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プーさん大好きな忘れん坊の母日記
メールフレンド②
あれから2ヶ月が過ぎた。
祥一は病院に行き検査を受けた。
幸い病気の感染はなかった。
正直、ほっとした。
そして、そんな自分を問いただしていた。
琴音が病気だと知って自分も感染したかもしれないと思った時、
言いしれない不安が襲って来た。
琴音に罪がない事はわかっていたが、
彼女と肌を合わせた事に対する後悔に似た気持ちがよぎった。
だから、返事が出せなかった。
琴音を愛していたら、すぐにでも返事が出せたのではないか。
心細い彼女を励ましそばについていてやれたのではないか。
結局自分は琴音の事を愛していなかったのかもしれない。
そんな思いが祥一の中にあった。
でも、ほっとした今・・・琴音に会いたかった。
人間とは弱いものだ。
自分に余裕が無くなると他人の事はなかなか思いやれなくなる。
祥一もその一人だった。
「琴音に会いたい。」
このままで別れてしまったら自分は一生後悔する気がした。
祥一は決心した。
ありのままの自分の気持ちを書こうと・・・
****************************
琴音へ
あれから2ヶ月が経ちましたが、身体のほうは大丈夫ですか?
僕は検査の結果感染していない事が分かりました。
そして、気持ちが落ち着いた今、琴音に心から会いたいと思っています。
今日は、正直な気持ちを書きます。
最後まで読んで下さい。
琴音からのメールを読んだ時、僕は愕然としました。
何に対してかは自分でも良く分からないのだけれど、
とにかく冷静ではいられなかった。
自分は病気に感染したかもしれない・・・
その恐怖は他のどの事よりも僕の中で一番大きくなっていた。
琴音には悪いと思うけれど、
赤ちゃんの事を考える余裕は無くなっていた。
検査を受けに行くのが恐かった。
初めて「死」の恐怖を味わった。
どうしようか悩んでいる内に1ヶ月以上が経っていた。
やっと決心がついて病院に行き結果を待っている時、琴音の顔が浮かんだ。
琴音は病気の告知を受けた時どんな気持ちだったんだろうと思った。
心細くて、どうしようもなく誰かにすがりたいと思ったに違いない。
そんな気持ちを押して子供を産む決心をした君の気持ちを
僕は・・・僕は・・・
今からではダメだろうか。
君の支えになる事はできないだろうか。
もしも君が許してくれるなら僕は今すぐにでも君と結婚したい。
自分勝手だと言う事はわかっている。
でも、やっぱり琴音・・・君を忘れる事ができない。
僕は昨日、僕の両親に君の事を話した。
もちろん病気に感染している事も子供を産もうとしている事も。
残念だけど僕の両親は大反対だった。
親子の縁を切ると言われた。
だけと、僕は自分の選択が間違っているとは思わない。
幸い僕には弟がいるから両親のことは心配無い。
それに、親だったらいつかはわかってくれると思う。
僕が幸せになる事が一番の親孝行だと思うから
僕は君と生涯を共にしたいと思う。
愛している・・・どんなことがあってももう君を離したくない。
君からのメールを待っている。
いつまでも待っているから・・・
祥一
*****************************
祥一はメールを送信した。
空になったメールボックスを見ながら
心の中で返事が来る事を祈っていた。
あれから1ヶ月が過ぎた。
琴音からの返事はなかった。
祥一はこの1ヶ月間、琴音の病気の事を勉強した。
インターネットを使ってあらゆる情報を手に入れ、
琴音に送り続けた。
少しでも琴音の役にたちたかった。
そして、ある夜メールが届いた。
*********************************
祥一へ
お元気ですか?
いつも情報を送ってくれてありがとう。
あれだけの情報を調べるのは大変でしょう?
私の為に無理をしないでね。
あなたまで身体を壊してしまったら悲しいです。
ここ1ヶ月間、あなたの送ってくれた情報を一生懸命勉強しました。
そして、その中にあったサークルに入りました。
同じ病気と闘う人たちとメールを交換したり、
時々、皆でオフ会を開いたりして情報交換をしたり
励ましあったりしています。
この間、奥様が病気の御夫婦にお会いしました。
彼女は事故の時の輸血で感染したのだそうです。
お二人ともとても仲が良くて幸せそうでした。
あなたからのメールを貰った時、
絶対結婚なんて考えられないと思いました。
あなたを不幸にする事なんかできないと思ったから。
でも、そのお二人を見ていて私の考えは
もしかしたら間違っているかもしれないと思ったんです。
私は小さい頃、父親を無くしました。
突然の事故だったし、私はまだ事情がわかる年令では無かったから
どうして私にはお父さんがいないのか不思議でした。
ただ、運動会や父親参観日に父が来ない事がとても寂しかった。
母は、とても愛情深く私を育ててくれました。
就職の為に一人暮らしを始める時もとても心配していました。
でも、病気の事と赤ちゃんを産むつもりである事を話した時、
何も言わずに貯金通帳と安産のお守りを手渡してくれました。
その貯金通帳には毎月5000円ずつ20年間積み立ててありました。
私がお嫁に行く時の為に苦しい家計の中から貯金していてくれたんです。
母親の子供を愛する気持ちは本当に有り難いものだと思いました。
そして、私もこのお腹の子供を母と同じように
愛して行きたいと思いました。
毎日お腹の中で動くこの子を愛おしく思えば思う程、
父親のいない子供にするのは
やはり間違っているのではないかという思いが強くなります。
それと、もし私が発病したらこの子はひとりぼっちになってしまう。
そう思うと、あなたの優しさに甘えてもいいんじゃないかって。
あと3ヶ月もすればこの子はこの世に生を受けます。
この子を幸せにしてあげたい。
そして何よりも私はあなたのそばにいたい。
いいですか?
私があなたのそばにいても。
私はあなたに何もしてあげられない・・・
それでも・・・いいですか?
琴音
*****************************
*****************************
琴音へ
琴音、元気だったんだね。
とても心配していたよ。
もしかしたら・・・何度もそう思った。
そう思う度に君のところへ飛んでいきたかった。
でも、君の苦しんでいる気持ちを思うとどうしてもできなかった。
情報を送る事で少しでも君と繋がっているんだと思いたかった。
それが役にたったんだね。
よかった。
琴音。
もう迷う事は何もない。
明日君を迎えに行く。
結婚式はこちらの教会を予約するよ。
そのまま僕のマンションに住めばいい。
お腹の子供が少し心配だけど、
そんなに長旅でもないから大丈夫だろう。
今夜はゆっくりお休み。
僕も今夜は久しぶりに熟睡できそうだ。
おやすみ、僕の大切な天使達。
祥一
*****************************
次の日、祥一は朝一番の新幹線に乗った。
琴音は身の回りをかたずけて待っていた。
「おはよう、琴音。」
「おはよう、祥一。」
半年振りの会話だった。
二人はそれ以上何も言わず抱き合った。
「会いたかった・・・」
祥一は琴音のお腹を手でやさしく撫でた。
「ここに僕達の天使がいるんだね。」
琴音は祥一の手のひらに自分の手を重ね合わせ言った。
「大切に育てましょうね。神様が私達に授けてくれた命ですもの。」
二人は、見つめ合い微笑んだ。
「さあ、行こう。新幹線の時間だ。」
足下に気をつけながら二人は駅へ急いだ。
「さあ、これを着て御覧。」
祥一が差し出したのは純白のウエディングドレスだった。
「昨日貸し衣裳店に行って借りてきたんだ。
本当は二人でデザインしてそれを着て欲しかったんだけど・・・」
そう言って、祥一は琴音を隣の部屋へ案内した。
そこは寝室になっていた。
「ここで着替えて。鏡もあるだろう。」
祥一はにっこりと笑いドアを閉めた。
琴音はウエディングドレスに袖を通しながら
目立って来たお腹を撫でて言った。
「今日からパパと一緒に暮らすのよ。
どんな事があってもママはあなたを守るわ。
