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11月30日(金)晴れ午後の一時ペットボトルロケットを飛ばした。噴射する水でずぶぬれ状態になってしまったが、かなりとばすことが出来た。ロケット本体が微妙に曲がっていたり、羽の付け方によっては真っ直ぐに飛ばなかったりした。中に入れる水の量を多めにして空気の圧を上げてあげると遠くまで飛んだ。明日、モルジブに発つ次女が荷物をとりに寄った。勤務時間が終了するとすぐ職場を出た。1週間留守になるというので結婚式のときのお花を持ってきてくれた。6時過ぎに帰っていった。
2007年11月30日
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11月29日(木)仕事を終えてからソフトバンクの携帯ショップに行った。次女の結婚式の時に長女が「お母さんにお誕生日メールを送ろうとしたけれど送れなかった。」と言っていた。思い当たる節があった。私のメールアドレスは、vodafonのままだったので、@の後をsoftbankにかえてしまったのだ。またvodafonに戻したら届くかな?と思ったのだが、戻らない。お店に行って分かったことだが、一度softbankにしてしまったら、戻せないのだそうだ。冷静に考えれば当然のことである。アドレス変更メールを一斉に送ってもらい、ついでに3Gの携帯に替えることにした。機種代を24ヶ月で分割して一月1580円が月額の代金に上乗せになるのだそうだが、2年間この携帯を持つことにより、月額1580円の割引となるそうだ。現在の契約内容とほぼ同じ内容のものにすると月額1000円ぐらい安くなるのだ。2年間と言う制約はあるが、携帯が新しくなり、デジカメ機能も300万画素有るし、維持費も安くなるのだからすぐに機種変更をした。今まで電波が弱く、家の中では南の部屋でかろうじて通話できたのだが、今度はどの部屋でも電波の状態がすこぶるよい。yahoo!携帯での検索も便利である。、
2007年11月29日
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11月26日(月)晴れ朝、実家に寄る。昨日、長女を送る途中に寄ったら、冷蔵庫の中が寂しくなっていたので、食材などを届ける。ご飯3食分、大根葉の炒め物、酢の物、みかん、八頭、人参、刻み油揚げ、ハンバーグ、甘酢だれ肉団子でヘルパーさんが来ても大丈夫だろう。職場にはぎりぎりに着く。喉がいがらっぽくなり、話していると咳が出やすくなるが、仕事に差し支えなくなってきた。ニチエーで買い物をして帰る。夫と二人きりだと料理をする張り合いも無い。二人ではそれほど食べられないからだ。コタツでTVを見ていたら、次女からメールが届いた。「帰りにちょっと寄るから・・・」そのメールを見て、「何かおかずを作っておくね。」とメールを返したとたんにさっきとは別人のように不思議なくらい体が軽くなりどんどん動けた。ひじきの煮物(ひじき、人参、枝豆、さつま揚げ)とポテトサラダ(じゃが芋、コーン、人参、グリンピース、玉葱、ハム)と大根の梅酢漬けを作る。パックに詰めて、ヒレカツ、味付け鶏肉、韓国野菜を持たせる。次女は携帯の充電器と新婚旅行にもって行くケースをとりに寄ったのだと言う。夕食を食べながら結婚式のことで話が弾む。新郎の最初の挨拶、手作りビデオ、それに最後の言葉も良かった。花嫁の多趣味で働き者のお母さん・・・と言う内容の手紙では、しっかりと成長した娘に、そして数々の思い出を残してくれた娘に感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまった。父や母の生き方をよく見ていたのだなとつくづく思った。夫の謝辞で「人の一生は、重荷を負いて遠き道を行くが如し」「一生は、糾える縄の如し」と一生を喩えていたが、二人力を合わせて、一生懸命に歩んでいって欲しい。
2007年11月26日
