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2月は、28日までしかありません。今から、少しずつ、訪問し、利用表に、捺印していただこうと思い、ボチボチと、一日かけて回りました。 電話をしても、迷惑そうな声もあり、かけてもらって嬉しそうな声も聞かれたり、訪問すると、なおさら、来ていただいてありがたいなあ、と感じていただいてると思うようなお家もあり、早く用事を済ませてほしいと思っているのかなと感じさせられるようなお家もあり、いろいろです・・・。 そのたびに、自分は、へこんでしまう時もあります。もっと、しっかりと自分を持って、利用者の方やご家族に、対応していきたいと思っています。
2007年02月17日
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今日は、1月31日(水)です。 1月最後の日になって、平成19年の、初めてのブログとなりました。昨日、新規の方が急遽2件入って、てんやわんやでした。が、なんとかおさまりました。 予定外の案件が入ると、対応に追われますね。これも、仕事柄仕方がないことですが、利用者の方の、介護の大変さを考えると、頑張って、応対したいものだと思いました。
2007年01月31日
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12月29日。今日からお休みのところもあるでしょうが、自分は、今日も明日も、お仕事です。今日は、たまっていた支援経過記録やモニタリングの清書入力、そして、お昼からは『大掃除』!床拭きは、昨日しましたが、今「ノロウイルス」がはやっているということで、ハイターを薄めた水で、雑巾がけをしました。今日は、書類の整理や、不要になったパンフレット、資料を捨てること、カレンダーをかけかえることなどを、行いました。 また、明日も資料や、記録の整理、来年からの予定計画作り、などを行うつもりです。 皆さんも、お忙しい年末をお過ごしでしょうか?
2006年12月29日
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昨日、映画『武士の一分』を観にいきました。原作者の『藤沢周平』(?)が、良かったのかもしれませんが、人の『思い』の深さを感じさせられました。木村拓哉も良かったのですが、妻役の『壇れい』という、「たからづか」出身の人の熱演に、とても好感を持ちました。 『相手の人を大切に思う』ということは、介護にもつながるのではと考えさせられました。
2006年12月12日
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今日は、朝の9時半から、夕方5時まで、『介護支援専門員、専門課程2』の研修でした。演習もあり、それなりに楽しいものでした。「ICF」(国際生活機能分類)を使ってのケアプランの作り方・・・といった内容でした。少し難しくもありましたが、とても勉強になりました。 「ICF」に関して、詳しく知っておられる方がいましたら、また教えてください!
2006年12月07日
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今日は、いろいろと予定外の突発的な相談(変更の申請など)や、介護車の手配や、電話での相談、11月分実績の入力、給付管理表のファックスでの送付、今週あと2件の『認定調査』の予定を夕方に電話でアポイント(予約)を取る交渉などなど、メインで予定していた『認定調査』と『新規の方の面接』が、あわただしい中で行われました。 まあ、こんな日もあるものと、昼頃からは、抑うつ的な感情も収まり、腹をくくって、対応できるようになりました。しかし、毎日、朝方は、『此処からどこかへ行きたい、逃げ出したい・・・』など、否定的な感情が、いつも渦巻いています・・・。薬が残っているのかもしれません・・・。 それでも、夕方には、あと2件の『認定調査』の日程も決め、大体、この一週間に何をすべきか、大きな目安が見えてきました。今は、少し、ハイテンションです。この時間帯(夜8時頃)なら、『認定調査』も『サービス担当者会議』も、落ち着いてさばけるのではないかと思うのですが(笑) また、明日も、ガンバリたいと思います、人のため、自分のため、そしていとしい家族のために!
2006年12月04日
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今日は、帰りに心がほっとすることがありました。 僕が、『お先に、お疲れ様でした。』とある人に挨拶をして出て行こうとすると、『お疲れ様です。遅くまでご苦労様でしたあ!』と、大きな声で、笑顔で、手を振って、さよならの挨拶をしてくれた人がいたのです。 たったそれだけのことでしたが、今日一日の重く沈んだ心が少し癒された瞬間でもありました。気難しいご家族がいて、電話でもそっけない言葉で『はいはい、わかりましたよ。そうしておいてください。それでいいですよ。』とそっけなく言われたりすると、へこんでしまいます。あれもしなきゃ、これも残っているし・・・などと思いながら、帰ろうとしていて、冒頭の笑顔の明るい言葉での『さよならの挨拶』でした。救われた気持ちになります。 ケアマネージャーをやっていると、人間関係の部分で、いろいろなご家族と接し、悩みも深くなりがちです。そんな時、笑顔の素敵な人に、明るい声で挨拶をされると、それまでの、重たい気分が一新します。反対の立場になって、自分も、相手の方にそういう態度で接しているのかなあと反省もさせられました。 とにかく、帰りは、明るい気持ちで帰ることができました。何気ない一言でも、とても大切ですね!
2006年11月30日
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先日、自宅訪問し、『利用表』にはんこをいただくと共に、『個人情報に関する同意書』なるものに、署名をしていただきました。そこの長男さんは、大きな役所に勤めているお人で、そのせいか、お嫁さんも、『契約書』『重要事項説明書』なども、すべて、一字一句読んでおかしいところなども質問されてきたお方でした。 『同意書』の説明の時は、自分が最初から最後まで、一字一句読んで説明し、納得されたようでした。 ・・・緊張しました。 普段は、大まかに説明し、署名をもらうことが多いのですが、文面すべて声に出して読むとなると、(ま、それが本来の姿かもしれませんが)、なかなか大変なものがありました。もともと『抑鬱傾向』のある自分なので、そういうおうちへ行く、と考えるだけで、『パニック』になります。まあ、今回は、なんとか無事にすみ、ほっとしています。
2006年11月28日
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タツばあさん(仮名)が、亡くなられた。先日、夕方、交通事故にあい、救急車で運ばれたが、全身を強く打ち、帰らぬ人となった。今日の朝、相談員さんから聞かされた時、僕は強いショックを受けた。笑顔のすてきな、よく笑うばあちゃんだった。やや認知症はあったものの、みんなと貼り絵や塗り絵をしたり、歩くのもしっかりとしていて、印象的な人だった。あんなに元気だったのに・・・、デイケアの帰り、僕が声をかけて、3時間後には、車にはねられたことになる。運転していた方も72歳と高齢の人だったとのこと。タツさんが、飛び出したのかもしれない。運転していた方もびっくりしただろう・・・。人の運命とは、本当にわからないものだと思った。月曜日、お線香をあげに訪問しようと思う。ちょっとしたお茶とお菓子を持って・・・。
2006年11月24日
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長い間、ブログを書いていませんでした。見る機会も減っていたと思います。また、少しずつ、日々の出来事を、書いていこうと思いました。自分の精神と身体の調子が良くないと、お年寄りのことを考える以前に、自分が、横になったまま、立ち上がれないこともあります。 精神的に弱いと言えばそれまでですが、安定剤などの薬を飲みながら、なんとか、今までやってきましたから、これからも、他人と比べることなく、自分にできることは、少しでもやっていこうと思います。 先日も、『要介護1』の人が『要支援2』となったのですが、以前と同じ”生活、暮らしぶり”であり、むしろ、少し悪くなっている状態だったので、ご家族から苦情がありました。自分は、国保連の”苦情相談窓口”に電話をかけ、ついで、県の”介護保険課認定係”に電話をかけました。認定係の人が、『主治医意見書』と『認定調査票』を詳しく見てくださり、『妥当な判断だと思います』とのことでした。 以上のことを、ご家族に説明しても、あまり納得はして頂けませんでした。こういうことがあると、少し、胸が苦しくなります。でも、なんとか、やっていこうと思います。
2006年11月20日
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今日、担当の利用者の方の夫から、『いつもお世話になり、ありがとうございました。』という電話がかかってきました。心のこもった声でした。何度もお家に通ったり、病室に行ったりしたご利用者さんでした。アルツハイマー病で、要介護『5』で、最近、徘徊もできなくなり、じょくそうが悪化し、寝たきりになったのです。もう、『在宅復帰』は、無理かもしれません・・・。 濃密に関わってきたご家族だけに、残念でなりません。病院退院後は、どこかの『療養型病院(それもなくなるのでしょうが。。。)』に、入るのしかないのかもしれません。夫の方も、『高血圧』の持病があり、『軽いくも膜下出血』も併発しています。『老老介護』、此処までが、限界だったのかもも知れません。
2006年08月28日
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昨日、石中さん(仮名)夫婦の家を訪問した。次男さん(56歳)との3人暮らしだが、パーキンソン病の妻を、夫がよく付き添って見守りや、介護を行っている。いつ訪問しても、何らかの話題で、すぐに笑いが起こってしまう。本当は、少し貧しくて、大変なことも多い家族なのに、笑いの絶えないおうちでもあります。 夫の方が優しくて、石中さんのことを、決して上から見ているような態度や発言をしないこと、自分に苦労をかけて・・・なんて態度をとらないこと。これだけでも、本当にすばらしいと思う。僕に、あそこまで淡々と、笑顔で、妻の介護ができるだろうかと・・・! こういう家庭を、訪問させていただくと、こちらがエネルギーをもらったように感じる。 一方、こちらのエネルギーを吸い取られるだけの家庭訪問、というようなものも実際あって、僕の対応のまずさや流れの変更のしかたのまずさもあり、相手の愚痴を聞きながらも、うまく流れを作っていかないと、ただ、一方的に、『愚痴を聞くだけ』『うん、うん、』とうなずくだけ、では、あまりにも芸がなさ過ぎるというか、『プロ』の聞き手ではないと思うようになった。 『エネルギーを吸い取られてしまって・・・。』という弱音を吐くことだけは、今後やめようと思う。
2006年07月22日
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この一週間で3人ものお年寄りが入院しました。それぞれ理由は違うのだけれど、発熱であったり、切断した足の傷の悪化であったり、突然の脳内出血であったりと、いろいろです。 できるだけ、病室に顔を出して、面会し、話し合うようにしています。少しでも、早く良くなり、ご自宅に帰れますように・・・。
2006年07月12日
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今日、しずさんとこへ訪問した。夫のけいさんは厚いのに、網戸をしようとしない。網戸をすると、庭の眺めが、(スモークがかかったようになって)、うす暗く見えるからいやだ、と言う。 人の好き嫌いだから、何なんだけど、そのおかげで、要介護『4』の、座ったままの『しずさん』は、暑苦しそうだ。別に文句を言うでもなく、話しかけるとニコニコと笑っているだけ。 いろいろな夫婦の形があるものだと思った。(ただ、去年は、そのむし暑さが原因かどうか、『虫』が沸いて、ヘルパーさんも、『かゆい、かゆい』といい、『室内のフマキラー?』を炊いた。そうするとやっと、かゆみはなくなったそうだ。今年は、どうなるやら・・・。頑張って、訪問し、話し合ってみようと思う。
2006年06月20日
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アルツハイマー病重度(要介護度5:83歳;意思疎通不能、発語ほとんどなし)の、トトさん(仮名)が、2週間ほど前、入院した。じょくそう(仙骨部)がひどくなり、発熱38度が続いたため、とのこと。 医師は、『2週間くらいの入院』といっていたが、僕はもっと長引くんじゃないかと思っていた。下手をすると、このまま、ずっと入院させられ続けるんじゃないかと思い、夫(二人暮らし)には、僕は、 『熱が引いたら、じょくそうの処置は、訪問看護の利用や、自宅でヘルパーさんと関わりを持ったり、体位変換をすることで良くなる可能性もありますから、早めに退院させてもらったほうがいいですよ』と言った。医師は、以前の入院時にも、『胃ろう』を勧めたりした人だ。(結局『胃ろう』をしなくても、口から食事摂取ができた)。 案の定、この2週間で、寝たきりに近くなり、昼間も、入眠したりし、活気はなくなってきた。今まで、日中は、一週間に6日間は、通所サービスで、いろいろと刺激を受けていただけに、今のトトさんにとって、白壁に囲まれた病院のベッドで寝たままの生活を送ることは、認知症が進むというか、もう『廃人』に近くなることが目に見えている気がする。こういうことは、めったにベッドサイドに来ない医師には、わかりはしない。『体温』や『じょくそう』など、『部位』『数字』を見て、夫との一軒家での二人暮らしという『生活』の中での『病人』と言う『人間』全体は見えていないと思う。じょくそうが良くなり、熱が下がれば、例え『廃人』になっても、『治癒』という名目で退院できる。退院後の夫との二人暮らしのことなどは考えられないのだろう。手を縛られていることが、言葉を表現できない『トトさん』の精神にどれほどの苦しみを与えているかは気づかないのだろう。 それでも、夫は、『病気のことは、おらにはわからんから・・・。お医者さんがそういうならそうするしか・・・。』と話す。 これ以上の入院で、『廃人』にはなってほしくない、今でも、手を縛られたりしているのだから・・・。この状況で、今の僕に、いったい何ができるだろうか・・・。
2006年06月14日
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Oさんが、3ヶ月ぶりに、自宅へ帰った。『頚椎損傷』の手術を受け、まったく、這うことも寝返ることできなくなっていたのだが、順調に回復し、杖歩行で、移動できるし、立ったまま靴を脱いだりはいたりすることができるようになった。 デイケアに通っていた時から、笑顔の耐えない人だったから、知人のお年よりさんや、職員さんも、よくお見舞いに行っていた。頑張って、リハビリも、朝から夕方まで、続けていた。 12日(月)曜日から、また、デイケアに通ってくる。昔のお友達たちが喜びそうだ!良かった。
2006年06月11日
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昨日、あるおばあちゃんのところへ訪問に行きました。 そのMさん(83歳)は、雨が降っていたのですが、お嫁さんは、『裏の畑で草引いたりしているよ。』と言われました。『裏の畑』といっても、歩いて10分くらいいったところにあるようなところで、しかも、雨の中でも、カッパ着て(?)作業をするようなばあちゃんですから、『予防介護』なんか制度がなくても、自分で、毎日、きちんとやっているって感じですね。僕なんかより、よっぽど、健康で頑丈な感じです。 だけどまあ、息子さんが、日中、一人きりやし、誰とも話さんかったら『ぼける』と言うから、週一回、近所の人も行くからということで、デイサービスに通っています。そのMさんとこに行くのに『一山超えて』行ってきました。冬になると、雪が1,5mほど積もるそうで、冬の訪問は、どうなることやら・・・!ま、がんばっていこうと思います。
2006年05月19日
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●「マイダネク(アウシュビッツのようなところ)で、そこから去ろうとしない一人のユダヤ人少女と出会いました。彼女がどうしてそこにとどまっているのか、はじめ、私には理解できませんでしたが、彼女はその収容所のガス室で、祖父母を、両親を、そして兄弟姉妹全員を殺されたのでした。ガス室いっぱいに人が詰め込まれたあげく、もうそれ以上一人も入れることができなくなり、そのおかげで彼女は助かったのでした。 彼女は、こう話しました。 「強制収容所にいた最後の数週間、私はこう誓ったの。かならず生き延びて、ナチスと強制収容所の恐ろしさを世界中の人々に訴えようって。やがて解放軍がやってきて、その人たちを見たとき、私はこう思った。 『いや、いけない。もしそんなことをしたら、ヒットラーと同じことになってしまう。』だって、私がしようとしていたことは、マイナスの感情と憎しみの種を世界中にもっと蒔くこと以外の何物でもないでしょ。私は考えたの。人は背負いきれないほどの重荷を課されることはない。私たちは決してひとりぼっちじゃない。マイダネク(アウシュビッツ)の悲劇と悪夢をちゃんと見極めれば、それは過去のものにすることができるのだ。そうだ、このことを心から信じることさえできれば、そして、誰か一人でもいいから、その人の心から、悪感情や憎しみや復讐心を取り除いて、その人を、人を愛し、人に奉仕し、人の世話をするような人間に変えることができたとしたら、それはとてもやりがいのあることだし、私も生きていたかいがある。そんなふうに考えたの」。 マイナス感情はもっぱらマイナス感情を養分にして成長し、やがてはガンのように繁殖していくものです。でも私たちには、自分の身に起きたことを、悲しくて恐ろしい出来事としてそっくり受け入れるという選択肢もあります。それはすでに通り過ぎてしまった過去のものであり、自分にはもう変えられないのだと納得する道です。マイダネクで出会った少女はその選択肢を選んだのです。」 僕は、この文章を読んで、こう思いました。『マイナスの感情からは、マイナスの感情しか生み出さない。そしてそれはガンのように繁殖していく。悲しくて恐ろしい過去の出来事は、「それはすでに通り過ぎてしまった過去のものであり、自分にはもう変えられないものだ」と納得し、そのままそっくり『受け入れる』という道があるのではないか・・・。』と感じました。時間はかかるかもしれないけれど。 その道を、僕は、進んでいきたいと思った。
2006年05月07日
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今日は、とっても、いい天気ですね! 朝は、やはり健康状態がそう良くはなく、吐き気と胃部不快感がありましたが、昼頃から調子が良くなり、今(午後3時頃)は、とっても、晴れやかです。さっきは、外へ出て、軽く体操もしました。夕方には、近くの『町のスポーツジム』へ行き、2時間ほど汗を流してこようと思っています! やっぱり、自分の体ですし、『健全な精神は、健全な肉体に宿る。神は細部に宿る!』とも言われていますし、頑張ってこようと思っています。 また明日からは、『自宅訪問』『書類の入力』『ミーティング』などに終われる日が始まるので、今日は、息抜きの一日です。 こういう気持ちになれたのも、久しぶりですね。 これから、自分のペースを保ちながら、自分のため、お年寄りさんのために、励んでいこうと、ほんと、そう思います。自分がつぶれてしまっては、何にもなりませんものね。 多くの方に、心配をかけ、又、励まされました。その方たちのためにも、「80歳まで、『現役のケアマネージャーでありたい(!笑い)』と、心から願っています(『そりゃ、無理やろ!という声も聞こえますが・・・!)。 この、パソコンの横で、犬の「ハナ』が、昼寝しています。いい一日です(_)
2006年05月03日
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不思議ですね。 今日は、心が落ち着いていて、自分のペースで、仕事ができました。本当は、『モニタリングの清書:入力』を、一日中やる予定だったのだけれど、急な用事で呼び出されたり、電話の相談があったり、やっと切り上げて帰ろうと思って、服を着替えてから、又電話で、30分も、話を聞いていたり・・・と、予定通りには、まったく進まなかったけど、それでも、笑うこともできたり、冗談も言えたり、(いい意味で)雑談にも加わることもできました。相談も3件ほど、方向性が決まりました。良かった良かった!! 今までだと、血走った(?)目で、何かに追われているように、あせりまくって、それでも、予定が進まないことにいらいらしたり、同時に、作り笑いをしたり・・・と、自分を偽って生きてきたからかな?だから、しんどかったのかな? などと、冷静に、自分を振り返ることもできました。 なぜか、心がうきうきする一日でした。こんないい日を与えてくださったことに感謝します。神様、ありがとう!って(笑)。ほんと、『じーんせーい楽ありゃ苦もあるさ!』ですね(爆)
2006年05月01日
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今日は、日曜日だったけれど、たまっていた『入力』(支援経過、モニタリング、アセスメント、会議の記録・・・などなど。メモや走り書きを清書し、パソコンに入力をしていく作業・・・)を、行った。又、入院した人の記録、亡くなられた人の書類、なども、紐にとじて、別に、仕分けしたり・・・と、普段できないことを、まとめてやった。 日曜日なので、割と静かでやりやすかったのだが、集中力が、もうひとつで、あまりはかどったとは言いがたい。 それでも、かなり、まとまって整理ができた。明日からの仕事は、やりやすくなった、それだけでも喜ぼう(笑)。 昨日と今日、『ドクターコト-、診療所 2004』を見た(DVDで)。単純なんだけど、どうしても、感動してしまう・・・、世の中、みんなああは行かないだろうけれど、僕も少しは、人のためになれたらなあ・・・、と心のどこかでは願っているようにも思う。その前に、自分がつぶれてしまわないようにと、今日は、『町のスポーツジム』へ行った!体を鍛えようと!だけど、今日は月末で休みでした(笑)。運動場を一周、早足で歩いて家に帰りました。昨日より、1.5kg体重が減っていました、良かったよかった(笑い)。
2006年04月30日
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Aさん宅へ訪問に行った。夫が、ほぼマンツウーマンで付き添っている。Aさん(女性)は、パーキンソン病で、最近、肩、股関節、肘、膝などの関節が硬くなってきている。先日も、次男さんが一緒に受診して、ドクターからも言われたそうだ。ヘルパーさんが、毎日、朝、昼、晩、と3回入って、ベッドから3~4m離れたポータブルトイレへ誘導したり、衣服の着脱をしたり、食事の内容や、摂取の方法などを、夫と共に考えたりしている。ヘルパーさんたちは、とても熱心で、ポータブルトイレの横の手すりの件、昼間の運動の件、玄関前のスロープや手すりの件など、頻繁に、連絡をくれ、図解もして、ファックスを入れてくれる。 僕は、3週間ほど、仕事を、休んでいた。『自律神経失調症』とのこと。あまりに、多くの、解決不可能(と思われる)問題にぶつかると、抱え込んでしまう傾向がある。若い時は、なんとか乗りきっていたが、今、49歳、心身ともに、疲れやすくなっている。世の中には、60代でも、元気な人もいるし、20代で弱って亡くなってしまう人もいる。比べるのはよそうと思う。 Aさんとこによって、久しぶりに、笑顔を見せてもらった。『(僕がケアマネージャーだと)安心だよ。』と言ってくれる人もいる。『退職』も考えたが、Aさんや夫の方と会うことによって、僕のほうが、勇気をもらった。『いちケアマネージャーとして、働き続けることができるまで、頑張っていこう。」と、そう思った、Aさん、ありがとう!