絶対に無事産んでみせる。
でも、ママにその力が無くなったら
あなたはパパに守ってもらうのよ。
パパはあなたをママ以上に愛してくれるわ。
だから今日はあなたもお祝してね。」
すると、子供がお腹を蹴った。
まるで、琴音の言う事がわかるかのように・・・
二人だけの結婚式が始った。
誓いの言葉を神父さんが読み上げる。
二人は永遠の愛を神の前で誓った。
指輪の交換をし、誓いの口づけの時を迎えた。
そこで琴音が突然祥一から離れた。
「どうしたんだ?」
琴音は下を向いて黙っていた。
祥一にはそれがなぜなのかすぐに分かった。
「大丈夫だよ。キスで感染する事はないんだから。」
それでも琴音は顔を上げなかった。
祥一は琴音の頬を両手で挟むようにして顔をあげ、
優しく包むようなキスをした。
琴音の頬に涙がつたいブーケを持つ手は震えていた。
教会の鐘が鳴り響く。
それは、二人の新しい門出を祝福するものだった。
二人の新婚生活は幸せそのものだった。
琴音はまだ発病していなかったし、
お腹の子供は順調に成長していった。
ただ、一般の夫婦と違うのはSEXができないことだった。
若い二人にとってそれはやはり辛い事だった。
特に琴音にとって祥一が我慢していると思うとやりきれなかった。
「ごめんなさい。あなたを苦しめてしまって・・・」
でも、祥一は何も気にしていないと言う素振りで、
「何言ってるんだ。そんなこと気にしなくていいよ。
妻が妊娠後期に入ったらSEXはしないもんだろう。」
そんなふうに言ってくれる祥一の優しさが、琴音には嬉しかった。
しかし、若い祥一が全く何もしないでいられるはずはない。
琴音は祥一にできる限りのことをしてあげたかった。
だから、入浴はいつも一緒で、その時は祥一の身体を隅々迄手で洗った。
髪の毛をシャンプーして、その後首から順に下に下がっていく。
肩の凝りや腰の疲れもほぐすようにマッサージをしながら
ゆっくり二人の時間を楽しんだ。
もちろん祥一も琴音に同じ事をした。
祥一は琴音のお腹を気づかい、
琴音は祥一が少しでも満足を得られるように気づかった。
そして、いよいよ琴音に陣痛が来た。
お産は想像を超える難産になった。
陣痛が始まってから一日以上が経とうとしていた。
医者は琴音の体力を心配した。
「頑張れ、琴音。」
祥一は励ます事しかできない自分がはがゆかった。
「あ・・な・・た・・」
息も絶え絶えの琴音はしっかりと祥一の手を握り歯を食いしばっていた。
「奥さん、もう少しですよ。ほら頭が見えて来た。」
助産婦さんの言葉に、琴音は最後の力を振り絞った。
「おぎゃあ・・・・」
分娩室に元気な声が響き渡った。
「おめでとうございます。女の子ですよ。」
そして、迅速な処置が行われた。
「赤ちゃんは・・・赤ちゃんは元気ですか?」
琴音はもうろうとする意識の中で医者に聞いていた。
「大丈夫、元気ですよ。」
それを聞いて琴音は安心したように気を失った。
「おはよう」
琴音が目覚めるとそこには祥一の顔があった。
腕には赤ちゃんを抱いている。
「良く頑張ったね。可愛い女の子だ。
検査の結果この子は感染していないそうだ。
二人で素直ないい子に育てよう。」
琴音は溢れる涙を堪える事ができなかった。
この子は生きられる。
ずっと生きていけるんだ。
そう思うと心から神様に感謝した。
祥一はそんな琴音の姿を見ながら
赤ん坊をあやしていた。
しばらくして琴音が言った。
「名前・・・考えなくちゃ・・・」
祥一は赤ちゃんをベビーベッドに寝かせると
バッグから色紙を取り出した。
「初音」
そこにはそう書かれてあった。
「僕達にとって初めての子供だ。
君の名前を一文字とって「はつね」と言う名前にした。
どうだろう、気に入ってもらえるかな。」
琴音は大きくうなずいた。
そして、赤ちゃんを抱き上げ頬擦りしていった。
「初音ちゃん、ママですよ。よろしくね。」
それから、祥一は大きな花束を持って来た。
「これはうちの両親からだ。初音が産まれた事を知らせたら飛んで来た。
孫と言うのは無条件に可愛いらしい。僕達の事も許してくれたよ。」
琴音はこの日二重の喜びを得る事になった。
親子三人の幸せな姿がそこにはあった。
退院して3ヶ月が過ぎた。
初音はミルクをよく飲んですくすく大きくなった。
顔は琴音に似ていて可愛かった。
