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5月25日がアメリカの「ワインデー」でそれに因んで「ワイン・コネクション」でカリフォルニアのナパとソノマ地区のワイン2本セットで99ドルのプロモーションが’28日まであり、ちょっと迷いましたが結局購入しました。 左が「CASTLE ROCK RESERVE Cabernet Sauvignon Napa Valley 2017年」で右が「CASTLE ROCK RESERVE Pinot Noir Sonoma Russian River 2020年」です。ピノ・ノワールはスクリューキャップで、何となくこちらから開けようと思いました。 裏のラベルにはラム肉やサーモンとの相性が良いとありますが、以前にボルドー左岸のSaint-Estephe(サン・テステフ)」に合わせた「熟成肉」を試したくなって、スイス人が経営する食材店「Huber's Butchery」で買って来ました。45日熟成 200gで26.80ドル。一緒に初めてドイツ産のバターが安かったので購入。250gで4.5ドル 今回のはオーストラリアのタスマニア産でラベルには「Mature Beef 45 Days Dry Aged」とあります。お店で出している熟成肉は40日ぐらいが一般的なようです。因みに前回はオーストラリア産和牛の「Denver Cut Chuck(首の部分) Steak 21 Days Dry Aged 」で150g 15.60ドルでした。熟成日数が少ない分ちょっと手頃な感じです。 熟成肉の付け合わせには北海道産のメークインを茹でてその上に青かびチーズ「ロックフォール(羊乳)」をのせました。フランス産のピノ・ノワールに比べ何だかあっさりした味わいという感じですが、熟成肉も含めて相性はかなり満足度が高かったです。ただいつも思うのはステーキをもうちょっと上手に焼く事が出来たら、極上マリアージュだろうなぁと・・・。 熟成肉について漫画「マリアージュ神の雫・最終章 18巻目」の中の説明です。「雌牛は5頭ぐらい子供を産むと脂が入りにくくなり赤味がちになるんです。これは廃用牛と呼ばれてミンチにするくらいしかなかったんですが、実はこういった脂身の少ない牛肉こそが熟成に向いていたりするんです。そして熟成を重ねると肉の中の分解酵素プロテアーゼがタンパク質を分解してアミノ酸やペプチドなどを作ってくれる。これが熟成肉の旨味になるわけです。」漫画の中では熟成肉には一押しがボルドー右岸の「ポメロール」だったので、次回はポメロールに近いお手頃ワインを探して試そうと思っています。
2022.05.31
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昨年、今年と手先が器用な姉の手作り品が何点か届き、お出かけ用グッヅとして重宝しています。 右が文庫本用「ブックカーバー(栞も同じ生地)」で表と裏の下半分はポケットになっていて付箋やペンが差し込めるようになっています。来星当時は日本語の本をMRT(地下鉄)の中で読んでいると「日本人?」と声を掛けられる事もありましたが、最近はみんなスマホで忙しくそんな事もほとんどなくなりました。そして変わらず本を読んでいる人は少数派です。 左はMRTのカード「Easy Link Card」を入れるケースで、長く使っていた物が擦り切れてしまったのでお願いして作ってもらいました。このプリペイドカードは島内全てのMRT、バスで利用でき、車種は限られますがタクシー料金の支払いも出来ます。因みにシンガポールの公共交通機関の料金は大体日本の1/3ぐらいです。 細かい箇所に心配りのあるカードケースで裏側に釦が付いていて開けると別のカードが入れられるようになっています。紐が付いているのでしっかりバックに付けるとうっかり落とす心配もありません。 同じ柄で「バッグ イン バッグ」を送ってもらいましたが、ちょっとした買い物の時に持っていくバッグとして外に出して使いたくて、硬めのリボンのような物を買って、こちらのお直し屋さんで取り付けてもらいました。ここまで考えるのにちょっと時間がかかりました。日本と違ってシンガポールのお直しの技術はあまり高くなく心配でしたが、上々の出来で早速近所への買い物の時に使っています。 バッグの内側の布使いもなかなかお洒落で、3点が同じ生地の柄ということもあって布の持つ温かみをしみじみ感じています。
2022.05.30
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2017年に「National Gallery Singapore」で開催された「オルセー展」で2点の「BertheMorisot(ベルト・モリゾ 1841-1895)」の絵が展示されました。「ゆりかご」 1872年 1点目はベルトの姉で結婚、出産のため画家の道を断念した「エドマ」と彼女の2人目の娘「ブランシェ」を描いた作品です。ブランシェをヴェールで包み存在感を薄めることによってエドマの母性や存在感がより強調されていると説明がありますが、エドマの画家の道を諦めた心の葛藤に焦点を当てているのかもしれません。そしてヴェールに包まれることによって母親の子に対する愛情が集約され、葛藤を抱えながら幸福な結婚生活を送る姉へのエールのようにも見えます。この絵はパリ「落選展」から名前を変えた「第一回印象派展(1874年開催) 」に出品され好評を得ています。 ベルトはこの絵を描いた2年後に「マネ」の弟「ウージェーヌ・マネ」と結婚しています。マネと言えば1863年初の「落選展」で酷評を受けた「草上の昼食」や「オランピア(共に1863年制作)」がすぐ思い浮かびますが、個人的には「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ(1872年)」が気に入っています。 マネ 1872年 この絵の展示はなく会場では雑誌の中で紹介されていました。 この絵を初めて見た時、単純に「随分綺麗な人だなぁ~」と思ったのを覚えています。そして目力の強さが印象的でした。ベルトの義理の甥の「ポール・ヴァレリー」が「マネの作品ではベルト・モリゾの肖像画が一番だ・・色彩の奇妙な調和と、その色が持つ力の不均衡、何故かとても悲劇的な表情と、昔日の髪型の儚く些細なディテールの対立・・。」と絶賛しています。 絵画の師匠でもあったマネの絵のモデルも務め、2人は師弟以上の関係があったのではと言われています。マネの結婚については「ドガ」が描いた「マネとマネ夫人(1868-69)」からベルトとマネが親密だった時にはマネは既に既婚者だったので、敬愛する人の弟と結婚したことに妙に納得がいきます。 当時の風習としては結婚して子供が生まれれば「自分の道」を諦めるのは一般的だったようですが、ベルトは夫の支えもあり結婚の4年後に長女が生まれた後も順調に絵画制作を続けたようです。「ブーケ」 1894年 展示の2点目はベルトが亡くなる一年前の作品でした。「スミレ~」の絵に描かれた強い意思を持つ目力を貫き、生涯家族や友人達の肖像画を描き続けたようです。
2022.05.28
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昨日フィンランドの「マリン首相」がウクライナの首都キーウを訪問したというニュースがありました。「NATO加盟申請の決断」や首相の好感度もあってフィンランドという国に興味を持ち始め、2013年に発行された村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を思い出しました。 前半は高校まで愛知県で過ごした主人公「多崎つくる」と苗字に「色(赤松や青海など)」が付いている男女2人ずつの親友たちとの交流が描かれています。ただ1人苗字に色が付いていない「つくる」が東京の大学に進み休暇で帰省した時に突然「私たちに一切連絡をしないで欲しい」と告げられてしまいます。 後半の舞台は親友の1人「黒埜恵里」が住むフィンランドで、過去の「絶交通達」に隠された謎をそこで解き明かすことになるという内容です。 最初に読んでから随分時が経っているので記憶が曖昧なところもあり、もう一度読んでみようと思っています。今パラパラと後半のページを捲ってみると、フィンランドに行くために休暇をお願いした上司から「フィンランドに一体何があるんだ?」と怪訝な顔で聞かれます。それに「シベリウス、マリメッコ、ノキア、ムーミン・・・」とつくるが答えます。 作曲家でバイオリニストの「シベリウス(1865-1957)」は名前は知っていてもフィンランド人とは知りませんでした。調べてみるとフィンランドが「帝政ロシア」から独立を勝ち得ようともがいている最中「音楽」で国民意識の形成に寄与した人物とあります。 また本のタイトルになっている「巡礼の年」は19世紀の作曲家でありピアニストの「フランツ・リスト」の「ピアノ独奏曲集」でした。流石クラシックに造詣が深い村上春樹氏らしいタイトルの付け方と今更ながらに思います。 かつての親友の「サマーハウス」を訪ねるためシベリウスの生まれ故郷(ハメーンリンナ)の近くの街までヘルシンキから車で向かいますが、その車は「フォルクスワーゲン・ゴルフ」です。車好きでも有名な村上春樹氏の今年アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイカー」で使われたのはスウェーデン製の「サーブ」でした。何となく「色彩を~」を映画化するとと余計な事まで考えてしまいます。 余談ですが2003年に来星した時シンガポールの携帯電話はフィンランドの「ノキア製」が全盛でした。今はあまり見かけなくなりましたが、2011年にサンクトペテルブルグへの中継地として一泊したヘルシンキでノキアの店舗をみかけて思わず写真を撮りました。9月は小雨が降る生憎の天気でヘルシンキ自体にはまり良い思い出がないのですが、その国の歴史を踏まえて訪れると違うのだろうなぁと今になって実感です。
2022.05.27
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シンガポールの伝統的な朝食に「カヤトーストセット」があります。「Kaya(カヤ)」は卵、ココナッツミルク、砂糖とパダンリーフを原料にしたジャムで結構甘味があります。因みにカヤはマレー語で「豊か」という意味です。 トーストしたパンにカヤジャムと厚めに切ったバターをのせ、半熟ゆで卵2個(お好みで濃口醤油と白コショウをかけて)に「Kopi(コピ)」と呼ばれる甘い味のコーヒーで1セットです。家庭でというより老舗店の「Yak Kun Kaya Toast」や「Killiney Kopitian」やホーカー、フードコートのショップで食べるのが定番です。 特に朝ごはんに甘い物はちょっと・・という私でも来星当時はカヤジャムの絶妙な甘さに虜になり出勤途中のホーカーのショップで一ヶ月ぐらい食べ続けました。ただ要注意はココナッツミルクのためカロリーが高いことです。 このカヤジャムは少数派ですが、日本からの出張者で(そのご家族も含めて)虜になる人がいて、いろんなカヤジャムを探してお土産に手渡した時期がありました。 「Yak~」店の瓶入りカヤジャムは小さいサイズもあってお土産にはぴったりですが、やはりゴージャス感ではラッフルズホテルのカヤジャムには適わないです。値段は「Yak~」の2倍ほど(それでも10ドルぐらい)ですが、ホテルのロゴ入りの麻袋も素敵なお土産になります。 コロナ禍になって来星出来ないため、郵便で送ろうとしましたが郵便ではジャムやクリームは送れないと言われてしまいました。 そこでふと「Yak~」の「ハンドメイド・カヤバタークッキー(写真左)」はどうだろうと思い、送ってみたところ予想以上に好評でした。シンプルなチョコも付いていないクッキーですが、カヤジャムの豊かさが十分味わえる一品です。そして最近「カヤピスタチオクッキー(写真右)」を見つけて、試しに買ってみました。私にはピスタチオの味が際立っているとは思えずほぼ同じ味わいですが、やはり豊かさを味わえる極上のスイーツです。 調べてみるとこのクッキーは値段の手頃さもあってシンガポールのお土産の第2位でした!日本製の品質が素晴らし過ぎることもあってシンガポールのお土産というと「悩む」ことが多いのですが、これはちょっと力強い味方をつけた感じです。
2022.05.26
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一昨日、2022年の「JFK 勇気ある人物像」の1人にウクライナの「ゼレンスキー大統領」が選ばれました。情報発信力を武器に世界を味方につける大統領の手腕には物理的劣勢をこのように克服できるのかと正に「目から鱗」です。 そして各国へのスピーチにはアメリカであれば「キング牧師」の「夢がある」を「欲しい物がある」に替えて使ったり、3月の英国議会のオンライン演説では、まず文豪「シェークスピア」の「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」の名言を、また第二次世界大戦の厳しい状況で国民を鼓舞した「チャーチル元首相(1874-1965)」の「我々は森の中で、野原で、海岸で、街頭で戦い続ける」を引用し、ロシアへの徹底抗戦を宣言したようです。正にピンポイントでその国の人達の琴線に触れる言葉を発しています。 ちょうど先月読んだ「塩野七海」著の世界を揺るがせた歴史上の大人物たち14人を取り上げた「男の肖像」の締めくくりがチャーチル元首相でした。その中で「行動力と文章力は両立しないのが普通だが、天はチャーチルに二物を与えた」とその才能を絶賛しています。 そしてチャーチル元首相が1953年に「回顧録 第二次世界大戦」でノーベル文学賞を受賞していたことを初めて知りました。因みに同じ年の有力候補はアメリカ人作家「ヘミングウェイ」で、彼は翌年の1954年に「老人と海」で同賞を受賞しました。 ネットで検索するとチャーチル元首相の名言がいくつか出てきて、その一つ「To jaw-jaw is always better than war-war(交渉は常に戦争よりましだ)」や「絶対に諦めるな・・大事であれ些事であれ、重要な事であれ取るに足らない事であれ、信念と名誉と良識の許さぬ限りは決して屈服するな」は戦後77年経ってもそのまま生きる言葉となっているのは皮肉な事です。 ゼレンスキー大統領の琴線に触れるスピーチはもう定番で、最近のネットの記事では日本の首相や閣僚にもっと発信力を高めて欲しいと非難の矛先が向かっているようです。北朝鮮からのミサイル攻撃にも拉致問題にも「非常に遺憾・・」と効果が全くない「遺憾砲」の発砲と揶揄されているようですが、日本のマスコミのネーミングの上手さには苦笑いしてしまいます。 国の歴史や国民性を考えてすぐに発信力のあるスピーチというのは非常に難しいことだと思いますが、せめて「拉致問題」に代表される自国の問題は自国で屈服せずに解決する「策」を練りに練って欲しいと思っています。バイデン大統領がアメリカへ発つのを待っていたようにミサイルを発射する北朝鮮(そしてまたしても日本は遺憾砲で対応)が拉致問題についてアメリカが仲介役として北朝鮮と交渉できるのかどうか、被害者の方々の高齢化が進み、訃報を聞くたびにいたたまれない気持ちになります。
2022.05.25
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昨日の「鎌倉殿の13人」では大きな山場の1つ「義経(1159-1189)の死」が描かれました。番組最後の「紀行コーナー」で江戸時代の俳人「松尾芭蕉(1644?-1694)」が奥州平泉で詠んだ「夏草や兵どもが夢の後」が流れ、義経の死を悼む余韻に更に浸りました。調べてみると芭蕉がこの句を詠んだのは1689年5月(新暦6月20日)でちょうど義経の死から500年という月日が経っていました。 「三谷幸喜」氏の脚本は的を絞って理解しやすく、最終的には平泉に逃れた義経を「藤原秀衡」の息子「泰衡」と「国衡」の兄弟仲たがいを利用して義経を自刃に追い込むという自分の手を汚さない頼朝の練りに練った策を丁寧に描いていました。 弁慶の善戦で時間を凌いでいる時に「北条義時」に鎌倉を攻める作戦を地図を広げて嬉々として説明する様子は正に義経が「戦うために生まれたきた」を実感させました。その奇策に義時も驚き、義経の依頼で後に作戦図を受け取った「梶原景時」も「この作戦なら鎌倉は陥落・・」と唸ります。 番組の後すぐネットには記事がいくつか投稿されていて「この作戦は新田義貞の~」とあり、調べてみると1333年に鎌倉幕府を滅亡に追いやった戦いで「南下して鎌倉を包囲し、海からも侵攻する」という作戦と似ているということでした。義経の死の直前に既に鎌倉幕府の滅亡を暗示するという心憎いストーリー展開だったようです。 余談ですが、以前に「松尾芭蕉は忍者だったのでは・・」という記事を見た事があります。旅をしていたり何かを売り歩いている人達は各地の情報を得ることが比較的簡単で忍者の可能性があるということでした。確かに「麒麟がくる」で岡村隆史さんが演じた薬売りの「菊丸」も忍者でした。芭蕉が生きていた時代は江戸幕府成立から40年~90年ですが、まだまだ忍者の需要があったのかなとか思ったりします。
2022.05.23
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昨年の6月の日記にブルゴーニュの葡萄畑を見た後にオルセー美術館で「ミレーの晩鐘(1857-59年)」を見たのでなければ、ここまでこの絵に感動することは無かったと書きました。そして「晩鐘」に描かれている畑がミレーが愛したパリの片田舎バルビゾンの「馬鈴薯畑」であることを知った時、何か意外な感じがしました。 「週刊美術館 ゴッホ」の中で「16世紀末頃にメキシコからスペインにもたらされたジャガイモは救荒作物として瞬く間にヨーロッパ中に広まった」と説明があり、ゴッホのオランダ時代の作品で貧しい食事に代表される「馬鈴薯を食べる人々(1885年)」の絵も紹介されています。 驚いたのはミレーやゴッホが生きていた19世紀でも「馬鈴薯」がその石ころのような外見、伝染病をもたらすという迷信、そしてパンやワインと違って「聖書に登場しない食べ物」として忌み嫌われ「晩鐘」だけでなく「馬鈴薯植え(1861-62年)」を描いたミレーは「卑しいテーマ」を描いたことで激しい批判を受けたようです。 それでは「晩鐘」の前にミレーが描いた「種をまく人(1850年)」の「種」が「神(キリスト)の言葉」の寓意であれば、勿論ミレーが批判を受けることはなかったのかとかこの絵が発表された当時の評価はどうだったのかと気になるところです。 ミレーを賛美するゴッホはミレーが「穏やかにひっそりと神の言葉」を伝え「太陽」を描いていない「種まく人」に対して鮮やかな太陽を描いています。それはまるでゴッホが「神の言葉をまく人に僕はなりたい」と弟テオに切々と手紙に記した気持ちの反映のように映ります。 左:「クレラー=ミュラー美術館蔵」 右「ファン・ゴッホ美術館蔵」 週刊美術館ゴッホからの画像 左が1888年アルルにやって来て初めての夏(ゴーギャンが来る前)に描いた3枚のうち一番最初の作品で、まるでゴッホの「心の開放」を象徴するように画面全体が鮮やかな色使いで描かれています。 右が1888年の秋から冬頃(ゴーギャンとの共同生活中)に描かれた作品で、色彩が失われゴッホ自身の心を描いたような苦悶の表現へと変化しているのがとても興味深いです。「弟テオへの手紙に描かれたスケッチ」 余談ですが、インドネシアから日本へジャガイモがもたらされたのは17世紀初めで、勿論キリスト教国家ではなかった日本では「忌み嫌われる~」ということもなく、特に江戸時代の飢饉では多くの人の命を救ったそうです。「所変われば~」を実感します。 画家「ゴッホ」は知れば知るほど興味が沸々と沸き起こって来て、ゴッホを訪ねる「オランダ旅行」は是非実現させたいと思っています。
2022.05.22
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先週、2017年に「National Gallery Singapore」で開催された「オルセー展」について書きましたが、その6年前に「National Museum Singapore」で「Drems Reality」と題した「オルセー展」がありました。 カタログの表紙を飾る「ドガの踊り子」と一押し展示「ゴッホの星月夜」 「アレクサンドル・カヴァネル」の「ヴィーナスの誕生」、「セザンヌ」の「トランプをする人たち」や「モネ」や「ルノワール」等の絵画が贅沢に展示される中、ゴッホ(1853-1890)の「星月夜」が「一押しの絵」として展示されました。一押しと単純に思ったのはシンガポールで初めて絵の前にガラス板が置かれていて、私の記憶では後にも先にも絵の前に設置されたガラス板を見たのはこの一枚だけです。1888年 「オルセー見学ガイド」から。 この絵についてゴッホは弟テオへの手紙に「ある晩、私は散歩していた。深い青色の空のあちこちに雲があった。コバルトブルーよりも深い明るく銀河のような青味がかった白さのような雲がある。その青い深みに星々が明るく宝石のように輝いている」と書き記しています。確かにこの絵の前に立った時に星の輝きに圧倒されたような感覚を今でも覚えています。「週刊 美術館 ゴッホ」には「星をちりばめた壮大な天空、そこにゴッホは神と永遠がいるのを見た」と書かれています。 この絵がゴッホの願いに応じた「ゴーギャン」がアルルにやって来る1888年10月の前に描かれたのか後に描かれたのかは分かりませんが、ゴーギャンと違いあくまでもスケッチを大切にし「自由な発想も色彩の使い方も、全ては現実の風景の写生があってこそ生み出すことが出来るものだ」というゴッホの絵画に対する執念を感じさせる渾身の作品なのかなと思います。想像力を駆使して描き現実の風景や人物はむしろ必要としなかったゴーギャンとの埋めることが出来ない溝のような物が最初からあったことになります。 1889-1890 「シエスタ(昼寝)ミレーの絵を基に)」ネットの画像から。 1888年10月から始めたゴーギャンとの共同生活はその2か月後にゴッホの「耳切り事件」が起きて終わりをつげます。1889年にはサン=レミの「療養所(精神病院)」に入る事を自ら決め、その後精神科医の「ガシェ」がいるオヴェールへと移り住みます。「シエスタ」はサン=レミでミレーの模写が21枚以上残っていることから、そこで描かれた一枚かなと思います。「週刊 美術館 ゴッホ」には「悲しみと深い孤独を描くために遠くまで行く必要はない・・そしてゴッホは毎日麦畑をさまよい歩いた」とあります。 ゴッホは生涯を通して「農民画家」と呼ばれた「ミレー〈1814-1875)」を賛美し「私にとってこの上なく現代的な画家と言えば、マネではなくミレーだ。彼は多くの人達に限りなく大きな展望を開いてくれた」と書いています。ミレーの絵を基に描いた「シエスタ」からはゴッホがサン=レミで束の間の心の平安を取り戻したように見えます。個人的には2006年「オルセー美術館」でこの絵の前に立ち「こんな風に気持ちよく昼寝を楽しみたいものだ・・」と思いカメラを向けると電池切れになって、それまでの写真が全て消失してしまったという思い出もある一枚です。 「アイリス」や「アーモンドの木」と同じようにこの「シエスタ」を見ると、どうしてもゴッホがこの絵を描いた同じ年に自殺をするほど人生に絶望していたとは信じがたく、事故説又は他殺説にどうしても気持ちが傾いてしまいます・・。
2022.05.21
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ロシアのウクライナ侵攻のニュースは毎日流れますが、ロシアで5月9日がドイツナチス軍に勝利した「戦勝記念日」として大切な祝日になっていることを知った時は正直驚きました。今年でこの祝日は77回目ということになります。以前に読んだ「大前研一」氏の本の中で特に統一後のドイツの戦後処理や補償がいかに優れたものであるかを知ったのも「ナチス軍に勝利の日」に驚いた理由の1つです。 今回の侵攻がきっかけで第二次世界大戦やロシアの事をいろいろ検索すると、未だにロシアという国が第二次世界大戦の呪縛のようなものから解放されていないのかという気持ちになります。 第二次世界大戦の戦死者は6千万~8千万人で、そのうちの2千6百万人がソ連の戦死者で世界中で一番多いというのにも理由があるのかもしれません。戦勝記念日の3ヵ月前にイギリス、アメリカ、ソ連の3カ国会合「ヤルタ会談」でドイツに勝利した後「日ソ不可侵条約」を破って日本への対日戦線を公言しています。その時北方領土、朝鮮半島、台湾の領土についても取り決めがあったようです。その時アメリカはソ連に一人勝ちさせない「手」をあれこれ考えていたのかと思います。5月9日から3ヵ月後の8月9日には既にアメリカによって2度目の原爆が長崎に投下されていました。結局はソ連が考えた領土獲得のいくつかは頓挫することになり、しかも北方領土問題は解決の糸口もないまま現在に至っています。 改めて一昨年読んだ深緑野分著「戦場のコックたち」を「強い反戦のメッセージを持つ名著」として特に若い人達に読んで欲しいと思っています。5~6回日記に感想を書いたうちの「アンネ・フランク」の事を彷彿させる内容のところを再度アップします。確か今年「アンネ・フランク」家を密告したのは同じユダヤ人というニュースがあって、戦争中の悲劇を痛感させられました。 第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍、空挺師団パラシュート歩兵連隊隊員のティム(管理部付きコック)を主人公にした小説で第1章「ノルマンディー降下作戦」はドイツ軍に占領されていたフランス援軍のため、ドーバー海峡に面したコタンタン半島の小さな町イースヴィルに隊員たちがパラシュートで降り立つところから物語が始まっています。 第3章の「ミソサザイと鷲」ではフランスにパラシュートで降下し陸路でオランダに進駐した連合軍とドイツ軍隊の激しい攻防が描かれています。 オランダでも民間人の助け(住居の提供も含めて)を借りて戦いを続ける中、ティムの部隊は50代のオランダ人夫婦と幼い姉弟の4人家族の家を使わせてもらうことになります。 近所の家との温かい交流が感じられないその家の中の様子にティム達が違和感を覚えるうちにその夫婦は遺書を残しピストル自殺を図ります。その謎の言葉が入った遺書の謎解きにグリム童話の「みそさざいと熊」を引用しています。 夫婦が自殺をした直後に正体不明の人物がその家の付近から大声を発しながら通りに躍り出て、ドイツ兵に銃撃されてしまいます。その正体不明の人物は夫婦が地下に匿っていた娘で幼い2人の子供の母親でした。両親の自殺を目撃して償いの気持ちからそのような行動に出たことが分かります。そして彼女はユダヤ人を密告する等、何らかのドイツ軍と係わりを持っていたと推測され、一方彼女の父親と叔父はドイツ軍と戦うレジスタンス運動の一員でした。このような戦争被害に遭った家族がどれだけあったのかと思うと辛い気持ちになります。 ここまで読んでふと「アンネの日記」を思い出しました。アムステルダムに住むごくごく普通のユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクと一緒に隠れていた7人が密告によって強制収容所に連れて行かれ、8人のうちの唯一の生存者であるアンネの父親が周りの人達から勧められて出版した日記です。 密告され死に至った人達の悲劇と密告した人達が戦後抱えた心の傷は戦争が引き起こした「狂気」によるものとして簡単に片づけられるものではないと思います。
2022.05.20
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アメリカ「バイデン大統領」が今月22日に来日するというニュースの中に「夕食の会」が東京港区の「八芳園」とありました。問題山積の国際情勢の中でもせめて「夕食の会」では日本の全てを満喫して欲しいものです。 夕食の会で思い出すのは2014年4月に元オバマ大統領をもてなした銀座の寿司店「すきやばし次郎」のことです。その時出された日本酒が「獺祭」でその後人気に火が付き、入手が困難なほどと聞いたのは翌年2015年に出張で広島を訪れた時でした。実は「獺祭」という名前もその時初めて知りました。 広島の後、休暇を取り山口県の萩市を訪れそこのギフトショップで「お一人様2本まで・・」という限定で確か720mlの瓶で売られているのを見て「私って何てついているんだろう!」とすぐに買ってシンガポールに持ち帰ったことを思い出します。初めて「精米歩合2割3分」という言葉を知り、そのすっきり上品な味わいに正直驚きました。 日本で「火」がついた「獺祭人気」はすぐシンガポールに伝わり「どこで獺祭が買えますか?」と当時はよく聞かれました。今ではスーパー「明治屋」「ドンキ」等で簡単に買うことが出来、未だ日本酒の一番人気を誇っています。「住吉駅」前の看板 日本酒と言えば個人的には2006年に東灘区住吉にある「菊政宗」「白鶴」「櫻政宗」の3ヵ所の酒蔵を訪問したのが今でも良い思い出です。記憶というのは面白いもので住吉駅に降り立った途端に日本酒の発酵の香り(?)が立ち込め圧倒されたのが今でも強く印象に残っています。 「白鶴」の人形などを使った資料館。 「利酒セット」など、3ヵ所の酒蔵で試飲すると午前中だったせいもあり、ほろ酔い気分を超えていました(汗) 初めて聞く酒蔵「櫻政宗」では小瓶を買えば(最少が200㎖)、それに詰めてくれるというサービスがありました。「凛とした注ぎ方」が気に入っている一枚です。よく分からないまま「超特選 純米大吟醸 荒巻屋 太左衛門」を購入した青い瓶に詰めてもらいました。シンガポールに持ち帰り、1人で満喫した後友人に話したところ「1人で・・・罰が当たりますよ・・」と言われて大笑いしたのも良い思い出です。 今回のバイデン氏にも日本酒に限らず何か海外にアピールする日本製品の「火つけ役」になって欲しいものです。そして久々に美味しい日本酒が飲みたくなってきました。
2022.05.18
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シンガポールの「National Gallery(ナショナル・ギャラリー)で2017年に開催された「オルセー展」のことを2020年に日記に書いたのですが、写真が消えているので内容を修正してアップします。この展覧会の後コロナ禍もありシンガポールではこういう大きな展覧会の開催がないのは残念です。 ルノワール、ピサロ、セザンヌ、シスレー、モリゾ等の印象派画家の展示でしたが、モネ(1840-1926)の作品が一番多く、特にモネの等身大の像と日常使っていた絵の具、絵の具箱やパレットには思わず見入ってしまいました。 そしてモネの絵の中で一番印象に残ったのは「The Magpie(かささぎ)」というタイトルの冬景色です。1868-1869 雪景色に淡いピンク色が映えるこの絵を一瞬ユトリロの絵かと思いました。写真に撮ると木の辺りのピンク色があまりよく映っていないのですが、見学ガイドには「Magpieはモネが描いた冬景色では最も野心的な絵」とあります。ピンク色や黄色以上に「青色」に重点を置き、モネはピサロなど他の印象派の画家たちも抱いていた「冬の光が雪の上で青味を帯びて反射する様を描きたい」という野心で描いた作品だそうです。 それにしても左側の柵の上に止まる鳥「かささぎ」をタイトルにする理由というのは何だったんだろうと考えて調べてみると「かささぎは鳥類の中でも大きな脳を持っていて、哺乳動物以外で初めて鏡に映った像が自分であると認識した鳥」だそうです。そんなかささぎであれば微細な冬の光をしっかりその脳で把握できるのかと想像してしまいます。 1878年 もう一枚の雪景色は「シスレー(1839-1899)」の「Snow at Louveciennes(ルーブシエンヌの雪)」です。つい冬景色に惹かれてしまうのは私の故郷が半年間は路上に雪がある雪国であるためかもしれません。「ユトリロのパレット」 1933年頃 余談ですが、モネのパレットでユトリロ(1883-1955)のパレットを思い出しました。ユトリロ展で買った画集に「・・彼のパレットにも好みの絵の具が絞り出され好みの配色に並べられている。そこにほんの僅かなイマージュが加えられればただちにその画家のものらしい作品に転化してしまう」と書かれています。このパレットはユトリロの友人でもあり深く信頼する契約画商「ポール・ペトリデス」に捧げられたそうです。
2022.05.16
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先週NHKの「ニュースウオッチ9」でフィンランドの「マリン首相」へのインタビューを見ました。印象に残っているのは「アジアで日本以外の国の訪問はないのですか?」の質問に「日本だけです。フィンランドと同じ隣国にロシアという国がある日本にだけ・・」というところで、「あぁ、ロシアは日本の隣国なんだ」と改めて気づかされました。 思えば北海道の東端の街から肉眼でも見られるという「北方領土」やカムチャッカ半島はロシア領ですが、良くも悪くも日本が侵攻されるかもしれないと考える人は非常に少ないのではと思います。 インタビューでフィンランドが「NATO加盟申請の手続き中」であることを知り、後日ロシアがそれに対して「報復措置を取る」というネットの記事も見ました。改めてフィンランドの歴史を調べてみると1917年にロシアから独立を宣言、第二次世界大戦中の1941年にはソ連と戦い、ソ連に対抗するためにナチスドイツに荷担するという暗い歴史もあったようです。 そしてフィンランドと言えばやはり「ムーミン」繋がりの記事もいくつか目にしました。個人的にはムーミンにはあまり興味が無かったのですが、ムーミンの故郷フィンランドの第3の都市「タンペレ」を訪問した友人からもらった絵葉書で興味を持つようになりました。 1枚はフィンランドから送ってくれた切手が可愛いらしい物で、絵葉書には「ムーミンの原画を見てムーミン哲学に触れてきました」とあり、その名言の1つ「全てがあいまいなのよ。でもそれだからこそ安心できるんだけどね」が書かれ、友人はこの言葉に納得したようですが、私には未だに奥が深くてよく理解できていない感じです。 2枚目は日本からお土産と一緒に送ってくれた「リトル・ミィ」が描かれたものです。リトル・ミィの名言を調べると「迷わない事が強さじゃなくて、怖がらない事が強さじゃなくて。泣かない事が強さじゃなくて、本当の強さって、どんな事があっても、前を向ける事でしょ。前をね。」がありました。 フィンランドという国の舵取りを任されたマリン首相の「前を向く」という姿勢に大いに期待するところです。因みにムーミンの作者「トーベ・ヤンソン(1914-2001)」は第二次世界大戦中の戦いに翻弄された1人で、彼女の誕生日8月9日が「ムーミンの日」となっているようです。2021年のムーミンの日のテーマは「Tolerance(寛容さ)」だったそうです。2022年のテーマが何になるのか、そしてこの日までに戦争が終わっていることを願うばかりです。
2022.05.14
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先月スペインレストラン「Binomio」で初めて食べた「Padron(スペインししとう)」にはちょっと嵌ってしまいそうです。検索して調べると日本の枝豆的存在でスペインではビールのおつまみには欠かせない一品だそうです。 ドイツのホワイトアスパラガスを買いに行ったスイス人が経営する食材店「Huber's Butchery」で見つけて早速購入しました。 定番通りに最初にビールに合わせてと思い、シンガポールの地ビール「タイガービール」を用意しました。世界的な知名度は低いですが、年中蒸し暑いシンガポールにはぴったりの喉越し爽やかなビールです。グラスもタイガービール社製ですが、実はグラス等は市販していないためマレーシア出張時にお店の人と交渉して手に入れた私としては貴重品です。 本当にさっと焼いて塩をかけただけですが、ししとうと言っても辛みはあまりなく逆にほんのり甘いくらいで評判通りです。 そしてやっぱりこのパドロンに合わせて飲みたいワインはスペインの白と思って思い出したのが、昨年飲んだ「Vol d' Anima de Raimat(アニマ・デ・ライアット)」です。スーパーのワインコーナーで赤、ロゼ、白と3種類とも4ドルほど値引きになっていて買ったのですが、私は白が一番美味しいと思いました。その時は熊本県天草産の「柚子〆鯛」と茅乃舎出汁を贅沢に使った手作りの「五目ひじき」に合わせましたが、特に柚子の味と香りがしっかり鯛に沁み込んだ柚子〆鯛との相性はかなり良かったです。 調べると葡萄品種はChardonnay(シャルドネ)とXarel-Lo(チャレッロ)でこのチャレッロはスペインを代表するスパークリングの「カヴァ」に使われる葡萄でした。糖度に富み豊かなボディにするこの葡萄のお陰で白には珍しいアルコール度数13度なのかなぁと思いました。2019年 アルコール度数13度 個性的なラベルのデザインにも惹かれて買ったのですが、再度調べてみるとこのワインを造るカタルーニャ州にあるライマット(Raimat)城が1935年に建築家のラファエル・マソによって修復され、その壁の模様に因んでいるということでした。1つ1つのタイル柄のデザインをじっくり鑑賞したくなります。 明日の久々の「お家ご飯」のためにまたホワイトアスパラとパドロンを買いに行く予定ですが、パドロンに合わせてスペインのスパークリング「CAVA(カヴァ)」もいいかなとちょっと考えています。
2022.05.13
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ポップアートの巨匠「アンディ・ウォーホル」が女優「マリリン・モンロー(1926-1962)」を描いた「Shot Sage Blue Marilyn」がニューヨークで競売にかけられ約254億円で落札されたという記事を昨日見ました。20世紀アートとしては史上最高額で、この絵をボッティチェリの「ビーナスの誕生」、ダヴィンチの「モナリザ」、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」と並んで史上最高の絵画と記事に書かれていて、値段よりもこれにはちょっと驚きました。 写真に収まりきらずに8人になってしまいました・・・・。 アンディ・ウォーホルの実物を見たのはポンピドー美術館で見た一枚だけで、絵のタイトルを写真に撮るのを忘れ、この絵のタイトルが「10人のリズ」であることが昨日やっと分かりました。 リズと言えば女優の「エリザベス・テイラー(1932-2011)でマリリン・モンローがセックスシンボルとしてセクシーな女優の代表であれば、エリザベス・テイラーは知的な女優の代表という印象が私にはあります。 この絵を見た10年後の2017年のラッフルズホテルの改修中の「ホテル内見学ツアー」で喜劇王「チャップリン」や「月と6ペンス」をこのホテルに滞在して執筆した「サマセット・モーム」の写真と一緒にロビーに飾られていた「女優 エリザベス・テイラー」の美しさは一際光り輝いていました。 どこかの国の王妃様かと思ったのですが、写真下には「Elizabeth Tailor(エリザベス・テイラー)」と書かれています。写真が鮮明ではなく何年の滞在なのか右隣の男性が8回結婚したエリザベス・テイラーの何回目の御主人なのか私には分かりません。 エリザベス・テイラーはハリウッド黄金時代を代表する大女優という知識はあっても、果たしてどんな映画に出ていたのかと調べてみると、「陽のあたる場所」「ジャイアンツ」「熱いトタン屋根の猫」「クレオパトラ」「バージニアウルフなんかこわくない」等、数々の名作に出演していました。「クレオパトラ」は見た記憶があって、この映画で共演した「リチャード・バートン」とも結婚しています。 「熱いトタン屋根の猫」は原作は劇作家テネシー・ウィリアムズで原作のタイトルも「Cat on a hot Tin Roof」でこのタイトルを聞いただけで、愛憎渦巻く内容が想像出来て優れたタイトルだと思いますが、残念ながら見ていません。配役を調べてみると「ポール・ニューマン」との共演でした。 個人的には「陽のあたる場所」はじっくり見てみたい映画です。アメリカの作家セオドア・ドライサーの「アメリカの悲劇」が原作で本は読んだ記憶があります。貧しい生まれのため出世を夢見た主人公が結局は自分を一番愛してくれた女性を死に至らしめてしまうという話で、エリザベス・テイラーはその出世を可能にしてくれる裕福な女性の役です。人間の「欲」や「愚行」について深く掘り下げて書かれた20世紀初頭の小説ですが、20世紀に英語で書かれた小説100冊の中で16位と高い評価を得ているようです。 この原作を基に日本では「石川達三」が「青春の蹉跌」を書き、映画化され萩原健一(ショーケン)さんと桃井かおりさんが演じました。「アメリカの悲劇」をさらに最後でどんでん返しした結末で人間の「欲」と「愚かさ」を強く考えさせられる映画です。 女優としてはエリザベス・テイラーはアカデミー主演女優賞を2度受賞し、マリリン・モンローが受賞したゴールデングローブ賞の主演女優賞が一度だけを考えると「リズ」に軍配ありという感じですが、アンディ・ウォーホルが描いた肖像画ではマリリンに軍配ありという感じなのかなぁと・・・。マリリン・モンローの映画も機会があったらじっくり見直してみたいものです。
2022.05.11
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昨日の「鎌倉殿の13人」の「壇ノ浦の合戦」で観念した平氏一門が次々に海に身を投じるシーンで、清盛の正室「平時子」が8歳の「安徳天皇」を抱き抱え入水する様を、あまりの驚きで目を見開いたままの義経演じる菅田将暉さんの演技が印象的でした。 まさか「三種の神器とともに天皇が海の底へ」とは流石に義経も想像だにしていなかったこと(作戦ミスもあり?)を彷彿させる名シーンでした。 清盛の死からたった4年で後を継いだ3男「平宗盛」の失政もあり、一時は栄華を極めながらも滅亡してしまった平氏については私は学校の教科書で習った「平家物語」の影響が強くあったと思います。 「祇園精舎の鐘の声~盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久しからず(威張っていた平家も今では懐かしい)、ただ春の夜の夢のごとし~」 この平家物語の冒頭の文だけで「平氏」イコール「悪」のようなイメージが私にはずっとありました。左が「平清盛」演じる松山ケンイチさん、右が「源義朝」演じる玉木宏さん。雑誌「歴史の旅」から。 それをある意味覆してくれたのが2012年の大河「平清盛」でした。若き日の清盛が海賊を配下に置き瀬戸内海の制海権を得たり、中国との貿易に力を入れ港を構築していく経済人として先を見据える目やエネルギッシュな行動力に圧倒されるものがありました。 1159年の「平治の乱」で敗れた頼朝、範頼、義経の父である「源義朝」について「歴史の旅」で以下のように書かれています。 『義朝と清盛は朝廷の政治を共に支えたが、清盛に比べ夜襲や火攻めを得意とし身内の大量処分を行った義朝が最後には身内の裏切りにあって落命したことは源平の命運を分ける要因となる』 義経の奇襲奇策、頼朝の身内の処分などは父義朝から受け継いだ遺伝子のようなものもあるのかなぁと想像したりします。 今後、頼朝に追われた義経の自害、頼朝の死、2代目将軍「頼家」の幽閉、そして3代目将軍「実朝」が頼家の子「公暁」に暗殺されるシーンを三谷幸喜氏がどのように描いていくのか楽しみです。
2022.05.09
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先週の日曜に買ってすぐ新鮮なホワイトアスパラガスをと思っていたのにドイツワイン探しをしているうちに1週間が経ってしまいました。 Himmelreich Selbach (ヒンメルライヒ ゼルバッハ」 29.8ドル(通常価格は38ドル) 「ワイン・コネクション」でドイツワインは3種類あって、そのうちの一本がプロモーション(値引き)になっていたのと、ラベルに「Riesling Kabinet(リースリング カビネット)」と表示があり探していたのがリースリングだったので「カビネット」の意味が分からないままこの一本を選びました。後でカビネットを調べると「100mlの果汁の中にどの程度の糖度が含まれているか」という「エクスレ度」の割合だそうでカビネットは一番低く67-82で最高の物で154となっていました。 以前にドイツレストランで何回か食べた「ホワイトアスパラガス」は切らずに一本のまま茹でて出されていたので、そうしようと思ったのですが我が家にある鍋には収まりませんでした(汗) ドイツ繋がりでソーセージも焼き、ワインを一口飲むと甘味が口の中に広がってちょっと残念な感じです。ボトルの裏のアルコール度数を見ると10.5%で甘さに納得です。これも後で調べるとドイツモーゼル地方で造られるリースリングは度数は9度以上の甘口が定番のようです。「何でも勉強です。。」 肝心のアスパラはまずソースも何も付けないで食べてみると、アスパラってこんなに甘味があったのかと思うほどの美味しさでワインとの相性もまずまずです。その後オリーブオイルと塩をかけたり、マヨネーズをベースにしたソースを付けましたが、初回としては合格点だったと思うので、今週土曜の「お家ご飯」の時に「自慢の一品」として出そうと思っています。 ネットでドイツのホワイトアスパラガスの画像を検索するとドイツワインと一緒の一枚を見つけました。左が葡萄品種「シルヴァーナー」でシンガポールでは見つけるのは難しいと思いますが、出来ればこの一本と合わせてみたいです。 もう一枚のネットからの写真です。こんな風に切らずに一本のままでお皿に乗せたかったのですが・・。ドイツレストランで出された一品はソースがもっとシンプルな感じで緑の香草もかけていなかったと思います。真っ白で繊細な感じの逸品に目を見張ったのが今でも良い思い出です。
2022.05.08
