ゆずはかあちゃんの独り言

ゆずはかあちゃんの独り言

闘病記1




2003年11月8日(自宅)

今日はお天気もよかったので気分的にいいのかよく動いてました。熱も36.9度が最高で安定してました。

右肩の痛み以外は問題なしでした。お天気と体調ってかなり関係があるなと感じています。

寝ている時間もいつもより少なくて嬉しかったです。ゆう君が学校お休みだと何かにつけて呼んでいます。

孫は可愛いんでしょうね。私を呼ぶ10倍はゆう君を呼びます



2003年11月09日

今日は選挙でしたね。私は父と友達と4人で行ってきました。父と初めて一緒に選挙に行きました。

行く時に「最後の選挙だからな・・」と一言。聞こえない振りをしました。何でそんな事を口にしたのか。

考えるのはやめよう。でも一緒に選挙に行く親子。何かホノボノ気分になりました。



2003年11月10日

父はつい最近までは阪神の応援に夢中でしたが、今はバレーボールの応援してます。

今夜は大騒ぎで応援してました。勝ったので気分がかなりハイテンションで銭湯に行きました。

気持ちが悪いくらい・・元気ですヾ(*^▽^*)〃

阪神優勝の夜以来・・久しぶりの元気な父の姿です!!この状態が続きますように・・。



2003年11月11日

父は雨だったせいか咳が出てます。今夜は少しうなされてる。

隣の部屋でふすま1枚挟んでるだけなので聞こえてきます。

痛み止めと咳き止めを飲んだと言っていたので効いてくれれば・・。

明日はお天気回復しそうなので楽になってくれるといいな。



2003年11月12日

父は・・・う~ん・・。動きません。きっと体が辛いんだと思います。

変に痰が絡んだ咳が出ています。さっき咳をしてて咳が止らなくて吐いてしまいました。

病院に行く?と聞いたら「来週の木曜日までは行かない!!」と即答されました。

「病院」って単語を出すと父がちょっと怖くなる。病院が、そんなに嫌ならここに居ればいいし。

追い出す気持で言ってるんでないよ。心配なだけ。

口に出して優しい言葉を言えない私は、「分かったよ。無理はいかんよ・・」とだけ伝えて自分の部屋に戻りました。



2003年11月13日

父の様子は昨日と同じ・・・(T_T)早く来週の木曜日(通院の日)になって欲しいと思う。

辛いって言わないで頑張ってる感じが伝わって来る。

友達に「病院の天井見てるより家の方がいい。」と言っていたんだそうです。

病院の先生にも自宅にこだわるのは≪痛み≫への恐怖が安らぐからかも知れないと言われました。

自宅への拘りは私の訓練も関係してるのかな?。訓練が無事終了するのを家で見守っていてくれてる感じがしてる。



2003年11月14日

今日の父は元気ヾ(*^▽^*)〃父の体調の波がなかなかつかめない・・。

明日と明後日は学校がお休みでゆう君が家に居るからかな?咳は相変わらずだけど、表情が違う。

元気な表情の父を少しでも長く見ていたい。



2003年11月15日(食堂狭窄悪化入院)

昨夜、11時頃に咳をして吐く回数が増えたなと思って「病院に行く?」と父に声を掛けたら「寝なさい!」拒否されてしまった。

私は気になりながらも、疲れから2時過ぎにウトウトと眠ってしまった。

朝、6時位に父の部屋を覗いたら、ぐっすり眠っていたので少し様子を見る事にした。

11時位に「ちょっと食道の通りが悪い」と言ったので「病院に行こう・・」と説得に入った。

1時過ぎ「唾液も通らなくなった」と言ったので、ぶつぶつ文句を言っている父を無視して病院に電話した。

「至急来てください。呼吸器科の医師しかいませんが、担当医と連絡を取ります。」と言って頂けたので、
「点滴だけしてもらったら楽になるから」と言って、父を車に乗せて病院へ。

混んでいたけどすぐに呼んでもらえた。カルテを見ながら黙り込む救急外来の医師。入院だなと直感した・・・。

とりあえず救急外来のベットで血管確保の点滴をしようという事になった。脱水が始まっているのでなかなか針が血管に入らない。

確保した時点でカテーテルの針だったので、「これは絶対に確実に入院だな・・」と思った。

先生に呼ばれたので行ったら、「入院を嫌がってみえるみたいですが。この状態では帰宅は無理です。
でも、お父さんが納得して入院してもらわないとなりません。入院の準備をしに一度、帰宅してください。
その間に話をしますんで・・」との事だった。

私は父に「ゆう君が待ってるから、点滴が終わる頃に迎えに来るわ」と言って一旦帰宅した。

父は食道にステントという網目状の金属(?)の管を入れています。
それ自体が筋肉に押されて狭窄するのもあるけれど、
食道も口の中と同じで粘膜でできているので網目から粘膜が滲出してきてしまうのもあります。

いつも急に唾液も飲み込めなくなります。唾液も無理なので、水分は全く体に入らなくなるので脱水症状が出ます。

ステントを入れる時、これで父は楽になるんだと思ってたのに、狭窄、バルーンによる拡張の繰り返しです。

拡張は筋肉や粘膜を無理やり広げるので、麻酔をしても効かない位の壮絶な痛みを伴うらしいです。
でも、拡張をしないと生きていけないのです。

父には病院に連れて行く私が鬼に見えるかもしれませんね。

拡張を止めて口から何も食べないで入院して点滴だけで生き続ける・・その選択もできるのですが、
生きたいと強く思う父はいつも拡張を選びます。

4時少し前に病院から「入院してもらうので荷物を持って来て下さい」と電話が来た。荷物を持って病院に向かった。

救急の看護婦さんにお礼を言ったら、「車椅子も拒否」「走れる位元気だ!」と言っていたらしい。

来た時は37度だった熱が38度に上がってたので説得も今回は簡単だったらしい。病室に荷物を持って行ったらいじけてる父。

氷枕をしてもらって病人の顔になっていた。私はいつもの笑顔で「点滴してもらったから、楽になったでしょ??」と言った。

何か文句があったみたいだけど、カーテン全開にしておいたので何も言えなかったみたい。

初めて入院してからずっとお世話になっている看護婦さんと久々に会った。
「また、家に帰れるように頑張ろうね!」と言ってくださった。

頑張ります!憎き癌・・父は癌なんかに負けない!!来年も桜を見るんだもん!




2003年11月16日

静かな父の部屋・・・。何かとっても寂しい。

病院に行って帰るときの父の「アイフルのCMの犬のような瞳」( ̄▽ ̄;;たら~

看護婦さんが「お父さんは明日の処置が終わったら帰ろうとしてるんだけど・・
炎症反応(肺からきてると思われる)がかなり出てるから無理なんだけど。どうしようねぇ」と言ってきた。

肺炎・・恐れていた事態はもう始まっていた。

それを聞いていたゆう君が父の所に行って
「もう~心配ばっかりなんだよ~困ったなぁ・・・じいちゃん!早く元気になるで入院しとらないかんわ!」と一言。

苦笑いの父。鶴の一声でなく・・孫の一声!!効果抜群~~~( ̄∇ ̄*)ゞ何度ゆう君に助けてもらっただろう。
素直に「そうだな・・心配掛けたか・・。ごめんな。」と言う父。

私には決して見せない、孫バカな顔をしていた。
早く帰ってくる為に、少し集中的に点滴して体に栄養を溜め込んでもらって・・自宅に連れて帰って来たい。

肺炎にも負けない~!だって私の親父だもん!





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