2006年04月28日
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又、ある人の『ブログ』に助けられて、少し勇気をもらった。『生きてていいんだ』『生きててみよう』『なんとかなるかも知れない』、そんな感情が芽生えてきた。 職場の人も、2,3度、電話をかけてきてくれてた。でも、『明日、仕事に行かなくては・・・。行ってみようか・・・・。』と思うだけで、夜、目が冴えてきて、胸が苦しくなる。『地域包括支援センター』の『主任ケアマネージャー』という職務は、正式に、お断りをさせてもらった。今度、もどるとしたら、『いちケアマネージャーとしてだが』、人と会うことに、まだ不安が強く残っている。特に、『サービス担当者会議』や、『ドクターとの医療連携』など、考えただけで、どうしてよいかわからなくなる・・・。それでも、悩みながら、他の仲間と相談しながら、なんとかやってみようという気も沸いてきていることも確かだ。 ブログを読んでいると、さまざまな人がいる。単純に『僕なんかの悩みなんて、それらの人に比べたらなんと”ちっぽけなもんなんだろう!”』という思いがないわけではない。人の問題は、人の問題、いくらちっぽけに思えても、その人にとっては、その人なりの、『大変な問題なんだ。比べること自体おかしい』と、僕自身もそう思う。それでも、僕は、ビルから、飛び降りたことはない。リストカットをしたこともない。そうしようと考えたことはある。一番多かったのは、時速120キロ位で、電柱にぶつかること、又は、車に排気ガスを入れて睡眠薬を飲むこと。こんなことを考えている人間が、人様の『ケアプラン』を作って、お役に立てるのかどうか・・・。 たまたま今日読んだ雑誌に、『ナイロン』を発明した人は、『重い”鬱病”』を患っていて、基礎研究で、すごい発明をしたのだけれど、『女性がはく”ナイロンストッキング”として、世に名前が出る』頃には、自殺されてこの世には居なかったとか・・・。 また、(知っている人もいるかもしれないけれど)、『パッチ・アダムス』という精神科医は、自身も『精神病』を患い、『精神病院に入院』し、それでも、笑いを、患者に届けるために、今も世界中を、飛び回っている、とか・・・。 病を患っていても、それでも、その病と付き合いながら、何とか、それなりに、生きていくことは、できるんだなあと、又、少し、思えるようになってきた。あるブログの方のおかげです。ありがとうw
2006年04月20日
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ある知人の方のブログのおかげで、なんとか、持ちこたえていたのだけれど、今日の朝は、とうとう、体が、動かなくなった、頭の中で、言葉が、ずっと駆け巡っている。後頭部の頭痛が痛く(?)、腰や腕がしびれて、それも痛く感じる。 『ストレスから来る心身症』ってかっこいいもんじゃなく、『登校拒否』と同じ。午後、心療内科を受診し、『自律神経失調症』ということで、『緊急入院』か、『自宅療養』かということで、家で休むことにした(要するに『鬱病』の再発なんだけれど。) 振り返ると、4年に一度は、こんなことが起こってきたように思える。 オリムピックではないだろうけれど・・・。 『逃げ』ているのかもしれない、『追い込んで』いるのかもしれない、でも、 そんな自分と、これからも付き合っていかないと・・・。(現実的には、『居宅介護支援事業所』の『後任』の方と、約50人の利用者御家族の方への「引き継ぎ、訪問」、『地域包括支援センター』での新しい仕事:「事業所・ケアマネージャーへの訪問指導(!?)」、「医師との連絡」、「サービス担当者会議の調整」などなど、そういったことが任されるはずだったことに対して、他の人たちへ、迷惑を、たくさんかけることになる・・・。そう思って、今までやってきたのだけれど、もう、『自分の体と心が壊れてしまう!』と叫びたくなる。)どうしたらいいんだろう・・・。自分で解決するしかないいんだ、わかっているよ。
2006年04月07日
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少し疲れました。 今までの『居宅介護支援事業所』の仕事の『引継ぎ』、そして『地域包括支援センター』の新しい仕事の『始まり』などで、戸惑い、頭が、少し、パニック状態です。昨夜は、原因不明の下痢で。。。。。と続くと、『愚痴』だけになるので、やめておきます。 また、なんとかなるでしょうし、何とかやっていきたいと思っています。 でも、『いっぱいいっぱい』です。(世の中には、もっと苦労している人、大変な人がいるんだぞ、って声も聞こえますが、世の中は世の中、自分は自分で・・・。だけど、自分に負けたくない気持ちはあります・・・・。ただ、体と心が『アンバランス』というか、ついていってないって言うか・・・。目の前のことで、おたおたで・・・・。今、まったくの『鬱』ですねw 冒頭に『愚痴』になるのでやめておきます、と言っていながら、結局『愚痴』になっちゃいました笑)
2006年04月05日
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今日は、朝から夕方まで、市役所にて、一日研修。先週も4回くらいあった。『地域包括支援センター』になるって、ホントに大変なこと。 資料いっぱい渡されるは、話しはいっぱい聞かされるは、難しい法律も覚えさせられるは・・・。こんなんで、4月1日から、オープンできるのでしょうか? 僕にとっては、今月の訪問、まだ40件以上、残っています。なかには、いろいろと、問題を抱えていて、いろんな意味で、僕自身を頼っておられる方もいます。先週、全員に、一応、電話では、事情を説明したのだけれど・・・。 まあ、なんとかなるやろう。なんとかやってきたし。『泣かぬなら、泣かせてみしょう、ホトトギス』って感じかなw
2006年03月27日
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今日、母に電話をした。 月に一度、母と、母の姉(おばちゃん)、そして僕の姉に、毎月手紙を書いている、500円の図書券と、わずかばかりの「お小遣い」を添えて。そして、月に2~3度は、母やおばちゃん、姉に、電話をしている。たわいもないことを話すだけだが、1時間くらいは、すぐたってしまう。 母は、今、三重県の山の中で(母の)姉と一緒に暮らしている。そのおばちゃんは、ざっくばらんな人で、「うまくやっているよ」と母も言っている。その前は、(母の)妹さんのところ・・・四国の愛媛県(僕の出身地)で、妹さん夫婦と三人で暮らしていた。父の墓が近いということもあり「一生ここで住む」と言っていた。が、一年ともたなかった。生活習慣の違いもあり、母が「鬱的な症状」を起こし、自室から出なくなった。それで、三重県の(母の)姉のところに行った。 「うまくやっているよ」そういっている母も、今、市営住宅に応募している。「なかなか山の中の生活は大変で、町中に住みたい気もする。」とのこと。安住の『居場所』が定まらないことに、母は心の底に、常に『不安感』があるのだろう・・・(長男はこの僕である)。 父が23年前に自殺してから、僕は(役者になりたいなどと)好き勝手な生き方をしてきた。そんな僕を、僕の知らないところで支え続けてくれたのが、母だった。もし、母が病気になったら、僕が三重県に行って母と住む(それが”自然”だから)、そう、妻と姉には告げている。姉は「それだと~~さん(妻)がかわいそう・・・・。」と言う。姉も、女手ひとつで生活し、子供たちをを育ててきただけに、その不憫さが実感としてわかるのだろう。実際、病気の母と長男の二人暮らしが、うまくいっているのをあまり見かけない。三重県で『ケアマネージャー』の仕事が見つかるのか、在宅でみれるのか、施設や病院に入らざるをえなくなるのか・・・まさしく、今僕が抱えている『処遇困難事例』に、僕自身が、そうなっていくドキュメントのようだ。でも、僕は、ひるまない。 ここ数日続いていた『抑鬱症状』から、今日やっと脱出することできた。ほんの些細なことだ。こんな僕でも、『生きていてくれればそれでいい』と表現してくれる人がいる。妻も子供たちも、母もおばちゃんもそう思っていてくれるかもしれない。だけど、表現してくれて、初めて、人は、『生き続けることに対する、あいまいな不安』から抜け出せることができる。強い人には、そんなことは必要ないのかもしれない。だけど、少なくとも僕には、必要だった。感動的なまでに『生きていること』に、感謝した。心から、その人に、感謝した。
2006年03月23日
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久しぶりに、夜中に、歩いた。星が、とてもきれいに目に入ってきた。空気も澄んでいて、しんしんとしていた。 空には、雲が、半分ほどあったけど、それでも、星は、きらきらと輝いていた(僕は、めがねをかけているので、少し、ぼんやりとはしているけど・・・。)。 10年ほど前、インドに、3ヶ月間ほど住んでいたことがある。カルカッタにも一ヶ月ほどいた。インドの夕陽は、とても美しい。2時間ぐらい、ボーっと見ていると、なんともいえない気持ちになる。悟りが開けた!っと、誰でも、錯覚してしまいそうだった。 あのころは、時間の流れや、空間のあり方が、今とは、ぜんぜん違っていた。ただ、自分だけのために、生きていた。若かったからこそ、できたのかもしれない。死ぬまでに、もう一度、インドに行ってみたいと思っていた。今も、その気持ちに変わりはないが、それ以上に、『(僕の)子供たちが、毎日を幸せに生きてもらいたい。そのために、自分に何ができるか、何をすることが、または、しないことが一番いいのか・・・。』そういうことを考えることのほうが強くなった。平凡な、大人である。 昔、『30(歳)以上のやつは信じるな!』という言葉があり、僕も、強くそう思っていた。もう50近い今でも、僕自身は、そう思っている。が、そういう僕自身が、普通の、『平凡な大人』になっている。毎日の仕事に、汲々とし、精神を痛めている。今の自分も、僕であり、10年前、毎日夕陽を、あくことなくボーっと眺めていたのも、僕自身だ。どっちも僕自身だ。 昔にはなかった『ブログ』を、大切な人の『ブログ』を毎日読むことで、なんとか、生きながらえている。ある人が言っていた、『遠くの貧しい人のことを思うのいは、たやすい。だけど、まず、近くの貧しい人のことを感じなさい。目の前の人、身近な人の貧しさを感じなさい。その人たちに、まず、救いの手を差し伸べなさい・・・。』と。 僕にとって、身近な人とは、子供たちであり、妻であり、母親であり、近所の人であり、仕事で出会うお年寄りの方々だ。ただ、今の僕は、『ブログ』によって、僕自身が救われている。身近な人、子供たち、『ブログ』によって、逆に救われ、『生きるともし火』を、目の前にかざしてもらっている。 遠く、インドに行かなくても、『美しい夕陽』は、心の中に映っててくるのだと思う。本当に大切なものは、目にみえないんだ、星も夕陽も目に見えて美しいけれど、そうでなくても、美しいもの、大切なものは、見えなくても感じることはできる・・・、今日、そんなことを感じた。
2006年03月20日
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なんか、今、自分でも、なんか変だ。ボーっとしていて、ふワーッとしていて・・・。以前のように、無理して、朝早く職場に行ったり、日曜日に出て行ったり、夜遅くまで残ってでも、やり残さないようにしよう!!!というエネルギーがない。 逆に『もうだめだ、しんどい、疲れた。休んでしまえ、何もしたくない!』などという、『積極的な』消極的思考も沸いてこない。気づいたら、雨の中、一般道で、車の速度が、時速110Kmくらいになっていても、なんとも感じない感じ。ああ、電柱にぶつかったら、楽になれるのかなあ・・・・、なんて、それもふわーと感じてるだけのような感じ。 半分あっちの世界に行っているのかな。。。 だからといって、穏やかに落ち着いているかというと、そうでなく、どちらかというと、些細なことに、すぐいらだったたり、理屈で相手を困らせたり、攻撃的なところもある。精神と身体の統合が『失調』されている、とはこういうことを言うのか。ま、少なくとも、自分には『病職』はあるが。 大好きな人のブログも、『読むだけで』精一杯で、書き込み気力がわいてこない。 こういうときが一番『危ない時だ』と、なぜか、直感的に感じる。スーッと線路に入って行ったり、ふわっと、ビルから飛び降りたり、睡眠薬を、たらたらたらと、飲み続けたり、理性がなくなったというか、何か、ぷつんと切れて、歯止めが利かなくなった感じ・・・。それでも、明日は、生きている、と思う。
2006年03月18日
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午前中、頭と体が壊れていた。眠れなくて、睡眠薬飲んで、それが朝まで残って、鬱症状と、いろんな言葉が、頭の中を駆け巡る状態・・・。おとつい、ちょっとした言葉の行き違いで、勝手に、自分が傷ついて、胸が苦しくなって・・・。繊細といえば聞こえがいいが、要するに、自我が確立していないだけの事と単なる『不安が強い・・・不安神経症』なだけのこと。 それでも、午後から仕事に行く。やろうとしていた『記録の入力』の前に、机の上にメモが張ってあり、その用件を2件、急なショートステイの変更のこと2件、最近なくなられた方のお家へのお参りが2件、他の事業所の方の急な訪問が1件・・・などなど。 結局やりたかった『入力』は、何もできないまま・・・。朝も昼も、今日は食事を取らなかった、というかとる気がしなった。何か、心に、わだかまりが残っている。そして、むやみに、『死にたくなる症候群』が、起こってくる。 それでも、わけのわからん『地域包括支援センター』という、小難しい本を、自宅に帰ってから読む。言ってることは立派なことなんだけど、実行するのは、大変やろうなあと思った。 それでも、頑張ってやっていこうという気持ちと、ゆっくり永久に眠れたら楽やろうなあ・・・という気持ちのはざ間で心がうごめいている自分がわかる。 それでも、明日はやってくる。明日は、また、明日。
2006年03月14日
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頭と、体が、壊れていました。ただ単に、久しぶりに雪が降り、寒くて、布団から出られなかっただけ?なのかもしれません。 たまに、『鬱』の波が襲ってきます。そうかもしれないし、頭が、ボーっとしているだけかもしれないし、・・・。とにかく、夕方5時半まで、半分入眠半分覚醒の状態で、仕事をするより疲れた感じでした。 この文も、あまり、意味を成していません。 また、明日から頑張ろう、そう思います。P.S.・・・4月から、山の村の一軒家に住むことに決めました。今、地元の人に、安いところを探してもらっています。地元に溶け込んで、いい仕事ができるか、ふさぎの虫が出て、つぶれてしまうか・・・、大げさでなく、『命をかけて』いこうと思っています。世のため人のため、そして何より自分のために。
2006年03月13日
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今日は、ほぼ丸一日、パソコンとにらめっこ。入力しなければならない事柄が山のようにある。4月からは、もっと増えると思う。頑張ろう! で、昼休み、ある事業所へ行って、昼食をとりながら、会談をした。そこで、『炊き込みご飯』と、『味噌汁』を出してくれた。その、おいしかったこと!!! あるヘルパーさんが作ってくれたそうだ。こんなことを言ったら怒られるが、結婚して、自宅では、食べたことのない本当の、『(田舎の)深みのある味』だった(笑)。おいしかったあ。 ヘルパーさんは、当然、利用者さんのお家へ行って、『調理』などもするのだから、上手なのが当然かもしれないが、それにしても、おいしくて、両方とも、おかわりをした。 ヘルパーさんってすごいなあっと、改めて感じた一日でした。
2006年03月11日
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今日は、デイサービスの帰り、事情により、僕が、『頚髄損傷のTさん』(女性、68歳)を、車で、送迎をした。 大きな道路から、自宅の前まで、『畑道』があって、今日は、雪が解けていて、車が、家の前まで行くことができた。 だけど、先週までは、その『畑道』は、その下が『砂利道』だということもあり、『雪かきのブルドーザーが入ると、砂利が畑に飛ぶから入れない』とのことで、50cmほどの雪の上を(少しは歩けるように固めているが)、杖2本(「ロフストランドクラッチ」という、ひじから固定されている杖を2本使って、雪の上を、30mほど歩いて、家まで行っていた。当然、何度も倒れるのだが、『歩けるようになっただけでも奇跡のようで、ありがたいのだから・・・。』といい、起き上がっては、また歩き出して、玄関まで行っていた。 『歩けるだけでもありがたい』そう言いながら、自宅に戻り、家族のために、膝や腰の痛みに耐えながら、夕食の支度をする。最近は、じっと立っていることがつらく、椅子を持ってきて、座りながら、調理をしているという。 『これも、ひとつの”定め”だから・・・、”何かの運命”のようなものだから、感謝してやっていくしかないよね。』と、少し無理して笑いながら、僕に話しかけてくれる。こうやって、僕が励まされることのほうが多い、Tさんと接していると。 Tさん、辛い時もあると言っていたけど、それでも、頑張って下さいね。
2006年03月10日
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今日、この4月から、担当となるであろう地域に行ってみた。 今までの『在宅介護支援センター』の『保健師さん』と会い、山の中腹部にある、立派な『デイサービスセンター』を見せてもらい、『市民健康課』の課長さんたちと、この地域についてお話を聞いた。また、そのデイサービスに来ていた、お年寄りさんたちにも、少し話しかけてみたりもした。 最初は、職員さんやお年寄りさんたちも、いきなり、『よそもん』が来て、何しに来たんやろう、って感じで冷たい空気を感じたけれど、話し込んでいるうちに、とても、暖かい人たちだと思った。ただ、今後、4月からどうなるか、不透明なので、ちょっとびっくりされたみたい。 帰り、小学校の前を通ると、子供さんたちが、ホントに元気よく走り回っていた。僕も、?十年前は、あんなかったんやろな! と思いながら、この土地に来て、何かできるよう、頑張りたいと、素直に思った。
2006年03月09日
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今、いちケアマネージャーとして働いているが、4月から、『主任ケアマネージャー』として、『地域包括支援センター』とやらに、配置換えになる。 三つの地域を、『包括的に』かつ『まだ『お元気なお年寄り』を対象に、『要介護度が増さないように』、『いろいろな介護予防(リハビリなどの)教室』やら、『介護予防支援のための、デイサービスの利用』やら、『実態調査』やら、『ケアマネージャーの指導、育成』やら、『『困難事例に対するアドバイスや助言』やら、フぇー!とするほどの仕事が山積みになって待っている!!!。 今の『いちケアマネージャー』としても、抱え込み、悩みすぎ『うつ状態』『不眠症』『ストレス多様症候群』になっているというのに・・・。 でも、ま、なるようにしかならないかって、少し開き直りも出てきた。んでもって、その三つの地域を三人で、均等に見るのだが、それでも、おもにどこを担当するかは決めた。 ぼくは、自分から申し入れて、一番山奥の、山間部にしてもらった。『単身赴任』で、一人で、一軒家に住むつもり。地元の職員さんに聞くと、空き家とか、市営住宅とかあって、なんとかなりそうとのこと。会社も、『単身赴任手当て?』を、出してくれるかも。。。!? ま、どちらにしても、これからの10年は、ここに骨をうずめるつもりで、ここの住人になって、地元の『自治会』やら『民生委員会』やら、『運動会?』やら、いろいろな行事に参加して、顔を覚えてもらい、その上で、『健康チェック』やら、『リハビリ教室やら『花見の会』などをして、溶け込んでいけたら、そしてそのことが、この土地の人たちの『健康な長生き』と、『心安らかな永遠の眠り』につながればと、心から願う。
