多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(21K.chiyoの場合


平成11年8月、離婚しても子をかかえては借金はふえるだけで、
あげく自己破産申し立て、平成12年12月◯◯日、
免責決定確定(平成12年モ第◯◯◯号)をいただきました。

平成13年2月◯◯日、もう一度、女の幸せをつかみたくて◯とお互い再婚しました。
しかし平成14年4月、夫が職を失い鹿児島市に移住してもなぜか定職につかず、
私が勤務する◯病院の収入17万程度で家賃、
保育園料、生活費、夫の元子に対する養育費などなど、
くわえ次男の面倒もみられないまま家計は苦しくなっていったのです。

預金もなく途方にくれ同年12月、◯日本銀行で私名義のカードをつくりました。
これが免責決定確定後、初めての借金原因です。

れから今日まで努力はしたものの人生は甘くありませんでした。

平成15年、夫の職が決まり垂水に引っ越し、
私も◯病院(14万円)に引っ越ししました。

ところが夫はなぜか収入の半分7万しか私に手渡さないのです。
二つ合わせて21万円、これでは生活することができません。

お金のことで夫婦喧嘩が絶えず子供の前で殴られること度々でした。
ここまでくると家庭環境は崩れる一方で、
子の将来を考え平成16年8月◯日条件付きで離婚しました。
でも、前夫は一回の約束も守らず請求も片道で家計は悪化をたどるだけでした。

平成16年10月、私は◯病院(23万円)に転職、事情を説明、
住宅を寮として提供してもらいましたが、生活必需品を一から揃えるべく
旧姓◯でなく◯姓でクレジットを組んだのです。

こうして借金はじょじょに増えていきました。

平成17年になり子の成長を喜ぶ反面、
病も多く思うように夜勤ができませんでした。
とうぜん勤務内容から収支バランスが崩れ、
あらゆる支払が延滞し始めたのです。

やむなく同年7月19日、債権者10社13件(4.293.359円)
約定支払275.278円のうち5社8件を鹿児島地方裁判所に特定調停申し立て、
結果、
事件番号は平成17年(特ノ)第◯◯◯◯号~◯◯◯◯で毎月10万円になりました。

平成18年3月28日、
◯が平成18年フ第◯◯◯号で免責許可決定したとの知らせあり、 
これで微かな望みかけた援助の糸も切れました。

平成18年12月まで順調に約定支払を続けていましたが、
児童扶養手当および親医療助成金が受給停止になりました。
また、次男が6才になる関係から同年3月以降の職場託児所利用と夜勤ができなくなり、
4月以降の予想収入が17万となったのです。

平成19年1~3月と支払が延滞、
3月家計表の通り返済金が生まれてきませんでした。
4月以降の17万ではなおさら支払は不可能です。
しかも3月から高校と小学への入学準備もあるのです。
勝手な親の人生で子に淋しさを与え、
頼りない父役を務めることに愚痴はいいませんが、
それでは解決しません。
いろいろ悩みました。
3流の金融機関に250万一本化依頼もかけましたが、
ほとんど断られました。

平成19年3月現在、
私の借金は9社9件(2.635.555円)になっています。
特定調停のおかげで1.657.804円返済できました。
だが既に支払は限界です。

6年4ヶ月しかたってない2度目の自己破産申し立てすることにもちろん抵抗はあります。

どうかご理解ください。
あくまで4月以降、家庭崩壊を予測した上での決断です。

破産への旅人(21)T.chiyoの場合 終わり
(この文面「1~4」は鹿児島裁判所◯支部で不受理されたもので、再度7年経ち若干の文章を削除挿入校正して提出したものをfiction化したものです)

本人の談話
「3度目の結婚はありえません。ともかく今後は子供のために頑張ります」
とのことだった。



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