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先ほど読んで、ナルホドと、
忍び寄る死、堀文子さんに聞く--生きる実感、呼び覚ます、幼児期の感動が再び。 2008/04/10, 日本経済新聞 夕刊
九十年近く生きてくると、「死」というものがいくつかの段階をへて自分の中にいつの間にかおだやかに同居しているのが分かります
「昨秋、大病をして生死の境をさまよい、死というものになじんだ気がします。死は怖いものではないと思えるようになった。まだ私の体内に死にさからう力があったのでよみがえりましたが、あれは『死のリハーサル』だったと思います」
ココまで読んで、
私の中にあった死の恐怖がスーーッとッ引いていくのを感じた、
死と格闘するから怖くなるーー、
格闘してきた今まではリハーサルだったと、
アトは成り行きで読んでしまった、
(堀さん、現在90歳とはーー、すばらしい!)
「だから今は、人間の幼児期の満一歳から二歳ぐらいの感じを生き直しているように思え、何もかもが新鮮で、感動するものが違ってきたのが不思議です。三十年も住んでいる大磯の家は小高いところにあるので、これからの自分には危険に思え、一間だけの家を庭の隅に造った。すると全く別の風景が現れたのです」
「山を背負って立っていた前の家からは湘南の海が見えた。その家と向き合うように建てた『方丈の家』から見えるのは背後の山。今まで三十年間、この山を見てこなかったことに気づいた。さまざまな鳥が来るし森もあり、自然がいっぱいだった。生きることをあきらめなくてよかったとつくづく思います」
「子供のころに関東大震災を体験した。たくさんの建物が焼け落ち、多くの人が亡くなった。人は死ぬのだ、ある物はなくなるのだ、と思い知った。永久に変わらぬものはないという無常観を幼い心に打ちこまれたのです。それで私は世間一般の無邪気な幼児期が過ごせなかったのです」
「これまでの人生で一番死が怖かったのは、五十歳ぐらいの人生の『返り点』に達したころ。もう半分まで来てしまった、どんなに騒いでもあと半分は生きられないのだと思うと夜も寝られなくなった。そんな状態が二年も続いたでしょうか。今思うとそれは観念の『死』の恐怖でした」
私は映像人間なんです。何でも画像になって見えるのです
「今まで、自分の進む道にさえぎるものはなかったのに、突然水平線の手前に壁ができたのが見えた。道をはばむもの、それは死の壁でした。しかし私は、そのころの苦悩を作品にはしなかった。絵には理想を描くように努めた。私には韜晦(とうかい)の癖があるのです。自分を隠したい一種の秘密主義」
「母親の老後の世話をしていましたし、周囲の人の死をたくさんみとってきましたので、死というものは突然訪れるものではないと知っておりました。上げ潮のように死は満ちてきて、全部満ちた時に死ぬという感じがしていた」
「私自身は健康に恵まれていたせいで病気もせず、体の不自由もなく働いていました。足腰の丈夫なうちにと、やりたいことをいつも五つ、六つ持っていて、片端から実行しようと心がけていた。それで、七十歳の時に一大決心をしてイタリアに住んだ。ヨーロッパの田舎で暮らすことにあこがれたし、西洋というものを肌で知りたいと思ったのです」
「イタリアに五年住んで、その地になじんでしまった。ハラハラ、ドキドキの最初のころの感動が薄れてきたので、これはいけないと思い、未知の世界目指してイタリアと別れ、その後はアマゾン、ペルー、ネパールを旅し、ヒマラヤに登った。ヒマラヤでは青いポピーが見たくて出かけ大感激した」
「そんなハードな生活が体をむしばんでいたらしい。足がむくんだりしているうちに、動脈瘤(どうみゃくりゅう)の発病で大変な痛さに苦しみましたが、一晩すると痛みがなくなった。自然治癒(ちゆ)したらしいという。主治医の先生は『奇跡に近い』とおっしゃった」
死はいくら努力しても避けられるものではない。死は常にこの体の中にあり、生もまたこの体の中にあるのだ、とその時思った
「 思い煩って騒ぎ立てても仕方がないのです。私の中の兵隊たち(細胞)がいつも敵と戦っていることを実感した。死と共存している自分を見たのです。これは実感としての『私の死』でしょうか 」「それから五年ほどたった昨年の秋、また病気にかかった。もう、自己治癒するほどの体力もなく老いていたのだと思います。二カ月間、病室に閉じこもって点滴治療を受けた。この時も映像で、ベッドで寝ているはずの自分がいない。私の不在のベッドを私が見ているのです。恐ろしい瞬間でした。目まいと吐き気がひどくなり、味覚をも失ってしまった。何とかして食べ物をと、果物を食べようとするが、酸っぱくてその味の激しさに耐えられなかった」
「病気の方は、治療のおかげで治り始めていたらしいが、病室にこもりっきりの拘束状態で、私の精神が病んでしまった。この世に戻りたくない心境になってきた。 そのころでした。私に死神(しにがみ)がとりついているのが見えたのです。目をぎらぎらさせたテナガザルのようなものが、ひものような黒い手をまわし背中にへばりついている。一種の幻覚なんだと思いますが 」
「それでも自分の中にまだ逆らう力があったらしく、必死になって主治医に外へ出たいと訴え、ついに許された 。『好きなものを飲んだり食べたり自由にしなさい』。あらゆる食物を受けつけなかった中で、そばだけは食べることができた。湯でうすめたそばつゆは大丈夫だった 。 面白いことにワサビは口にすることができた。純粋天然のものだけがのどを通ったのです。家へ帰って一週間ほどで死神はいなくなっていました 」
「私は今、大自然に囲まれて再び仕事を始めた。今、私は『老子』の『無為』や『自然(じねん)』という言葉にひかれる。 老子はまた一番優れたものは『柔弱』だという。美はやわらかく弱いものではないかと、今の私は確信しています」 (編集委員 竹田博志)
ほり・ふみこ 日本画家。1918年東京生まれ。40年女子美術専門学校卒。74年多摩美大教授。88年イタリアへ。5年間、トスカーナでスケッチに明け暮れる。95年のアマゾン、マヤ遺跡をはじめ、インカ文明、ヒマラヤに幻の高山植物、ブルーポピーを求めて取材旅行。著書に「命といふもの」など。
一番優れたものは「柔弱」だとーー、柔らかさと弱さか、
(追記)
で早速、柔らかさの方を増すべく、
さっき、 根幹バランス療法 にキャンセル待ちを入れた、
(案の定、5/10過ぎまで予約でいっぱいだった、)
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日