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祝日「海の日」を調べてみると、世界の国々の中で国民の祝日にしている国は日本だけだそうで「海の恩恵に感謝すると共に海洋日本の繁栄を願う」ことを趣旨としているようです。 来星してからの海の思い出と言えば、何と言ってもダイビングのライセンス取得挑戦です。シンガポールやマレーシアの水族館を見ているうちに、水槽の中で魚達と触れ合いたいという気持ちにどんどんなっていきました。泳げない私にとって海でのダイビングはハードルが高いけれど水族館の水槽であればと思っていたのですが、水族館ダイブにもライセンスが必要ということで早速こちらの「PADI」に申し込みました。 ライセンス取得のためにはまず「テキストを使った講習会&テスト」や「プールでの実習」があり、何とかクリアーしました。そして実技は水深10m~20mほどを4回潜る必要がありました。 インストラクターの方が何枚も水中カメラで撮ってくれて後でCDにしてプレゼントしてくれました。 実技の場所はマレーシアのアウル島という無人島で、シンガポールから夜に船で出て、翌朝目覚めるとアウル島に到着というスケジュールでした。パスポートを見せる必要もなく、食事の時に島に上陸するだけで、ほぼ船の中にいて移動しながらのダイビングとなりました。シンガポールから北東の位置(赤印)こちらでは知名度の高いティオマン島の南に位置しています。 様々な姿の魚たちや海中の思いがけない暗さやうっかり珊瑚礁に膝をついてしまった時の音とか今でもリアルに思い出すことが出来ます。4回の実技を無事終えて帰りは朝アウル島を出発、船上でビールを飲みながら2頭で戯れるイルカを見たり、イカ刺しやソーメンの昼食に歓声を上げたりして「こういう贅沢な時間の過ごし方ってあるんだぁ」と酔いしれて自分なりにライセンス合格を信じて祝杯を上げていました。 後日PADIのショップに行くと「今回は残念ながら不合格です。もう一度挑戦して下さい」とまさかの通達でした。やはり泳げないために海面での救助訓練が不合格の原因で「命に関わることだから」と諭されました。 それから16年も経って未だに泳げない私ですが、「命に関わること」の言葉の重みを未だにしっかり覚えていて、あの時ライセンスを取得出来なかったのは却って良かったのかなぁと思っています。そして思い切って挑戦して海の中を体験出来ただけでも忘れられない思い出になっています。ただ相変わらず水族館に行っては中に入って潜ってみたいなぁとも思っています💦世界一の大きさの水槽があるシンガポールの水族館「SEA AQUARIUM」
2022.07.18
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以前に「在星中に旅行でASEAN(アセアン)10ヶ国制覇」を有言実行して本帰国した知人がいました。私はラオスとフィリピンとブルネイには行っていないので、果たしてシンガポールにいる間に制覇は出来るのかなと考えます。 アセアン加盟国の1つ「カンボジア」に行ったのはもう8年前で2013年の年末から翌年の年始にかけてでした。「アンコールワット」は必見と思っていましたが、2006~7年版の「地球の歩き方」を買って書棚に置いたままでした。そして地球の歩き方の1ページ目には次のように書かれています。 『世界遺産の一つとして知られるアンコール・ワットは今から約140年前にはその存在を知る人すらいなかった。フランス人博物学者アンリ・ムオが再発見するまで密林の奥深くに眠り続けていたのである』 フランス人が発見したんだと思ってカンボジアの歴史を辿ると王国制を保ちながら1863年からおよそ第二次世界大戦あたりまでフランスの保護下に置かれていました(1941年から45年までは日本軍が占領)保護下になってすぐ遺跡が発見されたことになります。シュムリアップのホテルに滞在してフランスワインを1本プレゼントしてもらった事に今更ながら納得です。 さらに地球の歩き方の中に『アンコール・ワットは12世紀までにはクメール王朝が目指す「天空の楽園」の実現を目指し、最初はヒンズー教寺院として神「ヴィシュヌ」を祀るためクメール建築の粋を尽くして造営された』と説明が続きます。ヴィシュヌは「維持」の神様だそうで人々に危機が訪れれると地上に降り立ってくれるそうです。正に今の時代戦争をしている国々に降り立って欲しいものです。 そして寺院を飾る「デバター」と呼ばれる女官や踊り子たちを描いたレリーフも圧巻です。一体いくつあるのか正確な数は分からないそうですが、実在のモデルが存在したらしいこと、1つとして同じデバターが無いとうことには驚きます。地震とかの影響なのか脚の部分がずれているのに興味を惹かれました。大木が遺跡を侵食する光景。時の流れの偉大さを感じます。回廊を歩く観光客の姿にはちょっと驚きました。 時は流れて16世紀になってヒンズー教寺院は仏教寺院に改修されています。仏教寺院への改修は15世紀シャム(タイ)の侵攻を受けアンコールが陥落した事に直接原因があるのか、当時の国王が仏教に帰依したためなのかは分かりませんが、仏教はヒンズー教(元々はバラモン教)では救えなかったバラモン教の人達を救うという考えで生まれた宗教らしく仏教はヒンズー教の新興宗教と考えられていたようです。 余談ですが、地球の歩き方に17世紀に三代将軍家光の命で仏教の聖地「祇園精舎(インド)」の視察を命じられた長崎の通詞(通訳)「島野兼了」がアンコール・ワットを祇園精舎と思い見取り図(現在は水戸の彰考館に保存)を書いて日本に持ち帰り、それがアンコール・ワットと分かったのは明治時代になってからというエピソードも書かれていました。鎖国時代の特命密使ということだったのでしょうか?
2022.06.19
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2021年も残すところ2週間となりました。そろそろ今年の「初日の出はどこで?」と考えたりしますが、来星してから一番思い出深い初日の出は2014年「アンコール・ワット」で見たものです。 アンコール・ワットのあるシュムリアップでの日の出の時間は6時半頃と確認して、念のため早めにトゥクトゥク(バイクの後ろに座席を取り付けた物)でホテルを出発しました。 前日の昼間、寺院を観光していた時は凄い暑さだったのに、未だ明けきらない早朝を覆いのないトゥクトゥクでは風を真正面から受け震えあがるほどの寒さでした。 6時59分撮影です。遺跡の後ろに太陽の頭の部分が見え始め空が明るくなってきています。 7時7分撮影です。この写真が結構気に入っています。池に差し込むような太陽光が何か「福をもたらす」ように見えました。 徐々に明るくなると初日の出を見るために集まっていた人達の姿が見えて来て、そう言えば前日アンコール・ワットでは結構すれ違った欧米人の姿があまりないことに気づきました。 その時まで疑いの余地なくほとんどの国で初日の出は特別な物と思っていたので、後で調べてみると初日の出信奉というのは日本や韓国、インド等の国に限られているようです。 兎にも角にも好天に恵まれ、初日の出が拝めたことに大満足でした。富士山に登った時に見た「ご来光」も今でも特別な感慨があって、やっぱり「日出る国」に生まれたんだなぁとしみじみします。 2021年のお正月はシンガポールは凄い雨が降り、その後数日雨が続きました。今年は好天を願ってどこか良い場所で「初日の出」を拝みたいものです。
2021.12.18
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2011年2月旧正月休暇の始まりの数日はシンガポールとマレーシアは豪雨に見舞われました。その一ヵ月後に日本で「東日本大震災」が起こり、あの衝撃からもう10年が経ったのだなと時の流れを感じます。 予定していたカンボジアのアンコールワット観光がこちらの不手際で中止となり、急遽「どこでもいいからシンガポールから脱出したい!」と思って探していると東マレーシアのボルネオ島にある「ミリ(美里)行きに空席がありました。シンガポールから飛行機で1時間ほどの近さです。 サラワク州にある町で「ブルネイ王国」との国境近くにあり、漢字でも「美里」と表示があるのは中国から移民して来た人達によって造られた町なのかと思います。そしてここのカナディアン・ヒルと名付けられたは所はイギリスのShell(シェル)が1911年にミリ油田を発見した場所でマレーシアで初めて石油発掘を行い、現在のマレーシアの国営企業「「ペトロナス」に繋がっています。