2006年03月08日
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『最高に幸せな生き方死の迎え方』(著:内藤いづみ)(講談社)という本を読んでいます。「在宅ホスピス」という視点から、主に、医療に取り組んでおられる方です。 24時間365日、携帯を手元に置き、いつでも、出かけられる用意と覚悟はしておられるとのこと。もちろん、訪問看護師さんとも連絡を取り、御家族の協力体制があってのことの話ですけど。それにしても、すごいと思う。 ご本人も、ご家族も『死』ということに関し、何度も話し合い、住み慣れた自分の家で、共に生きてきた人に囲まれ、見守られながら、『心安らかに旅立っていく』ことができるとは・・・。 自分が関わっている人たちは、それとは、反対の人が多いです。病院で、手足を縛られて、亡くなっていく人もまたいます。 『心安らかに旅立っていく』。そして、また、次の『生』を生きるのではないか・・・と、僕は感じています。
2006年03月07日
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要介護度「1」のRばあちゃんは、びっこを引き引きやっと歩く、夫は、あまり話しかけもしない。嫁の言うことは、まず聞かない。なんとか、長男が言うことには耳を傾けるが、デイサービスなどには、行かないという。尿意も不確実になり、歩行や着脱の動作もゆっくりとなり、トイレに行くのが間にあわなくなり、尿失禁が目立ち始める。中学高校生の孫たちは、「しょんべんくさい!」と、マジ嫌がっている。 「ケアマネージャーさんから、デイサービスに行くように行ってくださいよ!」と、こちらにさじを投げてくる。家族の話し合いや、理解や歩み寄りの(努力の)ないまま、「ケアマネ」や「医者」が言ったから、というので、何かのアクションを起こして、良かったためしがない。 家族関係の「不協和音」とでもいうものは、20年、30年、40年かけて培われてきたものだから、ケアマネが介入したぐらいで、そう簡単に、良い方向に進んだりはしない。何かの偶然の「機会」「出来事」などがあって、初めて、心が開かれるような気がする。 それから、やっと、『介護保険のサービス』などの利用が生きてくる、そう思われる。 このRおばあちゃんの場合も、手遅れにならないように、まず、家族関係が、少しでも良好な方向に行くように支援していきたい。あって、まず、話し合いたい。心からそう思う。●最後に『タゴール』の「死の恐怖についての、”詩”」を載せたい。 危険から守られることを祈るのではなく、 恐れることから危険に立ち向かうような人間になりますように。 痛みが鎮まることを祈るのではなく、 痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。 人生という戦場における盟友を求めるのではなく、 ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。 恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、 ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。 成功の中にのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、 自分が失敗した時に、あなたの手に握られていることを感じるような、 そんな人間になれますように。 ルビンドラナート・タゴール 『果実採り』より 本日は、以上です。
2006年03月05日
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今週、『翼の折れた天使たち』というテレビドラマを、2回見た。4回あったうちの2回。とても良かった。どんなに良かったかは、・・・・うまく言えない。本屋さんに行くと、その本がたくさん、積んであった。 読者からの投稿を基にした、いわば、ノンフィクション・・・ドキュメンタリーに近い内容。 僕も、東京の『高円寺』に3年近く住んでいて、『新宿』とかによく行っていた。だけど、もともとは、四国の田舎もんやから、あまり都会には、なじめんかった。3年で、また、田舎に逃げ帰ったようなもんだった。 『翼の折れた天使たち』・・・日本の『今』を、えがいてるような気がした。明日、本屋さんへ行って、もう一度、読んでみようと思った。
2006年03月04日
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ロス著『死、それは、成長の最終段階』を読んでいる。その中にあった、祈りの言葉を、引用したい。 医療に携わるものの祈り 主よ 私をあなたの医療の僕(しもべ)にしてください。 病には治療を 負傷には救助を 苦しみには安堵を 悲しみには慰めを 絶望には希望を そして死には受容と平安とを もたらすことができますように。 どうぞこの私が 自分を正当化するよりも 他の人々に慰めを与え、 服従させることよりも 他を理解し、 名誉を求めるよりも 他を愛するようにしてください。 なぜなら 私たちは自分を与えることによって 人々を癒し、 相手の話を聞くことによって 慰めを与え、 そして死によって 永遠の生へと生まれ変わるからです。 聖フランシスの祈り 以上です。また、この本の、ある部分を、抜粋して載せたいと思う。『私たちの患者の多くは、衝撃と不信の段階を通ったあと、「どうして私なのか?」という疑問につきまとわれた。若い臨死患者の多くは、自分の苦しみに何らかの意味を見出そうとした。ヴィクトル・フランクル(訳註=アウシュヴィッツ体験をしるした『夜の霧』で国際的に有名な精神分析医)はこう書いている。 「もし患者に、自分の人生の意味は何なのだ、と聞かれたら何と答えるべきだろうか?医者が一般的な言葉でこれに答えられるとは思えない。人生の意味は人によってさまざまであり、時々刻々変化するものだからだ。大切なのは一般的な人生の意味ではなく、今現在のその人にとっての人生の意味なのだ」 フランクルはさらに続けて次のようにはっきりと述べているが、これはたぶんわれわれ一人ひとりがもっと頻繁に気がつかなければならないことだろう。 「人生において遭遇するそれぞれの状況は、人に与えられた試練であり、解決すべき問題を提起しているのだ。そう考えると、人生の意味は何かという問いかけは、実は逆なのではないだろうか。結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、自分自身がそれを問われているのだということに気づくべきだ。つまり一人ひとりが、人生からその意味を問われているのであり、自分自身の人生のすべてを引き受ける、つまり責任ある生き方をすることによってのみ、それに答えることができるのだ」 私は、多くの末期患者が病気という人生の危機を通じて成長し、自分の人生に責任を持つようになるのを見てきたので、こんなふうに思うーーフランクル自身も、もし第二次世界大戦中に死の収容所で数知れない死に直面するという体験がなかったとしたら、果たしてあれだけの叡智と人間理解、共感、心の豊かさの高みに到達しえただろうか。』 今日は、以上です。
2006年03月02日
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T氏の妻から電話があり、訪問する。約1時間、悩み、不安、愚痴を聞く。H氏は、パーキンソン病を発症して6年、初期のころは、自分でも、パーキンソン病の本を読んだり、薬のことも、自分で、医者に質問をしたりしていた。 が、この一年、症状は、急速に進行し、薬の影響もあるのだろうが、いったん眠ると、揺さぶってもおきないほど入眠が深くなるし、起きだすと、目が変わり、近づくのもも怖くなるほど、興奮したりする。最近は、お孫さんが、『じいちゃん怖い・・・。』と不安がっている、とのこと。 昨夜は、夜中に起きて、家中の電気をつけて回ろうとしたりした。妻は、夜眠れず、もう、『自分が、精神的に壊れてしまいそう・・・。』とのことだった。 訪問して、顔を見るなり、僕はびっくりした、顔色は悪く、眼が疲れで隈ができている。話し出すと、神経症であるかのように、自分のことばかり、約1時間も話し続ける・・・。 で、結局、ショートステイを、3月に、1週間くらいを、2回利用できることになった。妻は、『もう、明日からでも、一ヶ月くらい、預けたい』とのことだったが・・・。 今まで、精一杯、『預けることはしたくない』とがんばってきたのだが、『もう疲労が、ピークにきた』ようだった。 このような、家庭環境、病状の進行など、『アセスメント、ケアプラン、支援経過、モニタリング、サービス担当者会議』などを、一生懸命やって、書類をきちんと作ったら、本人も、妻も家族も、『よりベターな状況』になるのだろうか・・・? 僕は、疑問である。 まず、『今、そちらにうかがいます。』と言って訪問し、その人や家族に直接会い、『対面』の中で、何かが、ひらめき、より良い対応策が、浮かんでくるのではないかと思う。『文書』をいくら『添削』しても『大学受験』をするのではあるまいし、ほとんど役にはたたないのではないかと思う。 もっと、『現場』にも、『偉い人』が、もっともっと入っていってほしいと思う。その中で、より良い『方向性』を考えてほしい。 人は、必ず、『死ぬ』。必ず『衰えていく』。いくら、『介護予防』で、その『老い』や『死』を先送りしても、『老化』『機能低下』、『認知症の発症』は、避けられないと思う。いくら、『予防介護』で『先送り!』しても、『死』『老化』に立ち向かわなければならない。 結局『心安らかに、死んでいただく過程を、お手伝いさせていただく』というのが、僕たちの仕事なのではないかと思っています。やや『ホスピス』に近い考え方を、僕は持っています。 皆さんは、どう思いますか?