琴音の母も時々初音の顔を見に来た。
祥一の両親にいたっては、毎週のように
初音へのプレゼントを持って訪ねて来た。
普通ならちょっとおっくうになる姑たちの相手も、
琴音にとってはとても嬉しく感じられた。
それは限られた時間を精一杯生きたいと言う
琴音の気持ちがあったからかもしれない。
祥一は初音の世話はすべてやりたがった。
ミルクもおしめもお風呂に入れるのは
絶対自分がやると言って譲らなかった。
会社の残業もそこそこに大急ぎで家に帰る祥一に
同僚は親ばかだとからかった。
祥一は親子3人の時間をできる限り持ちたかった。
そう・・・決して後悔しないように。
初音が産まれ3年の月日が流れた。
春から幼稚園に通う予定の初音に
琴音は手作りのシューズ入れや給食袋をせっせと作っていた。
しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。
そう・・・琴音の病気は徐々に発病に向かっていた。
少し春の風が吹き始めた頃、
琴音は病院のベッドにいた。
発病してから琴音の体力は急激に衰えていった。
「ママ大丈夫?」
初音はまだ母親の病気がどういうものか理解できなかった。
でも、幼心に何か感じているらしかった。
「遅くなってごめん。なかなか仕事が終わらなくて。」
祥一が息をきらして病室に駆け込んで来た。
琴音はくすっと笑って祥一を見上げた。
しばらくはいつものように他愛もない話をしていたが、
突然琴音がぽつりと言った。
「家に・・・帰りたい。」
あの家は琴音が幸せだったあの頃の思い出が
いっぱい詰まった場所だった。
退院の許可が出ない事は琴音もわかっていた。
それでもあの場所であの思い出の中で最後の時間を
初音とそして愛する祥一と過ごしたかった。
祥一はそんな琴音の気持ちが痛い程わかった。
「初音、ママとお家へ帰ろうか。」
静かな問いかけに初音は元気良く「うん。」と返事をした。
南の窓から春の日ざしが差し込んでいる。
「ただいま。」
琴音は安心したように微笑んだ。
そのまま寝室へ行くと静かにベッドに横になった。
「あなた、これから迷惑かけると思うけれど
よろしくお願いします。」
そう言って目を閉じた。
祥一は静かに寝室のドアを閉め初音と一緒にリビングへ行った。
そして、夕食の準備をし初音をお風呂に入れた。
今日は琴音の好きなミートスパゲティーだ。
そう・・・初めてのデートで二人が食べた・・・
初音は「パパ凄いねえ。」と目をまん丸くしてはしゃいだ。
夕食の時間になり琴音が起きて来た。
「久しぶりにパパの手料理が食べられるわ。」
と、とても嬉しそうだ。
「いただきまーす。」
一番に食べ始めたのは初音だった。
「美味しい!」
顔中ミートソースだらけにしながら初音はスパゲティーを頬張っている。
その様子を見て琴音は幸せそうに微笑んでいた。
あの日の自分を思い出しながら・・・
夕食のあとかたずけも終わり初音も子供部屋で眠った。
「琴音、いっしょに風呂に入ろう。」
病院では3日に一度しか入浴できなかった。
今日からは毎日祥一とお風呂に入れるのだ。
身体はきつかったけれど、祥一の肌に触れ体温を感じる事ができるのは
琴音にとって安心できるひとときであった。
「綺麗に洗ってあげるから。」
そう言って祥一は手のひらにボディーシャンプーを泡立て、
琴音の首から順に洗って行った。
「綺麗だよ、琴音。」
洗い終わった後、祥一は、優しく琴音の身体を抱き上げた。
「ゆっくり暖まろうな。」
二人はぬるめのお湯にゆっくりつかっていた。
お風呂から上がり、祥一は琴音の身体を拭き寝室へ連れて行った。
そして、そのまま琴音に寄り添い抱き合った。
その夜、琴音は、祥一の背中に腕をまわし一晩中祥一の肌のぬくもりを感じていた。
桜の花が満開になった。
初音の入園式は一週間後に控えていた。
この頃になると、琴音は殆ど食事もできず
意識もはっきりしない時が多くなった。
ただ、初音が「ママ。」と言うとにっこり笑うのであった。
「あなた・・・」
日曜日の朝、琴音が祥一を呼んだ。
「なんだい?」
いつものようにベッドのそばに置いてある椅子に腰掛け
琴音の手を握りながら祥一は話し掛けた。
「私・・・今日はなんだか気分がいいの。
ここから公園の桜が見えるでしょう?
