バス運転士への道のり


バス運転士への道のり

これは私がバス会社に入った頃(平成10年~12年頃)のお話です。

旅行会社に勤務(添乗員を経験)

 バスの運転士になろうと思ったのは、旅行会社で企画や添乗の仕事をしていた時。添乗員として旅行をすることはやっぱり仕事。プライベートの旅行気分にはなれない。だから一日中気を抜けない。バスの中でも結構やることあるし、宴会でもお酒のお付き合い。更に二次会へも誘われたりして。自分は付き合いがいい方なので、それほど嫌な想いはしなかったけれど、それなりに疲れる仕事だった。
 そんな中、大きな観光バスを自由に操る運転士に憧れ始めた。運転士は旅行の営業も企画も手配もしないで現場へ連れて行くだけ。いいな~と思う日々が続いた。観光業界はバブル崩壊後の最悪の状態が続く。しばらくして旅行会社をリストラされた。退職後に他の旅行会社から引き抜きの話があったが断った。そして、ここからバスの運転士への挑戦が始まった。




大型一種免許を取得(教習所にて)

 バスの運転士は大型の経験がないとなれない。今はやりたがる人が少ないので、バス会社も応募条件を緩和しており、大型の経験についてはほとんど関係なくなってきている。自分はまず大型一種免許を取りに行くことにした。これは教習所で技能教習を受けるだけで簡単に取れる。学科もない。また、免許センターへ行けば費用は安く抑えられる。しかしその場合は、どこかで練習してからでないとなかなか受からない。自分は規定の技能教習を受けて大型一種免許を取得した。




運送会社に勤務(4トン車運転)

 とりあえずというのは変だが、そのくらいの気持ちで運送会社へ入った。4トン車は普通免許で乗れるのだが、ボディーの長さや幅はやはり気になる。狭い道では神経を遣った。しかし、運転は意外と早く慣れた。大阪、新潟、関東と長距離も走った。荷物はいっぱいに積むので崩れることは気にならなかった。気になることは眠気。睡眠時間が足りなくて辛い毎日だった。
 何ヶ月かした頃、同僚でクセのある運転手が、何が気にくわなかったのか自分に絡んできた。経験の浅い人間に対するいじめだろう。その頃からトラック業界の「汚さ」「幼稚さ」というようなものがわかってきて、自分が働く環境ではないことを実感した。信号無視も速度超過も飲酒運転も何とも思わない。やりたい放題の業界。運転手だけでなく経営者も同じ。さっさと辞めて大型二種免許を取りに行こうと思った。




大型ニ種免許の教習(教習所にて)

 大型ニ種免許は教習所だけでは取得できない(平成12年)。だが、大型二種免許の教習をしてくれる教習所が近くにあったので通い始めた。学科も普通車と同じように始めから勉強し直した。バスの運転はトラックと全然違った。前輪が運転席より後ろにある。だからハンドルを切るタイミングが難しい。特にクランクは苦労した。サイドミラーを見ながらも、後輪が脱輪しそうになる。道幅をわざと狭く作ってあるのだ。クランクでは少しつまづいたが、順調に路上へ出ることができた。
 路上ではさらに厳しい現実が待っていた。何が厳しいか。自分は普通に運転をできているのだが、教官からは無駄が多いと言われる。例えば、赤信号で止まる為に減速する。エンジンブレーキを使って減速したら、無駄だと言われた。4速で走っていたら、そのままクラッチを踏んで4速で止まればいいと言われた。それから合図が遅い。確認が不十分だと。大型一種と大型ニ種の違いはとてつもなく多いと感じた。
 その後、順調に技能を終えて卒業した。問題はここからだ。免許センターでの技能試験が待っている。




大型ニ種免許の学科と適正検査を受験

 免許センターは県に3つあったのですが、そのうちの1つへ行って試験を受けようと思ったら、技能は受けれないと言われ、学科と適正検査だけ受けました。学科は一発で合格。適正は深視力の検査があって、目が悪い自分にとっては厳しいかったです。でも何とかクリア。学科合格の書類を持って技能を受けに行くことにしました。まずは一歩前進です。




