ハイネの森

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2023.09.24
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わびぬれば 今はた同じ 難波なる
         みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

元良親王

山里は 冬ぞさびしさ まさりける
        人目も草も かれぬと思へば
源宗于朝臣

有明の つれなく見えし 別れより
         暁ばかり 憂きものはなし

壬生忠岑

百人一首20番 元良親王 、28番 源宗于 、30番 壬生忠岑 の歌。

20番の 元良親王 (890-943)は陽成天皇の第一皇子。
元良親王 が生まれたのは陽成天皇が上皇となってから。それ故、 元良親王 は皇位には縁遠い存在だった。

元良親王 は、美しい女性には片っ端から文を書いて和歌を贈る、いわゆる「色好み」な男。父帝の譲位のタイミングが違えば天皇になれたかもしれないのに臣下のままでいなければいけない運命が、彼を恋愛道へと突き進む要因になったのかもしれない。
しかし「色好み」が過ぎると、本気になっちゃいけない相手とも恋愛してしまう。
父帝の2代あとの宇多天皇の寵愛を受けている藤原褒子(京極御息所)と恋仲になってしまった。

藤原褒子がその頃住んでいたのが、宇多法皇の住まいであった 享子院(ていじのいん)
その 享子院跡 が京都駅近くの下京区南不動堂町あたりになる。

町名由来の 不動堂明王院 。ここが 享子院跡

ここに住んでいる 褒子ちゃんの所へ元良くんは忍んで通っていたということになるのね。
法皇さんも近くにいるってことよね。



この歌はその不適切な関係が露見し、愛しい人に会えなくなってしまった嘆きを詠んでいる、かなり生々しい歌だ。

今は、「不倫」と聞くと当事者でもないのにピーチクパーチク正義感を振りかざす人が多くって、いい加減ウンザリすることが多い。「不倫は文化だ」とまでは言わないが、“許されざる恋”が文学の一角を担っていることは否定できない。
身を焼き尽くすような恋が実際できないから、そういう恋に憧れる。


元良親王は後世の私に、趣深く雅で情念のこもった歌を残してくれたのだから、不道徳でもええやん!と思いながらこの一角を歩いた。



28番の 源宗于 は光孝天皇(830-887)の孫。父の是忠親王は光孝天皇の次代の宇多天皇(867-931)の同母兄。
なのに、出世に関しては不遇で、右京大夫が最終ポストだった。
「享字院女郎花歌合」に参加しているとあったのでここを“ゆかりの地”とした。

30番 壬生忠岑 は平安時代前期の歌人で「古今和歌集」の撰者として名高いが、生没年も不詳で詳しいことはわからない人物だ。
この時代の歌合には多く出詠していて、宇多法皇が開いた「亭字院歌合」にも参加していたというので、ここを“ゆかりの地”とした。


不動堂明王院の提灯に 「まぼろしの屯所」 とある。


屯所だから新撰組関連かな?と帰ってから調べると、新撰組の屯所が短期間ながらあった場所だそうだ。
元良親王よりは新撰組のほうが興味を持つ人は多そうね。

享子院は応仁の乱で焼失し、今ある不動院明王院は江戸時代1764年建立のものだそうだ。


享子院跡から京都駅への帰り道。

不動院明王院の南隣はアパホテル。(右側)



アパホテルから東に入ると、オムロンの本社がある。


血圧計や体温計でお世話になっている。
病院内の見えない所ではもっとお世話になっているかもね。


自転車が多くあるサイクルスペース。

国土交通省近畿地整京都国道事務所前を通って、ビックカメラ前を過ぎると京都駅。
不動堂明王院から京都駅までは徒歩5分だ。



不動堂明王院
京都市下京区南不動堂町7





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Last updated  2024.08.30 23:49:13
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