1980年代ゲーム

ドラゴンクエスト2


1987
いわずと知れたドラクエシリーズの第二段ですね。

本格的に火が着いたのがここからではないでしょうか。

ドラクエは1からジャンプで特集組んでて僕は2も事前に近くの長崎屋(これも今はないかも)で予約しました。
なので当日ゲットしたのですが、記憶が確なら、初回出荷分がかなり早い段階で売りきれ、品不足となったのが火の着き始めだったと記憶してます。
三人パーティ、1より格段に広いマップ。
おまけに、復活の呪文の長いこと(笑)
夜中に最低三つは書いてたのを覚えてます
設定として、1の子孫であることも、1のファンを取り込めた要素ではないでしょうか。
ロト三部作としての2作目で、続く三作目がまさに、伝説へとなる、朝から(夜中から?)の買うための行列の始まりだったのではないでしょうか。

余談ですが、ジャンプのファミコン特集のなんとか王(北斗の拳をもじってた)は、”が品薄になるのを予想してたと書いてました。
背景には、ソフトが少ない初期と比べて、本数は増えたものの駄作が多くなってきたため、あえて今回は品薄になるであろうことを挙げずに、人気化させようとしたようです。
当時のジャンプといえば人気漫画雑誌のナンバーワンだったと記憶してます。

そこであえて、この事態を想定しつつも挙げなかったことが、人気作、良作の人気化をよんだと思います。


ドラゴンクエスト3 ~そして伝説へ~


1988

さて、ファミコンの名作。そして、ドラクエシリーズでも人気が高いのではないでしょうか?

転職システムの導入。そしてオーブを集めに、現代の地図を元にしたマップ(記憶ですが)
そして何より、タイトル通りの、ロトへと繋がるロト伝説三部作の完結編。

1を作った時にすでに、この三作目までの構想があったと記憶してます。

復活の呪文も書きとる必要がなくなりましたね(笑)

僕の苦い思いでで、唯一金の鍵の謎がとけず、友達に聞いた思いでがあります
3は2より、謎説きが難しかったように記憶してます。
皆さんもつまづいたことあるのではないでしょうか?

さて、ここで、発売日の前夜から並ぶのがこの作品から始まったのではないでしょうか。
”で買えなかった人達。
さらには、予約をしなくなった店も出てきたようです。
僕も例にもれず、予約できず朝並びました。
忘れもしません、高校一年の冬です。
釧路に住んでたので、朝はかなりの寒さでした。
朝八時に並んだ時はかなりの人でした。
そこから二時間並び、初日に手にしたことを覚えてます。
ドラクエは今もシリーズとなり、僕も全てやってます。

しかし、記憶に残るのは色々な意味で2と3ですね。

RPGといえばドラクエ。
僕の中では今も中学生の頃も変わりません。

高橋名人の冒険島


1986
名作(?)ではないのですが、この作品を取り上げます。
この頃になると、ファミコンブームなるものと呼ばれてた気がします。
その中で生まれた有名人が、ゲームにもなった「高橋名人」です。
ゲーム名称からして「名人」なのがすごい所ですが、この人、16連射が出来る人
ということで有名になったと記憶しています。
たしか、スターソルジャーだったでしょうか。

当時のゲームでは移動して打つなんて、単純な物も多く、この名人有名になりました。
なんとアニメにもでてたと記憶してます。(Bugってハニー)

実はゲーム自体はやったことないのですが、ゲームが有名人を産んだ。ということですかね

ドルアーガの塔


1985
かなり最初の頃にはまったゲームです。
確か、60階まで塔はあるんですが、それぞれの階をクリアするためには、
謎をとかなくてはいけいのです。
「敵を何匹やっつける」とか「壁を何回叩く」とか
攻略本無しにはおそらくクリアできないゲームです。
攻略本ありでも難しかったのですが、難かしかったゆえに、楽しく、何度もやった記憶があります。



ドラゴンクエスト


1986
今ではFFかドラクエかと言われるくらいのRPGの大作であり名作ですね。
人それぞれ、好き好きはあると思います。

この一作目は、ファミコンで、というか日本ゲーム界でRPGという物を広く広めた作品ではないでしょうか?
今のゲームに比べるとマップの大きさも、キャラの数も、ましてや動きさえも違います。
(確か、横向かず、顔は真正面のままでした)
しかし、当時プレイした僕は、とても新鮮で面白かったのを覚えています。

この後本格的に売れるのは二作目からとなるのですが、この作品あっての2作目ですから、重要度はかなり高いでしょう


ロードランナー


1983
80年代ゲームのロードランナーです。
確かナムコだったでしょうか。
ナッツアンドミルクというゲームと同時期に出たのを覚えています。

ロードランナーは人気となり、続編(スーパーロードランナー)が出たと思います。

ゲームの主旨としては、面にある金塊を全てとる。但し敵キャラがいて金塊を奪うんですが、道に穴をほって埋めると金塊が出てきて、それで全てとるというゲームでした。

当時ロードランナーとナッツアンドミルクには共通した機能がありました。 いわゆる、「ウリ」の部分なんですが。

自分で画面をエディット(作成)して、プレイできたのです。

ようは考えようによっては、面は無限に近い形で作れるのです。

この後、エキサイトバイクなど、エディット機能のついたゲームがいくつかあったのではないかと記憶してます。



ハイパーオリンピック


1985

ファミコンゲームです。
これも単純なゲームなんですが、はまりました。
専用コントローラーがありましたね。
100m,走り幅跳び、などがあって、連打によりスピードが上がって、記録も上がるというものでした(タイミングにもよるのですが)
この連打ですが、専用コントローラーならではの遊び方が、少なくても二つあったのを覚えています。
プラスチック定規とピンポン玉でした。
定規は片方を押さえ10センチほどあげて、反動で連射する。ピンポンは、ピンポンをこすり連射するというものでした。
確かハイパーオリンピックは僕が中学の頃で、僕は持っていなかったのですが、友達が持っており、借りて、記録を争ってました。

また、定規もピンポンも使えるのですが、定規の方が記録は上でしたね。
まぁ、何本も定規を折りましたがそれもよい思いでですね


ポートピア連続殺人事件


1985

エニックスの初期の代表作ではないでしょうか?
殺人事件が起きるのですが、それを解いて行くというゲームです。
今のようにマルチエンディングだったり、話しが別れてるわけでもなかったはずです。
しかし、当時としては、壁を叩いたり、トンカチで殴ったりする
通常の動き以外の何かができるというのが目新しかったと思います。

また、犯人もよかったんだと思います。

記憶が正しければ「○す」だったと思います。

スーパーマリオブラザーズ

1985
こちらもお馴染ですね。
続編として2,3も出てます。

ファミコンの初期なんですけど、こちらは大ヒット作品です。
今だにゲームソフト売り上げNo1だと記憶してます。
確か、発売当時はさほど騒がれて無かったと記憶します。(現に発売後に持ってました)日がついたのは当時としては画期的な裏技的な物だと記憶してます。 今では当たり前ですが、土管の中に入れたりという進む道が複数になるというや、
無限1upなど技として雑誌にとりあげられたのがブームになったキッカケと記憶してます。
また、ソフトの数が少ない上に、質も、今とは雲泥の差だったのが、売り上げを伸ばしたさらなる理由と記憶してます。
(確か二年位売れ続けたはず。)
また、ファミコンミニでめ売り上げ本数結構出てますしね。

マリオブラザーズ


1983
ゲームはこれからです。
ゲームをやって名前を聞いたこと無い人はいないのではないでしょうか。

ファミコンの初期のヒット作です。
当時はゲームソフト自体少なく、つまりそれはやりこみ度と近かったと思います。

ゲーム自体はとてもシンプルですが、それなりに友達と対戦で遊んだりしてました。

当時からゲーム好きの僕としてはやりこみました。

それが、マリオというキャラがスーパーマリオというゲームになったり。
今だに続く人気キャラですね



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