ編みをしていた髪の毛はほどかれ、ゆらゆらと背中に踊っていました。
「ね、遊ぼうよ。1人はつまらなくても、2人ならきっと楽しいよ。」
そう言って幸子ちゃんはまるちゃんの手を引いて行きます。
まるちゃんはあっけに取られたままです。
いつも1人でいる幸子ちゃんを、まるちゃんは1人でいることが好きなのだと思っていたのです。
「まるちゃん。こっちだよ。」
ジャングルジムの前まで来ると、スカートも気にせずにどんどんと登り始めます。
てっぺんまで登ると、まだ呆然としているまるちゃんに手を振りました。
「まるちゃんも登っておいでよ。」
「待ってよ~。」
何だか楽しくなってまるちゃんも慌ててジャングルジムに手を掛けます。
てっぺんに登る頃には幸子ちゃんはするすると降りて駆け出します。
「次はこっち!早くしなくちゃ。」
うんていを小猿のようにするすると渡り、とび箱がわりのタイヤを飛び越え、そうして滑り台を何度も滑ります。
「ほら、まるちゃん、早くすべってよ。」
最初は幸子ちゃんを追い掛けていたまるちゃんでしたが、いつの間にか滑り台では背中をおされました。
「早くしなくちゃ、間に合わないよ!」
笑いながら、幸子ちゃんは言いました。
「もう疲れちゃった。今度はブランコ乗ろうよ。」
「うん、ブランコ。」
くたくたになったまるちゃんの提案に、幸子ちゃんが走りだしました。
こんな幸子ちゃん、始めて見たよ。
まるちゃんは思いました。
体育の時間はいっつも見学していた幸子ちゃんです。
マラソンの季節にはいつもうらやましく思います。
でも、こんなに走れるなら、何故。
「生まれて初めてよ。こんなに楽しいの。」
幸子ちゃんは本当に嬉しそうにブランコをこいでいます。
隣りのブランコに腰掛け、キコキコと揺らしながらまるちゃんは不思議な気分でした。
「なんか、今の幸子ちゃん、とっても幸せそうだね。」
まるちゃんが言いました。
「私、私の名前ね。」
幸子ちゃんがブランコを少し止めました。
「幸せになるように、ってお父さんが付けてくれたんだって。」
「ふうん。」
国語の授業で、自分の名前の由来を調べて作文を書きました。
それをみんな代わる代わる発表しました。
でも、幸子ちゃんはその日、お休みしていたので由来は聞いていません。
「幸せって、どういう事がわからなかったけど、今わかったの。」
幸子ちゃんはまるで独り言の様にいいました。
「まるちゃん。」
ブランコを止めて、まるちゃんと並べながら幸子ちゃんは言いました。
「私、ずっとまるちゃんがうらやましかった。いつも元気で、楽しそうで、友達もたくさんいて。私、まるちゃんみたいになりたかったの。」
「えっ」
まるちゃんは本当に驚きました。
いっつも落ち着きがないとか、ちょろちょろしてるとか、まんがばっかり観てないで少しは勉強しなさいとか、怒られてばかりでうらやましいなんて言われたのは初めてです。
「だから、覚えていてほしいの。普通に、あたりまえに自分が出来る事を、出来ない人もいるんだって事。大きな声で返事をしたり、走り廻って遊ぶ事を、出来ない子もいるんだって事。まるちゃんには、覚えていてほしいの。」
まるちゃんは、その言葉に何も言えませんでした。
「私、今まで自分は不幸なんだって思って来たの。なんでお父さんはこんな名前つけたんだろうって。全然ちがうじゃないって思ってた。でもね、」
幸子ちゃんは、大きくブランコを漕ぎました。
「今まで出来なかったから、最期に出来た事を、本当に幸せだって思えるの。」
空に向かうかの様なブランコが下に降りた時、幸子ちゃんの姿は、もうどこにもありませんでした。
まるちゃんの頬を、涙がひとつこぼれます。サヨウナラと一言、空が呟いた気がしました。
「何をしているんですか?そんなところに1人で。」
公園のブランコに1人腰掛けたまま俯いているまるちゃんに、丸尾くんが話し掛けました。
ごしごしと目元をふいて、まるちゃんが顔をあげます。
「丸尾くんこそ、何してるのさ。」
「私はクラスの代表として、前野さんのお見舞いに行って来たところですよ。」
「前野さんって、幸子ちゃん?」
まるちゃんはかたんとブランコを降りました。
「そうですよ、帰りのHRで言ったじゃありませんか。前野さんが先週から入院しているのでお見舞いに行きますと。聞いてなかったんですか?」
「うん…。」
「さくらさんらしいと言うが、なんと言うか。今日の宿題は忘れてないでしょうね。」
すっかり忘れているまるちゃんでした。
「前野さんですがね、」
照れ笑いをしたまるちゃんをよそに、丸尾くんは話し始めました。
「私は、前野さんの事を、よく知らなかったんですよ。生まれ付き、病気だった事は、誰かに聞きました。ただ、自分から進んで発言するタイプではないし、友達もあまりいそうにない。休みの多い事を、男子にからかわれても何1つ言い返そうとはしない。弱々しい人だと思っていました。でもね、今日、お見舞いに行ったら、病気は進んでいてあまりよくはないことは、見た目にもわかりました。病室に、私達は入れもしないんです。ただ、その病室は上半分がガラス張りで、そこから前野さんの様子がみられるんです。ベッドの横には沢山の機械類が置いてありました。そこからチューブが何本となく前野さんの身体のあちこちにつながれているんです。前野さんは、私達の姿を見付けると、弱々しく手を振ったんです。笑いながら。笑いながらですよ。あんなに苦しそうなのに、笑ってるんですよ。」
丸尾くんは空を見上げながら、泣いているようでした。
「私は始めて、前野さんは強い人だと思いました。」
次の日から永遠に空いた幸子ちゃんの机の上に、まるちゃんはマーガレットの花を置きました。本当は明るくて、誰よりも強かった幸子ちゃんに、よく似合うと思えたからです。
【あとがき】~羽衣音~
本当の強さ、本当の幸せってなんだろうって思って書いたお話です。
こうだから弱い・強いとか、こうなることが幸せでそうでなければ不幸せだとか、自分だけの常識の中では、絶対に計り知れないと羽衣音は思います。
人の数だけ強さがあって幸せがある。
それと同時に自分に与えられた幸せに感謝出来る人間でいたいと羽衣音は望みます。
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