夢人の記事


私は夢人の事を誰かに話せる、夢人の事で出かけられることが
ただうれしくて、取材の人に会いました。
でも、夢人のパパは少し考えが違いました。
夢人の事を不特定多数の人に知らせる必要があるのか?
何の意味があるのか…と。

でも、パパは私の気持ちをわかってくれて、
そして新聞に夢人の事を載せることを許してくれました。
写真の私が抱いているくまのぬいぐるみは
夢人を妊娠中に作ったくまさんです。
NICUには何も持ち込むことはできなかったのですが、
夢人にどうしても見せたくて、先生に頼んで入れてもらいました。
夢人の最後を一緒に見守ったくまさんです。
夢人に持たせてあげたかったのですが、
どうしても私が手放すことができずに、
今でもそばにいます。
そして、今年の命日には弟がだっこして
自転車で一緒に公園や買い物にいきました。


その時の記事です。

yutonokiji


生後5日 乳含み腕の中で逝った子

温かくて、柔らかかった。生後5日目にして初めて抱いた我が子。
ぱんぱんに張っていたおっぱいをはじめて含ませた。
今年2月18日、神戸市の由香さん(34)=仮名=が待ちに待ったその瞬間は、
数分後、医師の「死亡確認をさせてください」 の言葉で終わった。
 切実な思いのこもったメールを受け取り、私(記者)は由香さんを訪ねた。
          □          □
 予定日を9日過ぎ、由香さんは実家のある京都市の病院で男児を出産。
帝王切開だった。記憶にあるのは「ふにゃ」と言う泣き声が聞こえ、「元気ですか」
と尋ねたら、医師から 「元気や」 という答えが返ってきたこと。
麻酔で眠りに落ち、気付いたら病室にいた。
 その日夕、「肺が機能せず、今日がヤマ」 と医師の説明を受けた夫(36)から
「うんちと羊水を飲んでいて、保育器に入っている」 とだけ聞かされた。
マタニティースイミングで一緒だった人に、同様の状態から元気に育った子供の
話を聞いていたので、「大丈夫。早くおっぱいをあげたい」。幸せな夜だった。

 「寂しさ吐き出す場ほしい」

        死産の母支える体制を

 しかし、翌日、医師から深刻な状態である事を知らされた。
はじめてみた我が子は保育器の中。小さな口には太い菅が入り
髪の毛には、羊水やうんちが残っていた。涙が出てきた。
「10ヶ月もおなかにいた子にやっと会えた」 という思いは、すぐに
「元気に産んであげれなくてごめんね」 に変わった。
夢を持ち続け、いろんな人にそれを与えてほしいとの願いを込め、「夢人」と名付けた。
 3日目、状態が悪化。「死亡届が先になっては」 と思い出生届を出した。
4日目、医師から 「薬を使っても反応がない」 と言われた。
 次の日、血圧が下がり始めた。
医師に 「抱っこさせて」 と頼むと、菅を外し、バスタオルにくるんで抱っこさせてくれた。
腕の中で夢人君は息を引き取った。
 身内や知り合いから 「まだ赤ちゃんでよかった。大きかったらもっと悲しい。障害が残って
生きても大変だし、親も大変。(夢人君は亡くなることで)親孝行したんだ」 と言われた。
 どんな状態でも生きていてほしかったのに、心のどこかで納得している自分が由香さんは悲しい。
「時間がたつのが怖い。おなかにいたこと、生まれた事、抱っこした感触、全部覚えていたいから。
今はだれも夢人の事を聞いてこない。みんなの中から夢人が消えていくのが怖いし、寂しい。
この気持ちを吐き出す場がほしい」 と話す。
          □          □
 死産の可能性はだれにでもあるが、死産した人を支える体制は皆無なのが実情だ。
「話を聞いてもらえただけでもよかった。」
取材後、由香さんがつぶやいた言葉が、私の胸に突き刺さった。

          [ 鯨岡 秀紀 ]

    毎日新聞 「いのちの時代に」 取材班  2000.9.15


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