大型ニ種免許の技能試験(免許センター1回目)

 1回じゃまず合格できないだろうと教習所の教官から言われていたので、あまり考えずにおもいっきって望むことにしました。当日受験しに来ていたのは12人くらいだったでしょうか。話を聞いてると10何回目とか言ってるおじさんがいました。その人、何で合格できないのかわからないとも言っていた。自分も10回とまではいかなくても、7、8回はかかるのかなと感じました。
 試験場のバスは教習所と同じタイプのISUZU車。でも少しでかい感じです。まず、不安なのはチェンジレバーが入りやすいかどうか。実際乗った人があのバスは入りにくいと話していた。でも、チェンジレバーなんて入らなかたら、落ち着いて入れ直せばいいくらいの気持ちでした。結果的に本番は問題なくクリア。いちばん気がかりだったクランクは一発で入りました。しかし、非常にきわどい。ハンドル切るタイミングを誤ると失敗します。また、前輪はクリアしても後輪が脱輪しかねません。後から考えると、よくあの狭い所へ入っていけたなと感じました。
 試験後に試験官が聞いてきました。「教習所ではどれくらい乗ったの?」 1ヶ月くらいです。と答えましたが、後から考えるとあの時の問いかけは「1回目にしてはいい運転をした」と思われたのだということがわかりました。その時の試験官は注意も誉めもしてくれませんでした。結果は受けた12人全員が不合格。だから、合格者の発表などありません。窓口が開いて書類をくれるだけです。大型ニ種免許って簡単には受からないんです。毎回こんな感じです。自分は不合格ながらもそれなりに満足していたので、次は今日と同じようにいい運転をしようと思い、試験場を跡にしました。




大型ニ種免許の技能試験(免許センター2回目)

 さあ2回目だ。この試験は1回目から1週間経っている。1週間も空いてしまって少し心配。でも、1回目のようにおもいきって望もうと思っていた。バスはこの前と違うバス。試験官もこの前の人より気難しい感じ。なんか嫌な感じになった。周り方も違った。頭に入れたつもりだが入っていなかったようで本番では間違いそうになった。
 試験場の車線は片側2車線ある。これの幅がまた狭い。普通のカーブも車線からはみ出さないように走るのに気を遣う。そしてカーブを曲がった所を少し走ってクランク。しかし、入口がわかりにくかったので、合図を早く出し過ぎた。「しまった!」 っと思ったが 「教官はもう少し先ね~」 と言ってくれた。そこで動揺したせいか、クランクでハンドルを切るのが若干遅かった。きわどいくらいに入らないと曲がれないのだが強気に行き過ぎたようだ。このままではサイドミラーが当たるとわかった。当たったらおしまいなので、バックして入り直した。すると何とかな入れたが、後輪が気になる。白線ぎりぎりだ。脱輪は許されない。慎重に行った結果、何とかクリア。その後は気を取り直して坂道発進。まあまあうまくいった。その後、踏み切りやS字を無難に通過した。試験が終わった。
 出発点に戻ってきて試験官がこう言ってきた。「う~ん、もう少し合図が早い方がいいな~。最後の直線から左へ車線変更する時の合図が遅かった。そこだけかな~。これからはもう少し早く出すようにね」 この点については自分もそう思った。1回目よりできが悪いと思った。これはもう1回だな~って感じだった。さあ、一応結果を待とう。




大型ニ種免許の交付(免許センター2回目)

 受験者は1回目と同じ人ばかりだった。教習所を出たのに10回目という人がいた。その人は 「さあ今日も書類だけもらって帰るか」 と言っていた。自分も含めた全員が自信がなかったようだ。それはそうだ。だって毎回毎回、合格発表があることが珍しいのだから。落ちて当たり前の大型ニ種免許なのです。
 ところが、その日は違った。「只今から大型ニ種免許の合格者を発表します! ランプの付いた方は合格窓口へお越し下さい!」 と放送がかかった。みんな驚いた。合格発表があることに驚いた。
 12人全員が電光掲示板に注目する。そして光った。007番だけ光った。007番はなんと自分だった。もしかしたらという気持ちはみんなあったかもしれない。自分も思っていた。みんなは自分を恨めしそうに見た。自分は喜びを素直に出せなかった。1人合格で11人不合格ならさすがに周りに配慮する。その後、書類をもらって写真撮影の時間を待つことになった。書類は試験官が直接くれた。「合図は早くね!」 っと念を押された。
 待ってる間は、12回目のおじさんが寄ってきて 「どういう運転した?」 と聞いてきた。自分は 「思いきってやっただけだよ」 って答えた。あんまり考えずにやった方がいいんじゃないかとアドバイスした。合図のタイミングについての話もした。あとは 「坂道を下った所は、安全が確認できれば止まる必要はないんじゃないの」 って伝えた。止まれの標識はなかったからだ。この事は試験終了後に教官が教えてくれた。自分は止まらなかったが、慎重過ぎたらしい。要するにそういった部分が無駄ということになるらしい。円滑な運転って本当に難しいと思った。とにかく動作が鈍い人は合格できない。機敏な動きができ、さらに無駄のない運転。これができない人はいつまで経っても合格できない。それはそうだ。路線バスが時間どおりに運行できないのは問題だもんな。路上でもたもたしていたら他の交通に迷惑がかかる。
 少し待って免許ができあがった。その頃は不合格の人もいなくなっており、免許を見て素直に喜んだ。「普通」「大型」 の他に 「大ニ」 という文字が加わった。卒業した教習所の先生が、「2回で受かった人は今までいない。最高で3回の人がいただけ。2回で受かったら電話下さい」 と言われていたので、嬉しくて電話してしまった。そしてそのまま気分よく帰宅した。家で迎えてくれた祖母にさっそく免許を見せた。




バス会社に応募(書類郵送)

 バス会社へ就職するにあたって、どの程度の経験が必要なのかが不安だった。職安へも行ったが、職安へ出してないけれど募集している会社が結構ある。自分は新聞の求人欄で見付けた。正確には免許を取りに行く前から情報は集めていた。会社までの通勤時間が少し気になるが、運転士になる喜びの方が先行してしまい応募した。しかし、書類選考の結果がなかなか来ない。なので、1ヶ月くらい経った頃、気になるので電話で問い合わせてみた。すると、応募者が多過ぎるのでまだ選考中とのこと。これは競争率高いな~って思った。「何とか、何とか」 祈る日々が続いた。




バス会社で試験(筆記・面接・技能)

 書類を出してから2ヶ月ほどして結果が来た。バス会社からは書面で試験日が知らされた。一時審査合格だ。とても嬉しかった。
 当日は7人くらい来ていた。試験はまず筆記。一般常識だった。漢字の読み書きや計算問題、時事問題。覚えているのは 「現在の総理大臣は?」 という問題だ。これはできた。しかし、他の人に聞いたらわからなかったと言っていた。総理大臣くらいは知っておきたい。
 その後は個人面接が行われた。面接内容は運転士になってからのことばかり聞かれた。朝早い通勤は大丈夫かとか給料はそんなに出せませんとか。書類でほぼ合格者を絞っているのだと思った。
 午後から緊張の技能試験だ。総務の担当者、指導員、役員などを乗せて、街中を走った。一周5kmくらいのコースを走行。バスは古いISUZU車だった。今までに乗った事のない長いバスに感じた。運転席に座り後ろを見てみると 「長い~」 って感じ。免許取りたての頃はバスの長さがとても気になっていた。何人かが試験を終え、自分の番がやってきた。他の人は問題なく終了していた。とても緊張したが、走ってみると長さはそれほど気にならなかった。でも、交差点などを曲がるときなどはかなり慎重になった。一周のコースを無事終え、全ての試験が終わった。




バス会社に就職

 試験に受かった。晴れてバス運転士になれる。喜びでいっぱいだった。入社手続きのときに、制服、制帽をもらった。デザインはいまいちだったが、帽子は似合ってる気がした。自分で勝ち取った憧れのバス運転士だった。


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