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3月27日(日)晴れ 7:00 温泉町集合 参加者4名 7:46 東屋のある駐車場発 8:04 登山道入り口まだ雪が残っているけれどアイゼンをつけずに登る。 8:22 休憩 8:53 見晴し良好な岩場ここで簡易アイゼンをつける。 9:21 塩川温泉分岐 9:28 十二ケ岳山頂こんなに天気が良いのだから、もっと登山者が多いはずだが、原発事故の影響も有るのか、出会った人も少ない。10:26 山頂発10:46 岩場 休憩 6577歩11:23 駐車場着 9858 歩 昼食東屋で昼食にする。東屋が高台にあるので、風通しが良い。戴いた温かラーメンが最高に美味しかった。小野上温泉で疲れをとる。14:30 家着
2011年03月27日
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3月19日(土)予測もしなかった東日本大震災がおきた。今週はガソリンスタンドの前は車の行列が出来た。並んでもすぐに売切れてしまう。倉賀野までガソリンは来ているから、来週は改善されるそうだ。今日は家で大人しくしていることにした。昨日に続きご飯パンを焼く。夕方、長女とマルエドラッグ、食の駅に寄って買い物をし、お墓と実家にお花を進ぜて、掃除をする。悪夢を見ているような1週間だった。牡鹿半島が5,4メートルも東にずれた。地軸がずれた。地球の自転が1000万分の16秒速くなった。地盤沈下した。地球のプレートの動きは長い間に嘗ての超大陸パンゲアのように計算上はまた一つになっていくという。インドプレートの北上は今なお続いているし、オーストラリアプレートの動きも気になる。スマトラ沖地震、四川の地震、サモアやニュージーランドの地震など。今回、東日本では、太平洋プレートが北米プレートの下への潜り込んだものが跳ね上がって地震が起きた。それが連動して起こった。重い太平洋プレートの上に乗っかっている北米プレートは押される力がなくなったのだからまたもとに戻ろうとするだろう。地震の日、やけにモグラが顔を出したあとがあったという。そう言えば深海魚竜宮のつかいが例年に無く網にかかったという話もあった。イルカが迷って沢山浜に上がったというのも地震を事前に察知しての行動だったのでは?と素人は思う。西日本はユーラシアプレートの上にある。フィリピン海プレートが北上してアジアプレートを押している形だが・・・新燃岳の噴火はフィリピン海プレートの潜り込みの影響だとすれば、東日本大地震に刺激されて、東海、東南海地震が起こっても不思議ではない。トライアングルジャンクション付近にまで地震が南下してきたような気もする。群馬県は地形のひずみが少ないようなので安心?な気もするが・・・福島原発の影響?前橋は栃木に続いて値(ヨウ素、セシウム等)が高いが・・・やはり距離のせい?
2011年03月19日
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3月14日(月)退職まで後半月。金曜日に起きた東北関東大震災の被害の影響が色々な所に出始めている。ガソリンが売り切れ、パン、ラーメン、懐中電灯、乾電池、魚介類などなど。品不足である。今日から始まると言われた計画的停電は無かったが、明日はあるようだ。食材不足、保冷が出来ないということで、明日からはお弁当持参になる。被災者のことを思えば贅沢は言えない。40万人にものぼる避難している人たちへの食料輸送が何にも増して優先されなければならない。自分の生活を見つめなおすよい機会だ。
2011年03月14日
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3月13日(日) 晴れ東北地方太平洋沖地震の甚大な被害を思うと山に行っている場合では無いと思うのだが、家に居てもTVを見て電気を消費するだけなので山歩きをして体を鍛えることにした。 8:22 荒山高原入り口着 参加者3名まだ雪が残っていたので8本アイゼンを付けて歩き始める。 9:07 荒山高原着 晴れ 7℃10:27 荒山山頂着 10:45 ひさし岩 5328歩11:22 あずま屋 7928歩11:47 荒山高原 8848歩鍋割までの道のりは長く感じられた。日当たりの良い登山道は雪が融けてぐしゃぐしゃになっていた。尾根はまだ雪尻が1メートルぐらいの高さはどんどんあった。12:27 鍋割山頂着 11705歩地蔵の方を見ながら昼食にした。空は真っ青で。ここでのんびりと昼寝をしたくなるようなぽかぽか陽気だ。13:20 鍋割山頂発浅間山八ヶ岳、富士山も薄っすらだが見えた。13:52 荒山高原 荒山高原登山口着 17583歩次女から電話があった。停電に備えて懐中電灯を買おうとしたが何処にも売って居ないと言うないようだった。パンも売り切れだと言う。14:30 富士見温泉 ふれあい館 見晴しの湯着温泉で解散。後の予定も特に無いのでダイエットのためにのんびりと温泉に浸かる。16:02 見晴しの湯発
2011年03月13日
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3月12日(土)晴れ昨日の午後2時45分頃の大地震に驚いてしまったのか、低めの血圧が140-80となってしまった。昨夜はTVをつけっ放し。時々来る揺れに驚きながら・・・つとうととしただけだった。福島のいわき市に住んでいる親戚のことも心配になった。海岸から200メートルぐらいしか離れていないと言うので、インターネットで調べてみた。四倉町の様子は床上浸水や床下浸水だという。心配しながら病院に向った。病院でも大きく揺れ、患者さんを避難させたらしい。6階建ての建物は上の方でガラスが割れたり、床が少しずれたという。高崎の病院の辺りは停電になったそうだ。電車も止まったりしたとか・・・何処もかしこもたいへんだったようだ。レミケードが終わって携帯を見ると次女からの着信。旦那さんの実家は浸水は無かったというのでほっとした。帰りに長男の家に寄る。嬉しい明るい知らせに自分のことのように嬉しい。
2011年03月12日
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3月11日(金)14:45分頃 今まで経験したことの無いような巨大地震が発生した。横揺れの時間も長かった。私は丁度そのとき3階に居たので、ゆれはひどかった。大きな揺れに体は完全に固まってしまった。逃げるなんて出来なかった。指示するのがやっとだった。震源地は東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震で、巨大な津波も打ち寄せた。被災者、死者、被害は想像を超えるものとなりそうだ。
2011年03月11日
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3月9日(水)今週はお弁当を持参で職場に行く。野菜中心なので、ダイエットにもよくヘルシーである。すでに退職している友達からメールがあった。とある用事で3人でこちらの方に来るという。4月2日に伊香保で話を伺おう。仕事を終え、Bライン、幸佑のところへ行く。今日の幸佑は、「お婆ちゃん見てて!」と言いながらシマジローの口に絵のおむすびやら卵やらウインナーなどを入れて、食べさせた気分になっていた。夕食時に「お婆ちゃんあっちに行っていて!」と言ったし、塩麹を作る用事もあるのでバイバイして帰ってきた。帰る途中、次女から電話があった。幸佑のワーワー泣く声が聞こえてきた。婆ちゃんが帰ってしまったことに後で気づき、泣いていたらしい。テレビで塩麹が便利で美味しいと塩麹のことを取り上げていた。さっそく作ってみることにした。塩麹の材料天然塩100g、麹300g、水(生麹の場合400g、乾燥麹の場合500~600g)素手でかき混ぜる。1日1回かき混ぜる完成は冬:10日、夏:7日空気に触れたところが甘くなる。出来上がったら冷蔵庫で半年持つ。10%の法則 ハンバーグ100gなら塩麹10g漬け込むことで味のアップ 30分漬け込む。置けば置くほどうまみが出る。アルカリ性イオン水は使えない。(麹は酸性が好き。)塩は天然のものを使う。腸が元気になる。
2011年03月09日
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3月8日(火) 晴れ2月末からの胃腸炎騒動が続いていたが、収束方向に向っている。今日はNHKと群テレのニュースで取り上げていた。夏には食中毒に気をつけなければと思っていたが、寒い季節にも気をつけなければならないのですね。仕事を終えてBライン、太田青果経由で幸佑のところへ。幸佑はニコニコして出迎えてくれた。食後のデザートの苺が好物らしく、「もっと、もっと、もっと食べたいよ。」と何回かおかわりして食べていた。寝室の方へ行き、ニコニコしながら、「ただいま。」と言いながら茶の間に来たりしている。お父さんの仕事が忙しいらしく、幸佑が寝てから帰ってくるので、お父さんが出勤するとき、幸佑は、「また明日!」と言うのだそうだ。幸佑が外までお見送りしてくれ、7時過ぎに帰る。途中、ガソリンスタンドで給油する。前回、2万円プリカで135円だったのだが、今回は139円になっていた。中東の民主化運動による不安定な政治情勢に起因するようだが・・・我々一般庶民は、これから始まりつつある物価高に質素倹約で乗り切らねばならない。
2011年03月08日
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3月6日(日)ぽかぽか日和 晴れ去年の2月6日に父が亡くなり、叔母(父の弟の奥さん)が危篤状態が続いて3月20日にこの世を去った。昨年は色々なことがあったが、早いものでもう1年が経ってしまった。お坊さんの御経の後で、「親が子を思うほど子は親を思わない。」と言う言葉が印象的だった。父や母の深い愛情に比べて・・・父や母にしてあげたことは、微々たることのように思われる。勤めている忙しさを理由にじっくりと向かい合うことが少なかったと悔やむ。父と母という肉体はこの世から消えてしまったが、私の心の中にはより鮮明に存在している。あの世が現実でこの世が夢の世界であるような不可思議な思いにも陥る。時の流れの瞬く間、私という肉体に私という魂が宿っている。肉体はいずれは、宇宙に原子となって散らばっていく。魂は肉体が消えたらどう存在するのだろうか?不思議である。法事が終わって家に帰ったら午後2時前だった。お腹いっぱい食べてダイエットには山に登るしかないと思い、水沢山に向かう。14:16 上の駐車場発梅原さんに会う。「上はすごいよ。びしゃびしゃで・・・」と言いながら下って行った。14:53 お休み石 2166歩15:19 一本檜 2763歩15:28 石仏 3071歩15:41 水沢山頂着 晴れ 12℃ 3953歩山頂もぽかぽかしていた。山々も春霞でぼんやりとかすんで見えた。山頂には御夫婦?が休憩していた。一息ついてすぐに下り始める。15:52 石仏 4799歩15:58 一本檜16:14 お休み石 6121歩16:35 上の駐車場着 8238歩びっしょり汗をかく。花粉が飛んでいるのか喉がむずがゆい。男性10名、女性9名に会った。おぐらやでおからを買ったのでおからクッキーを作った。http://cookpad.com/recipe/1380585
2011年03月06日
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3月5日(土)晴れ午前に幸佑家族がやってきた。婆ちゃんは、海苔巻き寿司、とカレーとシチューの用意をして待っていた。玄関を掃くので外に出たら、幸佑が来て車から出るところだった。梅の木越しに婆ちゃんを覗き込むようにしていた。「幸ちゃんよく来たね!」と婆ちゃんは幸佑を抱っこして離れに入った。幸佑が部屋に入って見つけたのは話すミッキーマウスの貯金箱。貯金箱から一円玉を全部出してから、また一つずつ入れて遊んでいた。幸ちゃんのお父さんは牧口エンジニアリングに出かけ、その間幸ちゃんは早お昼。チャーハンを少し食べ、シチューと白いご飯を食べた。マックのポテトフライを一つ持っては万能チェアーに上って、「美味しい」と言って食べ、また椅子から下りて、「大きいの」と言いながら、大き目のポテトフライを取り出し、また万能チェアーに上るを繰り返していた。茶の間の引き戸を開けて、「ただいま」と言いながら入ってきて、皆が笑顔で「お帰りなさい。」と言ってくれるのが嬉しいらしく、これも何度も繰り返していた。幸佑は、知っている人が大勢居た方が嬉しいらしい。午後2時過ぎに幸佑は帰っていった。今日は水沢山にも行けなかったので、庭の落ち葉、や池の中の枯れ葉を取り除く仕事をした。背負いかごが一ついっぱいになった。明日も、叔母の法事。時間が有ったら水沢山に登りたいが・・・・
2011年03月05日
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3月1日(火)大分日ものび、春らしくなってきた。今月も頑張るぞとBラインへ。軽く汗を流して、幸佑のところへ向う。昨日帰り際に、幸佑が、「婆ちゃん明日来るン。」と。幸佑の中では私が今日来ることになっているようだ。ドアを開けると、思わずこちらも顔がほころぶような、笑顔で出迎えてくれた。夕食は、お母さんの手作りのオムライス。可愛くケチャップで卵焼きの上に顔を書いた可愛らしい料理。最初はお口を開けて、パクパク食べていたが、そのうちに白いご飯にお塩をかける言い出してきかない。自分でご飯に塩を振りかけて美味しそうに食べていた。幸佑にとってのご馳走は???どうも昔なつかしい食事が好物のようである。婆ちゃん、そろそろ帰るよと言ったら、外まで出て見送りしたいとぐずった。お母さんに抱っこされて、「ばいばいー。」と見送ってくれた。夜バナナパウンドケーキを3本焼く。http://cookpad.com/recipe/1376064
2011年03月01日
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