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他人様の日記 からで恐縮、
で、日記の内容にではなく、
そこに貼ってあった聖句 に目が留まる 、福音書より。
「さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そして彼等の中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、『先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか』。
イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。」(マタイによる福音書22:34‐40)
ここの、
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』
は、教職者、牧師さんがよく引用 され る箇所でもある、
その昔、通っていた教会では、日曜日の礼拝時、
冒頭の言葉が、朝の挨拶代わりでよく出てきたものだ、
いわく、
「皆さん、神様を愛していますか?、 聖書は 、
『主なるあなたの神を愛せよ 』 と言っていますよ、」
が個人的に、随分前から、
このイエスの言葉はそのまま取っていない、
イエスの答えは、律法学者達に対するものであり、
その真意は、
「お前たち、できるものならやってみろ、」
と言う痛烈な皮肉かと、
実際、人には、
他者を 愛せる ような愛(アガペ)などない、
あるのは、自己愛(エロス)、
良くても、 条件 愛(フィレオ)程度、
確かに、キリスト教は愛の宗教である、
が 、人に 愛 がない にも関わらず、愛を要求するのは、
それはキリスト”教”のキリスト教たるゆえんであり、
”教”えを中心とした、
(牧師、教職者中心の)現教会システムが、
ガラガラと音を立て、崩壊 していく 背景/根拠でもある、
かの律法学者達と大して差異はない、
もし、街で、すごく愛情に満ちた人を見かけたなら、
また、違和感なく、自然の愛に溢れた、
動作をしている人を見かけたなら、
その人は、神の愛を一心に受けてきた人、
あるいは、 神の愛を 今も受けて続けている人だろう、
それは丁度、アノ無機的な月 (人) が、
太陽 (神) の光を浴びて、煌々と輝いているように、
人に愛はない、
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