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自閉症スペクトラムと診断されてから、何かが大きく変わったわけではないが主治医の説明や勉強会に参加して、いろんな「感想」は持った。特に、子どもの教育環境については、深く考えさせられた。日本の小学校は、自閉症スペクトラムの子にはハードル高いな、とか。支援や通級があっても、個人の能力に対応した制度ではないな、とか。あくまで、マイノリティーが集団にあわせるやり方だな~、とか。対人コミュニケーション能力3、4歳レベルで小学校1年(6、7歳の学年)に放り込む・・・そりゃ~本人もつぶれそうになるわ、とか。学力が7歳、8歳レベルと突出したとしても、スキップもできないのか・・・そりゃ~、授業が退屈で多動に輪がかかるわ、とか。小学校から少人数制の私立ボーディングスクールはないのか・・・学習は能力別で、学年は下がったり、スキップしたりする。生徒一人に担当カウンセラー教師が一人つく。学習面、生活面、交友関係の相談にものり必要であれば、LD、ADHD、アスペ等の特化した対応も受けられる。・・・宝くじに当たれば、全額ルイの留学費用にあてよう。私は、マジョリティーの為の教育を確立している日本の学校に我がマイノリティーの子どもへの対応を全く期待していないしマジョリティーの教育側にルイを「無理に」沿わせる必要性を感じないのでマイノリティーのわが子が「自分らしい」生き方ができる場所を自ら探求し動きたい。それが私の、子どもとの当面の共同作業になるだろう。「窓際のトットちゃん」という本で、小学校を首になった黒柳徹子さんがともえ学園に転校する。(と記憶してる)素晴らしい情操教育をする学校である。理想は、あんな風に、個性ある子どもがのびのびと学び大人が与えた学びの環境にも色々あるんだ、ということを経験し自分にあう場所が必ずあるのだ、という事に感謝し、誇りに思えるような体験をすることだ。まさか、小学校の頃に一番好きだった本が今のいま、役に立ってくるとは思ってもみなかった。今現在の日本の状況は、私の子どもの頃に比べて格段にいい状況だ。私が小学校の頃、あきらかに知的にハンディがある友だちはひどい扱いを受けた。なんと小学校教師に執拗に責められクラスメートの中で起立させられ「なぜ忘れ物が多いんだ」「反省していない」「皆から、あなたがどう思われているか聞きなさい」と、彼、彼女の悪い所、迷惑な所を残酷にも「反省会」と題して、しょっちゅうしょっちゅう攻撃していた。小学校高学年の頃のことである。私の母親は「人に優しくしなさい。優しい人になりなさい」が口癖の人だったのでこの先生のことを、心の中で「なんという人だ」と思っていた。信じられないことに、他の先生は許容していた。泣いているハンディのある子を見ても「みんなの足をひっぱるんだから仕方ない」そういう見方だった。運動会の練習の時に、どうしても全体での縄跳びが上手くいかず彼女が飛べなくて1回も回れないから↑のセリフを、先生方が吐く。そして、子どもが追従して責めまくる。地獄のような小学校生活だ。私は傍観者でしかいられなかったが、加害者の一人だろう。担任の先生と同じ人間にはなりたくない、と子ども心に誓い教育機関を、大人を頭から信じることはなくなった。それを、両親には話していたので「大人にも色々な人がいる。自分がなりたい人間になるよう努力しなさい」と言われた。中学以降は科目ごとに先生が変わるので大人への信頼感も高まった。よい先生が中学、高校には集まっていた。小学校は父の仕事の都合で2回転校したが、尊敬できる先生には出会えなかった。ルイを小学校へ上げるときに、大人の人間性は選べない事を念頭に置く。思い返しても、私達の頃は1クラス50人近くて先生から個人的にケアされたとか、よく話をしたとかいう印象はない。集団をまとめる事、学習をスケジュール通りにすすめる事が目標であるので個人のハンディにまでケアはまず、行き届かない。絶対的に、自分がもしやろうとしたら、仕事としてムリがあるのだ。なので、そこに期待することは先生を追い詰めることにもなりえる。