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11月25日(日)晴れ昨日、結婚式が終わった後、家で私と長男のデジカメ写真をパソコンに取り入れた。私がもたもたしているのを見るのがじれったいらしく、長女がどんどん作業を進めていく。(長女はディレクターの仕事をはじめ、カメラ、経理、営業の仕事までマルチにこなしてしているようだ。雰囲気が江角マキコに似ていると言われ、困ったことに男性ではなく、女性に人気があるのだ。次女から数々の彼女の武勇伝を聞いていた出席者の女性はすぐにアジアンチックな格好をしたのが長女だと分かったそうだ。甥が義姉の撮ったデジカメ写真をCDに落としてきてくれたので、立ち寄った次女と義母や義妹親子、義姉たちと見る。長女と長男等は私が撮った数々のショットにどうやったらこんなに面白い場面が取れるの?と爆笑しまくっていた。カメラの腕は悪いが、話題提供にはなるらしい。姪が子供を連れ、自宅に生っているみかんを持ってきてくれたので、皆で戴く。夕方東京の家族が帰る。二階のベランダいっぱいに干した布団を取り入れる。夕飯は残り物で済ます。急に静かになった感じがする。9時過ぎに長男が生ラーメンを持て来る。長男は八頭の煮物とラーメンとりんごで夕食にした。仕事の事や、結婚式のことなどをいろいろと話しているうちに12時をまわったので帰っていった。
2007年11月25日
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11月24日(土)晴れ今日は次女の結婚式。気ぜわしい感じがするばかりで嫁ぐという実感が無い。御目出度い日なのでお赤飯を炊くことにした。7合のもち米をといで茹でたささげを釜に入れて炊く。母屋の2階に岐阜・愛知・静岡からの次女の友達4人が泊まっているので、朝食はパック詰めにすることにした。お赤飯のパックを7パック作り、もう1パックに厚焼き卵、きんぴらごぼう、酢の物、八頭の煮物を詰めた。義母たち用のお赤飯も大皿によそって、母屋に持って行く。しかし久しぶりに会ったので話が弾んで遅くまで起きていたのか、皆はまだ眠っているようだった。9時30分までに結婚式場近くの美容室に着かなければならないので、8時45分ごろ家を出ることにした。次女と私の車に分散して式場まで向かう。江戸褄に着替えて待合室に行ったら、新郎のご両親がすでにいらしていた。電話では何度か話していたが、お会いするのは初めてだった。お母さんは年齢よりも大分若くみえ、社交的で、お父さんは、優しく穏やかそうだった。長女が黒のドレスを着て現れた。どんな雰囲気になるのか心配だったが、アジアンチックな華やかな感じで、長女には似合っていた。式は厳かに進められた。主役の新郎新婦が純白に輝き眩しいほどだった。夫は娘と歩くときに緊張しているようだった。神父さんの温かい言葉に沢山の祝福を感じた。賛美歌の美しい歌声も心に焼きつく。式の後、親族の紹介があった。新郎のお姉さまは、次女から話には聞いてはいたが、とても美人で知的な方だった。次女がエルメスのバッグを戴いたり、新婚旅行のモルジブ行きをプレゼントしていただいたのでお礼を言う。すぐ上のお姉さんは、足を骨折したので松葉杖をついて遠方から出席してくださった。披露宴は、会食から始まり、オードブルとドリンクをいただき始めてから新郎新婦が入場した。新郎のウェルカムスピーチ、MCの二人の紹介、祝辞、乾杯へと続いた。祝辞は職場の同期の同僚の女性が行ったが、話が上手で若いのにもかかわらず大変堂々としていて立派だった。ウェーディングケーキ入刀、友人スピーチ(新婦の大学時代の友人、新郎の幼なじみ、新郎の以前の職場の同期の方)新郎が誕生した年に製造されたワインが新郎の一番上のお姉さんからプレゼントされた。新婦の退場(弟と)に続いて、新郎の退場(お姉さんと)となった。二人が退場している間、新郎が作成したビデオを上映した。情報修士を終えているだけあり、内容・技術ともに素晴らしかった。お色直しをして新郎新婦が入場すると会場から歓声が沸いた。スポットライトを浴びた真っ赤なドレスをまとった新婦がはっとするほど美しくかわいらしくみえた。(このドレスは私の強い希望で着てもらったのだ。)それぞれのテーブルで記念写真を撮った後、余興になり、かなり盛り上がった。最後のほうの新婦の手紙に自然に涙が流れてしまった。結婚式前もほとんど休みが取れず、連日遅くまで披露宴の準備等で忙しく、手紙を書く間が無かったらしいが、娘からの感謝の気持ちがよく伝わり、じ~んとくる手紙だった。