☆☆看護観(人間)☆☆



いつからこんなに蚤の心臓をもつようになってしまったのだろうか?

いつも学校に縛られていて教師の目を気にしている

実習の合否のみにとらわれている。

自分までもが周りに流されてその一人になってしまった。

5年前まではもう少し柔軟で寛大な少年であった。

教育にも問題がある、学校の知名度を上げんばかりに生徒の個性と良さを

殺してしまっている。

自由な思い付きを言葉に出すと怒られるケースが多々あるのだ。(へこむ)

先生たちは血汗をかいて頑張っているのにシステムがいけない!

大体にして記録にPCが使えない時点で10年遅れていると思うが。

文句はさておき。

僕も学校に入り随分と頭が固い人になってしまった。

たとえば今までの実習ではまず患者と信頼関係を深めるために

必ず恋愛の話や患者の興味や患者が喜ぶような話をする

男の患者だったらどの看護婦が可愛いかなをためらいもなくはなす。

すると全く口を閉じていて長い間沈黙だった患者が狂ったように話し出す。

それはまるで自分の過去の自慢をして病気のことやつらい事を

忘れんばかりに。

そして笑顔を取り戻すのだ。

実際に本当につらい時には頭の固い理屈だけの頑固な人といるよりも

少しくらいみんなと違う事を言ういろんな角度から物事をみれる奴と話したい

ものだ。

本当は誰だってわらいたい。

(ただし健常者に恨みの感覚を刻んでいる人には注意!!)

自分が病魔に襲われてわかった事は所詮は人間は一人だという事である。

それにきつ”いてしまった事で随分と心に傷を負ってしまったが

まあ、しょうがない。

人はほとんど外見で判断する。

本当に痛くても 外見でギブスや血が出てないと

本気で大丈夫??とは言ってくれない。

自分も昔に近所の人がヘルニアで会社を辞めたと聞いたときに

笑いが止まらなかった。

しかし 実際になってみたらとんでもねー。

今では精神崩壊寸前だ!!

なってみなけりゃ絶対にわからないのだから。

わかろうとしている所だけみせていればいいのだ。

わかったふりは人間としてあまり良くないし人を傷つける。

最低限の知識があり情報提供ができれば後は人間性のもんだいだ!!

看護のレベルの技術なんて経験積んでれば誰でもできる。

アメリカの看護教育では人間の原点である社会学や宗教などに多くの

時間をさくというがまさにビンゴ!!

しかも適正をみていく国全体の観念。 まさに個別性の国だ 

日本の看護が追いつくはずがない

ショッキングな今日この頃の僕チンでちた。

ナースステーションで患者の愚痴を言っているナース達を見る

ナースコールがガンガンになってるのに自分の受け持ちではないので

取らないときたもんだ!!

一時期流行した田園調布のマダム達のプードル合戦よりも儚く思った

ほんとうに器が小さい人間だと思った!駄目人間だ、そう、

高校5年生なみに駄目人間だ。

しかしそうではないのだと気が付いた。

実際に友人にも金だけの為にナースやっているのがいる

きっと凡人はこう言う

「ナースなんてやめちまえ!!」「私の知能では理解できない」

しかし本当に器の広い大きい人間ならこう思うだろう
目的がはっきりしててイイ!!そういう人間もいるさ!!とね

その人の言い分もしらないで

どこかで頭ごなしに駄目だと決め付けている弱虫な俺がいるのだ。

っと広い視野を持ち、寛大でデカイ人間にならなくてはいけない。

高低さに関係なく気取らずに、誰でも受け止められる人間になったらきっと素

敵な人生が送れるのではないだろうかといつも思う。

看護とは人間を看るので
看護学=人間学であると思う






























現在の生物学見解では同じDNAの人間は存在しない

つまり人それぞれに違うカラーがあるのだ

DNAの紐を解いていくと大きく4パターンの配列に分かれるそうだが

1つ違うだけで海の向こうの存在であり理解は不能なのだ


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: