シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年07月16日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 シュタイナーのカルマの話を続ける。人生で最も困難なことは、もって生まれた性格を変えるということだろう。例えば、病気に罹ったことで性格が温厚になるというのも、病気の困難さの御蔭といえる。

 だから、ある意味、不治の病といわれるのは、利己的な性格を変えることができない困難さに原因があるともいえる。少なくとも、生活を変えることができなくては治癒は望めないものである。

 シュタイナーは、前世を知る一般的に簡単な方法を挙げているが、それは、いまの自分が最も嫌う人物が、前世であった可能性が高いというのである。

 というのは、カルマというのは、ある意味、前世の負の遺産なので、いまの自分の性格は、負の遺産からつくられるから、例えば、いまの性格が単純にいってネクラだったら、前世は、ネアカだった可能性が高いわけである。ネアカは一見良いようにみえるかもしれないが、例えば、ネクラの人を差別したりすれば、ネアカの性格がかえって裏目に出るわけである。

 いまの例は非常に単純化した譬え話なので実際はもっと複雑で、自分がどういう性格をもって生まれてきたのかさえもわからないのが一般的だろう。しかし、遺伝というものがあるから、親をみれば大体、自分の性格がわかってくるはずである。年齢を重ね、人生経験が増えるにつれ、自分の性格が親に似ていることに気づくはずである。

 カルマの負の遺産を解消するために、生まれてくるのだから、負の遺産からなる自己をなくすこと、つまり利己主義をなくす性格をつくるというのが人生のテーマになるわけである。

 前世のカルマの負の遺産を解消するのに適した親を選んで生まれてくるので、そういう意味でいえば、性格についての遺伝を解消することも同時に人生のテーマにもなる。結局は、偏りや先入観を無くすということなのだろう。

 さて、シュタイナーのカルマの話を続けるのに良いホームページをみつけたので、紹介する。

 ☆   ☆   ☆

ルドルフ・シュタイナー カルマの開示
http://autosam.at.webry.info/201210/article_1.html


 人間は、自我とアストラル体とエーテル体が、肉体から切り離されることで死を迎えることになるが、その際、エーテル体のエッセンスが残り、再受肉(転生)の際に新たなエーテル体に注ぎ込まれる。つまり、前世の「成果」がエーテル体に封入されているわけである。エーテル体は肉体の制作者でもあるから、前世の「成果」に応じた肉体がつくられるわけである。

 以前述べたように、死から新しい誕生までの(霊界にいる)間に、人間は特別な力を自分の魂の個性の中に取り込む。カマロカ(欲界)期に前世での善い行為と悪い行為、性格上の特徴などを直観して、自分の中の不完全な態度や不正行為を精算し、自分をより完全にしようと努める。

 人間はそのような意図と傾向をもって、新しい誕生を迎える。新しい人生のために形成される新しい肉体は、死から新しい誕生までの時期に獲得された力に応じた形をしているから、その力が弱いか強いかで、肉体も弱かったり強かったりする。(P75)

 ここで重要なのは、前世で生じた課題を、死から新たな誕生までの「カマロカ(欲界=地獄)期」に直観し、新たに生まれてきたときに、その課題の克服に努めることにある。そしてまた、その克服にふさわしい「力」をもって新たに生まれてくるわけである。

 次に、シュタイナーが例として挙げているのは、自我意識があまりに虚弱で、それを鍛え上げようとする場合と、その逆の自我意識が強すぎるので、調和して発達させようとする場合である。

 まず前者の自我が虚弱な場合について、 

 前世で自我意識があまりに弱かったために、現在の意識段階に適さないほど外に対して依存的で、自己を見失い、他者が命じるままに行動している人物がいたとする。

 さて、その人物が死後のカマロカ(地獄)期に、この不十分な自己意識に由来する行動を回顧すれば、次のような意図をもつだろう。

 「自我意識をもっと発達させよう。来世で生まれ変わった肉体を通して、自我意識を鍛え上げよう。そのためには、肉体、エーテル体、アストラル体から来る力に対して、自我が十分に対応できるようになる人生の機会を作らなければならない。肉体に特別の症状を生じさせ、弱い自我意識に働きかけ、強いものにする契機にしなければならない」。



 こうした自我意識が弱く他者依存的で自己を見失ってしまうような人物には、それを克服するために、例えば「コレラ」に罹る機会さえも持とうとする。コレラに罹ることで、コレラに対するエーテル体、アストラル体の抵抗力が自我意識を育てるからである。

 また、後者の自我が強すぎる場合について、

 では、前者とは逆の場合の典型的な例を挙げてみる。

 前世で、あまりに強い自我意識の下に一連の行動をとってきた人物は、死後のカマロカ(地獄)期に、自我意識を適度に緩和して、調和的にさせなればならないと悟る。そこで生まれ変わったときに、どうやっても自我意識に歯止めがきかず、自分が不条理な存在であることを思い知らされるような機会を、アストラル体、エーテル体、肉体の3つの体を通して体験しようする。そのためマラリアなどに罹る。(P77)

 また、怒り、恐怖、嫌悪などの激情に駆られて行動した人物は、そのカルマを解消するためにジフテリアなどの病気に罹る。



 そこには、日常の(覚醒)意識が担う理性よりもさらに高次の無(潜在)意識の理性によって、魂をさらに発展させていく過程が示されている。この点をよく考えれば、伝染病についての理解がひらけてくる。人間はカマロカ(地獄)期の経験から、特定の病気に罹ることを選び、その病気を克服し、自己回復力(自我意識)を発達させることで、人生をよりよく生きようとする。(P78)

 ☆   ☆   ☆

 というように、人生は自我の訓練場といえる。自我がある段階に達し、訓練が必要なくなると死を迎える。死といっても、それは新たな自我の進化段階への始まりであり、自我は永遠に続くのである。

 さて、カマロカについて簡単に説明する。シュタイナーによると、人間は死ぬと、死後、走馬灯のように人生を振り返り、その後すぐ、地獄と呼ばれるカマロカに行くという。

 カマロカは禊の場で、地上での欲望を捨てていく場で、執着心が大きいほど、欲望があればあるほど、それを満たすことができないので、地獄を感じるそうである。地獄の思いをしてはじめて自分に足りない本当のものを知るわけである。

 カマロカについての説明は次回に続ける。地獄を呼び寄せるのは自己の欲望であるから、地獄も天国も自我の発達度合による。

 天国や幸福は、自我のなかにある。「エヘイエ アシェル エヘイエ」の「我は我ある所以なり」は、地獄も天国も、自分次第ということなのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014年07月16日 12時03分31秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: