シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年10月10日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、iPS細胞(誘導多能性幹細胞)の紹介から、種の違いと、進化について新しい知見を与える可能性と、人生における家族の役割をオカルト的に論じた。

人工多能性幹細胞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%A4%9A%E8%83%BD%E6%80%A7%E5%B9%B9%E7%B4%B0%E8%83%9E

 例えば、一卵性双生児は、親からほとんど同じ遺伝子を受け継いでいるのだが、性格は全く異なっている。それは、精神、つまり心が違うからで、還元すれば魂の違い、過去世の違いからくることは、オカルトから明らかである。

 だから、人工的に同じ肉体をつくっても、それに入る霊は異なるので、全く違うものなのである。白山道という自称霊能者のブログでも、似たような見解を述べている。

 実は、シュタイナーがアカシャ年代紀を読み解いたところによると、アトランティス時代に、すでに、物質レベルの一段階上のエーテルレベルで人体実験がおこなわれていたというのである。心は、エーテルレベルの一段階上のアストラルレベルなので、エーテルで多能性細胞をつくろうが、心を入れることはできない。

 聖書の創世記には、以下の記載がある。

 「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」

 上記の記載からわかるように、土とは、秘教でいうところの、固体のことで、物質体、つまり肉体で、その鼻に命の息を吹き込んだ、とあるのは、魂を入れた、ということを意味する。



 つまり、心をいれなければ、人間ではなく、ゾンビなわけで、「仏像つくって魂入れず」という諺そのものである。 

 また、「鼻から命の息を入れた」とあるのは、以前述べたヨガの呼吸法によるクンダリーニの昇華にもつながる記述でもある。

 要するに、アストラル界、つまりタオの宇宙意識と融合できなければ、何をしても無駄に終わるということなのである。エーテルレベルでアストラル界に行くことなく、腐敗した魂は、堕天使となり、物質段階の創造に進むことができずに、物質世界をみることができなくなった、といわれている。だから、堕天使は、人間を通じて物質界をみるしかない。

 つまり、腐敗した精神は、独力で、天国に行くことはできないから、永遠と地獄を彷徨うしかない。真の愛をみる能力を失ってしまったので、愛を探し求めても、得ることができないわけで、それはもはや心を失ったゾンビなのである。

 では、例のごとく、老子の第23章とつなげてみる。

  ☆  ☆  ☆

 第23章 希言は自然なり

 ホンマの言葉は、一言でエエ。
 それが自然や。

 それはな,夜中の強い風も朝まで続かへんし

 天災かて、ずーっとパワー全開なんか出来へん

 まして、ちっこい人間なんかで
 パワーの持続なんか出来るわけないわ
 ウダウダ主張してたかて、しゃぁないねん

 言葉でウダウダ言うても

 そいで環境は、「こんな友達イヤや」て言うても
 やっぱ類友やねん。同類が集まってくる
 自分を変えへんかったら、環境は変わらへん

 言葉なんかいらへん
 信じられへん人は信じてくれへんし
 信じられる人は信じてくれるもんや
 すべての関係は「鏡」やよ

原文
 希言自然。故飄風不終朝、驟雨不終日。孰爲此者、天地。天地尚不能久、而況於人乎。故從事於道者、同於道、徳者同於徳、失者同於失。同於道者、道亦樂得之、同於徳者、徳亦樂得之。同於失者、失亦樂得之。信不足、焉有不信。

書き下し文
 希言(きげん)は自然なり。故(ゆえ)に飄風(ひょうふう)は朝(あした)を終えず、驟雨(しゅうう)は日を終えず。孰(た)れかこれを為す者ぞ、天地なり。天地すら尚(な)お久しきこと能わず、而(しか)るを況(いわ)んや人に於(おい)てをや。故に道に従事する者は、道に同じくし、徳なる者は徳に同じくす、失なる者は失に同じくす。道に同じくする者は、道も亦(ま)たこれを得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦たこれを得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦たこれを得るを楽しむ。信足らざれば、焉(すなわ)ち信ぜられざること有り。

英訳文
 Whispering is natural. Storms do not continue over half a day. Downpours do not continue over a day. Nature itself does not continue these. So mere humans can not continue speaking loudly. A person who follows “the way” unites with “the way”. A person who follows the virtue unites with the virtue. People who lost the virtue by following benevolence and courtesy unite with them. “The way” also requires the person who united with “the way”. The virtue also requires the person who united with the virtue. Benevolence and courtesy also require people who united with them. If your words do not have honesty, you will lose trust from people.

現代語訳
 聞き取れない程のかすかなささやきこそ、言葉の自然な在り方である。吹き荒れる風は半日も続かないし、土砂降りの雨も一日中は続かない。そうしているのは自然そのものである。自然すら長く続けられない様な言葉の発し方を、人間が長く続けられる筈が無い。だから「道」に沿った生き方をする者は「道」と一つになろうとし、徳に沿った生き方をする者は徳と一つになろうとし、仁や礼を求めて徳を失った者は、それらと一つになろうとする。「道」を求める者を「道」の方でも求め、徳を求める者を徳の方でも求め、仁や礼を求める者もそれらから求められる。いずれにしても言葉に誠実さが足りないと、人からの信頼を失うものだ。

 Translated by へいはちろう

 (「タオの法則」から)



 与えられないものはない


 人間は見かけ上、様々なものを求めているように見える。恋人、結婚相手、お金、物、権力、名誉、数え上げればきりがない。しかし、本質では、たった一つのものしか求めていない。それは愛である。愛以外を求めているという人は、自身の心がわかっていないだけだ。

 あらゆる欲は、愛の代償として生まれる。愛に満たされていない人間は、異性の獲得を愛を得たことと錯覚する。そうして所有の愛が生まれる。その心理は、物品を得ることをも愛の獲得と錯覚する。買い物をすることでストレスの解消を感じる心理もそれである。

 その心理はまた、人々を自身の配下に置くようなことを大きな愛の獲得と錯覚する。これらは、いくら求めても終着点のない架空の愛の世界だ。

 タオは、全てとつながり合った完璧な愛の領域だ。タオに至った人間は、居ながらにして全てを満たす愛を享受する。何ものにも依存せずに愛を得るのである。そして逆に、そうして真の愛へと至った者のみに、現実世界の愛も流れ込む。

  ☆  ☆  ☆

 愛を求めるのではなく、与えられている愛に気づきましょう。





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Last updated  2012年10月11日 11時55分21秒
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