越中屋*四十五右衛門*商店

越中屋*四十五右衛門*商店

73年までの〈日本フォーク伝〉



今回の教材として、 「日本フォーク紀」 黒沢進と、「新譜ジャーナル・ベストセレクション70s」を借りてきました。

さらに大瀧さんの84年の書籍「ゴーゴーナイアガラ」(分母分子論の載っているやつ)を再読。さらに、SSBのヒストリー・オブ・ジャパニーズ・ロックをタイミングよく聴くことができました。


「〈反戦〉を知らない子供たち」のワタシのイメージでは、この陽水、拓郎の時期がフォークの勃興記だと思っていました。が、どうも違うようです。

まず60年代中期にアメリカからモダン・フォークの流入があって、注目を集めてるんです。
ブラザーズ・フォー、P・P・M、キングストントリオ、でしょうか。
日本でヒットしたものとして、マイク真木、森山良子なんかを思い浮かべるのですが。


同時期に襲来した〈エレキ〉に対して〈フォーク〉は一時ヒットチャートからは姿を消しますが、深夜放送を媒体に全国の若者に普及します。
同時に、おそらく生ギターという手軽さから自作自演する若者たちを産み出します。

アメリカのほうもベトナム戦争のなかでボブ・ディランなどが人気を得たように、初期のハッピーなものからメッセージ的なものへ傾斜して行きます。

そして60年代末に折からの反戦運動と合体して、関西のフォークキャンプ、新宿のフォークゲリラ、そして中津川ジャンボリーというアマチュアによる自作自演を巻き込んだ同時多発的なフォークのビッグバンが起こります。

特にそのピークが1969年なんです。
今年還暦を迎える団塊世代の二十歳前後がその主役だったんでしょうね。

URCは、その前進の高石音楽事務所のアーティスト、高石友也が66年12月に、フォークルが67年11月にレコードを出していますが、第1回リリースが69年2月です。
以降、岡林、高田渡、加川良などの関西フォークに脚光を当てます。

対して東京のエレックの第1弾が、広島フォーク村のオムニバス「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」70年4月、よしだたくろう の登場が70年10月です。
エレックでは泉谷、古井戸があとにつづきます。

見落としていけないのは、この時期にレコードにならなかった彼らの自作の曲は無数にあったということです。
つまり彼らの活動のメインはライブ=集会です。
またそれを全国に伝播したラジオの深夜放送も重要なメディアでした。

そして、この東西のフォーク・シンガーが一堂に会した(69~71)のが中津川です。


このへんの資料を見る限りピークはやはり69年であって、〈70年安保〉が延長、運動が終結したことで、若者たちのパッションから虚脱していった様子がうかがえます。

エレックから海援隊が出るのは72年9月。
別の流れで、陽水(ソニー)もかぐや姫(クラウン)も出てくるのは72年。

メジャーがレコード化できなかった理由として、レコ倫で放送禁止、発売禁止されるものが多かったというのもあったそうです。

したがって、上の独立系レコード会社が〈フォーク〉を商品にした時点でもう下り坂。
そしてメジャーのレーベルが〈フォーク〉を獲得しはじめた時には本来の物とは、すでに別物になっていた。と捉えてみました。

商品として成立するものだけがオーバー・グラウンドに出たということでしょうか。


参考
日本のフォークシンガー
第16講 井上陽水を支持したもの


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