随分と書き込みをサボってしまったが、久しぶりに書きたい。
さて、今年の干支は、丁酉で、丁は新旧の勢力の対抗、酉は爆発を意味するそうです。どうやら価値観が180度変わる年の到来といえそうです。昨年の暮れからそのような現象が現れてきたようにみえます。
世界は大きく移り変わりつつあります。英国のEUからの離脱、米国に日本のおバカ総理と同じ低能の大統領が誕生したことで、第一に欧米の没落が挙げられるでしょう。
強い日本を取り戻す、と言っていたアホ総理が日本経済を崩壊させ、多額の国民の年金を溝に捨てたように、同じように強いアメリカを取り戻す、と就任演説した口先だけの無能大統領にそのような力はなく、破壊しかできないでしょう。
しかし、破壊といっても、いまの歪な米国の格差社会を破壊してくれるのなら、大歓迎です。
英米は世界に格差社会を拡げた元凶ですから、本来自業自得なのですが、8人の地獄行きの大金持ちの欲深さに代表されるように、世界から奪うものは奪って、今度は世界から奪われる番になると途端に逃げだす有様が、いまの英米がもつ反キリスト的な態度なのです。
このことはシュペングラーが記し、トインビーが受け継いだ西洋の没落にあるように、物質文明というのは、限界を迎えると自滅することを示したにすぎないものなのです。
トインビーは、東洋の古い書(易経)のなかに、古代アトランティス文明の残影をみたわけですが、物質というのは死を免れず、だから物質を超えて、精神を再生させる、生の文明を提唱したのでしょう。
だから、北欧の福祉社会などは、どこかしら古代アトランティス文明の匂いを感じさせるものがあります。北欧には北欧神話のヴォーダンが生きているようにみえるのです。
つまり精神を向上させる文明を築かなければ人類は進化できないどころか、現在のサルのように退化を免れないわけで、現にアメリカをみればわかるように、8人のサル山のボスが社会を支配する地獄となっているわけなのです。
アメリカはいわば鎖国を宣言したわけで、日本史でいうなら、徳川家康の時代になるわけですが、家康と違うのは、秀吉が武家社会を既に統一し、公家を無力化し、仏教勢力を金銭で買収し、武装解除していたことが大きく、家康はただ対外国勢力に専心でき、それも徳川家で貿易を占有できたことが大きいわけです。
鎖国が可能だったのは、日本が小さな島国であった地政学上の利点も大きかったわけですが、アメリカが鎖国するというのは不可能に近いので、かえって内乱を誘発するだけでしょう。
この無能大統領の内需の拡大という経済理論は正しくても、アメリカは大きな軍隊を抱えていて、武装解除が困難な上に、キリスト教国といっても、キリストの教えを守らない地獄行きの金持ちがいる限り、思想においても、アメリカ国民の結束は不可能なのです。
だから、鎖国すれば、格差間で闘争が始まるでしょう。そうすると、金持ちたちの行き場がなくなり、国内は勿論、国外でも、既にアメリカは嫌われつつあり、英米は大金持ちとともに没落の一途を辿るしかないでしょう。
英米は世界から尊敬されるどころか、これまでの戦争に関わって利益をあげてきたことが知れ渡り、世界から罵られるようになるでしょう。現に人類に原爆を落としたのも英米なのです。
しかし、英米が没落するからといって、中露が相対的に向上するとは限りません。中露は北欧の先進性とは逆に、公害問題や、外への領土獲得の野心をいまだに捨てきれずに、古臭さがいまだに残っているからです。第一政治体制が古く、民主制とは程遠い、いまだに汚職を生みやすい、官僚統制の権力社会だからです。
中露は北欧を手本にすべきですが、西洋文明にかぶれた極東の日本、東アジアを手本にしています。日本は物質文明の恩恵を一番受けている国といえますが、逆に精神の堕落は高度に進んでいます。それは日本人が没個性で、お上の命令には服従で、社畜といわれる奴隷に近い生き方をしていることでわかります。
日本社会は表面的には高度に進んでいるようにみえますが、中身は中世のように集団主義です。日本人のほとんどは拝金主義で、カネでなんでも解決できると思っている人も多く、その精神性の低さは明らかです。
そこで日本を考えてみますと、日本には至る所に中世の名残が見受けられます。昨今問題になっている長時間労働ですが、これは営業時間を拡げれば利益が増大する、という小学生でも考え得る単純な発想に基づいていることがわかります。
なぜ小学生の発想かというと、長時間労働で、成果が上がるわけがないからです。労働者の精神性を無視しています。単純に、営業時間が増えれば、客が増え、物質的に利益が向上するとしても、それだけ人件費を含むコストも増えることになりますし、何より、精神面に与える負担が大きいのです。
