ハイネの森

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2011.02.18
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カテゴリ: 旅行(FRANCE)
マリー・ド・メディシスの生涯



ゴージャスでしょう
この3枚の絵の主人公は全て、わたくし マリー・ド・メディシス ですの。


ルーヴル美術館リシュリュー翼に、わたくしの為の部屋といっても過言ではないルーベンスホールがあり、そこにわたくしの生涯を描いた作品が24枚も飾られていますのよ。

ルーヴルにおいでになられた方なら必ずご覧になっているのではないかしら。

えっ? ご覧になってらっしゃらない?

そのようなことではルーヴルを見学なさったことにはならなくてよ。
わたくしをご覧になっていただかないと・・・

お近くには“レースを編んでいらっしゃる女性”と“天文学を研究中の男性”もいらっしゃるので、わたくしをご覧になったついでにお寄りになるとよろしいのではないかしら。



彼にとっては大きな仕事だったと思いますわ、破格のギャラでしたし、それになんといってもフランス王室からの注文ですもの。
それなのに彼ったら、「美化して描くのが大変だった」とか「たいした生涯ではないので、神話などを融合してオーバーに演出した」なんて悪口を言ってたようですの。

わたくしの耳に入らないとでも思っているのかしら。

誰のおかげでルーヴルで大きな部屋を独占できていると思っているのかしらね。
思いあがりも甚だしいったらありゃしない!
フランドルの田舎の出身のくせに!!

あら、ごめんあそばせ。  少々興奮しすぎましたわ。


わたくしはフィレンツェの出身ですの。
ご存知?メディチ家、そこの出ですのよ。
“成金”と陰口をおっしゃる方もいらっしゃいますが、その“成金”が王室側に必要だからこその結婚だったはずですわ。

メディチ家出身のフランス王妃というと、先輩にはカトリーヌ・ド・メディシスがいらっしゃいます。



わたくしは1600年にフランスに嫁いできましたの。
夫はアンリ4世、彼は再婚だったのですけれど・・・

アンリ4世は歴代フランス王のなかでも人気がある王で、 良王アンリ(le bon roi Henri) などと呼ばれてますのよ。
でもわたくしにとって良き夫であったかというと、そうではありませんわね。



ルーヴルから外に出てみて、夫をご紹介しますわね。

Emailing: P1010589 - Copy (2)

あらっ! これでは何だかわかりませんわね。

ちょっと修正かけてくださる?

Emailing: P1010589 - Copy

これ以上はどうにもなりません? 

雰囲気はわかっていただけるかしら。


セーヌにかかる最古の橋、ポン・ヌフを渡っていただくと、橋の半ばシテ島の広場に威風堂々の騎馬姿の夫がいますの。

ブルボン王朝最初の王、そしてプロテスタントに信仰の自由と政治上の平等を認めた ナントの勅令 で有名でございます。

今年のセンター試験世界史Bでもこのあたりは出題されたようですわね。

それほど歴史的なことを成しえたのに、というか、成したがゆえ、夫は暗殺されてしまいました。


そうそう、昨年末にはビッグニュースがありましたわね。
夫の首がみつかった そうですわ。
生首ではないのでご安心くださいませ。

ひよこ様、情報 Merci!ですわ。


フランス革命時に、埋葬されていたサン・ドニ大聖堂の墓が暴かれ酷いめにあってしまったのです。
首だけ持っていった不届きものがいたのですね。
静かな眠りについていたというのに、なんと憐れなことでしょう。

見つかってほっとしております。


夫の亡き後は大変でしたのよ。

幼い息子のルイ13世の摂政として政治の世界にデビューしたのですが、つい故郷イタリアの血が騒いだというか、夫の政策とは逆行したカトリック擁護を推し進めてしまったりして、実の息子からも疑いの目で見られ、つらい日々でしたの。

ついには息子の命で、ロワールにあるブロワ城に幽閉されてしまったのです。

ブロワ城
んまぁーー ブロワ城なんて見たくもないっ


なんとかパリに戻れたのですが、息子とうまくいくわけがありませんわね。

「血は水よりも濃い」と申しますが、一度歯車が狂ってしまい憎しみの情がわきますと、血縁があるがゆえより憎しみが増すことがございます。


息子のブレーンであるリシュリュー枢機卿は、昔はわたくしが目をかけていたのです。
彼はわたくしが思っていた以上に政治手腕に長けた男で、一度は失脚するものの、うまく世渡りをして、息子のルイ13世にとってはなくてはならない人材になりました。

ソルボンヌの学長をつとめ、そこのチャペルを建設した縁もあり、彼はソルボンヌのチャペルで眠りについてますの。


リシュリュー枢機卿の名は別のところでもお聞きになったことがありますでしょ。
アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」に出てまいります。


結局のところ、わたくしはリシュリュー枢機卿との争いに敗れフランスを去ることになり、ベルギーに亡命いたしました。


今にして思えば、ブロワ城からパリに戻り、リシュリュー枢機卿のとりなしで息子と和解できたのですから、その後もう少しおとなしくしておけばよかったのでしょうね。

人生ジタバタしすぎたように思います。




長々とお話しすぎましたわね。

わたくしの生涯はこのようなものでしたの。
多少脚色も入っておりますわよ、その点はお許し下さいませ。


ルーヴルの素晴らしいお部屋に、わたくしの生涯の絵を飾っていただいて幸せですが、
ただひとつ! どうしても癪にさわることがございますの。

そのお部屋のある建物の名が 『リシュリュー翼』 だということですわ。


よりにもよってと思いますが、
400年近くの歳月が過ぎても、まだ因縁があるということなのでしょう。



ルーヴルに来られる機会がございましたら、是非ご訪問くださいませ。
お待ち申し上げておりますわ。


では ごきげんよう。




 ピーテル・パウル・ルーベンス (1577~1640)

      『マリー・ド・メディシスの生涯』(1622~1625)










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Last updated  2011.02.18 14:26:15
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