多重債務者の交差点

多重債務者の交差点

(06)S.miの場合


「A/B」熊本(手取13万)に就職しました。
あえて公私に不満はなく、
それなりに貯蓄、1R(3万)愉しい青春でした。
給料は手の抜けないノルマ制ですから毎日がピリピリの連続でした。

そのうち順調な成績からトップを経験しましたが、
それが逆にプレッシャーになり、
追われる立場の焦りが墓穴を掘っていったのです。
ノルマの落し穴。
それは必要以上の新規顧客勧誘の接触でした。

そのことは理解してたつもりでした。
だけど結果的に婦女暴行を受け、
これを機に退職しました。

平成7年4月、◯宮崎店(手取13万)紳士服販売。
平成8年3月、S姓入籍、寿退社。

だが、
夢みた結婚は夫の借金700万告白から崩れていきました。
とつぜん振り被ってきた700万の借金。
私は目の前が真っ暗になりました。
さらに平成9年12月、
長女緊迫流産危で(子宮筋腫が発見)入院。

夫は転職を繰返すばかりで家計は成立たず、
やむなくブラックの夫にかわり私名義の借金が増えていったのです。

平成10年3月、
二人の子を保育園に預けアルバイトしました。
家計が回らなくなると夫婦関係はぎくしゃくするものです。
しかも姑同居でストレス発散には苦労の連続でした。

平成11年春、
夫が契約社員として愛知勤務、が送金は尻切れトンボでした。
残る家族は病気しがち。
私は職場長期欠勤から辞職勧告され家計の歯車が止りました。

平成12年2月、
私は居酒屋◯で慣れない接客をしました。

なぜ姑は孫の面倒をみないのか。
なぜ夫は生活費を送金しないのか。
私は納得できない日々を悶々としながら金策に走ったのです。

同年5月、
とつぜん夫が帰家してきました。
その後も夫は転職を繰返し気分が悪いと子供に当りました。

平成13年2月、
将来に不安を覚えた私は慰謝料、財産分与なしで離婚しました。
平成14年3月、
母子3人暮しの生活は厳しく、借金のための借金が続いていきました。

母子家庭の苦悩は泣いても解決できず、
弱気では一歩も前進できません。
それでも二人の子に笑顔たやさず、
酷くなる脱毛を気に仕事に頑張りました。
でも、
女の寂しさに耐えきれず◯との恋愛感情は自然でした。

彼には妻子がいます。
私達は覚悟のうえの不倫でしたが二人に将来があるのでしょうか。
彼は妻子を捨て私と再婚する気があるのでしょうか。

平成15年11月、
私名義でS信販からスナックの回転資金に50万を借用しました。

寂しさから恋に落ちる私は馬鹿なのか。
50万が返ってくる保証はどこにもありません。
女として、母としての悩みはつきませんでした。

平成16年1月、
Nセン50万、T富士50万、Aフル50万と、
◯につぎ込むお金はきりがなく、共倒れが脳裏をよぎりました。
職安も「子供がいれば」と断られるなか、
同年11月、◯洋品店に落着いたのですが、
すでに公共料金3ヶ月滞納、
毎日が暗い冷めた食卓は溜息ばかりでした。

平成16年3月、
◯が妻子と離婚、彼は私のアパートに転がり込んできました。
結果的に彼は5千万の借金を抱えスナックは潰れたのです。
彼はウツにかかり引きこもり、
生活は私の給料12万と4ヶ月一度の児童手当で生活しています。
常識的にやっていけない数字です。
彼が自己破産しても戸籍上は他人、

彼は彼なりに苦しんでいるのでしょうが、
万一の無理心中があるのなら私の愛は危険です。
いまさら過去を後悔しても始りませんが、
せめて母子3人だけでもその恐怖から抜出すには、
私自身の債務整理しかないのでは、と考えました。
でも、考えるだけでは2子の空腹は満たされません。

現在、私には11社9件365万の借金があります。
収支は12万と児童手当にたいし約定支払14万、生活費17万の毎月15万の赤字です。
上記から病は死を意味し彼の頑張るでは生きていけないのです。

以上の流れから、
母として強く子供のために立直るには自己破産しかないと結論しました。

上記は
「債務発生の原因と破産までの経緯」の真実をfiction的に要約転記したものです




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