` 当時の石油掘削の像 サラワク州に隣接している国ブルネイ王国は世界でも有数のお金持ちの国と言われていますが、その豊かさの原点がここから始まっているのかと推測します。 ミリ市内を観光中に立ち寄った地元の旅行会社で数日間の大雨のため殆どのツアーが中止されている中、唯一敢行予定の「グヌン・ムル国立公園の洞窟巡り1泊2日のツアー」を申し込みました。 このツアーの出発地であるムル空港までは個人でミリから30分ほど飛行機に乗る必要があります。無事ムル空港で他のツアー参加者と合流、車で国立公園に移動し、まずは各自のロッジで小休憩となりました。 ロッジでは電気が使える時間が制限されているなど説明がありましたが、個室で奇麗に掃除が行き届いていました。 全く何の前知識もなく来てしまったという感じの「グヌン・ムル国立公園」でしたが、グヌンは「山」の意味で標高2377mのムル山一帯の自然公園でした。そして圧巻はムル山の地下にある洞窟群でそれを見るツアーに参加ということでした。 100ほどあると言われている洞窟で実際に中に入ることが出来るのは4つだけで、その中で最大の洞窟は「Deer Cave(ディア・ケーブ)」です。昔、鹿が住んでいたことから名付けられ奥行き2160m、深さが220mで今は鹿ではなく天井は12種類の蝙蝠の住み家となっていて夕方になると洞窟から出てきて空を舞う蝙蝠の姿が圧巻でした。ディア・ケーブの前の説明板 ディア・ケーブの左側にほぼ地下で繋がっているのが「Langs Cave(ラングス・ケーブ)」です。鍾乳石の造形美が一番美しい洞窟と言われています。説明板には1977年にローカルによって発見されたこと、天井が低いので頭を打ち付けないようにと注意書きがあります。比較的最近になって発見されています。ラングス・ケーブ前の説明板 次の「Wind Cave(ウィンド・ケーブ)」は名前の通り心地よい風が吹き抜ける洞窟で、ガイドさんから「ここでは面白い物が見られるので楽しみにしていてください」と言われました。それは鍾乳石が洞窟の壁に映り洞窟内の抜群の照明効果で「マリア像」のように見えるのです。洞窟内の写真を撮っていないのが残念ですが、暗さもあり歩いて途中説明を聞くだけで精一杯でした。、 「Clear Water Cave(クリアーウオーター・ケーブ)」では小さな小川が流れていてそこの水を飲むむことが出来ます。「一口で一年長生き出来ますよ」と言われ、私も手の平ですくって何度か飲んでみましたが、御利益はいつまで続くかなぁ・・・。 何度もボートを乗り降りして洞窟を巡り、巨大な鍾乳洞に悠久の歴史を感じたり、熱帯雨林のジャングルでの豪雨を体験したり、電気が使えないので夜暗くなれば寝て朝は鶏の鳴き声で目が覚めるという体験はなかなか出来る物ではないと思いました。 場所は忘れてしまったのですが、地下深くにジャワ原人らしい人骨が見える所があってその時は調査が進行中ということでした。「もしかしてあれが骨?」とちょっと興奮して周りの人達と地下をのぞき込んでみましたが、残念ながら確かな形は確認出来ませんでした。 シンガポールに戻ってこの国立公園が2000年に「世界自然遺産」に登録されていたという事を知り、何だかとても得をしたような気持ちになりました。洞窟だけでなく地表は動植物の宝庫でボルネオ島のジャングルはアマゾンやアフリカ大陸に存在するものより古いそうです。
2021.10.07
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2000年に世界遺産に登録された東南アジア最高峰の東マレーシアのコタキナバルにある「キナバル山(4095.2m)」に2014年2月に挑戦しました。マレーシアでお世話になった群馬県出身、登山経験が豊富な方からも「キナバルは偉大な山である」と聞いていて、いつか登ってみたいと思っていました。2007年の富士登山から7年後です。 富士登山と違ってキナバル山に登るためには山岳ガイドさん(ヒマラヤ登山で有名なシェルパと同じ)の同行が必要なためその手続き等を全てやってくれるツアーに参加することにしました。 前日シンガポールから2時間ほど飛行機に乗ってコタ・キナバルへ。空港で迎えの車に乗って前泊のホテルに向かいました。