多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

K.ma(妻)の場合


夫は自営にはげみ、私は内助の功でがんばりました。
でも昭和57年、
夫の自営失敗から私は債権者16件(別紙参照)借金400万を抱え自己破産、
平成3年10月17日(事件番号 平成3年モ第◯◯9号)免責に至りました。

平成4年5月、◯コミュニティー(手取6万)勤務。

私が自己破産したにも関わらず夫の借金200万円はへらずそのまま残っていました。
そのうち子供の学費にも事欠くようになりました。
平成6年6月、次男お産のため◯コミュニティー退社。
育児が始ると仕事ができません。
貧乏は子供に責任はありませんが、毎日の家計苦におわれ親兄弟に金策はたのめず、
平成8年夏,やむをえずAファイナンスから30万円を借りてしまいました。

平成11年9月、◯騎射場(手取93000)勤務。

平成13年1月16日、長女の結婚費用にK金庫から100万円を借りました。

この頃、立て続けの金融機関からの借金は9件180万円にふくれていました。
やがて自転車操業はうまくいかず、あげく夫に内緒でヤミ金に電話したのです。
もちろん生活のためですが、一時しのぎの融資は焼石に水でした。

こうして払えもしない脅しの取立に私は怯え、あげく夫への相談は暴力が答でした。
それでも夫に哀願、M銀行から200万円借入全額を返済してもらったのですが、
借金返済のための増残業も新聞配達も子供達からの援助もここまででした。
私が病に倒れ子宮全摘出する羽目になったからです。
仕事は休みますから収入は途絶えます。
病院代も借金支払もできず、いっそのこと死んだほうがましと考えるようになりました。

私の悩みはつづきました。
そして気まずい家庭環境が夫婦喧嘩の火種でした。
平成17年7月22日、
これが最後という夫との約束でC金融会社から一本化を条件に200万を借用しました。

平成17年7月、子供二人が東京、大阪で仕事しすることになりました。
母親として子供らの生活が安定するまで仕送りすることは当然の愛情でした。
しかし、ないものはなく、無理を重ねた結果がふたたび内緒のヤミ金でした。
もはやこうなると三人の収入では家計は成立ちません。
取立に怯え毎日がびくびくする経験はこりたはずなのに、自分が情けなくなりました。
また、これ以上、夫への相談は離婚だけですむとは考えられませんでした。
とはいえやりくりができず、平成18年5月を期に家計は動きを止めたのです。
それでも払えるところは(4社)1000円でもと支払いました。

平成18年現在、債権者11,借金総額6.242.090円。

いくら事業失敗が生活が子供が、とグチっても家計は妻の仕事です。
それが二度も失敗するとなるとバカとしかいいようがありません。
それでも家族が生きていくためには恥ずかしくても自己破産より他に手段がないのです。

なぜ、私が二度も自己破産を求め夫がしないのか。
それはすべて私が家族の盾になっていたからです。

先日、最終的に夫と語りました。
夜逃げ、一家心中するわけにいかない。
できるものなら今一度出直して頑張ろうと、夫と娘が泣いてくれました。

債権者様には申訳ありません。
今はただ許しを願うだけです。



上記の自己破産申立書P10~11は真実をfiction的に要約転記したものです。

本人の談話
その後K.maさんから「ゆっくり眠れます」との連絡でした。

K.ma(妻)さんが自己破産申立てした4ヶ月後、
夫も自己破産申立。
夫婦とはなんなのか。
どうあるべきなのか。
いろいろ考えさせられるK夫婦でした。

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