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昨日の銅鐸をチェックしてみた、
近畿圏に集中する分布、
最大サイズは134cm、
一体、何なのか?
こちらの方が、精力的に、
かなり、精力的に、調べ、まとめている、銅鐸は形からいいますと、お寺の軒先に吊るされている風鐸に似た形をしています。ただ、風鈴のように、中に鐘を叩くもの(舌)はなく、空洞です。銅鐸はどのように使われたのか説明をした人はいっぱい居られますが、銅鐸の不思議なところを説明された方は居られません。
是までに判っていることを箇条書きにします。
1.記録に残っているものは、
扶桑略記巻五 滋賀県大津市 崇福寺建立予定地 天智7年(667)5尺5寸(?) 続日本紀 長岡野 宇太郡波坂郷人 和銅6年(713)。以下続きますが、この時代でもすでに、なにか判らなかったようで、その内に宝鐸と呼ばれています。 〔野洲町大岩山出土の銅鐸が134.7cmで最大とありますから、上の記録は間違い?〕
2.出土するときは、道路の工事とか、偶然が多い。
3.滋賀県の近江八幡を中心として、島根県あたりまでの距離のところに多く出土する。
4.山の中腹からの出土ケースが多い。
5.割れているものもある。
6.滋賀県に大型のものが多い。
7.加茂岩倉や神戸市桜ヶ丘のように複数で見つかっているものもある。
8.叩いた跡がみられるものもあり、叩いて音を出したのは、確かである。ただし、叩いていない新しいものもある。
9.日本だけにみられる。(小銅鐸とよばれるものは、朝鮮でも見られる)
10.忽然となくなった。
続けて、 日本大好き その2 に、
さらに、わんさか、掲載、その冒頭の文章、
変なタイトルだと思われたでしょう。銅鐸に関する研究は、膨大なものと思われます。思われますと書きましたのは、数冊の本を読んだだけでの印象です。
この遺物は不思議なものです。これほど、詳しく検討できないと思われるほど研究されているのに、なんのために使われたのかすら判っていません。
研究が多いだけではありません。所謂、学問らしく考察されたものは、江戸時代からあり、200年も経っています。専門家が、これほど時間をかけられたものを素人の私には、全く入る余地がありません。
後には、延々と、考察が続くのだが、
結論が出てこない、
と言う事で、オレもやめた、専門家がよってたかって、わからないものなど、
オレにわかるわけもなく、
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