シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年10月22日
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カテゴリ: トークドラマ
 巷はカネに目が眩み自ら死ぬために生きる腐った魂の持ち主だらけで嫌気がさすので、一服の清涼剤というか、しばらくぶりにくだけた話題をしてみたい。ドラマはあまりみない方だが、久しぶりに面白いドラマをみたからでもある。

 それは「素敵な選TAXI」というドラマである。脚本はバカリズム(敬称略)で、ドラマをあまりみないワラシでも、「世にも奇妙な物語」はよくみるので、「来世不動産」というドラマの脚本から一視聴者として密かに注目していた。

 三谷幸喜(敬称略)のドラマを超える面白さを久しぶりに味わった!

 一応、ワラシの好きなドラマを挙げると、まず松田優作(敬称略)の「探偵物語」(ドラマの方で映画ではない)がダントツで、ついで「王様のレストラン」で、その次に「トリック」である。「電車男」もなかなか面白かった。最近ではやはり「半沢直樹」で、その前は「結婚できない男」が面白かった。

 ここらへんはレジェンドというべきだろう。その時代の、この国の大衆の心を巧く代弁している。

 つい最近の「HERO」は北川景子(敬称略)、「リーガルハイ」はガッキー(敬称略)がよかったがドラマという点ではレジェンドには及ばない。いかにも虚構の世界でエンターテイメントが前面にある。広告主に買ってくださいというようなもんである。「ガリレオ」は刑事をただ物理学者に置き換えただけでドラマよりも映画でエンタメの典型。

 エンタメのドラマは既に商品として定型化しており、主人公を誰にするかで既に決まってしまい、せいぜい脇役の個性が見どころで、作品としては新しい試みや表現という実験(研究)的価値に乏しい。

 ドラマは基本的に喜劇(コメディ)しかみない。いかに現実逃避ができるかで、だからこそ、非現実世界から現実を改めて見直すことができる。つまり、聖書の創世記風にいえば、月~土まで現実の生産活動に勤しみ、日曜日にその現実から解放されて、外側から現実を見直すような感じである。

 「笑い」というのは非現実面に出て、現実を見直す機会を与えるもので、救いなんである。つまり現実から抜け出て、非現実から、現実を評価する遊び心なんである。



 この遊び心は知性をもたない存在にはできない。休日がないからである。他の動物には休日がない。休日を与えても、遊ぶことはない。寝るだけである。

 つまり人間以外の他の動物が笑わないのは、非現実の世界に出る能力がないからである。非現実の世界を構築する知性がなく、思考力がないためである。

 いま人工知能が話題だが、人工知能が行き詰まるのは目にみえている。というのは、人工知能に休日はなく、だから遊ぶことができず、非現実の世界を自ら作り出すことができないからである。というか人工知能自体が非現実の世界でもある。

 人工知能が人間にむかって「人間であることを証明してください」と要求したシーンをある番組でみたが、人工知能の世界からすれば、人間という対象が非現実なんで、人間の世界の物証が、非現実の世界で有効であることをまず人工知能が証明しないと意味がない。

 つまり、人間が人間である証拠を提示しても、人工知能はその証拠を認知できるのか? という質問を返されるのがオチである。

 しかも人工知能の質問は人間が与えたもので、自らで考えたものでなく、というか、人工知能に知性を与えることで、人間も知性を深めるので、人工知能に知性を与えれば与えるほど人間は賢くなり、しかも人工知能には再生力がないから、人間の知性を上回ることはない。

 しかし、人間が知性を学ぶのに人工知能は十分な教育的な意味を与えるだろう。

 だから、「素敵な選TAXI」というドラマは人類の最高の遊びという知性を発揮した作品で教育でもある。このようなタイムスリップものは、これまで無数につくられてきた。現実逃避に手っ取り早く、かつ現実回帰に利用しやすい題材だからである。

 現実を軌道修正させる役割を果たせるからである。ファンタジーの現実版である。

 このような面白いドラマもあれば、ワラシが全く評価しないドラマもあり、それが大河である。出鱈目の日本史を押し付けるので、問題だからである。内容よりも、大河に出ること自体が作品の目的で、視聴者を置き去りにして洗脳する宣伝媒体と化しているからだ!

 しかも犬HKと巷でいわれている洗脳して監視するマーキングという権力の犬がする電信柱のしょんべんだからでもある。



 さて、笑いについてシュタイナーがどう考えていたか、以前紹介したが、再掲する。

 ★       ★      ★ 

笑いと涙 その1

 人智学に関する連続講義の中でも、今回のテーマはあまり重要でないように見えるかもしれないが、神々の高次の世界へと導く考察のなかで、生活の細事や毎日の身近な現実を切り捨てることは大きな間違いとなる。

 永遠の生命や魂がもつ最高の性質、或いは宇宙や人間の進化についての大いなる疑問を講義で取り上げると、大抵の人々は満足し、喜んで、これから述べる世俗的で陳腐な事柄を放っておく傾向に甘んじるが、高次の世界に到達するために、これから述べる真実に従うなら、既知の事項を基にして、未知の事項へと一歩一歩前進でき、それが健全な道であることを確信するだろう。



