あそびはこどもの仕事やで!:遊び学ブログ

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2007.05.16
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カテゴリ: 諸事一般


 何回か選挙の開票に立ち会った中で、印象に残っているのが何も記載されていない「白票」の多さだった。しかも、その数は年々増えるように思われた。だから、無効票における「白票」の比率が極めて高く、時には最低得票者の票数をはるかに上回ることも度々だった。

 ここで考慮しなければならないのは「白票」といえども、わざわざ投票所に出向いての投票すると言う点では、いわゆる有効投票と何ら変わらないのだ。こうした意識的な投票には、その投票者の何らかの意思が反映されていると考えるのが妥当だろう。要するに、それが議員を選ぶ選挙なら、その「白票」投票者が思いや意思などを託すことができる候補者が存在しないか、その選択に迷った結果か、あるいはその選挙自体への何らかの抗議があったかなどの、投票者の意思表示と見ることが大切だろう。

 だから、そうした「白票」の投票自体は、選挙の場合確かに「誰に投票したかを定めることができない票」、便宜的に名付ければ「不定票」(紛失などによる「不明票」とは違う。)であるが、決して投票した行為自体は「無効」ではなく、ある意味では有効な投票行為だと言えるのではないだろうか。

 また、選挙時の投票には、候補者名以外にスローガンなどを記載した「他事記載」なども「無効票」となっているが、これも同様にどの候補の「得票」ともならない「不定票」と考えるべきで、これまたその投票行為までを「無効」扱いするのも考えものだろう。

 「白票」投票と似たことに投票の「棄権」があるが、わざわざ投票に出向いた「無効投票」と呼ばれている投票と、投票に行かない「棄権」とは分けて考えるべきだろう。「棄権」も一つの意思表明の方法の一つかもしれないが、選挙や「投票」が国の成り立ちの決定的な仕組みとなっている事を考慮すれば、投票は権利でもあるが国民として大事な義務として考えるべきで、「棄権」は望ましくないだろう。

 これまで述べてきた点を考慮すれば、今回の「国民投票法」が、「有効投票の過半数で憲法の改正を可とする」ことのひとつの問題点が見えてくる。例えば、「ある項目の改正内容には賛成ではないが、その項目の何らかの改正を望む」人たちの中には、二者択一的な投票方法では「白票」として投票せざるを得ない人たちも少なくないだろう。

 また、憲法が国の根幹となる最高法規であることを考えると、その改正には国民の最高に明確な意思が必要な事は憲法自体が明記している。だから、意思表明としての「白票」だけでなく、たとえそれがふざけた意思による投票であっても、それを「無効票」として除外しないほうがいいだろう。

 少なくとも選挙の場合とは違って、「無効票」とみなされた票を投じた人たちの存在を無視するのではなく、その人たちを含めた総数の「過半数」としての意思が、憲法の改正に必要な「国民の確固たる意思」となるのではないだろうか。



遊邑エッセイ





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最終更新日  2007.05.16 16:33:25
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