リュウちゃんの懐メロ人生

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2025年09月22日
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橋 幸夫の歌は、
リュウちゃんの青春そのものだった!



​令和7年(2025年)9月4日、歌手の 橋 幸夫 が肺炎のために亡くなりました。享年82歳、所属事務所からアルツハイマー型認知症であることが公表されてから、僅か4カ月での死去でした。
​橋 幸夫は昭和35年、17歳の時に、 「潮来笠」 でデビューしました。



「潮来笠」が発売された昭和35年は、リュウちゃん14歳(中学2年生)、
たまたまラジオから流れて来た「潮来笠」に、中学生のリュウちゃん、一発で魅せられてしまったのです(当時、リュウちゃんの家には、まだテレビが無かったのです)

何という新鮮な股旅歌謡曲!
節回しも、
これまでの歌手には無い
柔軟で正確!
若さに溢れている!

​​ <「潮来笠」>
​​​ (※)このタイトルをクリックしますと、You-Tubeが聴けます。以下の歌も同様です。 ​​

​​続いてリュウちゃんの心に 「ビビッと刺さった」 のは、中学校3年生の時にラジオで聴いた 「故郷の花はいつでも紅い」 です。

​​この歌は少し後にデビューした舟木一夫が確立した 「学園ソング」 の先駆けとも云うべき楽曲で、自転車通学」をテーマにした 「通学ソング」 なのです。
​​
リュウちゃんも中学校へは、4キロの道程を自転車通学していましたので、この歌はまるでリュウちゃんの中学時代の気持ちをそのまま歌にしたような楽曲のように感じたのです。

特に1番の歌詞にある

♪~あの子(娘)が休むと 淋しゆてならず
学校がその日は遠かった遠かった~♪

の部分には痛く心に刺さったのでした。
​もう一曲、中学生の時に心に刺さった歌は
「風の三度笠」 です

​​ <「風の三度笠」詞:村松道平、曲:吉田 正>

​この歌は昭和36年に放映された白黒テレビドラマ 「風の三度笠」 の主題歌です。ドラマの脚本を書いた村松道平が歌詞も担当しました。
​この歌、何故かシングル盤で発売されず、初めてレコード化されたのは、昭和37年12月の発売されたLPレコード 「橋幸夫傑作集・第6集」 だったのです。
「風の三度笠」、
橋 幸夫ファンにとっても、
幻の名曲だったのだ!

以後、高校、大学、社会人になってからも、ずっと橋 幸夫のファンだったのです。
​​高校時代は、主として当時大人気番組だった 「ロッテ歌のアルバム」 (司会:玉置 宏)でヒット曲を楽しみました。大学時代は、当時普及していた安価なレコード盤 「ソノシート」 で、初めて橋 幸夫のレコードを購入し、気に掛かっていた「B面曲」も殆どソノシートで聴くことが出来たのです。


(ソノシート)

社会人をリタイアしてから、すぐに、ビクターレコードの通販部門から発売されていたCD6枚組114曲収録の「橋 幸夫大全集」を購入、ここでやっと橋 幸夫のほぼ全曲を聴くことが出来るようになったのです。


(橋幸夫 大全集 )

前置きが長くなってしまいましたが、ここからは、リュウちゃんの好きな橋 幸夫の楽曲を、ジャンル別、カテゴリー別に、出来るだけYou-Tubeの歌を貼り付けて紹介したいと思います。尚、橋 幸夫のプロフィールやディスコグラフィーにつきましては、
以下に貼り付ける「橋 幸夫ウィキペディア」をクリックしてご覧くださいね。
​​ <橋 幸夫ウィキペディア」>

<股旅物、時代物、美少年物>

​​​ <伊太郎旅唄>
​​​​デビュー曲「潮来笠」のB面曲です。A面の「潮来笠」と同じく、「潮来の伊太郎」をテーマとした歌謡曲です。「潮来笠」は伊太郎の外見の 「明の世界」 「ヨナ抜き長音階」 で唄っていますが、B面の「伊太郎旅唄」は伊太郎の内面の 「暗の世界」 「ヨナ抜き短音階」 で唄っているのです。​​​​