とっても綺麗だなあって。」
そばにいる初音がそっと琴音の頬にさわる。
「初音ちゃん、ママはあなたのことが大好きよ。
ママはずっとあなたと一緒にいるからね。
どんなことがあってもあなたのそばにはママがいるから・・・」
そう言うと視線を祥一の方へ向けた。
「あなた、初音の事よろしくお願いします。
この子を残していくのだけが心残りだけれど、
あなたがきっと良い子に育ててくれると信じられるから
私は安心しています。
少し疲れたから眠ります。
おやすみなさい。」
琴音は静かに目を閉じた。
「ママは、眠っちゃったね。そっとしておいてあげよう。」
そう言って祥一は初音をリビングへ連れて行った。
琴音は二度と目覚める事はなかった。
本当に静かに眠るように逝った。
祥一には今でも信じられないくらいだ。
琴音の葬式を終え、四十九日も済ませた。
初音はまだ母親の死が良く理解できないようだ。
ふと、祥一はパソコンをつけた。
すると、一通のメールが入っていた。
*****************************
祥一へ
あなたがこのメールを読む頃、
私はきっとあなたの側にはいないでしょう。
もしかしたら、このメールはずっと読まれないかもしれない。
でも、あなたが私の事を思い出したら
きっとこのメールを見つけるはずだと思って
これを書いています。
祥一、あなたと過ごした時間は短かったけど私は幸せでした。
初音が産まれて、家族3人平凡だったけど満ち足りていました。
私こんな風に思うんです。
人間には産まれてくる時にすでに運命が決まっていて、
幸せの量も決まってるんだって。
私達の出会いはうまれる前からの運命で、
私は、一生分の幸せをこの数年で一度に使ったんです。
だから、皆より少し生きている時間は短かったけど、
世界中の誰よりも幸せだったと思います。
だからね。
私がいなくなっても悲しまないで。
あなたが私を忘れてしまわない限り
私はあなたの側にいます。
ただ、心残りなのはやっぱり初音が大人になるまで
見守ってあげられなかった事。
それだけは、あなたに託すしかありません。
もしも、あなたが他の女性を好きになったら・・・
本当は「祝福します」って言わないといけないんだろうな。
でも、私には・・・言えない。
私はいつまでもあなたに愛されていたいから。
ごめんね。
やっぱりわがままだね、私。
でも、初音が新しいママを欲しいと言ったら迷わないで。
私は、初音に何もしてあげられないから
あなたは私の分まで初音を愛してあげてね。
今、私はとても穏やかな気持ちです。
病気の事がわかった時、死んでしまいたいと思った。
でもその時、聞こえたの・・・初音の声が。
「ママ、私・・・産まれたい。」って。
初音がいたからあのとき救われた。
そして、あなたがメールをくれた。
私、迷ったけどあなたに甘える事にした。
初音の為に・・・そして何よりも私自身の為に。
あなたには迷惑ばかりかけました。
甘えっぱなしで何もできずに旅立ってしまう私を許してね。
そのかわりあなたには私の一番大切な宝物を残していきます。
初音がもう少し大きくなって私の事を聞きたがったら、
ビデオを見ながら話してあげてね。
私たちがどんなに愛しあっていたか、
初音の事をどんなに大切に思っているか・・・
最後に。
愛しています・・・心から。
あなたに出会えて本当に幸せでした。
ありがとう。
何度くり返しても足りないけれど、
この言葉しか見つかりません。
私の分まで生きて、幸せになって下さい。
初音の事、よろしくお願いします。
さようなら・・・
琴音
******************************
祥一は、このメールを何度も読み返した。
そして、琴音が死んでから初めて泣いた。
本当に自分はできる限りの事をしてやれたのか。
もっともっとできることがあったんじゃないか。
考えれば考える程涙が止まらなかった。
ひとしきり泣いた後、祥一はもう一度メールを読んだ。
そして、キーボードを叩き始めた。
*************************
天国の琴音へ
君がいなくなってからもう2ヶ月近くが過ぎようとしている。
今日君のメールを見つけたよ。
何度も何度も読み返した。
最初は辛くてたまらなかったけど、
何度も読んでいるうちに君は確かに幸せだったんだと思えるようになった。
心配しないで、初音は元気で幼稚園に行き始めたよ。
明るくて活発で、この間は男の子とけんかしたそうだ。
笑うと君にそっくりだ。
僕はそんな初音を君と同じくらい愛おしいと思う。
君が残してくれた大切な宝物だ。
壊れないように大事に見守っていくよ。
僕は、たぶん君以外の人を愛する事はないと思う。
それがきっと僕の運命だと思うんだ。
僕には君を愛した思い出と、こんなに可愛い初音がいる。
これ以上欲張りを言ったら神様に叱られちゃうよ。
安心して見ていてくれ。
初音はきっといい娘に育つよ。
だって・・・君の分身だからね。
君と暮らした4年間は楽しかったよ。
その間何度も君を抱こうと思った。
でも・・・できなかった。
もしも、初音がいなかったら、
僕は何のためらいもなく君を毎晩抱いていた。
病気なんか恐くなかった。
君となら一緒に死んだってかまわないと思っていた。
だけどね。
二人ともいなくなってしまったら、
初音はひとりぼっちになってしまう。
それは君にとって一番悲しい事だと思ったから・・・
だから僕は君を抱かなかった。
だけど、君が病院から帰って来た時、
一度だけでいい・・・君とひとつになりたいと思った。
このまま君が遠くへ行ってしまったら、
僕は後悔してしまいそうな気がしたんだ。
君も、それはわかっていたんだね。
あの時の君の暖かさ・・・僕はずっと忘れない。
愛しているよ、琴音。
ありがとうは僕から君に言う言葉だと思う。
さよならは言わない。
ずっと僕の側にいて、僕と初音を見守っていてくれ。
僕は、毎日君にメールを書くよ。
天国にもパソコンくらいあるだろう。
それじゃあ、また明日。
祥一
**************************
あれから20年が過ぎた。
祥一のメールは7000通を超えた。
ほとんどそれは初音の成長記録のようであった。
そして、明日祥一は花嫁の父となる。
琴音と歩いた桜並木の下を、今日は初音と歩いている。
花びらが舞い初音の肩に落ちた。
振り向いた笑顔は、あの時の琴音に生き写しであった。
「パパ、長い間お世話になりました。」
そう言い始めた初音に、
「そんな・・・照れくさいじゃないか。」
と祥一は後ろを向いた。
「うんん、私言いたいの。
パパは一人で私を育ててくれた。
ママの分まで愛してくれた。
私、パパとママみたいになりたいと思ってる。
人を愛すると言う事をパパは私に教えてくれた。
ママをどんなに愛していたか話してくれた事で
私は自然にそれを理解する事ができたの。
今まで育ててくれてありがとう。
初音はパパにもママにも愛されて幸せです。
明日パパのもとを巣立っていくけれど、
パパの娘だと言う事は変わらないんだから・・・」
そう言って初音は祥一の背中に抱きついた。
祥一の背中が涙で熱くなった。
教会の鐘の音が鳴り響く。
そこには、祥一の両親と琴音の母の姿もあった。
初音の手をとりバージンロードを歩く祥一は、
24年前、琴音とここで愛を誓いあった時の事を思い出していた。
あのときの琴音のウエディングドレス姿は
今でも祥一の記憶に鮮明に焼き付いていた。
初音のウエディングドレス姿はあの時と同じくらい眩しく美しかった。
新郎に初音を渡す時が来た。
祥一は新郎の目をじっと見て頷いた。
新郎も祥一の目を見て頭を下げた。
娘の新たな人生の始まりの瞬間だった。
神父様が誓いの言葉を読み上げる。
指輪の交換をし、誓いのキスをする時がきた。
顔にかかるベールを持ち上げ、二人は唇をあわせた。
あのとき琴音がキスを拒んだ事が思い出される。
祥一にとってこの結婚式は娘の物であると同時に
自分の琴音への愛をもう一度蘇らせるものでもあった。
式も終わり招待客も帰った。
新郎新婦と祥一の3人がそこにいた。
「幸せにな。」
それが父親の精一杯の祝福だった。
「初音さんは、きっと幸せにします。」
新郎は初音の肩を抱き力強く言った。
「それでは、お父さん。僕達はこれで失礼します。」
「パパ、今日から一人で寂しくなるけど、
いつでも遊びに来てね。」
そういうと、初音は振り返りながら何度も手を振った。
祥一は家に帰るとパソコンの電源を入れた。
そしていつものようにメールを書き始めた。
その後、初音に女の子が産まれ祥一にはまた楽しみができた。
毎日のメールは初音の成長日記から孫の成長日記へと変わっていた。
そして、丁度10000通目のメールを書き送った日・・・
祥一は琴音の待つ天国へ旅立った。
その死に顔はとても穏やかで、琴音に会える喜びに満ちているようだった。
完
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