とべばいいのさ!

≪T- 1≫02:その髪に触れ



春風が暖かく吹く頃、彼女はふとこういった。

「その、【のはら】ってのがみてみたい」

セントラルの中でも特に高層ビルの密集する一帯で育った彼女。
彼女の周りにあるのは灰色の巨大な塊と、四角く区切られた狭い空。
ぼくがした親しんだ緑の絨毯も、無限の青色も彼女は知らない。

なんだかそれが、寂しく思えて。
ぼくは休みの日を見繕って、ちょっとした「遠足」へ出かけることにした。

いつもの、ターミナルのベンチの前で待ち合わせ。
彼女は黄色いカーディガンを羽織って、薄桃色のベレー帽をかぶってきた。
白いスカートの丈はやはり短く、春とはいえど寒々しい。

「スーツじゃないとこ、はじめてみたかも」
「どうかな? 似合っているかい?」
「ふつー。でも、いつもよりは元気そうにみえるよ」

彼女は少し意地悪そうにそういった。
ぼくは少し肩をすくめた。

「どこにいくの? もしかして地元?」
「まさか」

もちろんぼくの地元でもかまわないのだけど。
そんなに遠くまで行く時間もお金も無い。
ぼくは彼女の手をとって歩きだす。

「行ってからのお楽しみ、かな」

ターミナルからバスに揺られること20分。
セントラルを縦に割るように流れる大河の傍に来ていた。
相変わらず背の高い建物が、川に沿うように立ち並んでいた。
コンクリートで固められた川底が、魚のいない澄んだ水底に見えていた。

「ここ? こんなのいくらでもみたことあるわよ」
「もうちょっと、かな」

疑わしそうに見上げて言う彼女に、ぼくは答えた。
階段を降り、平らに均され固められた川原を歩く。
やがてみえてきた、両側四車線の巨大な道路の通る橋の下をくぐる。
ひと1人がやっと通れるくらいの道を、一列になって歩く。

「こんなとこ通ってだいじょうぶなの?」
「まあまあ」

本当はダメだ。
だからこっそり通る。
手を握るちからが少し強くなるのを感じながら、暗闇の中をすすんだ。
そして――


――それはすぐ目の前に広がった。

「うそぉ?」

彼女は零れ落ちそうなほど大きく目を見開いてそう言った。
橋を抜けた先にあったのは、背の低い雑草の生い茂る【空き地】だった。
駆けてまわれるほど広くは無いが、原っぱと呼べるくらいには開けている。

「こんな場所あったなんてしらなかった……」
「ぼくも見つけたときはびっくりしたよ」

この場所を見つけたのは彼女に出会う少し前。
逃げてばかりだったころのぼくが行き着いた最果ての場所。

あの頃のこの場所は、枯れ草ばかりで荒んでいたけれど
今は黄緑色の間から、所々花の姿も見受けられる。

彼女は踊るようにその黄緑色の中へと入っていく。
春の風が強く吹いて、彼女の帽子を空へと舞い上げる。
ひらりひらりと舞うそれを彼女は目で追いながら

「セカイって、けっこう広いね」

そんな当たり前のことを口にした。
ぼくは足元に落ちてきたそれを拾いあげる。

「そうだね。この世界は本当に広くて、途方もないね」
「とほうもない?」
「うん。だから時々、どうしようもなく怖くなる」

頼るモノも人も、何もない世界に放り出されたように。
あるいは、全てが完成されてしまった世界に迷いこんだように。
周りにたくさんモノがあればあるほど、自分は孤独になっていく。

「こわくない」
「え?」
「あたしはこわくない。だって、ぜったいにいるから」

そう言って彼女はぼくを真っ直ぐに見ていた。
見ているうちに、段々と彼女の頬が赤らんでいく。
そして、ぷいっと他所をむいてしまった。

強い風がまた吹いた。
彼女の栗色の髪を、激しく揺らす。

乱れてしまった髪を慌てて直そうと、さらに髪を乱れさせる彼女。
ぼくは見かねて、その栗色の髪に手櫛を入れる。
柔らかい髪は滑りも良く、するするとぼくの手の中を流れていく。
その度に、かすかな温かな日の光の香りがする。
それが、とても心地よかった。

「じゃあ、ぼくもこわくないかな」
「え?」
「ぼくにも、絶対にいるから」

彼女の頭を撫でながら、ぼくは言った。
彼女は、むこうを向いたまま何も答えなかった。
けれど、少しだけ。
ほんの少しだけ、撫でた頭が小さく揺れた気がした。

きみにはぼくがいる。
ぼくにはきみがいる。
それが全てで、それでいい。
ぼくはこのとき、本気でそう思っていた。

これはぼくと彼女のある一日。
夢から目覚めるその前の、ある一瞬の物語。




次へ
お題創作へ戻る

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: