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1月30日(土)早朝、妹から電話があった。病棟中に響くような声で「痛い痛い」を連発していたそうだ。3回痛み止めの注射をしたが一晩中苦しんでいたようだ。もう消化器管系がちっとも働いてないらしい。一時右足の浮腫みがすっかり良くなったが再び浮腫みだしてきた。今日は私が泊ることになるだろう。これから病院に向かう。10時半に病院に着く。昨夜一睡もできなかった妹はかなり疲れきっている。お昼を食べて、妹は給料計算の仕事をするので職場に戻った。相馬の叔父が今日も来てくれた。13:30 父があまり痛がるので看護師さんを呼ぶ。医療用痛み止め(モルヒネ)を飲ませる。頭の中にいろいろなことが浮かぶらしく、うわ言のように話している。父の右足はまた浮腫みで足がつるつるになりかけている。お腹は硬い。そのおなかを痛い痛いとなでるようにしている。妹も私もしんどい。今日はあまり痛がらずに寝てくれることを祈る。
2010年01月30日
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1月29日(金)病院に戻った父は、「寝てばかりいては頭がおかしくなっちゃう。」と言って、昨日の夕飯と今朝の朝飯は食堂まで車椅子で行って食べていた。朝食前にひげをそってあげたら、「手も足も綺麗になったし、良かった良かった。」と気持ちよさそうだった。こんな状態が少しは続いてくれるのかな?と思っていた。仕事を終えて病室に行ったら、「退院するんだ。」「明日退院するんだ。」と言っている。昨日の朝、救急車で運ばれ、今日午後CTスキャンを撮ったばかりなのだ。「先生は何と言ったの?昨日救急車で運ばれてきたばかりだし、もう少し入院して様子を見たほうがいいんじゃない?」と言ったら父の機嫌は悪くなった。すがったり、泣いたり、わめいたりもしている。回りのものが浅鍬で耕せと責め立てるとも言っていた。被害妄想的なところも有る。24時間介護をしてくれる人を頼んでも家に帰るとも言っている。すべてが信じられないようだ。本当のことを言って欲しいともいっているが、ずうっと父のそばに居ると、真実を聞かされて耐えられそうも無いように思われる。今晩はかなり荒れそうだ。仕事を終えて病院に来た妹とバトンタッチして帰る。病院の妹から電話があった。父の意に添えない子ども達が悪者になっているそうだ。妹に携帯を買ってくるようにも言ったそうだ。今晩も無事には済まなそうだ。
2010年01月29日
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1月28日(木)26日の4時ごろ一時帰宅してきた父が、夜中の一持頃から「腰が痛い!鳩尾が痛い!原が痛い!」と顔をしかめている。朝やってきた妹が暮れの30日の症状と同じだという。今日の午後には病院に戻ることになっていたが、持ちそうもないので救急車をお願いして病院まで運んでいただいた。同じ病室に舞い戻ってきたわけだが、この病棟には居られない。緩和ケア病棟に移らねばならないが、そのためには告知しなくてはならない。来週の頭に告知することになるが、父が耐えられるか心配だ。4時に病室に行ったら、触るものが皆凍ってしまうという夢を見ていたそうだ。父が泊まって欲しいと懇願しているので今晩も泊まろう。
2010年01月28日
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1月27日(水)退院したい退院したいと看護師さんを困らせたのだろう。個室に入っているので人とも話ができなく父の精神がだんだん壊れつつあった。一時帰宅なのだが、退院したい父には退院するということで昨日荷物も全部持ってきた。昨日家に帰ってきた父は嬉しそうだった。近所の人がお見舞いに来てくれた。最初おかしな話方をしていた父もだいぶ話がはっきりしてきた。もう病院には戻らないという。自宅で24時間介護の方を頼んでもよいが治療はできない。10箇所ほど病院を当たったが引き受けてくれる所はない。病院に戻っても今までの病棟には長く居られない。告知して緩和ケア病棟に行くしかないようだ。あの父が告知されたら・・・今でも大変なのにどうフォローしたらよいのだろう・・・今日は新井の叔父夫婦、同じ町の叔父、箕郷の叔父が見舞いに来てくださった。あまりにいい日だったので縁側でたらいに水をはって父の足を洗った。見違えるほどきれいになった。庭木を見ながら「去年は庭師が入らなかったけどあまり枝が伸びていないな。」とおかしなことを言う。去年は2回も大々的に庭師が入ったのに・・・それから、2年も入院しているから・・・と言っていた。まだ1ヶ月しか経っていないのに・・・・父にとってはこの一ヶ月が2年に感じられたのだろう・・明日まで父を病院に戻る気持ちにさせなくては・・・
2010年01月27日
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1月23日(土)1月8日頃から私は咽をやられてしまい、先週1週間は咳が止まらない状態が続いた。妹も疲れ果てているようだ。木曜日に仕事を終えて病院に着いたら父がいつもとは違う。荒れているのだ。退院すると言い出したり、もうだめだと言ったり、病気が思うようによくならないことや、後とり問題(後を継いでくれると思っていた甥が継げなくなったこと)などが複合的に絡んでいるようだ。昨夜は9時過ぎに一番いい携帯と腕時計を買うのだと言っていた。今朝は病院に入院しているのに医者に行くと言い出した。此処の所途方にくれることが連続している。父が父でなくなっていくようで悲しい。
2010年01月23日
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1月18日(月)4時45分ごろ、父は「はあ、やだよ。ここじゃなく家に帰りたい。」「何も食べないせいか腹が痛い。」と言っているようだ。朝食は五分粥少し、味噌汁(味噌だけ入っている)、牛乳半分食べた。36,5度、血圧102-61 酸素97パーセント、採血3本、輸血、点滴「入院したての頃が今より楽だった。」「だんだんボケてくる。仕方ないんだよ。」「此処は伊香保の何て言うんだ・・・」「西群馬病院だよ。」「車で来るんか?」「うん」「早く行け」「5分か10分俺のところにいたってしょうがないんだ」「事故が起きない程度に行ってくれや、頼むから」調子の良くない父を心配させてしまったようだ。仕事が終わって病院に着いた。輸血をしたせいか朝より元気になったようだ。夕方37,3度夕食は五分粥、大根煮3切れ、柚子味噌、煮た林檎夕食はお豆腐以外は全部食べられた。「医者はどう言うのか知らないが、いくらか良くなっている気がするよ。」と父は金井さんに話していた。
2010年01月18日
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1月17日(日)妹が「お昼過ぎでもいいよ。」と言ってくれたので、幸佑の所にでも行こうかと一瞬思ったが、いつの間にか車は病院の方に向かっていた。10時病院着。父は、昼食に5分粥、茄子の煮物、入り豆腐は三分の二ぐらい食べた。煮魚は手付けずだ。「昌はどうして来ているんだ。」と父が言ったので、「おじいさんが心配だからじゃないん?」と言うと、「心配したってしょうがねえじゃない。」と・・・。はっきりしない言葉で呟く。「はあ、いやになったよ。飯が食えて・・・やんなったよ。」と言いながらも苦しそうだ。歯を見せて、はあはあと荒い息をしながら目を瞑っている。父の歯はもうすぐ89歳になるが、ほとんど自分の歯だ。血圧は94-60と低い。高崎の叔母が腰を曲げながら娘とお見舞いに来てくれた。叔母の手作りのゆかりを持ってきてくれた。今日の父は熱もあり、血圧も低めで食欲も無い。夕食は自分で起きて食べる元気も無く、林檎煮を口まで運ぶと美味しいと言ってみんな食べた。でも、他は手付かずだ。夜間は熱のせいか苦しそうだ。30分から1時間おきに「水、水」っと言う。片方を向いて寝ているのに疲れ、寝返りをうとうとするが布団の重みでうまく向きを変えられない。その都度布団を直してあげるが、父は弱音を吐くばかりだ。夕方、夫と長女が来た。夫の手作りのカレーを届けてくれたのだ。愚痴を言いたくなるほどもっぱら料理を食べる人で料理をすることなど無かった人なのだが、此処のところ主夫をやっていて、腕もめきめき上がってきたようだ。私は喉をやられてしまい、熱っぽい。妹も喉の風邪らしい。だが、二人とも寝ているわけにもいかない。
2010年01月17日
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1月16日(土)夕べは胃が痛くて食欲がないと言って父はフルーツ以外は手をつけなかった。顔をしかめて苦しんでいる。看護師さんの「痛み止めを飲んでおきましょうかね。」の言葉に父はうなづき薬を飲んだ。薬が効いてきたのか穏やかな表情になったが、よく口がもとらなく、はっきりしないようないような声で、「神様になった。」驚き、父のほうを見ると寝ている。「明日は死ぬ。」「明日お迎えが来る。」薄っすらと目をあけてもまた同じような言葉を繰り返している。正気ではない。うわ言を言っているような感じだ。その後、心配になり朝方落ち着くまで眠れなかった。今のところ父の体調には波がある。
2010年01月16日
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1月11日(月)「今日は何日だ?」っと繰り返し聞く。「11日成人の日で休みだよ。だから、今日もずうっと居られるよ。」と言うと「そうか。」と安心した様子。洗面所に行って顔を洗う元気はないので、ベッドで歯みがきもする。疲れるのかすぐにうつらうつらする。話す言葉に力が入らず、つい聞き返してしまう。昨夜は。「もうだめだ。」とも言った。「後1~2年ぐらい頑張る。」とも言ったりする。父は自分が快方に向かうのか半信半疑、いや快方に向かうことを信じたいのだろう。午後仕事を終えた妹が病院に戻ってきた。いい日なので父を車椅子に乗せて病院の庭を一回りした。発する父の言葉には以前のような力強さは無く、言語も不明瞭で弱弱しい。病魔は父からこの地球上での思い出の数々を奪い去ろうとしている。上り坂の車椅子の重さは父が生きているありがたい証のように感じられる。細々と消え入りそうに燃焼しているが、出来るだけ長く燃焼できるように、そして穏やかな時を刻めるように父を支えて行こう。 外の空気は爽やかで、病室に戻った父は「よかった よかった。」を連発していた。夜、雪が降るかも知れないので今晩は職場にも近い妹が泊まってくれる。明日は私が泊まる予定だ。
2010年01月11日
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1月10日(日)昨日は久しぶりに家に帰った感じがする。長女が風呂の用意をしてくれていて、久しぶりに風呂に入りリラックスできた。戴いたビールを飲んだらいつの間にか寝てしまった。母方の親戚で東京で先生をしている方から父に年賀状が届いていたので、年賀状を書いてから郵便局に書留郵便を受け取りに言った。その足でガソリンを入れ、幸助のお気に入りのアンパンマンのお菓子を買って行ったら、生憎幸助は外出中だった。幸助にしばらく会っていないがこんな一大事には仕方ない。お昼頃病院に向かったら、父は新聞を広げて寝ていた。妹の話では、細長いうんちが出たそうだ。叔父は毎日欠かさず父を見舞ってくれる。本当に頭が下がる。甥の潤家族が見舞いに来たが父には分からなかったらしい。「病気に打ち勝つよう父は頑張っているが、病魔は父からあらゆる力・父の誇りである記憶力さえも奪いつつあるようだ。急速に衰えていく父を傍らで見ているのは辛い。甥が埼玉から来た。入ってくるなり「遼!」と不明瞭な言葉で言った。後を頼むぞ!」っとしわしわの両手を差しのべてすがるように頼んだ。父は自分の病状をみんな知っているんだ。熱くなった目頭から落ちてくるものをこらえきれず、父に背を向けてしまった。3時ごろ甥は帰った。今日明日は私が泊まる予定だ。
2010年01月10日
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7日8日の晩病院に泊った。8日(金)父は上毛新聞を読むのを楽しみにしている。病院の売店が開くのが8時頃で間に合わないので昨日は5時ちょっと過ぎに近くのコンビニへ買いに行った。7時半ごろ朝食になるが、よく眠っている。調子の良いときは目覚めて洗面所まで車椅子で行くというのだが・・・気になりながらも職場に向かう。出張が済んで、実家に行く。寝具を車に積んで病院に向かう。夜間は、喉が渇くのか1時間おきぐらいに「水、水」と言う。吸飲みで二口程飲むともういいと言う。時々発する父の声で飛び起きる。「足が痛い。」「腸が痛い。」と言う度に「うんと痛い?」と聞くと「そんなではない。」と言うが、顔をしかめているので辛い痛さであることは確かだ。「先生が大丈夫だと言っているので信頼している。」とも呟いているが、呟くことで弱気になりそうな気持ちを振り切っているようにも思える。母が亡くなって1~2年後の12月、父は車に乗ってあるところに出かけた。足の悪い父は車から降りて、一人で杖をついて行ったのだが、そのとき、父にとって忘れることの出来ない辛い出来事があったようだ。落ち込んでしまった父は一人家に戻ることが出来ず、落ち着くまで弟の家にお世話になったことがあった。そのときのことがいつも父の頭から離れないようで、毎晩のようにため息混じりに「はあ~・・・・・・恐ろしいよ。」っと繰り返し呟く。こんなに衰弱しても、うわ言のように繰り返される言葉・・・父を可哀想と思うと同時に父を苦しめている対象に怒りがこみ上げてくる。9日(土)今日は長男のお嫁さんのお母さんがお見舞いに来てくださった。いつもは日中もうつらうつらしているのだが、元気を取り戻したようだ。父も大変喜んでいた。いつもお世話になっている父の弟は、「顔を見ないと落ち着かない。」と言って毎日お見舞いに来てくださる。ありがたい。朝病院に寄って職場に仕事をしに行った妹が3時ごろ戻ってきた。寒かったけど、車椅子で病院の庭を3人で散歩してきた。多くは語らなかったけれど外は暖かくは無かったけれどぬくもりが伝わってくるように思われた。外の空気を吸い込んで気持ちもしゃきっとする感じだ。今晩は妹が泊ってくれる。
2010年01月09日
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楽天1月6日(水)晴れ父は3日の夕飯から流動食が許されてはいるが、昨日の昼食の重湯200ミリリットルと完熟林檎ジュース、シチューの各100ミリリットル摂取後、みぞおちの辺りが張ると言っていた。30日の早朝のような騒ぎにならなければいいが・・・と心配していたが、黒い便が出て張る感じは治まったようだった。寝ていても熱い、布団が重くて息苦しいと言ってはいでしまう。輸血後の昨日は元気だったが、一寸心配な状態に思われる。何秒か無呼吸になってしまうこともある。朝まで不安に思いながら過ごした。病院の夜はそれにしても長い。昨日4回目の輸血の結果と病状説明が主治医からあった。輸血でヘモグロビン値は7.7まで上がった。だが腎臓の働きを示す数値クレアチニンは5.39と確実に高くなっている。緩やかに悪化しているのだ。医師から緩和ケアの話もあった。だが、頭もしっかりしていて希望を持っている父には話すことはできない。苦しいところだ。今日まで休みをいただいたが、明日からは仕事が始まる。父のためにできるだけ時間を割こう。不自由な一人暮らしをさせてきたせめてもの償いに・・・今日は妹が泊まってくれる。
2010年01月06日
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1月4日(月)病院も今日から外来が始まった。今朝は血液検査のための採血を3本した。11時頃から4回目の輸血。30日から食事をストップし点滴のみだったが、昨日の夕飯から流動食が始まった。今朝の朝飯と昼食の流動食も受け付けたようだ。足の浮腫みはすっかりなくなり、しわしわになってきた。病院のベッドに寝ているのも足腰が痛くなり、大儀そうだ。
2010年01月04日
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1月2日(土)12月8日ごろから実家に泊まり、25日に父が入院してからは病院で過ごすことが多くなった。今年は御節料理は作らない。なるべく父のそばにいてあげよう。30日の朝の激痛以来わずかな水を口にするだけ。点滴で命をつないでいる状況だ。本人は何時から食べられるのでですかと言うけれど・・・パンパンだった両足の浮腫みはすっかり取れて逆にしわしわになってきた。だが、クレアチニンの値はそれでも増加しているのだろうか?次女の方もインフルエンザでまだ咳が出る。家族にうつらないようにと願うばかりだ。
2010年01月02日
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