街中の気温はシンガポールとほぼ同じでも、山麓のホテル前に到着して車を降りると涼し気な風が吹いていました。 チェックインして部屋に入ると大きな窓からキナバル山が一望でき、すでに登山が始まったような気持ちになりました。近所を散歩しながら雄大な山の写真を撮り早めの夕食を取って翌日に備えました。 翌朝ツアーの迎えの車で公園ゲートに入り、入山の手続きをしてからガイドさんの紹介を受けました。1人参加でも1人のガイドさんが付き、グループ参加であれば8人まで1人のガイドさんが面倒を見てくれます。 木に登ってポーズを取ってもらいました。一見すると小柄でスリムですが、流石ほぼ毎日キナバル山に登っているだけあって力持ちで凄い身体能力です。 登山前に注意事項などを自分なりに調べ、「登山道が整備されているので富士山より難易度は低く初心者でも安心」とあったので今回も大丈夫と軽く考えてしまいました。 ところが登り始めてすぐに「これは富士山よりきつい!」ということに気が付きました。というのは登山道は階段状にきちんと整備されていてもその一段一段ががとても高いのです。足の長い男性であれば特に問題はないのですが、私のような普通の足の長さでは一段一段を「ヨイショ」という感じです。最初のうちはそれでも頑張っていたのですが、どんどんきつくなり途中から背負っていたリュックもガイドさんに持ってもらいました。6000種と言われる植物に目をやる余裕もありません。 それでも他の登山者と時折会話をして気を紛らわせながら、仮眠をとる中腹のロッジを目指しました。どんどん追い抜かれほぼ最後尾でマレーシア人カップルとロッジに到着です。 富士山の時のような雑魚寝をする山小屋をイメージしていたのですが広いスペースに2段ベットが4つで「今回はゆっくり休める・・」とほっとしました。マレーシア人カップルも同室で女性が晩御飯を食べに行く様子もなくベットに横になっているのでどうしたのかと聞くと、高山病になってしまったようで「今晩ゆっくり休んで明日下山する」と残念そうでした。 一休みしてからロッジの食堂に晩御飯を食べに行くとちょうど夕日が沈むところでした。明日はもっときついのかと思うと不安になりましたが、富士山の頂上で見た「ご来光」の感動や達成感が忘れられず「なんとしてでも・・」と夕日にお願いしました。 仮眠の後、富士山の時と同じように深夜に起きて朝ごはんを食べ真っ暗な中頂上を目指しました。富士山の時は8合目以降はツアーガイドさんの同行はないのですが、キナバル山では下山までガイドさんが付き添ってくれます。 最初は比較的緩やな山道が続きジョークを飛ばす余裕もありましたが、また徐々に急な斜面になり、ガイドさんが立ち止まり「左を見て」と言うので見ると山の上がうっすらと明るくなっています。山の後ろ側で既に日が昇っていました。私の「ご来光・・」と思いましたが・・ とにかく気を取り直して頂上へと登り続けると前方が急斜面になっている辺りにロープが見えました。そのロープを掴んで力の限り登り続けました。 「もう一息!」と声が掛かりましたが頂上までの急斜面はどう頑張ってロープを引いても上がれません。思わずガイドさんに「お尻を押し上げて!」と叫び凄い力で押し上げてもらいました。そして一瞬浮いたようになって頂上に足を付けていました。登山認定書と登山中の身分証明書 頂上に登ったと認められた人だけこの認定書がもらえます。自分の名前と登頂日とガイドさんの名前(Mr.Jasilibin Mat Hassan)入りです。 下山も楽ではなかったものの何とか公園入口に着くとガイドさんはすでに姿を消していて、その日宿泊予定のホテルまで送ってくれる車と運転手さんが私を待っていてくれました。案内所に預けていたバッグは車の横の路上に置かれていて、何気なく紙のような物もあるなぁとよく見るとそれは「登山認定書」でした! 今では私の宝物なのでその時見逃さなくて本当に良かったと思っています。最後は消えていたガイドさんですが、ガイドさんがいなかったら一人では決して頂上に立てませんでした。 翌日ホテルで目が覚めてかつて経験したことのない全身筋肉痛になっていることに気が付き、高さ10センチくらいの高低差でもきついくらいでしたが、頂上に立った達成感は今でも最高の思い出になっています。
2021.09.19
