多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(11)S.akiの場合


愛知から鹿児島まで不倫の果て逃亡したS.akiもまた、
自己破産というの哀れな結末を迎える。
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私は昭和56年3月、◯女子高校を卒業後、
◯鉄道にバスガイド(手取12万円)として入社しました。
昭和58年5月退職。
昭和58年6月より59年2月まで◯ストアーのレジー勤務。
この間、同僚の◯との交際は妊娠までしましたが、いろんな事情で中絶。
それは私の悲しい悪夢でした。

それから1年、傷心もいえた頃、ふたたび妊娠したのです。
2度の中絶なんて、私たちは双方の親に相談。
そして昭和59年5月29日入籍したのです。
昭和59年10月29日◯出産。
住居は夫の実家で3所帯でした。
夫の3交代勤務と義両親に祖母の面倒。
妻としての激務は夢に描いた甘い夫婦生活とはかけ離れ哀れ霧散したのです。
いつの日か嫁いだ私のストレスは膨れあがりました。
夫との口論、それでも夫の無責任に耐え昭和63年1月27日には◯を出産したのです。
だが2人の子は家計を圧迫、夫の給料では生活が苦しくなったのです。
相談すれば「お前なんとかしろ」の一言、協力のない夫に溝を感じたのもこの頃です。

ある日、私は地域の推薦で子供会の役員になりました。
会合は夜ほとんど家を空けることが多く、それが夫には不満らしく家に内鍵、
近所に聞こえる怒号、アザがいくつも残る暴力と夫婦関係は悪化したのです。
母、妻としての我慢のストレスは子供の小物買いショッピングで発散させました。
買い物すれば生活が苦しくなります。
やむなく平成5年頃、消費者金融「A」に連絡したのです。
最終的に50万枠内の自転車操業でしたが元金が減ることはありません。
借金は身勝手な夫に内緒でしたから1枚の郵便物でさえ神経を尖らし、
イライラは子供に当たるようになりました。
そんなとき役員の一人◯さんと出会い愚痴の聞き役を。
やがて度重なる連絡は普通の関係を保てなくなりました。
しかも第三者に見られたのです。
私たちは一気に激情、所持金3万円で◯島に逃げたのです。
車内にホースを引き込み死の覚悟に時間はいりませんでした。
しかし私たちは死に切れませんでした。
どうしたらいいのでしょうか。
いかなる事情があろうと子を捨て夫を裏切った行為は許されるものではありません。
謝ってすむことでもないし、かりに連絡したら夫は私たちを殺すでしょう。
2人は解決策もないまま鹿児島まで逃げました。
そして溝辺空港のラブHに飛び込み、そこの◯さんに全てを語ったのです。
平成6年1月◯を紹介していただき◯という姓で勤務しました。
平成8年1月退社。
のち◯島に渡り、5月「喫茶◯」に。
ところが心労から勤務中、高血圧で倒れたのです。
平成8年11月、小脳梗塞で鹿児島市の◯病院10日入院。
平成8年12月「喫茶◯」退職、自宅療養。
平成10年3月 ◯診療所の掃除婦として勤務も住民票問題で平成12年3月退職。
もう◯島には住めないと平成12年4月、鹿児島に引っ越し。
平成12年5月、人材派遣会社紹介の「◯産業」は体調不良で続かず。
同月パート採用、加療中(◯内科胃腸科)ながら「◯屋」で頑張ることにしたのです。
平成14年2月、愛情があっても子を作れない2人に中絶という試練が来ました。
中絶不足に入籍記念贓物(義父)の装飾品を4万円で入質しました。
付きの金利10.800円、現在支払い中ですがもう限界です。
平成16年5月◯屋から住民票提出を催促され同年6月10日、
静岡県◯郡◯町から鹿児島郡◯町、◯の同居人として住民移動したのです。

問題はこれからです。
平成16年7月15日、消費者金融「A」から訴訟決定通知書が届いたのです。
元金残高487.921円に対し一括返済2.531.022円の請求です。
「A」とは交渉の余地もなく一方的に吠えられるだけでした。
10年放った怒りは当然でしょうが、私の収入では調停はおろか一括なんでできません。
7月家計表では余裕にみえますがTは日給月給で5万円の変動。
まして別居中3子の養育費4万円と楽ではありません。
10年の時効はどうでも、ふたたび難儀な人生になるのなら話は別です。
爆弾を抱えた私の体でも生きたいと望むからにはいい機会だと考えます。
住民移動して夫側にもしれた以上、遅かれ早かれ修羅はくるでしょう。
ではその前に自分の身辺整理をしたいと考えたのです。
自己破産。
◯さんは知りませんが4人の結末を考えるより、
まず私が蒔いた種を私が刈りたいのです。
もちろん勝手な言動が我が子を不幸にしたことは後悔しています。
穏便に夫と離婚でき、子供との再会が可能なら土下座して謝りたい、そう考えています。
以上の経緯から自己破産を決意、全てを一から出直したいと自ら断をくだしました。

たった1件、50万円が250万円に化けて10年の時効。
そんな借金に男と女のからみ。
まるで映画のドラマを地でいったような人生でしたが・・・

上記は
「初めて借金をしてから破産手続開始申立てをするまでの経緯」
の真実をfiction的に要約転記したものです

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