ハイネの森

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2020.09.22
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観心寺 、新西国三十三所客番札所だ。

701年に役行者によって開かれたと伝えられ、815年に弘法大師によって 「観心寺」 という名になったといわれる。
高野山真言宗のお寺さんだ。


国宝の 金堂


南北朝時代に建立された金堂。



1549年に再建された 訶梨帝母天堂(重要文化財)


1549年というと、
以後よく広まるキリスト教!
フランシスコ・ザビエルの頃ね。


令和元年初日に訪問した 天野山金剛寺 と同じくここも南朝に関係が深く、楠木正成ゆかりの場所でもある。

駐車場に着けば早速と楠公さん(楠木正成)が出迎えてくれる。




金堂の南東側に 建掛塔(重要文化財) がある。


楠木正成が三重塔を建立しようとしたが、志半ばにして湊川の戦い(1336年)で敗れ自害する。
一層だけが残っているので「たてかけのとう」だ。



これいいなぁ。
正成さんにとっては未完成作品だけど、安定感のあるとても美しい建築物だ。

建掛塔には「大楠公」という樽酒が供えられていた。







開山堂の右奥に楠木正成の首塚がある。


お寺のパンフレットによると、正成の首級は足利尊氏の命によって観心寺に届けられたとある。

正成首塚の近くには、後醍醐天皇の側室で後村上天皇の母である阿野廉子(新待賢門院)のお墓がある。再放送の「太平記」を見ているので、阿野廉子というと公家装束姿が美しい原田美枝子さんを思い浮かべる。
阿野廉子は、後醍醐天皇に同行して配流先の隠岐へ行き、都に戻った後に吉野へ。後醍醐天皇が亡くなった後は、息子の後村上天皇と賀名生などへ移り、観心寺に行宮があった1359年にここで亡くなっている。

山門入ってすぐ右に、 「後村上天皇御旧跡」
後村上天皇の行宮が1359年の一年足らずの間ここにあった。



天皇の奥様としては住居変更が激しく、かなり波乱万丈な人生だ。




河内長野市の観光キャッチフレーズ「中世に出逢えるまち」を実感できるお寺さんだった。


観心寺





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Last updated  2020.09.22 14:11:56
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