2006年03月01日
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●『地域包括支援センターの運営基盤』・・・について!・ 地域包括支援センターは市町村が責任主体として設置され、運営形態は直営ないし委託によることとされている。委託の場合は在宅介護支援センターを運営している法人あるいは地域包括支援センターをもっぱら運営するために設置されるNPOなどの公益法人のいずれかによる。・ 地域包括支援センターは概ね被保険者5000人に一ヶ所を目途として設置される。・地域包括支援センターには社会福祉士、保険氏、主任ケアマネジャーが配置される。・地域包括支援センターの運営財源として介護給付費の一定割合(当初2%、その後3%)を充当する地域支援事業交付金が充当される。・要支援者の新予防給付については、事業者指定をセンターが受け、新予防給付にかかるケアマネジメント報酬を受領して実施する。・地域包括支援センターは市町村を事務局とし、地域の関係諸団体を構成員とする運営協議会を設置し、地域包括支援センターの運営にあたっての主要事項を定めると共に、その人材などの確保の支援を行う。 ナンバー2、本日は、以上です。
2006年02月24日
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2月23日、大阪に行って、『地域包括支援センター』の、研修を受けてきた。まったく持って、机上のプランであり、現状の人々の考えの流れから、乖離していると思う。が、誰かがしなければならないのなら、やってみようと思った。 ●包括的支援事業(介護保険法第115条の38)・二 非保険者が要介護状態等となることを予防するために、その心身の状況、その置かれている環境その他の状況に応じて、その選択に基づき、前号に掲げる事業その他の適切な事業が包括的かつ効率的に提供されるよう必要な援助行う事業(介護予防事業のマネジメント)・三 被保険者の心身の状況、その居宅における生活の実態その他の実情の把握、保健医療、公衆衛生、社会福祉その他の関施策に関連施策に関する総合的な情報の提供、関係機関との連絡調整その他の被保険者の保健医療の向上および福祉の増進を図るための総合的な支援を行うための事業 (介護保険外のサービスを含む、高齢者や家族に対する総合的な相談・支援)・四 被保険者に対する虐待の防止およびその早期発見のための事業その他の被保険者の権利擁護のため必要な援助を行う事業 (被保険者に対する虐待の防止、早期発見等の権利擁護事業)・五 保健医療および福祉に関する専門的知識を有するものによる被保険者の居宅サービス計画および施設サービス計画の検証、その心身の状況、介護給付等対象サービスの利用状況その他の状況に関する定期的な協議その他の取組を通じ、当該被保険者が地域において自立した日常生活を営むことができるよう、包括的かつ継続的な支援を行う事業 (支援困難ケースへの対応などケアマネジャーへの支援) 地域包括支援センター(介護保険法第115条の39)・ 地域包括支援センターは、前条第一項第二号から、第五号までに掲げる事業(以下、「包括的支援事業」という。)その他厚生労働省令で定める事業を実施し、地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な援助を行うことにより、その保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援することを目的とする施設とする。 本日は、以上です!
2006年02月24日
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再び、キューブラー・ロスさんの言葉から抜粋。 ●「否認」・・・「怒り」・・・「取り引き」・・・などの過程を経て、やっと、「これは現実なんだ」と、(自分の死を)心から納得するようになる。 「抑鬱」の段階では、患者はまず過去に失ったものを悔やんで嘆き、次に外界への興味を失い始める。まわりの人や事物に対する興味が失われていき、しだいに人にも会いたがらなくなり、静かに「準備的悲嘆」の段階を通る。 ここで充分悲しませてあげられれば、そして延命処置などがとられず、家族のほうも、「静かに逝かせてあげる」ことを理解しているなら、患者は「受容」の段階に達し、心安らかに死ぬことができる(これら各段階の事例は、拙著(キューブラー・ロス著)『死ぬ瞬間』で詳しく述べた)。● 以上です。 僕が、関わっているのは、高齢者です。『患者』というよりは、『元気で長生きして、80歳、90歳となり、ひとり暮らし、二人暮らし、または、日中『若いもん』が仕事に出て家には誰もいなく、生きる目標を失ったまま、危ないからと、昼間『デイサービス』などに行っている(行かせられている)、やや弱ってはいるけれど、あと何年生きるかわからないお年寄りさんたちです。介護者の方も、言います。 『あと半年、とか、あと一年とか、わかっていれば、がんばって『介護』も続けられる。が、これが、あと3年なのか8年なのか15年なのか、わからないから大変なんだ。』と・・・。 キューブラー・ロスさんの言う『臨死患者』と、(元気な)『高齢者』とでは、対象が違うかもしれません。だけど、僕にとっては、最終目標としての『心安らかに眠ってほしい』という一点につきます。あと3年か5年かはわかりません。10年続くかもわかりません。 だから、この『死の受容』という例が、そのまま当てはまるとは思いませんが、最終的に、 『生きててよかった。生まれてきてよかった。 良い人生をおくらせてもらった。』と、心安らかに、逝くことができれば・・・・と、思っています。そのための『介護保険』であり、そのための『ケアマネージャー』ではないだろうか 、そう思います。
2006年02月21日
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エリザベス・キューブラー・ロスさんの、考え方を、抜粋してみます。 『臨死患者は、自分の病気と最終的な死をなんとか納得できるようになるまでに、多くの段階を通過しなくてはならない。悪い知らせを聞いても、しばらくはそれを否認して、「以前と変わらず健康で丈夫であるかのように」働き続けることもある。診断が間違っていることを願って、必死の思いで医者から医者へ渡り歩く人もいる。家族に真実を告げないでくれと言うかもしれない。 しかし遅かれ早かれ、患者はその過酷な現実に向き合わなければならない。そのとき、病気に対して「どうして私なのか」といった怒りを示すことが多い。私たちが、そうした「怒り」の段階にある患者を批判するのではなく、支えてあげられれば、つまり彼の苦悶を私たち個人に向けた侮辱だなどと考えたりしなければ、患者はこの段階を通り過ぎて、第三の「取り引き」の段階へと進むことができる。 この段階(「取り引き」)では、神に余命の延長をお願いしたり、これ以上の苦しみを免除してもらえるのならおこないを改めますとか、信仰の道を歩みますと約束したりする。「家の中をきちんと整理」したり、「やり残したことを片づけ」たりして、やっと「これは現実なんだ」と心から納得するようになる。』 今日は、以上です。 この後、 『「抑鬱」の段階を経て、「受容」の段階に達し、心安らかに死ぬことができる(これら各段階の事例は、「死ぬ瞬間」で詳しく述べた)。』という文章に続くのだが、それは、また、後に述べ、考えてみたいと思う。 今日は、この『心安らかに「死ぬ」』までに、その人なりの各段階があるのではないかということである。今、相手の方がどの段階にあるのか、それを、介護者側が、敏感に察知して、それを共有し、理解してあげることが、大切ではないかと僕は思った。
2006年02月19日
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『気の発見』という本を読みました。心にひびいたところを、抜粋してみます。 <気はエントロピー増大の法則にさからえるのか>・五木 人間と人間を取り巻く環境を見ると、「世の中だんだん悪くなっている」と私は思わざるをえないし、人間の肉体もだんだん衰えていくということを感じざるをえません。物質は滞留するとともにかならず乱雑に無秩序になっていくという「エントロピー増大の法則」から逃れられないのかという諦念をもってしまいます。それは不可逆的な反応であって、元にもどることはない。 人間でいうと、赤ん坊が年を重ねるにしたがって老いていき、心身の機能が乱雑に無秩序になっていくのとおなじだと思うのですが、「気」の世界ではエントロピーということについて、どう考えていらっしゃるのでしょうか?・望月 五木先生もさっきおっしゃった医学博士の帯津良一さんが、「エントロピー増大の法則」についておもしろいことを書いておられました。「エントロピー増大の法則」に逆らって存在しているのが私たちの生命であると。生命や生命活動というものは、むしろ無秩序から秩序形成へと向かう性質をもっているというんです。私はそのことを実感していますね。・五木 ほう。・望月 いままで自分が生きてきて、肉体は、たしかに、若いときにくらべて衰えています。・五木 ええ。・望月 ただ、衰えないで、ますます強くなるのが、気なんですね。 以上です。「気」ということ、「呼吸」ということについて、もっと研究してみたいと思いました。
2006年02月17日
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『金子みすずの詩』より。 わたしと小鳥とすずと わたしが両手を広げても、 お空はちっともとべないが、 とべる小鳥はわたしのように、 地面をはやくは走れない。 わたしがからだをゆすっても、 きれいな音はでないけど、 あの鳴るすずはわたしのように たくさんなうたは知らないよ。 すずと、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。<『すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい』 とうたうみすずの心のいのりが、だれの心にも、やさしく、 あたたかくひびいてくるでしょう。 みすずの童謡は、小さいもの、力の弱いもの、無名なもの、 無用なもの、この地球という星に存在する、すべてのものに対する、 いのりのうただったのです。 みなさんは、金子みすず童謡集を読んで、どんなふうに思ったでしょう か。> 以上です。(もしできましたら、ご意見などがあれば、おっしゃってくださいませ!)