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2020年1月、シンガポールではコロナウィルスはまだ「対岸の火事」という状況の中、予定通りミャンマーにある日系企業の駐在員としてヤンゴンに勤務している友人一家を訪ねる旅に出ました。 ヤンゴン空港で出迎えを受け市内のホテルにチェックインした後、時間を気にする様子でどうしても日没前にパゴダ(お釈迦様の髪の毛や骨などを納めた仏塔)に到着したいということでした。「シュエダゴンパゴダ」 ヤンゴン市内 その時は「何故日没前?」と思ったのですが、日没前の黄金色の壮大なパゴダと日没後ライトアップによってさらに黄金色が際立つパゴダの様子の違いを体感して欲しいという「おもてなしの心」からでした。どちらも甲乙つけ難い壮観でしたが、ライトアップの効果はやはり息を飲む迫力がありました。 東西南北に参道(出入口)がありどこからでも出入りできるようになっています。まずそこで10000チャット(日本円で750円ほど)の入場券を購入し、履物を持参のビニールの袋に入れ素足で仏塔内に入ります。旅行前に友人からパゴダではその人の生まれ曜日によってお祈りをする場所が違うので曜日を確認してくるようにとアドバイスがありました(ネットでも簡単に調べられます)曜日によって神様(動物)が違っていて土曜日生まれの私の神様は「龍」で方角は南西です。広い塔内でやっと見つけ見よう見まねで柄杓を手に取り水を何回か「龍」の像にかけお祈りをしました。 因みに仏塔の「金」は4年毎に張り替えられその「金」は国民の寄付で賄われているということでした。富める人も貧しい人も身の丈にあった寄付をするのがミャンマーでの伝統習慣で、ミャンマー人の宗教心に厚く穏やかで思いやりのある気質の一因になっているのだと感じました。入口が4つあり、曜日が7つではなく8つある謎は翌日バガン観光の際ガイドのキンさんが丁寧に説明してくれました。 2019年に世界遺産に登録されたばかりの「バガン」は観光には絶対に外せないということで友人から現地で旅行代理店を経営する鈴木さんを紹介してもらい、ちょっと贅沢な日帰り旅行プランを立ててもらいました。 ヤンゴン空港から片道1時間20分のニャウンウー空港に早朝到着しましたが、意外に肌寒いほどでした。生粋のミャンマー人、オールドバガン生まれで日本語が堪能な女性ガイドのキンさんと鈴木さんが手配してくれた車に乗り込み早速観光開始です。 バガンの遺跡(仏塔、寺院等)は西暦1000年から1200年の間に建てられた物がほとんどだそうで、その数は数千に及ぶと言われています。観光スポットであるアーナンダ寺院、シュエズィゴンパゴダ、ティンローミンローパゴダを回り、時にはパゴダを前にしてにひさしのある小屋風のところに座ってじっくりキンさんの説明に聞き入りました。「アーナンダに行かずしてバガンに行ったと言うべからず」 そして私の「疑問」にも快く回答してくれました。 1.どうしてパゴダには4つの出入り口が?・・・ミャンマーではお釈迦様は4人いると信じられています。最後のお釈迦様がゴータマシッタルダです。4人のために出入口が4つあるそうです。そして今5人目のお釈迦様の出現を待っています。 2.どうして8曜日?・・・ミャンマーでは惑星が8つあるため曜日も8曜日にしたそうです(水曜を午前と午後に分けて2曜日にしています) ヤンゴンへ戻る夕方6時台の飛行機に間に合うようにぎりぎりの時間まで観光とおしゃべりを続け、気が付くとお釈迦様の説法を聞いたようなすっかり自分が浄化された気分になっていました。 その年の4月にヤンゴンで突然インターナショナルクリニックが閉鎖し、友人一家は一旦日本への帰国を余儀なくされました。そして今年2月に起こったクーデターによってミャンマーへ戻ることが出来るのかどうか予測不能の状態です。 あの穏やかな空気が流れ、旅行中に出会った敬虔で控え目で笑顔の美しいミャンマーの人達に突然起こった出来事が未だに信じられない気持ちです。バガンでやり残した事「一泊して気球にのって夕暮れのパゴダを空から眺めること」は未だいつか実現したい夢の1つです。
2021.09.17
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