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先週のNHK「歴史探偵」のテーマは源平合戦初戦の「一の谷の合戦」でした。平氏に大勝した功労者は「鵯越の逆落とし」を行った「源義経」というのが通説と私は思っていましたが、番組では実際に行ったのは「多田行綱ではというのが近年の説」と説明がありました。 初めて聞く武将の名前で調べてみると、多田行綱は源氏の流れを汲む多田源氏「頼盛」の子で領地「多田庄(現在の兵庫県にあった荘園。初期清和源氏の拠点地)」を父親から引き継いだ人物とありました。生年不詳、頼朝の追撃を受けて西国に逃げる義経を攻撃した後の消息は不明となっています。「変わり身」の速さでも有名な武将らしく、平氏全盛期に平氏打倒の命を受けながら平清盛に密告したり、木曽義仲が京都で兵を挙げた時には加勢するも、義仲が後白河法皇と険悪になると法皇側に付いて義仲と戦ったようです。「壇ノ浦の戦い」の後義経を攻撃した理由については頼朝に疎んじられた義経と共に戦っていたことで頼朝に多田庄を取り上げられ、それを取り戻すために義経を攻撃したとの説もあるそうです。 番組では一の谷に陣取る義経軍と生田の森に陣取る兄の範頼軍で平氏軍を挟み撃ちにし、そこに多田行綱軍が傾斜30度(当時は40度くらい?)の頂きから騎馬隊で攻撃したという説明でした。「それでは戦勝の功労者は多田行綱では?」という質問に「作戦はあくまでも義経が立てたもので軍師としての功労は大きい」ということでした。先週の「鎌倉殿の13人」でも「誰が馬に人が乗って駆け降りると言った?」と鼻っ柱の強い若武者の義経が奇策を披露する菅田将暉さんの演技が光っていました。 決して美男ではなく前歯が出ていて身長も150㎝ほどというのが義経の実像のようですが、番組の中では劇画風の「義経像」も紹介されていました。「歴史探偵」の次回(4日)は「壇ノ浦の戦い」でまた新たな歴史の秘話が見られるかと思うととても楽しみです。戦いの舞台が山から海に移り、多田行綱が壇の浦の戦いで何か武功を挙げるような事があったのかも是非知りたいところです。
2022.05.03
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以前「MAGMA」というドイツレストンがシンガポールにありました。レストランのオーナーは西ドイツ生まれ、奥さんは東ドイツ生まれで「もしベルリンの壁の崩壊が無かったら私たちの結婚は無かったはず」の言葉が今でも印象に残っています。ご主人がドイツに一時帰国中に交通事故に遭い常連客から惜しまれながらレストランを閉めたのはもう10年ぐらい前のことですが、今でも時々レストランで食べた美味しいドイツ料理とワインの事を思い出します。 MAGMAで初めて食べたドイツの「ホワイトアスパラガス」とそれに合わせたドイツワインは今でもしっかりと記憶に残っています。ドイツの旬の時期(4月中旬から6月下旬まで)限定の一品で茹でただけのアスパラガスにあっさりとしたソースが添えられ、その一品のお薦めのワインはポルトガルのマテウスのような形のボトルのドイツフランケン地域の白ワイン(葡萄の品種はシルヴァーナー)でした。 シルヴァーナーは酸味が少なく軽やかなワインを造る葡萄ですが、フランケン地域では最高の辛口となりアスパラガスとの相性は私には完璧でした。 レストランが閉店してからドイツ産のホワイトアスパラガスを食べることもなくなっていましたが、コロナ禍になって通うようになったスイス人が経営する肉屋&食材店「Huber's Butchery」で売っているのではとふと思い、先週の土曜に行ってきました。 綺麗にディスプレイされています。 100gで5.2ドル(4~5百円ぐらい) 野菜コーナーに行くとちょうど箱詰めのドイツ産ホワイトアスパラガスをスタッフが並べているところで、スペイン産の「Padron(ししとう)」とオーストラリア産のじゃがいも(土がたくさん付いていて美味しそうだったので)と一緒に購入しました。 ワインコーナーに移動してドイツワインを物色しているとボトルの形がシルヴァーナーと同じワインを発見!(写真左)フランケン地域ですが葡萄品種は「Riesling(リースリング)」でした。ホワイトアスパラガスには香が強くない白がお薦めらしいので、リースリングも良いと思ったのですが55ドルは予算オーバーです。右の写真の「Chardonnay(シャルドネ)」に至っては90ドル台から120ドル台でドイツワインが「高値の華」状態です。MAGMAで40ドルから60ドルぐらいで美味しいブルゴーニュ産にも負けないドイツワインが購入出来た時のことを考えると夢のようです。輸入量に関係しているのかとも思いますが、シンガポールは明日まで3連休なので、その間にホワイトアスパラガスに添える手作りソースを考えながら、お手頃で相性ぴったりのワイン探しをするつもりです。
2022.05.02
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5月1日の「メーデー」の起源を調べると「古代ローマの共和制時代」に行われていた「花の女神「Floralia(フローラ)の祭り」が最初に出てきました。5月の春の全盛や夏の訪れという季節の変わり目を祝うお祭りだったようです。「女神フローラに変装した妻サスキアの肖像」 レンブラント 1634年 エルミタージュ美術館蔵 それが「労働者の日(Labor Day)」として国際的な祭日になったのは1886年5月1日にアメリカのイリノイ州で起こった労働者のストライキと結び付いたようです。日本が未だ江戸時代だった1867年には8時間労働制が取り入れられたものの、結局それは守られず10~13時間の労働を強いられていたために起きたストライキでした。 ただアメリカではこの5月に起こったストライキ等が「労働者の祝日」と繋がる事を危惧したため1894年に制定されたLabor Dayは9月6日でした(現在は9月の第1月曜日) 世界の祝日でLabor Dayを見ると、カナダはアメリカと同じ日、ヨーロッパではイギリスにはこの祝日はなく、ドイツやフランス等では5月1日となっています。シンガポールは政府によってストライキ等は禁止されていますが、今日がLabor Dayで祝日です(明日が振替休日) 日本の祝日ではない「メーデー」に慣れ親しんでいた私は2014年にフランスへ旅行した際に、5月1日のツアーを現地で申し込もうとしていた計画が祝日のため出来なかったというのが今でも痛い思い出です。幻となってしまった「アルザスワイン街道巡り」 因みに11月23日の祝日「勤労感謝の日」は名称から「労働者の日?」と私は思っていましたが、これも調べると戦前までは「新嘗祭」という古事記や日本書紀に記述がある祝日でした。その年の収穫物に感謝する宮中行事のため戦後GHQによって天皇が関わる祝日として名称の変更を迫られた経緯があるようです。敗戦によって変えられた文化や習慣が戦後77年も経った今も続いているというのは腑に落ちない感じもありますが、アメリカで七面鳥を食べることで有名な祝日「感謝祭(11月の第4木曜日)ほど浸透していない祝日であれば「果たしてこの祝日は現代に必要?」という気もします。
2022.05.01
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