そして落ち着いて読めたと思う。花束を戴いて、両家代表の挨拶となった。新郎のお父様が病気をされているので代わりに夫が長い挨拶をした。会場はしーんとなって夫の話を聞いていた。妹はこれから大学の講義が始まるのかと思ったと言っていた。労災関係の仕事をしている義妹、ハローワークの仕事をしている義妹、人材の再教育関係の仕事をしている義弟は、「失われた10年」「就職氷河期」「753現象」と言う言葉にうなずきながら話を聞いていたようだ。夫は、この挨拶の中で間接的に次女に、そして長女にメッセージを添えたようだ。長い挨拶で謝辞を言う新郎にはプレッシャーになったようだが、若者らしい挨拶で、この会に出席してくださった皆様に感謝のメッセージが届いたいい挨拶だったと思う。夫は、新郎新婦が主体となったいい披露宴だったと言っていた。私も二人の思いがよく表れた、みなさんから祝福されたいい結婚式だったと思う。
2007年11月24日
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11月20日(火)晴れ風邪は大分良くなってきた。普通の声で話す分には平気なのだが、午後3時半頃まで大きな声を出していると喉が危なっかしくなる。次女の結婚式が24日なのでそれまでには完全に治したい。楽なことを考えてしまう私は、エクセルに数式を貼り付けて自動的に仕事を処理できるようにした。膨大な仕事もほぼ終わったに等しい。今日は恵比寿講で私の誕生日でもある。仕事帰りにスーパーに寄って秋刀魚とけんちん汁の材料を買ったが、夕飯は残り物を食べることにして、明日次女も来るようなので少し腕をふるうことにした。買い物に行っても何時ものようにかごに沢山入れそうになるが、夫と二人きりで食べきれないと思い直してもとの陳列棚に返すことを繰り返している。料理は喜んで食べてくれる人がいないと作る元気も無くなるようです。誕生日のお祝いメールを戴いた。年を重ねることに鈍感になりつつある。これは命あるものが徐々に朽ち果ててくために神様が与えてくださった自己防衛機能なのだろう。夫は、私の誕生日を忘れていたようだ。出来たはずのネットワーク設定が不安定だ。昨日から動きの遅いノートパソコンと私のデスクトップのパソコンを行ったり来たりしているうちに時間ばかりが経ってしまった。
2007年11月20日
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11月18日(日)晴れ何時もなら水沢山に向かうのだが、ここのところ山にはご無沙汰している。午前中は報道2001を見ながら、じゃが芋の皮むき。おからを作ってから渋川のカインズとヤマダ電機に向かう。カインズでは金魚の餌と水槽用フィルター、紙おむつ、バケツ、IH用鍋を買う。次にヤマダ電機に行って、パナソニックのデジカメLUMIX FX33とらんケーブル10メートルを買う。家に帰ったときには、次女が来ていたので、肉じゃがを作り、おから・肉じゃが・けんちん汁・ご飯7食分・煮物を持たせる。結婚式前のエステに行くので3時半ごろ帰る。夕方、母屋の長寿金魚のフィルターのモーターがうるさかったので、新しいものに取り替える。夕食後は、長男の部屋にノートパソコンと、今まで私が使っていたプリンターを持って行き、インターネットが出来るように試みた。無線ランではなかなか接続がうまくいかないので、有線ランに変えてみた。無知な私はヤフーBBのソフトで接続してみたら、今度は私のパソコンからインターネットが出来なくなってしまった。そこで、メモリーカードを使い、ネットワークで接続してみたら長男のパソコンでも出来るようになった。プリンターの共有の確認はまた後日だ。長男がコンビにで買ったというホッケの入った袋を下げて帰ってきた。まだ、夕飯前と言うことなので用意する。風邪気味なので布団に入りながら、デジカメの使い方を見ているうちにうとうとしてしまったようだ。
2007年11月18日
