シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年06月19日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 八切史観によると、信長がいまでも人気なのは、当時のカースト制度に反抗した部落解放者だったからだという。そのため、信長は当時の中心的思想の仏教嫌いで仏教徒を徹底的に弾圧した。つまり弾圧されてきた積年の恨みを晴らしたわけである。京都馬揃いのときは朝廷を鉄砲で脅かしたそうであるから、朝廷が信長という存在を畏れていたことがわかる。

 そういうわけで、当時の下層民の部落民からは英雄視されていた信長だが、案の定というか、その部下たちからは恐れられていたそうである。いまでは本能寺の変は光秀の仕業となっているが、八切史観では、逆に光秀こそが死ぬまで信長の忠実な部下だったそうである。つまり光秀謀反説を捏造したのは、信長の後の秀吉、家康なのである。

 というわけで、その話を以下に紹介する。

 ★   ★   ★

道三の娘奇蝶

 これまで明らかにされていなかった事だが、信長殺人事件には細川ガラシャ夫人こと光秀の三女の於玉の他に、道三入道の一人娘である奇蝶が、どうしても重要な意味合いを持つ存在として見逃せない。つまり、二人の女性がはっきりこの事件には関わり合っているのである。

 昔は婚姻しても夫の籍に入り、その姓で呼ばれるという事はなく、尾張から嫁入ってくれば尾張御前と呼ばれていたので、美濃の斎藤道三の一人娘として生れ、信長の許へ嫁に来た彼女はそれゆえ「美濃御前」と呼ばれていたが、今ではそれが濃の方とか濃姫という名前と間違えられている。

 しかし 天正年間にあっては、彼女こそ下手人という説もあったくらいである



 もっとひどいのになると、本能寺へこの奇蝶が同伴して行って、薙刀を振って力戦するような本もあるにはある。しかし、当時の記録をよく調べさえすれば、なにしろ信長殺しとされていたくらいゆえ、そんな馬鹿げた事は書かなかったろうと思う。実際には良きにつけ悪しきにつけ、気性の激しい女性だったらしいが。

 (現代の大河ドラマなどの出鱈目は秀吉の桃山期と家康の江戸期にできた虚構を基にしているという。)

 よく、女にとっての愛の在り方とは、若いときには異姓へ迷いを生じる事もあるが、実際は「血の流れ」によって結び付いている間柄しか、女性は真の愛を感じたりしないものである、とはモーパッサンやメリメも書いているが、日本でも、「夫の代りは男であればいくらでもいるが、親や兄弟の代りはない」ともいわれている。

 彼女の場合も、夫の信長よりも亡き父斎藤道三や種ちがいの兄である明智光秀や弟の斎藤玄蕃允の方に愛を感じて、父道三が非業の死を遂げたのが、夫信長のせいと誰かにふきこまれたり、当時の美濃が、今日的に云うならば被占領地帯だったからと、

 「なんとかして父祖の地である美濃を、自分の腹を痛めていない子にばかり後を継がせようとする信長の圧政下から解放するには尋常の手段ではなんともならぬ」

 と、東美濃明智城で生れ育った小見の方を母とする彼女が、氏家直元、稲葉一鉄、安藤伊賀ら美濃人につっつかれて稲葉の女婿である斎藤内蔵介を実行委員長としてクーデターを敢行したというのが、天正十年六月当時の見方だったのだから、いかに彼女が権威をもっていたかもわかろうというものである。

 もしも彼女にもっと協力なバックアップがあったら、北条政子の再来の如く斎藤政権を打ち立てていたろうが、尾張人の秀吉にしてやられてしまったのは惜しみてもあまりある。

 さて、そこで話は彼女が若かった頃に戻ることにする。

 「‥‥さて、(信秀亡きあとの)お跡目は?」と、尾張中が騒ぎになった。

 なにしろ織田信秀が流行病にかかって発熱したと思ったら、一晩中苦しみとおして死んでしまい、遺言もなかったからである。

 「一郎様は美濃合戦で討死してござるから二郎(信広)様じゃが、あの人は三河安祥の城代をしていて今川方の捕虜になられた負け犬じゃ。すると次は三郎信長様か、二つ年下の四郎信行様ということになろう」



 ところが、三郎信長の生母はとうに死んでいるし、祖父にあたる平手政秀というのが倹約家の尾張の中でも代表的な人物だから、一文の銭も出そうとしない。そこで四郎の里から何かと貰っている連中はよるとさわると、「三郎殿は大たわけじゃから、あんなのが尾張の跡目をとったらあかすか」と、頗る人気が悪く問題にもされない。

 (このときの平手の態度がよほど気に入らなかったのか、信長は平手家を後に潰した。)

 しかし、持つべきものは女房なりけりで、三郎の妻の父というのが隣国美濃の斎藤道三入道であったからして、「わが夫を何とかして下され」と急便をたてると、一人娘の奇蝶が可愛いいからして道三は、「よっしゃ、まかせておけ」直ちに安藤伊賀守に二千の兵を率いさせて国境の木曽川べりに並べ、いつでも武力進駐する構えを見せておいて、俵に入れた銭を持ち込んで、これで尾張の重臣どもを片っ端から買収にとかかった。

 いくら四郎側があくせくしても、豪族の土田久安ぐらいでは美濃国主の斎藤道三にかなうわけはない。ついに尾張の武者どもはこぞって三郎信長に、「お跡とお継ぎなされ」と当主に立ててしまった。

 その時18歳の信長はすっかり感激してしまい、美濃から来ているため美濃御前、「み」の字を略して濃と呼んでいる一つ違いの嫁女の奇蝶に両手をついて、「おりゃ一生涯恩にきる。このたびの肝いりありがたく思うぞ」礼を言った。



 ところが、二年たった天文二十一年の事。

 「美濃と尾張の境目の富田の正徳寺で婿と対面したい」と、正月の年賀の使者が道三入道の言付けを持ってきた。

 跡取りに力を貸してもらったのに、まだ礼も言ってなかった信長は、これにはすっかり狼狽した。

 年始に現れた平手政秀に対して信長は不機嫌に、

 「これ、爺や。そちが跡目をとるときにけちして銭惜しみしくさったゆえ、道三入道に挨拶に来いと呼び出しをうけたぞ」

 としつこく文句を言った。

 政秀もむくれ切って戻ると、恥をかかされたと、面当てに自害してしまった。

 この話が今では(御守り役として諌死)ということになっているが、大名の若殿に御守り役がつくのは軍役の職が減じてからの江戸時代からの事で、それにもし平手一族が忠臣だったならば、名古屋市北区西志賀町に「涙塚」という、信長による平手一族誅伐の墓など残っているわけはない。

 「結婚とは男にとっては第二の父を持つことである。俺は斎藤道三という良き父を、そなたのおかげで持てた‥‥」と富田では道三に対面して戻ってきてからというもの、信長は道三をベタ褒めにしだした。だから妻の奇蝶も喜んでその旨を道三に伝えたりもした。

 若い信長の為に道三が絶えず援助していたことは「信長公記」の中にも「道三の命令にて伊賀や物取新五らの千名余の者きたり、今川勢ふせぎに那古屋より志木まで陣張りをす。よって信長ねぎらい頭を下げ礼をする」などと出てくる。

 今でいう、スープの冷めぬうち距離には遠いが、美濃と尾張は隣国なので、兵をと云えば兵、銭をといえば銭を道三は送っていた。これで夫婦仲が円満にいかないわけはない。

 「さぶちゃんや」

 「おう濃・・いやイエス」と二人が睦まじく暮しているうちに四年目。

 奇蝶の父道三と伜の義竜が衝突‥‥思いもかけぬ事態が持ち上がった。

原因は(義竜は道三の子ではない)といった流言がとんだためだという

 「そないたわけた話はない。誰ぞがいいかげんな事を言いふらしたとみえるが、ほんに困った事」

 二十一歳になった奇蝶は、すっかり胸をいためた。そのうちに尾張へまでも、「蝮の道三」だとか、「悪党道三」などと、ひどいデマがとんできだした。

 「幼い頃は京の妙覚寺へ入り、今でも朝夕は御題目を上げて御勤めしているような、あない優しい父の事をひどい事を言いまするるもの‥‥」一つ違いの信長も一緒に憤慨した。

 さて、道三は朝倉や浅井にも応援を求めたが、なにしろ悪名が鳴り響きだしたので、どこも力を貸さない。しかたなく道三は翌年に尾張へ末子の新五郎をよこして、「鷹狩りに出た後で謀叛されたゆえ、自分の兵力は義竜の十分の一もない。美濃一国を譲ってもよいから、なんとか信長に助力をしてほしい」と言ってきた。

 奇蝶は信長に、

 「あなた様がまがりなりにも、こうして今日この尾張を継げましたのは、これひとえに父道三の尽力でございますよ」

 とすぐさま出陣するようにせがんだ。

 信長は二千あまりの兵をかき集め、弘治二年四月十八日に出陣していった。

 ところがである。四月二十日の長柄川の決戦に、せっかく出かけた信長が「間に合わなかった」と戻ってきた。「無念ではあったが、とうとう道三入道殿は、おいたわしや首をとられなすった」と告げた。そして泣き崩れる奇蝶へ、

 「きっと、この仇はとってやるぞ」

 と慰めを言った。だが、道三が死んでしまってからの美濃は、もうこれまでのように兵も銭もよこさなくなった。

 だから若い信長をなめて尾張の者も多く叛いたが、三河の松平党を手先に今川義元は、鳴海から現在の名古屋駅の裏手あたりの中村まで進出。とても危なくて那古屋城にはいられなくなった信長は。草深い清洲へいわば疎開。しかし、五条川沿いの今の関西線の蟹江まで敵は迫ってきた。

 だから父信秀の頃の尾張八郡が今や三郡でさえも危ない事態となったのだが、そこにつけこんで永禄三年、今川から、

 「このたび上洛することとなったが、兵をそのまま京へ連れていく関係上、もし手向かうにおいては先に片付け、それから進発したい。降参するか、刃向かうか?」

 と最後通牒が来た。

 ★   ★   ★

 次回に続く。





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Last updated  2014年06月19日 16時32分37秒
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