シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年07月24日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、病因と悪魔についてのシュタイナーの話を紹介したが、今度は更に深く、治療の意味を述べた話を紹介する。現代医療の盲点と闇をついた話である。なぜ病気と患者は増え続けるのか、の理由を明らかにしてくれる話である。

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第4講-3 治る病気、治らない病気と医療の意味

 前回は病因となるルツィフェルとアーリマンの影響について述べたが、病気になるのは、そうした影響に対抗するための「高次の自我」の働きかけで、人間は病気になることでルツィフェルとアーリマンの誘惑に完全に陥ってしまう危険性から守られる、ということだった。

 この悪魔の話については「悪の秘儀」(イザラ書房)の第2章の「キリストの行為と、キリストに敵対するルシファー(ルツィフェル)、アーリマン、アスラの霊力について」に、具体的に書かれているので、紹介する。

 まず、ルシファーの影響への対抗手段としての病気について。 

 人間が完全に感覚(物質)界の関心や欲望の虜にならなかったのは、何によるのか。

 それは、人間を進化させようとする霊たちが、ルシファーたちに対抗する手段を講じたためである。これらの霊たちは、元々含まれてなかった能力を人間に与えることで、ルシファーへの対抗手段とした。

 つまり人間を進化させようとする霊たちは、人間の中に病気や、悩みや、痛みを与えた。このことが、ルシファーのような悪魔たちの行為に対して必要なバランスの回復(自然治癒)力を与えた。



 ルシファーのような悪魔たちは、人間に感覚的な欲望を与えた。これに対抗して、高次の霊たちは、人間が感覚界に無制限に落ち込まないように、ある種の対抗手段を与えた。つまり高次の霊たちは、感覚的な欲望や関心に病気や苦しみが伴うようにした。

 その結果、この世には、物質、もしくは感覚界に向けられた関心と同じ数の苦痛や苦悩が存在するようになった。感覚界への関心と欲望に付随する苦痛や苦悩は、それと完全に均衡を保つ能力を与えてくれる。(前掲書P62-63)

 (従来の糞坊主は苦や老を悪だと決めつけているが、お釈迦さんがそんな浅薄なことをいうわけがなく、苦や老こそ人間の精神を鍛える道具なんである。執着心を断ち切り、六道の欲深地獄を脱するために苦や老がある。糞坊主は死が無というが、それなら墓や戒名など必要なかろう。糞坊主は地獄行きだ!)

 更に、アーリマンの影響への対抗手段としての「カルマ」について。

 人類を進化させようとする霊たちは、感覚界に関するアーリマン的な誤謬から流れ込んでくる非道徳(無秩序)性を修復(秩序づけ)しなければならなかったので、人間に「カルマを与えることで、自身が犯した誤ち総てを再び取り除き、自身が引き起こした悪総てを改善する可能性」を与えた。

 (中略)

 もし罪(欲望をもつという原罪)や誤謬に対立する諸力として、カルマが作用しなければ、人間の目標である神々の存在に到達することは不可能になる。(前掲書P65-66)

 このことから、カルマがいかに人間にとっての「恵み」であるか、ということが明らかになる。

 カルマとは、人間が恐れ、慄くものなのか。そうではない。カルマとは、宇宙の人類進化計画に沿って、人間に与えられた感謝すべき能力なのである。

 (カルマの清算のために、人生がある。人生とは、人間が神に到達するための宿題のようなものである。)

 (中略)



 その意味で、病気やカルマは「人生の力強い教育者」である。

 さて、再度「カルマの開示」に戻る。いま、病因となるルシファーの影響とカルマの原因となるアーリマンの影響とに分けて説明したが、「カルマの開示」では、特にそうした区別をしていなかった。

 いまのテーマは、治療できるかできないか、だった。以前、病因となるカルマを考察しながら、病気になるのは、人間が誤謬に対抗し、より完全な進化を遂げていくための「恵み」でもあることを述べた。

 では、このような観点から見た治療とはどういう意味を持つのか。

 例えば、ある病気について、「カルマで病死がわかっているなら、もはや治療する意味がない」といえるのか、という疑問が生じる。この疑問について、シュタイナーは、カルマについての考え方が間違っている、と明確に述べている。治る治らないを決めるのは、患者の「高次の自我」であり、通常の覚醒意識からは判断できない。



 (患者が病気を糧にしてどれだけ治癒力を獲得できるかが問題で、ヨガの沖正弘によれば、1.患者を治してみせて治せることを明らかにし、2.元の病気に戻し、3.患者自身で治させる、のがよいと著書で述べている。しかし、1はヨガの達人でなければできないので、病因を説明し、患者に、段階を追って、治癒力をつけさせるしかない。)

 生きるか死ぬかの決断は、当人の自我に委ねなければならない。医療は、ただできるだけ患者本人の回復力を促すしかない。(P87)