2006年02月15日
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「矢崎節夫さんの文章」です。 『私と小鳥とすずと』によせて 矢崎節夫「童謡は詩です。 リズムのある詩です。 誰にでも、わかる言葉で書いた詩です。じぶんのリズムで、読んだり、うたったりできる詩です。 金子みすずの童謡は、そんなすてきな詩なのです。 私が、金子みすずの童謡をはじめて呼んだのは、大学一年の時でした。『日本童謡集』(与田準一編・岩波文庫)という本に、たった一遍だけ『大漁』がのっていたのです。 大漁 朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ。 はまは祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう。 わたしは強く心をうたれました。 大漁を喜ぶ人々の、お祭りのようににぎわう浜辺をながめながら、そのうらにかくれている、海の魚たちの悲しみをみつめた、一人のやさしい詩人の目を感じたからです。 ---こんなに思いの深い、やさしい童謡を書いた、金子みすずとは、どんな人なのだろうか。 私はこの時から、金子みすずについて、もっと知りたいと、思い続けるようになったのです。」 以上です。
2006年02月15日
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<個人的な質問>より。 私(キューブラーロス)の教え子の中には、「望みのない患者たち」の介護に、どうしてそんなに多くの時間を費やすことができるのか、長時間こうした「悲しい仕事」をする気力や確信をどこから得るのか、と質問する人がたくさんいる。こうした質問に多少なりとも答えることは、私たちの力がどこから来るのか、患者に深く関わりすぎて私たち自身の幸せを損なってしまうという問題にどのように対処するのかを、理解するのに役立つかもしれない。 強調しておかなくてはならないのは、私は末期患者以外の患者の診察や世話もしているし、私には世話をしなくてはならない家と家族と庭があるということである。どんな人間も一週間に5日、あるいは一日に9時間、末期患者とだけ関わるべきではないと私は信じている。 末期患者と関わる仕事は非常に疲れ、精神的にへとへとになる。疲労困憊して自分を献身的にささげることができなくなってしまう前に私たち一人ひとりが、「充電し、英気を養う」ための自分なりの方法を見つけなくてはならない。 死の床にいる患者と関わることに、私は深い満足感を覚えています。悲しいことは何度もありますが、気が滅入ることはありません。・・・・・・・ ・・・このようにして私は、家族の死だけでなく、家族の生のあらゆる場面に参加できるのです。精神的な安定は、言うまでもなく私自身の幸せな家庭からも生まれます。思いやりのある夫と二人の健康な子供に囲まれ、主婦として働く家庭と、土いじりのできる庭のあることが、精神的なバランスを保ってくれるのです。また、定期的にとっている休暇のおかげもあります。毎年数週間の休暇には、スイスやアラスカの山に登り、その間は自分の仕事や患者たちのことを忘れることができるのです。」 以上です。●<私たち一人ひとりが「充電し、英気を養う」ための自分なりの方法を見 つけなくてはならないのだと、心から思います。そうしてこそはじめて、 疲労困憊することなく、自分を献身的に捧げることができるのだと、心か らそう思います。ありがとうございます。>●
2006年02月14日
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『金子みすず」・・・「わたしと小鳥とすずと」から、いっぺんの詩をのせたい。 <星とタンポポ>・青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように、 夜が来るまでしずんでいる、 昼のお星は目にみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。<光不抱く友に>の中で、優等生に対して、酔っ払いの飲み屋のかあちゃんを持った”不良少女”が、ふとつぶやく”一編の詩”でした。 ちなみに、あの『星の王子様』を書いた”サン・テグ・ジュペリ”も言っています。 <本当に大切なものは、目にみえないんだと>と・・・。僕たちは、つい、目にみえるもので、人を判断してしまいます。『肌の色や、学歴、身長や体重、顔の良さや、収入や、 笑顔のかわいさ、足の長さ等など』・たとえ、2年留年して、21歳で高校生をして、酔っ払いの母親を抱えて、黒人のアメリカ兵を恋をしてしていて、裏切られ、14歳から、”女”となり、男に恋をし続け、いわゆる”不良”だとしても、『金子みすずさんと同じ感性』を持っていた人・・・。<目にみえない”本当に大切なもの”を、実感として感じている人>なのだと思った。> 僕は、この番組を見て、涙があふれてきた。なぜだが、今の僕には、”センチメンタルかもしれないけど”、心を、とても強く打たれました。ありがとう。
2006年02月13日
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・・・、世の中には、死後の生を信じている人とそうでない人がいる・・ <質問> 「看護スタッフはたいてい二派に分かれますロス先生の考え方を信じているものと信じていないものです。どうしたらいいのでしょうか?」 <アンサー> 「この質問に対しては、世の中には死後の生を信じている人とそうでない人がいる、と答えるのが一番でしょう。 信じていない人を無理に信じさせようとしてはいけません。あなた自身が安らぎを感じ、満ち足りた気分でいれば、あなたの考え方が臨死患者に接する仕事だけでなく日常の生活でも役立つことが、他の人たちにもよりよく伝わると思います。死の床にある患者に対して率直かつ正直であるべきだという考え方を信じていない看護師たちも、すぐに、あなたが患者ととても良好な関係を築いていることに気づくでしょう。あなたを見て、落ち込んでいる様子も憂鬱なそうな様子もなく、一日の終わりに疲れ切った様子もないことが、彼女たちにもわかるでしょう。 「担当している患者が死にかけている」にもかかわらず、本当に彼らの力になってあげられると感じているあなたは、死の床にある患者ととても満たされた時間を過ごしていることが、彼女たちにもわかるでしょう。そうすれば彼女たちにも違いがわかるはずです。そうなれば、あなたと同じ考え方の看護師が増えることでしょう。」 以上です。 ・まず、僕自身が『安らぎを感じ』『満ち足りた気分でいれば』そして、『落ち込んでいる様子も憂鬱そうな様子もなく』、『一日の終わりに疲れ切った様子もないこと』・・・そういう状態であることが、一番大切な重要なことだと感じます。
2006年02月12日
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