 いずれにしても、東洋文化にとって非常に重要で偉大なゾロアスターで有名な、「ゾロアスタースマイル(微笑)」を人類に与えた意識、すなわち偉大な伝説と伝統に描かれた人類が到達すべき意識(個人の意識よりも遥かに賢い)、つまり、この偉大なる意識(精神)が「微笑」みながら、物質界にやって来たことは特に意義深い。

 世界史の真相を描いた伝説から、この「微笑」により、宇宙の全生物が狂喜する一方で、地上全ての邪悪な精神の持ち主と、ゾロアスターの敵対者たちは、この「微笑」から逃げ出したことがわかる。

 このような古代の伝説や伝統から、一人の偉大な天才ゲーテの成果に目を転じれば、ゲーテが多くの感情と考えを注ぎ込んだファウストという人物像が思い浮かぶ。

 あらゆる存在に絶望したファウストが今にも(悪霊の罠に嵌り)自殺しようとするとき、イースターの鐘の音が響き、「涙がわき出て、再び地球が我を抱く。」という叫びが聞こえた。ゲーテは、この涙を、ファウストが最も苦しい絶望を経験した後、再び、この世に戻る道を見つけるのを可能にする魂のある状態の象徴(キリストの救済)として描いた。

 このように、「絶望の淵で涙に出会う」事を考えてみるだけで、「笑いと涙」が大いなる存在に関係することを理解するだろう。精神(霊)の本性について色々考えてみる方が、周囲の身近な物質界に現れる精神(霊)を追求するより容易だが、その端的な方法は他でもなく人間が「笑いと涙」と呼ぶ、魂の振る舞いの中にある。

 (絶望の淵に神「笑いと涙」が現れる。)

 それらの振る舞いは、人間のなかの内なる神の表現と見なさなければ理解できない。しかし、その振る舞いをするには、人間を、精神(魂)の存在とみなすだけでなく、人間を精神(魂)の存在として理解する必要がある。

 これまでの人智学の講義は、人間が霊魂の存在であることの理解のために費やされた。なので、今回は、人智学から見た人間ついて、大まかに見るだけにするが、これは「笑いと涙」の理解を築く上での基礎となる。

 人間を、宇宙全体から観察すれば、肉体は鉱物と共有し、エーテル体もしくは生命体は植物と共有し、アストラル体は動物と共有していることがわかる。アストラル体は楽と苦、喜びと悲しみ、恐れと驚きなどの、人間が起きてから寝るまでの間に、魂の中に流れ込み、流れ出る、あらゆる考えや想いを担っている。

 肉体、エーテル体、アストラル体は人間の永遠の生命を覆う三つの鞘であり、その中心に、最高の創造である自我が生きている。自我は、魂の中で、その三つの構成体の一部の感覚魂、悟性魂、意識魂に働きかける。人智学徒は、いかに自我が、人間を一歩一歩、神(霊我)の成就へと近づけるために働いているかを理解してきた。

 では、人間の魂のなかの自我の活動の基礎とは何なのか? 

 それが自我の活動にどのように作用するのか、幾つかの例を見てみる。

 自我、すなわち人間の精神の最深にある中心が、外界で、何らかの対象に出会うことを想定する。自我は、その対象に対し、無関心でいられない。自我は、その出会いが、自分を喜ばすか、或いは不機嫌にするかによって何らかの反応を示し、内(精神)的に何かを体験する。

 遭遇する出来事に狂喜するか、もしくは深い悲しみへと落ち込むかも知れない。恐怖で尻込みするか、もしくは愛情をもって接し、抱きしめるかもしれない。自我は遭遇する事象を理解するか、もしくは理解しないという経験をもつようになる。

 起きてから寝るまでの間の自我の活動についての観察から、自我が人間を外界との調和へともたらそうとしていることがわかる。もし、外界の何かが、人を喜ばし、温かみを感じさせるなら、その人は、その対象と絆を織りなし、その人のなかの何かがその対象と結びつく。

 人類が、地球環境全体に対して行うのは、以上のような精神(魂)の振る舞いである。起きている時間全体を通じ、人間の内にある魂は、自我と、外界との間に調和を創り出そうとする。

 外界の対象を通じて、人間へとやって来る経験は魂の中に反映されるが、自我の住居である魂だけでなく、アストラル体、エーテル体、そして肉体にも働きかける。

 自我と対象との間で確立された関係が、アストラル体の感情を掻き立て、エーテル体の流れや運動に働きかけるだけでなく、肉体にも影響を及ぼすことについては既に幾つか例を挙げた。

 例えば、恐ろしいものが近づいて来るとき、人は青くなる、などである。

 これは自我との間に確立された「恐怖を催す」関係が、肉体にも影響し、血流が青くなることを意味する。

 また、その逆の影響、つまり「恥ずかしさで顔が赤くなる」についても触れた。周囲の対象と自我との間にできた関係から、その対象から自我がしばらく身を隠したいと感じるとき、血が顔へと上っていく。

 これら2つの例から、自我と外界との一定の関係による影響が、血(血流)に生じることが分かる。自我がアストラル体、エーテル体、肉体の中で、いかに自分を表現するかについて、他にも多くの例を挙げることができる。  

 ★       ★      ★ 

 人間の本性である自我は周囲と協調関係、調和関係を求めている。そこにドラマがつくられる。





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Last updated  2014年11月05日 11時14分05秒
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