多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(39)F.kaの場合


「債務発生の原因と破産までの経緯」の真実をfiction的に要約転記する
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1 最初の借金をした時期及び事情について

昭和63年8月、
◯高校中退後、◯技研に14万で入社。
実家が拠点ゆえ生活苦はないが、
平成2年の車購入が災い仕事に熱入らず平成4年5月に退社。
あげくローン残は保証人の親に完済させる迷惑を。
平成5年5月、◯工業に21万で入社、
平成4年8月、私は周囲の反対を押切り21才で◯と結婚。
住いは鹿児島市内の義姉宅に2世帯という形をとる。
◯が生れた平成5年5月、◯工業が事業縮小、
手取が18万に落ち家計苦が始まる。
さらに重なる車事故の買換えなどで動きがとれず,
経費節減のため姶良に移る。
平成6年9月、初めての借金を楽天KCからする。
平成7年6月、ついに◯工業の仕事が切れ収入ゼロになる。
蓄えた僅かな貯蓄も底を突きミルク代にも事欠き、アイフルから20万借用する。
平成7年7月、◯工業退社。

2 借金が増えていく間の事情について

平成7年9月、◯建設18万で入社。
平成8年8月、◯誕生の出産費は長男同様に親から借金する。
平成11年5月、◯建設解雇で3ヶ月の失業保険(月12万)ではアイフル2万、
ミルク代1万5千、生活費4万、光熱費2万、ガソリン1万、
その他雑費などの計算たたず、車ローン3万2千、税金5万2千、
家賃などは3ヶ月滞納で住居の鍵をかえられる。
それでも努力して同年9月に◯組18万入社が決定したときは涙が。
平成11年11月、ライフ20万借入、家賃と車関係を支払う。
平成12年12月、三洋信販30万借入、返済と妻の我儘から軽自動車を購入。
平成13年から給料が遅配、しかたなくアコムから50万借入、生活費に。
平成13年10月、生活苦に妻も仕事(8万)に出るが平成14年5月、◯組が倒産、
一銭の給料支払もなく親に借金して生活するが長く続かない。

3 借金が増えて返せなくなった時期及び事情について

好きで一緒になった二人でも金で喧嘩が日夜続けば愛情も冷め、
やむなく平成14年6月、離婚届けをだし実家に帰る。
この期を境にやけになり債務整理が頭をよぎる。
平成14年7月、◯建設(13万)入社、
不足の支払は親に援助してもらう。
平成17年1月、
親に預けた2子の養育費を含め家計が成立たず苦労が連続する。
苦肉の策としてオーバーローン454万(KC→オリコ)を組み、
生活費と借金返済に。
平成17年5月、
姉に頼まれ三洋信販から50万借入名義貸しする。
平成17年6月、
元妻から慰謝料代りの願いあり、
ふたたび三洋信販50万借入うち27万を手渡す。
平成17年8月9日~平成18年9月8日まで3回、
郵便局から58万借入、姉に貸す。
平成18年3月、
元妻から2子養育不可の連絡から引取り、
親、姉に朝昼の養育依頼するも教育費、
入学準備金もなく楽天KCから75万借用する。
平成19年5月、
いっこうに生活は改善されず以前より家計は苦しくなる。
父親として2子と暮す幸せは遠く、
仕事、借金のストレスはエスカレートしていく。
やがて金のことで親、
姉弟、さらに2子と言い争うようになる。

4 破産手続開始申立てを考えるようになった時期および事情について

平成19年6月に入り、
体調優れず、眼は網膜症を患う。
精神的に落込み親と相談、
これ以上の無理を重ねても先がないことを悟る。
また、
姉も名義貸し50万の甲斐なく自己破産を決意、
姉弟して将来を話合うも惨めなり。

過去3ヶ月平均手取、19万円。
1ヶ月あたりの別収入(児童手当)5千円
1ヶ月あたりの約定支払、16万円。
1ヶ月あたりの生活費、8万円。
平成19年6月25日現在の債務額、564万円。
1ヶ月あたりの収支、マイナス4万5千円。

上記から2子を抱え生活することは不可能という結論から
自己破産を決意する。


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