♪~筑波山さえ 男体女体
伊太郎かなしや 一本どっこ
利根の河原じゃススキも泣いた
ふいとヤクザに 誰がした~♪

​(※)「一本どっこ」とは、どの組にも属さない「一匹狼のヤクザ」のことです。
​​5枚目のシングル盤「木曽ぶし三度笠」の B面曲 です。この歌も「潮来笠・伊太郎旅唄」と関係と同じように、A面の「木曽ぶし三度笠」では、少年の股旅ヤクザ、 「中乗り新三」 の「明の部分」を唄い、「暗の部分」をB面の「新三ひとり旅」で唄うのです。
​​
♪~心細いよ木曽路の旅は 
雁(かり)の啼く音(ね)も淋しい峠~♪

―閑話―
「潮来笠」の「潮来の伊太郎」
「木曽節三度笠」の「中乗り新三」
のキャラは、どこから思いついたのか?

​橋 幸夫の初期の歌の歌詞は、殆んど 「佐伯孝夫」 が作詞しています(作曲は吉田  正)、佐伯孝夫はコロムビアの重鎮作詞家・西条八十の弟子で、戦前から戦後にかけて、ビクターの重鎮作詞家として活躍しました。橋 幸夫以前に佐伯が作詞した股旅物・時代物の作詞は、以下のような作品があります。

★「勘太郎月夜唄」(昭和18年、小畑 実)
★「弥太郎笠」(昭和27年、鶴田浩二)
★「花の三度笠」(昭和28年、小畑 実)
★「弁天小僧」(昭和30年、三浦光一)

​​​「潮来の伊太郎」は、佐伯が長い間温めていたキャラで、オリジナルのキャラのようですが、リュウちゃんは大衆小説の大家・ 子母澤 寛 (しもざわ かん)が、昭和24年に発表した 「伊太郎獅子」 からヒントを得ているのではないかと推測しています (小畑 実の「花の三度笠」も、子母澤の同名の小説があります。また、鶴田浩二の名曲「弥太郎笠」も、原作は子母澤 寛なのです)
​​​
​余談ですが、デビュー曲「潮来笠」の3番の歌詞に出てくる 「関宿(せきやど)」 は、​
​三重県亀山市にある「関宿(せきじゅく)」のことではなく、 千葉県野田市 にある「関宿町(せきやどちょう)」のことのようです)
​また「木曽節三度笠」の 「中乗り新三」 のキャラも、大衆演劇や浪曲でよく演じられる​
​「中乗り新三」から採ったようです。この芝居の原作は、 子母澤 寛の「さんど笠」 のようです。
​子母澤 寛と並んで、橋 幸夫の「股旅物」の原作となったもう一人の大衆小説の大家は、 「長谷川 伸」 です。長谷川 伸原作の橋 幸夫の歌は、「中山七里」、「沓掛時次郎」、 関の弥太っぺ」、「瞼の母」、「月夜の渡り鳥」(「瞼の母」の番場の忠太郎の哀歓を歌った名曲です)があります ​(全て、作詞:佐伯孝夫。作曲:吉田 正)​
以下、長谷川 伸原作の橋 幸夫の歌を貼り付けます(興味のある方はタイトルをクリックしてYou-Tubeを聴いて下さいね)

​​(※)橋 幸夫の「沓掛時次郎」は、昭和37年公開の大映映画「沓掛時次郎」(主演:市川雷蔵)の主題歌として使われました。ここからは余談ですが、昭和37年からスタートしたテレビ時代コメディ番組「てなもんや三度笠」で、主演の藤田まことが演じた 「あんかけ時次郎」 の役名は、市川雷蔵の「沓掛時次郎」のモジリだったようです。​​
​<関の弥太っぺ>
以下のサイトの2曲目に収録されています。
​<美少年物>
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​デビューした頃の橋 幸夫は、年下のリュウちゃんから見ても中々の「美少年」でした。テレビで見た吉永小百合とのデュエットでは、美少女・小百合ちゃんとお似合いの若者だったのです。おそらく、佐伯孝夫は、橋のルックスを考慮に入れて、 「美少年シリーズ」 の詞を書いたものと想像できます。
​<南海の美少年(天草四郎の唄)>
​​「美少年シリーズ」の第1作、 天草四郎 は寛永14年(1637年)に起きたキリシタン一揆 「島原の乱」 を指揮した少年で、寛永15年、僅か17歳で幕府軍に討たれました。​​
​​天草四郎が美少年だったか否かは、勿論不明なのですが、昭和37年に公開された映画 「天草四郎時貞」(大島 渚監督) では、当時、一番の美男俳優だった 大川橋蔵 が天草四郎を演じたのです。

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(大川橋蔵の天草四郎)

​<美少年忠臣蔵>
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​​​「赤穂浪士」の47人の内、少年だった 大石主税(ちから) (大石内蔵助の嫡男、僅か15歳で切腹死)と、 矢頭右衛門七(えもしち) 、浅野家家臣・矢頭長介の嫡男、18歳で切腹死)を歌った悲壮感の漂う歌です。この2人も美少年がったか否かは定かではないのですが、この頃、映画会社各社で競って製作された忠臣蔵の映画でも、この2人は美男の若手俳優によって演じられました。尚、橋 幸夫に次いで「御三家」の一人になった 舟木一夫 には「右衛門七討ち入り」という楽曲があります。​​​
​​ <美少年忠臣蔵>
​<悲恋の若武者>
​​
​明治10年に起きた 「西南戦争」 で、散って行った美少年を描く悲愴極まる歌です。​
以下に1番と3番の歌詞を書いて見ます。

♪~花か瞳かむらさき野菊 悲しく見上げる若武者の
白き鉢巻き滲む血を 誰か哀れと想わざる~♪
♪~田原悲しや照つ日も曇る 戦い終りし草むらで
啼くは虫かや美少女の 袖が濡れてる夕風に~♪

​曲の間に、 民謡「田原坂」 の以下の詞が入っています。
♪~雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂~♪
♪~右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かに美少年~♪

熊本市にある西南戦争の古戦場「田原坂」には、以下の写真の「美少年の像」が建てられています。


(美少年の像)

​「悲恋の若武者」は、この美少年のことを詞にしているようですが、この少年が誰であったかは、 「永遠の謎」 のようです。​
​​ <悲恋の若武者>

​以上、橋 幸夫の「時代物」について紹介しましたが、ここからは 「現代物」 について、リュウちゃんの好きな歌を紹介します。
<カラーシリーズ三部作>

(1)<白い制服>

戦前の「旅の夜風」(愛染かつら)や戦後の「月よりの使者」と同じ、白い制服を着た看護婦さんとの恋をテーマにした歌です。橋 幸夫初のセリフ入りの楽曲です。



​​ <白い制服>

(2) ​​ <赤いブラウス>
(3) ​​ <青いセーター>
​​ <舞妓さんシリーズ>
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​(1)<舞妓はん>
​​
昭和5年に発売された「祇園小唄」(唄:藤本二三吉)と同じように、琴(箏)と三味線の伴奏による純和風の現代物です。東京弁なら「舞妓さん」というタイトルになりますが、京都弁の「舞妓はん」がタイトルになっています。この歌は橋 幸夫の「現代物」の中でも屈指の大ヒットになり、橋 幸夫と倍賞千恵子の主演で映画化されました。

後に「男はつらいよ」シリーズで、
寅さんの妹「さくら」を演じた倍賞千恵子、
「さくら」の前は舞妓はんだったのだ!???


(映画「舞妓はん」ポスター)

​​ <舞妓はん>
​​ (2)<花の舞妓はん>
​​
「舞妓はん」シリーズの第2作です。この歌も橋・倍賞のコンビで映画化されました。
​​ <花の舞妓はん>
​(3)<月の舞妓はん>
​​
「舞妓はん」シリーズの第3作です。この歌は映画化はされなかったのですが、昭和40年の大阪の「新歌舞伎座」で、舞台演目として公演され、この舞台で橋 幸夫と倍賞千恵子が共演しました。
​​ <月の舞妓はん>
​―(閑話)<菊池章子の「春の舞妓」>―
​​
​橋 幸夫の「舞妓はんシリーズ」に先行した「舞妓物」の歌謡曲として思い出される歌は、菊池章子が昭和29年にリリースした 「春の舞妓」 です。
​このレコードには、当時若手の新進女優だった 若尾文子 の、以下のような台詞が入っています。
<丘の上の校舎よ、さようなら、懐かしい制服を脱ぎ、クラスメイトに別れて、あたしはとうとう舞妓になった。明けて十六、ああ、あたしの胸にも、そして加茂の河原にも、人の世の春は訪れてきたんだわ>
<あの方のことはもう忘れましょう。考えていると堪らなくなってくる。
​どうせあたしは、 人のおもちゃの京人形 、恋など出来る身分じゃないわ>​


​若尾文子の主演した昭和28年の映画「祇園囃子」(監督:溝口健二)のワンシーン)
この歌は昭和29年に若尾文子主演で公開された映画「舞妓物語」の主題歌です(前年の「祇園囃子」に続き、若尾文子が舞妓を演じました)
​上掲の若尾文子の2番目の台詞、 ​「どうせあたしは、 人のおもちゃの京人形 、恋など出来る身分じゃないわ」​ は、華やかな外見とはうらはらに、舞妓の過酷な労働環境を伺わせます。
​舞妓の過酷な労働環境に関して、元舞妓(市駒)だった 桐貴清羽 (きりたかきよは)さんは、さまざまな形で祇園の花街を告発し、以下のような漫画本を出版しました。



尚、桐貴清羽さんの告発の内容につきましては、下記のサイトにかなり詳しく書かれていますので、興味のある方は下記サイトをクリックして読んで下さいね。
桐貴清羽さんの告発が始まったのは、2020年頃からですが、その66年前の「春の舞妓」の若尾文子の台詞で、抽象的ではありますが、舞妓さんの過酷な労働環境を告発していたことに、リュウちゃんは少し驚いた次第です。
―閑話休題ー

​<他にリュウちゃんが好きな現代物>
​​
ここからは、あまり知られていないリュウちゃんが好きな橋 幸夫の曲を幾つか貼り付けます。

​​< 「若い素顔」 ;山中みゆきとのデュエット曲>



​​
​橋 幸夫の初期の歌です。同じ吉田 正門下の山中みゆきとのデュエット曲で、橋の初のデュエット曲です。歌詞は、 「若いボクサーと、その妹」 という設定です。橋は歌手になる前、ボクサー志望でしたので、この歌はまさに橋の若い頃の素顔そのものなのです。​
​​ <若い素顔>
​​ <慕情のワルツ>
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橋 幸夫20歳の時の抒情歌的な恋愛ソングです。リュウちゃん、この歌は大学時代にソノシートで聴き、好きになった歌なのです。
​<通天閣の灯>
​​
​この歌も大学時代、ソノシートで聴いて好きになった歌です。橋にとっては珍しい 「大阪物」 ですが、悲痛極まる歌唱は、殆んど「大阪」を感じさせないのです。​
​​ <芸魂(げいこん)」>
​​
​橋 幸夫には珍しい 「芸道物」 の歌謡曲です。この歌、純愛物の名曲「白い制服」のB面曲ですが、リュウちゃんのお気に入りの楽曲なのです。​
​​
<今日子>
​​
よほどのファンでなければ知らないB面曲です。

リュウちゃんは中学生の時、
Kyo-koちゃんという同級生の美少女に憧れていました。大学に入り、Kyo-koちゃんに逢えなくなってしまった時に初めて聴いたこの歌の以下の歌詞がグサっと心に刺さったのでした。

♪~ああ あの人の名は 今日子
今日子は 白い木蓮 今日子よ 今日子 何処にいる~♪

​で、現在住んでいる奈良に引っ越した時、真っ先に庭に 「白い木蓮」 を植えたのでした。​
​​ <今日子>
​​ <橋 幸夫・吉永小百合のデュエット曲>
​​
このブログの最後に、橋 幸夫が吉永小百合とデュエットした歌を全部(7曲あります)貼り付けます。


(橋 幸夫と吉永小百合)

​​ <いつでも夢を>



昭和37年発売の橋と吉永の最初のデュエット曲、第4回日本レコード大賞受賞曲、シングル盤累計売上260万枚を超える橋 幸夫の最大の大ヒット曲となり、昭和38年、日活で映画化されました。


​(映画「いつでも夢」」、左から浜田光夫=吉永小百合―橋 幸夫)
​<若い東京の屋根の下>



橋・吉永のデュエット第2弾、作詞の佐伯孝夫は、昭和23年に灰田勝彦に「東京の屋根の下」の歌詞を提供していますが、この歌は灰田の歌の若者バージョンというべき明るく伸びやかな名曲です。この歌も浜田光夫=吉永小百合主演で映画化されました。
​<若い歌声>



橋=吉永のデュエット第3弾です。曲調は前作「若い東京の屋根の下」によく似た、明るく、伸びやかな歌です。
この歌、初めて歌の間に橋と吉永の台詞が入りました。
以下、1番と2番の間に入った台詞を書いて見ます(可愛い台詞なのです!)

(橋)僕は七つでその子は五つ
(吉永)雪ぐつはいたお人形みたいだった?
(橋)2年たったらおないどし
(吉永)そしたらいいナって言ったのね

​​ <そこは青い空だった>



​橋=吉永のデュエット第4弾、全日空の日本で初めて導入したジェット機 「ボーイング727」 のイメージソングです。ジェット機の若い機長とスチュワーデスの明るい恋を歌っています。橋=吉永のデュエット曲では、「いつでも夢を」の次に有名な歌です。​
​<愛のしあわせ>



​橋=吉永のデュエット第5弾、初めて短調で作曲された 「大人の愛の歌」 です。​
​歌詞の中に 「モナムール」 (フランス語で「私の愛人」)という言葉が何度も出てきます。​
また、「若い歌声」に続き、1番と2番の間に以下のような台詞が入ります。

(橋)僕達をしっかり結んでいるのは 愛なんだ…
(吉永)黒髪の一すじ一すじにかけて 愛しています。

大学生だったリュウちゃん、吉永小百合の上掲の台詞にシビれたのでした(苦笑)
​​ <「夢見る港」「あの娘は街へ」>



A面の「夢見る港」はデュエット第6弾、B面の「あの娘は街へ」は第7弾で、2人の最後のデュエット曲です。「夢見る港」は長調の明るい曲、「あの娘は街へ」は短調で作曲されたちょっと暗い曲です。短い2行詞で、6番まであります。2人の他のデュエット曲は1番の歌い出しが橋 幸夫なのですが、この歌だけは歌い出しからデュエットなのです。
​​ <夢見る港>
橋 幸夫は亡くなってしまったが、
吉永小百合は今も リュウちゃんの
「青春のシンボル」なのだ!


​​ (2025年公開「てっぺんの向こうにあなたがいる」主演の吉永小百合) ​​

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最終更新日  2025年09月23日 08時18分39秒
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