多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(26)N.teの場合


夫はこれまでの◯建を辞職、念願の事業を立ち上げました。
屋号も夫婦の名をもじり◯としたのです。
ところが準備金が足らずセゾンから20万借用、
しかたない私の初めての借金でした。
しかし卓上の計算とはこのこと、なかなか売上はなく月10万ほどの有様でした。

当時、私は加治木の◯にパート勤務(7万)してましたが、
住宅ローン、税金、国保、年金、学費と未払がつづき、
あげく光熱、電話は止りかけること再三でした。
なんのための◯、情けない日々は夫婦愛では収りませんでした。

夫はあちこちの消費者金融会社に頭をさげ、運転資金にと一気に借金をし始めたのです。

平成13年6月、あいかわらず◯の売上はなく、
やむなく私はRイフから生活費を10万借用しました。
平成14年1月、このままでは◯が潰れると夫は日々の下請を始め、
体にムチをうち営業にかけずり回ったのです。
睡眠時間を削る夫の頑張りは一時的に50万を超す収入を得ましたが借金は減りませんでした。
この時期、夫の借金は住宅金融公庫をふくめ2500万ありました。

平成14年11月、生活費に学資保険から枠内10万の借入する。

家計をまかなうには最低45万が必要でした。
◯の収入がなければ借金するより策はありません。
平成15年3月、◯ガイドショップ10万。
平成15年5月、◯んわ20万。
平成15年6月、ア◯フル10万。
平成15年9月、ふたたび学資保険枠内借入50万。
平成15年12月、Jーシービー10万。
私の新規(4社)借入自転車操業が始ったのです。

やがて◯の売上は極端におち下請注文もなく先々真っ暗になりました。
そして夫の借金返済はもとより、年金、国保も滞り、
ブラックの夫はもはやこの先の金策は不可能と、せめて好きな焼酎を断ったのです。

平成17年8月、夫は将来を考え下請の合間をみて就職活動を。
しかし仕事はなかなか決らず焦りは夫婦喧嘩の火種を与えるばかりでした。
また昼夜におよぶ夫への取立は不眠を呼び精神安定剤は欠かせませんでした。
そのうち夫はウツで15キロ減、ノイローゼの私は無理心中ばかりを考えるように。

平成17年10月頃、苦悩のすえこれ以上はムリと2人は自己破産を決断しました。
本来なら夫の自己破産(H17/11現在借金3千万、月65万支払)が筋と考えます。
しかし離婚せずマイホームを(夫名義)を残すなら私が自己破産、
2年後、夫の仕事が落着いたら民事再生しかない、と結論したのです。
私の借金は7社7件271万ですが、夫婦で一からやり直すにはこの答しかなかったのです。

平成17年10月末、夫が商工会議所に民事再生の相談に行きました。
こうして5年前、2人が夢と希望を胸に立ち上げた事業は借金で押し潰されたのです。

(その後N.kaは「それでもなかなか・・・」との一言でした)


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: