三つ子Room

三つ子Room

流産



治療を始めて2年半。
初めて妊娠検査薬に+という文字を見た。
病院の尿検査でも妊娠している事を確認し 予定日まで教えてもらった。
初めての妊娠にすごく嬉しかったけど でも ちょっと怖かった。
そして翌週。
小さな胎嚢が確認。でも 先週の血液中の妊娠反応が低いことが分かった。
医者は何も言わなかったけど 私が調べる限りで 妊娠が継続できる可能性は
10%もない事を知っていた。
その日から 私の不安は始まった。
その翌週。上手くいけば心拍が見えるかも・・って状態。
でも 大きくなった胎嚢だけ。
そして 翌週。7w3dでの診察。
本当なら胎芽が見え心拍確認できるはずの週数。
でも 胎嚢しか見えなかった。大きさも小さく5Wくらいの大きさしかなかった。
医者は言った。
「もう心拍が見えていい時期。でも 何も写ってきません。流産です。
この時期の流産は遺伝子が原因で起こる事が多く 仕方がいない・・・。」
私の中で やっぱり無理だった・・って気持ちと もう少し 待ってみてもいいんじゃないか・・・
二つの気持ちが行き交った。
でも 待っても育つ可能性はゼロ。早く手術したほうがいい、って言われた。

そして3日後。
私は まだ諦めきれてなかった。
手術当日 もしかしたら エコーに写るかも・・・そんな期待をしていた。
でも 私の期待とは反対で やっぱり胎嚢しか見えなかった。
前処置を受け 2時間後 手術。
私の眠っている ほんのちょっとした間に おなかの子は天使になった。
とても良く晴れた日。お地蔵さんの縁日だった。
この子は そらちゃん、って呼ぶ事にした。
そらちゃんは きっと お地蔵さんに迎えられ たくさんお友達が出来る、そう思う事にした。

私が本当に辛く感じたのは その後の生活だった。
何もする気になれず 毎日の生活が辛くて 苦しくて・・・。
何度 エコーの写真を眺めた事だろう・・・。
「残念やったね。」
「妊娠できたんやから また出来るよ。」
「仕方ない」
色んな言葉をかけてもらった。
でも その言葉 私の耳には届かなかった。
どの言葉も すごく冷たくて 余計に私を傷つけた。
ずっと 辛くて泣いてばかりの日々を送っていた頃 同じように経験をした人の言葉は すごく温かかった。

「赤ちゃんは お母さんのおなかに宿る前に 神様から命の短さの宣告をされる。
それでも 赤ちゃんは ほんの短い期間でも お父さんとお母さんの子に生まれたい、そう願って おなかの中に宿る。」

「赤ちゃんは 忘れ物をしたんだよ。神様の所に 大事な忘れ物をして 取りに帰った。だから 忘れ物をとって また戻ってきてくれるよ。」

メルヘンチックな言葉かも知れないけど 優しい言葉だった。
そして いつまでも 元気になれない私に

「悲しむことも供養につながる。いっぱい いっぱい 悲しみにしたってあげる事も大切。」

って言ってくれた人がいた。
私は無理に元気にならなくてもいいんだ。
悲しい時には 悲しんでいいんだよね。
そして 時間とともに 悲しみは和らぎ そらちゃんが 今度は忘れ物をせず 元気に帰ってきてくれる日を 待つようになった。
いつか きっと 戻ってきてくれる・・・・。






home next


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: