ハイネの森

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2021.01.15
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カテゴリ: 日光街道
霜月のある日、小伝馬町交差点近くの三井住友銀行人形町ビルのある交差点から日光街道を歩いた。


大伝馬本町通りを歩く。

正面にスカイツリーが見える。

小伝馬町、大伝馬町、馬喰町と、地名に「馬」の文字が多いのは、江戸時代の「伝馬」の制度に由来し、「馬喰」は牛馬の売買を行う仲介業者の「博労」が変化したものだ。

歩き始めてほどなく、 「横山町問屋街」 という看板があった。


都営新宿線〈馬喰横山駅〉、都営浅草線〈東日本橋駅〉のあたりになる。



一時期この2駅の乗り換えをよく利用していたが、地下通路ばかり使っていたので、地上の景色を見るのは新鮮だ。

横山町は江戸時代から問屋街で、1792年(寛政4年)に19軒の問屋の記録があり、ペリーが浦賀に来た嘉永年間には問屋名簿に144名の名前があった。小間物、薬種、書物の問屋が軒を並べていたそうだ。





大きなサイズで有名な「サカゼン」があった。

呉服屋さんもあるね。
良さげな振袖やん、とウィンドーに近寄ってみると、


三条烏丸の千總さんの振袖やん。そりゃええはずやわ。

横山町問屋街をぬけて浅草橋交差点に出た。



京葉道路(国道14号)を横切ると、神田川に架かる浅草橋を渡る。
大昔、浅草と浅草橋を勘違いして困ったことがあったな。(遠い目)


ここで中央区から台東区に入る。


浅草橋の上からは屋形船が見える。


神田川はあとひとつ橋をくぐると隅田川に流れ出る。


浅草橋を渡るとすぐに雛人形が現れた。


「吉徳」

総武線のガード下をくぐる。



大阪の松屋町筋ほどのインパクトはないけれど、人形屋さんやおもちゃの問屋さんが多い。

♪にんぎょぉ~の久月


「久月」 は、11代将軍 家斉の頃、1835年創業だ。





歩いている道は国道6号線。


水戸  108㎞
柏   25㎞
言問橋 2㎞


水戸まで108㎞ということは、大阪から彦根くらいってことなので近いね。


蔵前に来たので、良さげなカフェがあったら休憩しようかと思いながら歩いていたが、カフェは裏通りにあるのか見当たらず。6号線沿いだと賃貸料が高いのだろう。
カフェはないが、間口狭めのビジネスホテルを多く見かけた。こ奇麗なビジホが多かったので、まだ建って間がなさそうだった。インバウンドとオリンピックを狙ってのことだったのかな。

厩橋交差点から厩橋方向を見ると、 エポック社 があった。





シルバニアファミリーの エポック社 だ。


そこからすぐ、 BANDAI がある。


BANDAI 本社ビル横には、有名キャラが揃い踏み。





これ絶対インバウンド様の撮影スポットだっただろうな。
「ドラゴンボール」の海外での人気って凄いもんね。

BANDAI の北側には、1801年創業の 「駒形どぜう」


常陸出身の父が食べたがったのに、和泉出身の母が「やだぁ~」と言ってもめていたのを思い出す。(笑) 育った文化圏が違うカップルにはありがちな事だ。


駒形橋西詰交差点まで来た。


ここで旧日光街道は国道6号線から離れ、正面に雷門を目指す道になる。

雷門手前、 「並木藪蕎麦」さん でランチ休憩
待ちなしで入れた。



ざる(800円)でほっと一息。

接客のおねえさんの感じも良く、蕎麦湯までじっくりと楽しみ英気を養う。

浅草までの予定だったが、ここで休憩できたのでもうちょっと頑張ろう

雷門に到着。


仲見世には入らず雷門前を右折して、東武浅草駅前から再び国道6号線に入る。

東武浅草駅を正面に見て右側の道路を北上する。






国道6号線は言問橋交差点を右に曲がり隅田川を渡って向島に行くが、旧日光街道は言問橋交差点を斜め左に直進するので、6号線とはさようなら。

名にし負はば いざこと問はむ都鳥
       わが思ふ人は ありやなしやと


在原業平の歌を思い浮かべながら前進した。


街道すぐ横にある 待乳山聖天さん にちょっと寄り道。


石段横に、作家・池波正太郎さんの生誕の地という碑があった。
池波正太郎さんは1923年(大正12年)に聖天さんのすぐ横で生まれている。



「待乳山」は「まつちやま」と読み、この聖天さんは浅草寺の子院だ。



境内からシュッとしたスカイツリーを眺められる。


地元の方の信仰が厚い聖天さんと感じた。自転車でやってきてお参りしてさっと立ち去る方を何人かお見かけした。

お参りしたら旧街道へ戻る。

都立浅草高校脇に公園があった。


山谷堀公園で、かつては水路だったところ。

吉野通りを北上する。

明治通りと吉野通りが交差する 泪橋交差点 まで来た。
ここから荒川区。


泪橋、、、なんだか寂しそうな名前の交差点ね。

その先にある南千住駅あたりに、江戸時代から明治初期にかけて小塚原刑場があり、ここ泪橋は罪人と家族との最後の別れの場所だったそうだ。まさしく涙の場所だった。

南千住駅へは歩道橋を通って行く。



歩道橋の階段途中から、歩いてきた吉野通りを見た。



歩道橋というより跨線橋を歩くと、右側に貨物専用の隅田川駅。


隅田川駅で取り扱う貨物の半数が「紙」で、新潟や仙台から届く「紙」が多いそう。
跨線橋上には撮り鉄さんもいた。


この日のゴール、JR南千住駅に着いた。


芭蕉さんの像が後ろ向きになっちゃった。

乗りたかった都バス「東京駅八重洲口行き」が駅前バス停にいて、急いでバスに乗っちゃったので、バス内から撮った芭蕉さんの後ろ姿がこの日のゴール写真になった。

次回は芭蕉さんの正面写真からスタートしよう!


この日歩いた距離は5.8km。





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Last updated  2021.01.15 16:22:09
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