星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2022.09.29
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 ネットでも話題になっているようですが、最後の部分で議員会館の安倍元首相の机の上に読みかけの本が一冊あって、それが岡義武著「山県有朋」の本であり、端を折ってあったページにはマーカーペンで短歌に線が引かれ、それは山県有朋(1838-1922)の長年の盟友、伊藤博文(1841-1909)に先立たれ(1909年 ハルピンで暗殺)、故人を偲んで詠んだ歌と続きました。

 「かたりあいて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

 正直に言うとこれがフィクションでもノンフィクションでも上手いと思いました。勿論原稿のような物を何人かで作成するのは当たり前で菅氏が実際にこの部分を書いたかどうかは知る由もないですが、民間人として初めて明治天皇の強い希望もあり「国葬」となった伊藤博文の名前を出し、また同じ山口県(長州藩)出身の山県有朋の名前を出すとは「これはやられた!」という気持ちでした。

 名前は知っていても果たして山県有朋とはと調べると伊藤博文と同じ松下村塾の塾生で、第3代と9代の総理大臣や陸軍大将を務め、また陸軍を建設した1人でもありました。



 2015年に東萩市にある松下村塾を訪れた際は中を見てあまりの狭さに驚きました。吉田松陰が老中暗殺計画のため江戸で処刑された後(1859年)、彼を慕う塾生17人が遺髪などを故郷へ持ちよりお墓を建て、それに加わった人達の名前がお墓の後ろの碑に刻まれています。当時は名前を明かせば幕府から処分を受ける危険があったそうですが、却って名前を明かしたことが功を奏したのか、いちいち処分をしているどころではない幕府の事情だったのかお咎めなしでした。伊藤博文、高杉晋作などの名前がありますが、改めて山県有朋の名前はあるのかと写真を見てみましたが、名前がないのには何か訳があるのかなぁとか色々考えてしまいます。

 兎にも角にも無事国葬も終了し、シンガポールに住む私としてはシンガポールの「リー・シェンロン首相」が父親であり「建国の父」である「リー・カンユ―」氏の葬儀(2015年)に当時安倍首相が参列してくれたからと今回の参列になったと中継中に説明があり、両国の心の交流にちょっとほっこりした次第です。







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最終更新日  2022.10.15 18:31:07
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