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★永遠の輝きマリリン・モンロー

★永遠の輝きマリリン・モンロー::謎の死から40年!

1962年8月5日:
マリリン・モンローが睡眠薬による死を遂げてから今年で
40年がたった。
セクシーさと愛らしさを併せ持つアンバランスな魅力で
ファンの心を捉え続けてきた、マリリンの突然の死は
世界中のファンに衝撃を与えた。

8月5日午前3時50分、自宅のベッドで全裸で発見された。
死因は睡眠薬の飲みすぎということだが、
当時のケネディー大統領と交際があったため、謀殺説なども噂されたが、真実は分からないままだ。それにしても、36歳惜しい!!

★1926年6月1日
 ロサンジェルスで生まれた、父親はいなかった。
母親も精神病であったため、里子に出されたり、孤児院に入れられたりと不幸な子供時代を送っている。

16歳で近所に住む6歳年上の若者と結婚するが、僅か4年で離婚
その間マリリンはモデルとして男性雑誌のグラビアを飾るようになる。しかしモデルに飽き足らず彼女は20世紀フォックス映画社と
契約するものの、チョイ役ばかり、生活のためオール・ヌードの
写真を撮ったのもこの頃でした。

やがて大きな転機が・・・
映画「ノックは無用」(52年)のセクシー悪女ぶりが評判に!
「ナイアガラ」(53年)また、お尻を振りながら歩く
”モンローウォーク”も評判になった。
そして一躍アメリカ映画界のセックス・シンボルとなった。

次々と愛らしいブロンド娘を演じ人気はうなぎのぼりだった・・
がその人気と裏腹に彼女は演技への自信の無さに苦しんだ!!

そんな彼女は元ヤンキースの人気バッター、
ジョー・ディマジオ・12歳年上と結婚!
この結婚も長続きしなかった。

「七年目の浮気」「バス停留所」「お熱いのがお好き」
と次々に大ヒット!!

「荒馬と女」の原作者、3人目の夫、アーサーミラーとも
撮影中もトラブル続きで結局離婚!

62年「女房は生きていた」の撮影がスタート。
しかし完成を見ることなく謎の死を遂げたのであった。
(SCREEN・9月号参照)

~~~~~(*^_^*)
残念ながら私はマリリンの映画を観たのは「七年目の浮気」
「お熱いのがお好き」の2本だけです・もちろんビデオです。

白いスカートがパアーと開いて両手でマリリンが恥ずかしそうに
抑えてるあの時の笑顔!
ステキです!
男の人はあの愛くるしい笑顔に参ってしまうのでしょうね!
女性から見てもあの姿は目に焼きついてしまいますもの・・・

それにしても36歳なんて美人薄命・・
          ホントなんですね~ UEKO・F★




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