 勿論、「当人の自我」というのは、患者の通常の覚醒意識ではなく、カルマに従い必要な行動を促し、輪廻転生に通じた「自我」なので、本人の覚醒意識が死を望むかどうかに委ねることではない。 

 (できる限り延命処置を行うに越したことはない。)

 患者の自己治癒力を発達できるとき、もしくは自然の力をかりて治癒力が高められるときには、協力して全力で行う必要がある。生死の瀬戸際に立つ患者に対しては、治療に全力を尽くさなければならない。そうすれば、患者の自我を助けることになる。医療とはそのような手助けなのである。(P86)

 病気が治る、治らないについて、カルマを理解し、病人の看護に全力で臨むべきである。そうするなら、高次の自我が、死の決断をしたときにも、この決断に満足できるだろう。「死の決断」について、もはや何も臨むものはない。

 重要なのは、不治の病に遭遇したときでも、不完全なものしかこの世には存在しない(だからこそ、完全を目指して、病気になる)という事実に配慮し、気を滅入らせない(ポジティヴな)観点をもつことである。

 カルマを理解することで、治療への努力を無駄にしないばかりか、むしろ、様々な不治の病がもたらすどんなに厳しい運命をも受け入れられるように最善を尽くすべきである。(P87)

 さて、その際に重要なことを、更に少し付け加える。これは、「病気になる、というカルマの目的が、人間をより完全な存在にすること」から考慮すべき問題である。「治療に全力を尽くす」必要性と同時に、患者がなぜ自分が病気になったのか、という事実を自覚していく必要がある。

 (患者の自我自身で、病因をみつけ出さなければまた同じ失敗を繰り返すからダメ。)

 つまり、病気の「治療」のみが目的とされてはならない。

 治癒の最も大きな意義は病気を治すことにあるのではなく、患者の意識を真理に目覚めさせ、患者が自然の摂理に合った生き方をするように変わることで、この地上により多くの調和をもたらすことができる点にある(大和魂をもつこと)。

 仮に病気が治ったとしても、本人がまた、今まで通りの自然の摂理に反する生き方を続けるようなら、せっかくのチャンスを逃したことになるから、治療家は単に病気を治すことに止まらず、患者に対して自然の摂理を理解させるような、カウンセリングを適切に行なうことが非常に重要な仕事になる。

 (だから病院に行って治してもらったんじゃダメで、「自分で」治したでなくてはダメ。依存心が膨らみ、他力本願じゃ麻薬と同じで落第である。)

 実際の治療の経験では、患者は病気が治れば、気持ちを改め、今度こそ自然の理に叶った愛と奉仕の生き方をしたい、という必死の思いでやってくるが、この気持ちは決して嘘ではないが、例えば、どの医者からも見放された病気が奇蹟的に治るといったようなことで、いったんは大感激して喜ぶものの、日が経つにつれ、また以前の病気を招いた不調和な生活に戻り、物質的な欲望に溺れ、利己的な行為を繰り返すようになって行く人達があまりにも多い、ということも現実である。(P296)

 (患者を客とみて商売する愚かな病院も多い。銭儲けが仕事になってしまい、精神を腐敗させるだけ。麻薬を拡げるのと同じ。)

 このことは、なんだか宗教的な「心の教え」のようにとられがちだが、例えば、対症療法にもいえる。熱が出たから熱を下げるという治療なども、なぜ発熱が必要なのか、という観点が考慮されないでただ症状をおさえることだけを目的とした場合、病気に対する根本的なアプローチとして適切とは言いがたい。

 (単なる薬づけ患者を生むだけ)

 宗教的な「心の教え」というかたちをとる場合にしても、それが「教えだから」という決まりの押しつけではなく、自らの認識から、その必要性を納得しなければ、対症療法となんら変わりはない。

 そういう意味でも、「治療に全力を尽くす」というのは非常に難しい問題を含むが、この困難さを含んだ医療でなければ、現在のような医療システムの問題や臓器移植の問題などといった根本的な問題は解決に向かわないことが、この講義からも伺える。

 (人間の魂は腐敗しすぎている。世間に出回っているキリスト教は金儲けばかりで、嘘しか教えない。)

 さて、次の第5講は、「内因性の疾病と偶発性の疾病のカルマ的意味」。通常の病気だけでなく、偶然のように見える事故や外傷なども「偶発性の疾病」としてとらえ、そのカルマ的意味を述べる。

 ★    ★    ★

 単純にいえば、欲望と非道徳が増える限り、病気と患者も増えるわけである。対処療法は病気を複雑化させるだけである。病気になるのは間違った生き方をしてきたのである。生き方を改めない限り無駄である。

 人類はどんどん馬鹿になり、魂は腐敗し、地獄になっている。外見は健常にみえるが、魂が病んでいるクレイマーや自分に求める力を他者に求めるモンスターが増えたのがその証である。





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Last updated  2014年07月25日 17時08分07秒
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