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11月17日(土)晴れ今日は次女の引越しだ。バリバリに手伝うつもりでいたが、咳風邪が良くならない。また、近くの医院に行って薬をもらってくる。今回は1週間後の結婚式までには咳が治るようにと違う薬を処方してもらう。結局、引越しは午後3時過ぎに夫と次女でした。私は、夕飯用にお赤飯と煮物を作って次女に持たせた。夕方、母屋の二階の掃除機をかける。母屋の2階には子供たちの物が沢山置いてある。思い出がいっぱい詰まっているので、なかなか思い切って片付けられない。実家と母屋にお赤飯と煮物を届ける。父も咳風邪を引いたようだ。
2007年11月17日
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11月15日(木)晴れ今日は穏やかな温かい一日だった。月曜日に医者に行って薬をもらい、良くなってきたかなと思ったのもつかの間で、週末になるに連れて喉が…また先週の金曜日と同じ状態になってしまった。マスクをして大人しくしていれば良いのだが、多分今の喉の状態は赤くなって炎症をしている状態だろう。これよりもひどくならないように気をつけよう。明後日の土曜日はいよいよ次女の引越しだから。
2007年11月15日
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11月12日(月)晴れ先週から喉が痛かったのだが、喉を酷使続けたら、咳が出て鼻水が出るようになった。日曜日に荒船山に登る予定だったので、金曜日の夜は早く休んだ。土曜日になっても、症状は悪化するばかりで、全身熱っぽい。一日大人しく寝ていれば日曜日の山行きは出来るだろうと思っていた。日曜日あいにくの雨。荒船山行きは中止になった。もし行くことになったら、確実に風邪は悪化するだろうと思っていたが、中止となるととたんに200パーセント病人になってしまった。熱は38.4度まで上がった。体が熱い。汗は次々に出る。野菜入りのおかゆを食べてもすぐに汗になってしまう。水分が体に入った割には、体重が減っていた。あまり食べたくは無かったけれど、夫がせっかく買ってきてくれたほっか弁の親子丼を我慢して完食した。食べてすぐに汗をかいた。すると先ほどまで熱かった体が熱く感じられないのだ。炭水化物は熱や力のもとになるが、今回ほどそれを実感したことは無かった。熱や力になる物を食べたから熱を出すことによって体温が下がったのだろう。月曜日午後大事をとって休みをもらい、近くのお医者さんに行って薬を戴いてきた。夕方長男が寄る。明日からは職員旅行で福島にゴルフに行くそうだ。株価大暴落。ドルは110円をきるだろうと言われているが、ついにきった。108円まで下がるだろう。サブプライム問題が予想よりも大きいことが影響しているようだ。今後、ドルはさらに弱まっていくのだろう。息子は自己責任の下に大きな授業料を払っているようだ。
2007年11月12日
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11月9日(金)晴れホチキスの10番の芯4個分と針金11cm、エナメル線、クリップ2個でモーターを作ってみた。設置する板が無かったので、ダンボールを工夫して板代わりにした。細かい作業だったがどうに出来上がったが、電流を流すとかすかに揺れる程度で、回転するところまでには行かない。クリップのところまでは電流が流れているが…問題は解決できなかった。また、ちゃんとした材料で挑戦してみよう。
2007年11月09日
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11月8日(木)晴れ昨日、父に食事を届けに寄ったら、11月から介護が要支援2になったと言っていた。要支援1から要支援2になってありがたいけれど、それは第3者が父を見て、より支援が必要になったと認めたことになる。気力に溢れ、元気な頃の父の姿と現在の姿が重なる。時の流れを止めることは出来ない。嘆いても何か始まるわけではない。山野に咲く草花のように光り輝き、次の世代にバトンタッチし、やがては朽ちていくのだ。不平も不満も言わずに自然の流れに従って・・・。人間も根底に流れるものは草花と同じだ。刻々と着実に老いはやって来る。自分が父だとしたら…寂しさと孤独と不安の中で、自分が存在している価値さえ見失ってしまうだろう。時々折れそうになる父。父にかける言葉の特効薬は無いが、「○○出来るだけ幸せなんだよ。」と自分自身に言い聞かせるように父に毎日念仏のように唱えている。
2007年11月08日
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11月7日(水)晴れ昨夜遅く、味噌饅頭を40個作った。1キログラムの餡子が少し余ったので、片栗粉にまぶしてお饅頭と一緒に蒸かしてみたら和菓子風になった。和菓子風の餡子と味噌饅頭30個を職場に持って行った。休憩時間に皆さんが美味しいと言って食べてくださったので作り甲斐があるし、嬉しい。夕方、長男から8時半ごろに帰ると電話があった。昨日の夜10時頃寝て、起きたのは今日の夕刻だったようだ。こんなに眠れるのは、日々の疲れと若さのせいなのだろう。すぐに目覚めてしまう私には考えられないことだが・・・週末も近くになり、気分が楽になる。今日もまた風呂に書物を持ち込んでしまいそうだ。少し経済情報明るくなろう。深夜、アステカ文明などのTVを見ながら夫の職場用の味噌饅頭を20個作る。
2007年11月07日
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11月6日(火)仕事を終え、家に着いたら、宅急便が届いた。次女の婚約者の実家からだった。「やなぎ」と言う珍しい魚と秋刀魚の味醂漬けだった。早速焼いて戴く事にした。やなぎと言う魚は地元の人でもなかなか口にすることの出来ない魚だそうだ。早速、お礼の電話をする。真夜中になってからお饅頭作りを始める。40個作った。今回もだんご粉を少し入れてみた。餡子が余ったので、片栗粉にまぶして蒸かしてみた。和菓子のようで結構いける。次回は寒天で包んでみよう。
2007年11月06日
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11月5日(月)ありあわせの材料でブザーと検流計を作った。ブザー:はがき大の版画用の板、角材、釘、鉄板、エナメル線、乾電池検流計:フィルムケース、エナメル線、アルニコ磁石、ストロー(2,5cm)、楊枝画用紙(10×2,5cm)、乾電池ホルダー、スイッチ前にブザーを代用品で作ったら、うまく鳴らなかったので今回は板を使って丁寧に作ることにした。いい音とは言えないが、それでも鳴った時は嬉しかった。
2007年11月05日
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11月4日(日)晴れ起きたときからなんとなく腰が・・・ぎっくり腰の一歩手前の様だ。山に行こうか・・・とも思ったが、法事まで時間が無いし、無理をせずに家の仕事をすることにした。8時すぎまでは、マイ菜園のタマネギの草むしりをした。種を3袋分買ったので、草むしりをする面積も広い。かなりむしれたところで、8時からの道路愛護の人たちが見えたので、私も畑の西側の道端の草を浅鍬でかくことにした。午前11時から叔父の家で法事があった。慣れない神式の2礼2拍手1礼に戸惑いながらお参りする。お墓参りも済ませた後、四川でお食事会があった。今は亡き従兄妹の奥さんと、従兄妹3人と神主さんが同じテーブルだった。美味しく沢山戴いてしまった。実家にお寿司、大根葉の炒め物、ニラの卵とじ、大根を持って行く。父が良く遊びに行く家の奥さんが庭に立っていて、「車は有るんですけど、鍵がかかっていて・・・」と言っていた。父にりんごを持ってきてくださったのだ。もしやと一瞬心配になり、玄関を開けたら、庭の周りで使っているシルバーカーが無いので、裏庭に行って見たら、父が腰を下ろして浅鍬で草退治をしていた。1時間近く草かきをしていた父は仕事をやめ、奥さんと一緒に家に戻った。妹も食事を持ってきたらしく、炊き込みご飯と調理パンが置いてあった。父の洗濯物を何度か水洗いし、洗濯機に入れ、洗剤液に漬け込んでおくことにした。毎朝、シルバーカーに洗濯物を入れたかごを載せ、物置の前に椅子に腰掛けながら父は干しているのだ。薄情なようだが、手助けはしてあげても、気力で頑張って欲しいと思う。その頑張りが生きていく力になると思うから・・・玄関の鍵を閉めてから、裏庭のまだ父が草かきをしていないところを浅鍬でかく。何もしていないよりも少しは楽になるだろう。実家から畑に直行して、タマネギの草むしりをする。ハキダメギクの退治が出来たと思ったら、その後は、ホトケノザ、ナズナ、スベリヒューなどが生え出した。植物の生命力はものすごいものが有る。それに比べて、人間の生命力は・・・弱さばかりが私の目には映る。義妹に添付ファイル付きメールを送る。着物の着付けに必要なものをパソコンで打って送ろうとしたが、コピー機能付きプリンターの存在を思い出し、初挑戦してみた。打つのより簡単である。ついでに奈良俣ダムに行ったときのはっとするような美しさの紅葉の写真も添付して送ることにした。一日ぎっくり腰寸前の状態を維持し続けた。民主党小澤党首の辞任?なんて言うニュースが飛び込んできたので、寝ようとしていた私は、また茶の間に戻ったが、流石に早く寝ることにした。
2007年11月04日
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11月3日(土)5時ごろ目が覚めてしまった。今日は久しぶりの水沢登山になる。しばらく作っていないお饅頭を作ることにした。しばらく作っていなかったので、始めるまでは億劫な感じがするが、作り始めるとおやきよりも簡単かも知れない。今回は薄力粉とだんご粉とで味噌饅頭30個作ることにした。7:21 家発水沢の大駐車場脇の細い道に入ると何時もより明るく感じた。よく見ると木々が大分伐採されていた。水道のあるところに車を止め、水を汲んでから歩き始める。7:35 水のみ場発登山口を入ってすぐ、飯さんと岡さんが下ってきた。岡さんが、「愛想のいい人が登っていった・・・」と言ったので、「多分鈴さんだと思いますよ。」と返す。温泉町の宮さん、斉さん、?さんと遇う。宮さんが登った山梨の山のことや、白砂山のことなどをちょっと立ち話。私が窪地で道に迷ったと話したら、斉さんも八間山に言ったらしく、迷った場所が分かったらしい。鈴さんに追いつき、一緒に話しながら登る。7:59 第一休憩所長さん、高さんが下ってきた。8:16 お休み石井さんと遇う。9:01 石仏 久しぶりの石仏付近にはリュウノウギクと時期遅れのヤマラッキョウが咲いていた。草坊主と山頂にはリンドウが咲いていた。9:25 水沢山頂着 曇写真を撮りながら登ったので2時間近くかかった。二ツ岳や相馬山の紅葉が綺麗だった。鈴さんと石座で休んでいると、宮さんご夫妻、白さん、新さん等3人、登さん、尾さん、大さんらが登ってきた。白さんに戴いたカステラや鈴さんから戴いた柿を美味しく戴く。いつもながら大さんの美味しい熱々コーヒーが乾いた体にしみ込んでくるようでほっとするひと時だ。下りは鈴さん、尾さん、大さん等で下る。お赤飯を炊いて母屋と実家に持って行く。ついでに柿もぎをする。柿の木は私が成人祝いに苗木を戴いたものだ。買い物袋4つ分取れた。父は早速もいだ柿を持て何時も遊びに行く家に持って行った。2袋戴いてくる。家に戻ってすぐ長女に送るものを用意する。バナナの箱いっぱいに箱詰めして、長女に送る。明日、長女は友達と鍋パーティーをするようだ。
2007年11月03日
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11月1日(木)晴れ今年も残すところ2ヶ月となった。今月は私の誕生日の4日後が次女の結婚式だ。何かと忙しい日々が続きそうだ。次女にお弁当を作ってやれるのも後僅かだ。特別美味しいものは作れないが、健康第一に考えて後僅かなお弁当作りを楽しもう。残菜を捨てに外に出たら、庭に落ち葉が沢山落ちていたので、落ち葉掃きをした。庭はきれいになったが、まだ木には沢山葉が付いている。これから落ち葉との戦いがしばらく続くことになる。長男が夜家に寄った。此処のところ為替は値上がりしている。この辺りが最高値だろうか?また、私のパソコンを独占された。夜、久しぶりにラスクを作った。全卵と粉糖とでかき混ぜたものをぬって焼いた。黄身と白身を別々にした方が見た目にいいようだ。明日一日頑張れば休みかと思うとついついのんびりしてしまう。今日はゆっくり風呂に入るぞ。活字を持ち込んで時の経つのも忘れて風呂に浸かりながら至福のときを過ごそう。
2007年11月01日
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