例えば、狩猟を考えてみればわかります。ワナを沢山仕掛けて、何度も山に行ったからといって成果が上がるわけではありません。動物もバカではないので、簡単な仕掛けは見抜かれてしまうでしょうし、動物の数は有限なのです。沢山捕れるからといって、必要以上に捕り続けると環境破壊につながります。
つまり、この世界の出来事は非線形現象なのに、線形思考を当てはめても成果は上がらないどころか、かえって負担を増加させるだけなのです。だから長年受け継がれた生活習慣や道徳基準に従う必要があるのです。
滑稽なのは、同じような長時間労働をしてきたと自慢のように主張する人たちが、なぜ過労死せずに今生きているのか不思議です。特攻を他人に命じておいて、自分は命乞いするようなものです。どうして、いま長時間労働をしている人の負担を少しでも減らすように助けないのでしょうか、昔のことは既に過ぎ去ったことで、問題は現在起こっているのです。人間の心を失っています。
小学生でも考えられる解決法を採用する無能な経営者に問題があります。第一、長時間労働は労働基準法を守っていませんし、労働者の人権を無視していることになります。法律を守らないということは、道徳も守っていないわけで、その人は死後、地獄にいくことになるでしょう。
オカルトでいえば、道徳とは、死後、天国に行けるかどうかの裁判基準なのです。精神の向上性の目安でもあります。
法を破って利益を上げても、その場はそれでいいかもしれませんが、死後、地獄にいくことになり、地獄にいけば被害者の気持ちを知り、苦悩し、また人生を改めて被害者としてやり直ししないといけないのです。
オカルトの話は置いておいても、法律を守らないのは人間として生きていないので、論外です。
では、どうして長時間労働のような発想に至るかというと、日本の会社が中世の武家社会を源流としているからでしょう。日本初の会社といわれているのは、坂本龍馬がつくった亀山社中だといわれていますが、これは司馬遼太郎氏の本の洗脳でしょう。
亀山社中というのは、土佐藩の密貿易の窓口のように思います。それはさておき、現代のサラリーマン社会が、中世の農民でなく、既にいなくなった武士に例えるのは歴史的にはあまりにも不自然なのですが、なぜだか、当てはまるような気がするのは奉公などの言い回しが残っているからでしょう。
現代のサラリーマンを中世の武士に例えるのはそもそもナンセンスなのですが、奉公という言い回しから当てはまってしまうのは、日本社会にいまだにその古臭い精神が残っているせいなのです。
実は、日本史を深く調べてみるとわかるのですが、現代のサラリーマンは、戦国時代の足軽ならまだしも、江戸時代の武士というよりも、寺社の人員帳簿に管理された農奴に近い身分といえるでしょう。だから、坊主の主人には服従で、滅私奉公なんていう死語になるべき言葉もいまだに残っているわけです。
元々、武士というのは、武家という肩書をつぐ形式的な役職です。武家は、古代中国から亡命してきた王朝の末裔が日本原住民を征伐し、朝廷をつくり、その武装警護の名目でできたわけで、明治維新で、華族などに編入されて、消滅したわけです。
華族になれなかった武士たちは、西郷が士族の不満を背負って薩摩国を独立させようと反旗を翻したのですが、大久保に騙し討ちにされて、海外に渡るかして、明治政府の棄民政策でほとんど消滅したわけです。
武家という組織は消滅し、寺社が農奴を管理するカースト制度もなくなった現代にいまだに「奉公」のような中世の不自由な主従関係からくる精神的な束縛を求める労働環境は不健全にみえます。
本当は庶民という言葉もなくならないといけないわけで、中世の概念からすれば、庶民とは守る家のない差別を受けた部落民のことですから、戦国時代の戦国武将たちが寺社と戦ったのは、多くが部落民出で、カースト制度を撤廃し、身分制度を平等に改めるためで、だから信長も、外国の宣教師を利用し、内乱に乗じて、中世の身分制を改定するために、部落民の王になって、安土に城を立て、中国からの渡来人の制度に対抗したわけです。
だから昨今の肝心な身分制度打破が抜け落ちている歴史ドラマをみていると冷や飯を有り難く食っているようで滑稽この上ないものです。
ここらへんで、金儲けのための戦争による近代の物質的な身分制度を打破すべきではないかと、信長協奏曲という一風変わったドラマをみていて思う次第なのです。
アメリカが武田信玄の甲斐、ロシアが朝倉義景の越前、中国が浅井長政の近江、日本が尾張とすれば、日本に金持ち打倒の信長が出てもおかしくないな、と思うのです。
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