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私がジャズに自然に親しめたのには、弟の存在抜きに語れません私が中学生になり、クロスオーバー(←年代を感じる)やジャズをレッスンで弾くようになった頃から興味を持ち出して、私よりずっとハマリ、特に宿題をしているときなど、爆音で聴いていました…。必然的に、隣の私の部屋にも音楽が…。「おっ」と思う曲があると「さっきの曲何?」と聞きに行ったりしてました。弟が高校生になる頃には、ジャズメンの書物まで読み出し、豆知識もいっぱい。(演奏中、他の人のアドリブ中に舞台袖で酒を飲みそのまま出てこなかったとかトランペットにタバコを刺して演奏していたとか、平気で盗作してたとか)特に、ウォーキングベースなど、ベースの動きをピックアップして聴くのが好きで、bassの音量はマックスに近かった…よく近所から苦情が来なかったなあといっている私も、FX-20で2時くらいの位置で平気で弾いていたっけキースジャレットが「イリイリ」といいながらアドリブすることやライブでしていたピアノ線を直接はじくパフォーマンス、「ソルトピーナッツ」の演奏中プレイしている本人が笑ってしまってへんてこな音が鳴っている演奏、「バードランドの子守唄」での見事なスキャットの中バロック調になればピアニストもそれに同調してバッハのような演奏になる器用さ…。私が「勉強」としてきいている聴き方ではない、まさに「楽しむための」聴き方。大学生の頃になると、ボックス買いを始めてました。パソコンにもすべて取り込んで。こうなるとコレクションですね。弟は、結局、大阪大学の大学院博士課程を終了し、今は、企業の研究員になっているんですが、そのハードな勉強の慰めにも、大きい役割をはたしていたようです。今の独身1人暮らしの賃貸マンションでも一本60万もするスピーカーで隣人に遠慮することもなく聴いているようです…大丈夫かいな。
June 19, 2008
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今日は、仕事を辞めた日からちょうど1年。この機会に、これまでの稼働を振り返ってみようと思う。1992.11 採用試験。演奏・弾き歌いの他、20分の面接で、試験科目に書いていなかった「ジャックと豆の木」の紙芝居や電話の応対をさせられてびっくり。1992.12,1993.1,1993.2 研修。1993.3 1週間、合歓の郷でお泊り研修。(朝食前のリズムステップが嫌いでやめたくなる)(大学時代、バブル真っただ中で、マハラジャに出入りして大人ぶってたから(笑))1993.4 研修。この後仕事が始まっても研修はまだまだ続く。1993.5仕事開始。新人に仕事は回ってこないのを実感。週3日でグループレッスンはJ科・EJ・7級・6級のグループがあるものの幼児科はなく、研修が役に立たない。頭金なしで持っていなかったEL90を購入しようとしたら、当時の店長が「収入が足りないだろう」と、出張レッスンを入れてくれる。講師コンサート。(アンサンブル)1994.5 人気のある先生のグループ1日分の仕事が入る。(週5日稼働)当然、その先生がお目当てだった生徒さんばかりで、いろんな辛いことがあった。講師コンサート。(ソロ)この頃から、地区大会に出場する生徒が出始める。以降、2005年まで、誰かは進む。1995. 大人の教室の仕事(朝の仕事)始める。学習者グレード試験官始める合歓の郷でエレクトーン中核講師研(平部やよい先生/松本淳一先生)1996.4 京都で一人暮らしを始める。(この頃は、独身でバリバリ仕事しようと思っていた。)まだ、へき地の稼働はあったため、その会場の最寄駅から40分歩いて通う。1997. クラビノーバの研修を受けさせられたにもかかわらず、対象生は1人。どうしても取っておきたかったエレクトーン演奏グレード3級を遅ればせながら取る。(師匠に合格の報告をすると、「こんなに伸ばしたら受かって当然」と喝を入れられた)代講をたくさんする。(週6日稼働。午前午後でセンターかけもち)講師会サブリーダー。指導法研究会リーダー。シンポジウムでソロ演奏。1998. 中心センターの仕事が増える。講師会サブリーダー。指導法研究会リーダー。この頃から、幼児科の体験教室を中心センター分全部する。(以降2、3年)1999.秋から、朝の仕事、土曜日を抜いてもらう。(週5日稼働)同じ先生から、クレームで生徒が流れ込む。以降、2003頃まで。たくさん嫌なことがある。講師コンサート(ソロ)体調がすぐれない。(不正出血など)2000.5 大人の仕事から撤退。(大人の生徒数30人になっていた)楽器店内の小さなエレクトーンの大会で審査員を始める。講師会グループリーダー。10.1結婚。(忙しすぎて、ジミ婚)(女の一人暮らしに限界を感じていた。)2001.10 なんばセンターの演奏研究会に生徒が通い始める。(即興・柏木玲子先生/演奏・近藤岳先生)京都の演奏研究会に生徒が通い始める。(高田和泉先生)講師会グループリーダー。秋に、月曜日を抜いてもらう。(週4日稼働)2002. Super fes.(店のハイライトコンサート)にソロで生徒が出場。 なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・近藤岳先生)京都の演奏研究会(高田和泉先生に2人・松内愛先生に1人)アシスタント研で新講師さんを預かる。2003.2Super fes.(店のハイライトコンサート)アンサンブル選ばれる。水曜日を抜け、月曜日が増える。(週4日稼働)2003.9生徒がosaka finalに出場。東京・品川インターシティホテルでエレクトーンフォーラム。(ステージアの発表レセプション)中井美穂さんが司会で、「おお」と、どよめきが。(笑)なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・加曽利康之先生)京都の演奏研究会(松内愛先生)Super fes.(店のハイライトコンサート)にソロで生徒が出場。ステージアの納品が遅れ、(店も、自分も、生徒も!)大変な思いで音作り。(-_-)なんばセンターの演奏研究会(即興・柏木玲子先生/演奏・加曽利康之先生)終了。京都の演奏研究会(松内愛先生)2005.1~8産休。(妊婦姿を見せるのが嫌で、早くから休む)息子が3か月から復帰。(週3日稼働)休んでいる間も、代講の先生にデータ・楽譜を送ったり、アンサンブルの楽譜を書いたり、なんだか忙しい。産休の間に、私のポジションは、「小さい子のクラスを持つ先生」「趣味の生徒を持つ先生」に変更になっていたらしく、3歳の研修をいきなり入れられた。(以前に認定研に行って資格があった時は仕事が1クラスもなかったのに)1日研修は、母乳が溜まって(完全母乳していたので)痛む。間もなく、次は、大人のピアノのオーディションを受けて来いと言われる。(練習時間ないんですけど~!と言いたかったが仕方なくいき、その後またもや1日研修)結局大人のピアノの生徒は、1人ももたず。2006.2.super fes.に生徒が出場。(ほかの先生のと合同アンサンブル)7.引っ越し準備とECの準備、育児で疲労が重なり、顔面神経麻痺になる。(1か月点滴に毎日通う)10末 講師を辞める。振り返ってみて、本当に大変な仕事だったなあ、と思う。土日は、発表会・コンクール・演奏研究会の付き添い・グレード試験官・審査員等々の行事。午前があいている日は、自分のレッスンや音楽講座に通い、研修会も多い。家に帰れば、家事がすんだら、楽譜の添削、指導案作り、レジスト作り。師匠の門下生のコンサートにも参加。楽器店の中でも「治外法権」と言われているキツイ性格のパートから店長になったオバサマが牛耳っている地区で仕事をするのは、かなりキツかった。(この人が原因で、受付・社員・講師が30人くらいは辞めている)
November 1, 2007
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小学5年生位から、記憶に残っている限りの発表曲を記してみます。<ソロ>山寺の和尚さんインビテーション(シャカタク)We are all alone(ボブ・ジェームスVer.)There are many stops along the way(ジョー・サンプル)湖の騎士ランスロットと黒騎士悠久の流れ(ラスト・エンペラーの自編曲にオリジナルを加えたもの)オリジナル曲2曲ウェスト・サイド・ストーリーMY FAVORITE THINGS組曲「道化師」月の光<デュオ・アンサンブル>美しく青きドナウ(シュトラウス)リュートのための古風な舞曲とアリアより「シチリアーノ」(レスピーギ)弦楽セレナーデ(チャイコフスキー)ボレロ(ラヴェル)牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)ピアノ協奏曲第2番(ベートーベン)ピアノ協奏曲「皇帝」(ハイドン)ピアノ協奏曲第2番第3楽章(ラフマニノフ)おぼろ月夜ロミオとジュリエット(チャイコフスキー)序曲「1812年」(チャイコフスキー)タンホイザー序曲(ワーグナー)スカラムッシュ(ミヨー)軍隊(ハイドン)ピアノと管弦楽のための協奏曲(ストラヴィンスキー)オゾン(小曽根真)ディア・オールド・ストックホルム星に願いをEsta Noche以外に、クラシックが多いなあ。普段のレパートリーは、断然ポピュラーの方が多かったんだけど。(^o^)
August 15, 2007
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エレクトーンって、昔は4年ごとくらいで機種変があったけど、私はの家の買い替えは、こんな感じ。 B5A→C400→FX20→EL90→EL900→mにグレードアップ→ELS01C他の講師さんよりは、買い換えてない方だと思う。FX20は、3段鍵盤の重厚な作りで、素敵な楽器でした。一番練習した楽器で、最後は、レバーが動かない・リバーブを入れると雑音が鳴る、など壊れる寸前(^-^;でも、講師になってEL90を購入するまで、関西大会2年間・グレード・講師採用試験までがんばってくれました。FXさん、ありがとう。FXの次のH型の時代、リズムの打ち込みができるようになったりレジストがシフトできるようになったり、いろいろな変化がありました。持っていないことで、大変でしたが、グレード前には2時間、コンクール前には、鬼のような5時間レンタルや師匠や先輩弟子さん(プレイヤーされてます)に楽器をお借りして乗り切りました。本当に、感謝感謝!!さらに、EL90では、音の質が変わり、操作もまた変わりました。この時も、初めは持っていなかったため、レンタルで講師採用試験に臨みました。その後は、講師になってから頭金無しでEL90を買い、順調に買い換えていきました。途中、京都で一人暮らしするために、電子グランドピアノDGP-1も買いました。(めちゃめちゃ鍵盤が重い…)皆さんは、歴代の楽器で、どの楽器が思い入れありますか?
August 12, 2007
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子供が生まれてから、3ヶ月で職場復帰しましたが、一日中の研修に行かされるわ、新しいコースの認定試験は受けさせられるわで、てんてこ舞いでした。母乳だったから、一日与えないと、パンパンに張って熱を持ってつらいし…当時は、高槻市に住んでいて、実家のある近江八幡まで子供を預けにいき、草津まで教えに行っていたため、ラッシュアワーを避けて早朝に家を出たり、少し遅めの朝に出て、預けてすぐ仕事に行ったり、ホントにきつかった。こんな生活を1年ほど続けた頃、引越しが決まり、引越し準備と生徒のコンクールの時期が重なった2006年7月2日(生徒のコンクール当日)顔面神経が右半分切れてしまいました。耳鼻科で「結構重症ですねー。毎日、点滴に通ってもらいます」と言われ、その日から毎日ステロイドを点滴し、毛細血管を広げる薬を飲んで、1ヶ月と少しかけて治療しました。現在は、人から見れば分かりませんが、自分では、一番初めに動かなくなった目の周辺に少しつれた感じが残っています。(目の周辺→頬一体→口の順に動かなくなりました)それまで、無理をしてもやりきる、をモットーにしていましたが、それ以降、身体が第一!と思うようになりました。
August 7, 2007
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1970/11 大阪府高槻市に生まれる4歳 エレクトーンを習い始める5歳 滋賀県近江八幡市に引越し小5 エレクトーンフェスティバルで地区大会出場小6 京都へオーディションを受けに行き、習い始める。ピアノのレッスンもはじめる。中3~高3 京都地区大会に出場大1~大2 関西大会に出場大3~大4 グレードを集中的に取得大学卒業後、ヤマハ音楽教育システム講師として稼動し始める初めは、4日だけのスカスカ状態の稼動25歳 京都で一人暮らしを始めるどんどん仕事が忙しくなる。休みは、日曜日のみ。日曜日もイベントに付き添い。2年~3年、幼児科体験教室を全部頼まれる。2000年10月 結婚、高槻市に引越し仕事が一段と忙しくなる。エレクトーンコンクール・演奏研究会に生徒達が参加。一時期、6枠付き添うことになり、毎日毎日、楽譜を書く日々。生徒が、コンクールの大阪ファイナルに出場2005年4月 出産 出産後、3ヶ月で職場復帰2006年10月末 退職し、西宮市に引越し
August 5, 2007
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