たとえ少子化といえ、まだ1クラス30人もいるのだ。日本も調べると、寺子屋的なフリースクールも増えている。公立の学校に籍を置いておけばいいらしい。個人学習の塾、発達障害の子をサポートするNPOが主催する学習所も増えている。インターナショナルスクールも増えてきているしシュタイナー教育の学校まで登場している!シュタイナー教育は、まず通信簿がない。子どもを数字評価しない。教育の根底が、まず違うのだ。ヨーロッパでは非常に有名でありアメリカにもシュタイナーの学校はたくさんある。人間性と自然な興味・知識を育てるシュタイナー的な教育こそ、発達障害の子には適しているのではないか。日本の公立学校で、または私立学校で不適応を起こした場合理由は人間関係や環境だろうが、教育の真髄という琴線がふれなかったからかもしれない。障害があるルイは、自分の興味ある事には探究心があるし創造性もある。興味がなくてもなるほど、と感心するような事柄には集中する。今の幼稚園に問題なく行けているのは先生の教え方も素晴らしいが、提案し取り上げる教育内容、教材がルイの学びたいという琴線をかきならしているからだ。興味が身を助く。そんな感じだ。たとえ、校舎がぼろぼろでも、園庭が小さく古くても、ルイは気にしない。彼女を前向きに自発的に行動させるきっかけは「興味あるレッスンがされている」事が全てなのだ。小学校でそれが失われるとすると、一番まずい。失われる直前に、ルイにあった学習環境、心の琴線を鳴らし続けられる場所を見せてやらないといけない。私ができるのは、見せてあげるだけ。そこに興味を見出して、行きたい、やりたい、してみたいと思うのは本人次第だ。公立の小学校にあがり、人間関係につまずき悩みながらもその学校の学習に興味を抱き、喜びを見出せるならそれでよし。学習への興味もなく、退屈なばかりで、人間関係もこじれ時間を費やすだけなら費用は安くても人生において対価は高すぎる。その場合は、どこなりと場所を変えて良し、喜びを見出す場所を探求すると良い。中学は無難にどこへでも。高校は単位制でも、行かずに旧大検を受けてもかまわない。それで日本の大学も、海外の大学も進学できるし、問題はない。その先が一番大事で、興味のある事がここの時点までに伸ばせたらあとは自動的にやっていくだろう。興味がなければ、意欲もわかない。意欲がわかなければ、能力はつかない。能力がつかなければ、自活できず生きていきにくい。実にわかりやすい、シンプルな人間であるルイや旦那は複雑に挫折する定型よりも、将来の目標や指針は立てやすいのかもしれない。旦那のご両親は、実に上手く子育てされた。親の支配力はふるわず、子どもの興味の赴くままに生活させ自立させ、自活させた。ただ、教育機関だけは吟味され子どもの背中を押した。その「手を入れずナビゲートした手腕」は、ぜひ見習いたい。家庭教育の根本的な柱さえ建てれば、あとはなるように、なるのだと自分に言い聞かせて、これからを頑張る。にほんブログ村
2011.07.31
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アスペルガーの旦那にとって一番大事なのはリラックスできる時間が持てる事だ。彼のリラックスできる時間=コミュニケーションしない時間とも言えるので一人で頭を休めるひとときを大事にした方が彼の心身のエネルギーは確実に上がる。このコツがわかってから私は自分の世界を大いに楽しみ自分の心身のバランスにも気を配るようにした。私は友人同士で集まって、食べて話す事が大好きだ。賑やかなのが好きだし女子会もするし映画にも行くしショッピングもする。その間、旦那は新聞を読んだり、テレビを見たりネットをしたり寝室でごろごろする。友情というものが、旦那にはいまひとつわからないらしい。私の信頼できる友人達や海外でお世話になったご夫婦家族小さい頃からお世話になっている親戚には、もちろん旦那を紹介し、会わせている。旦那は、紹介される事は嫌がらない。私の周りの人たちが、彼を傷つけるタイプの人間でないからかもしれない。結婚後、まだ子どもがいない時にこんなことがあった。アスペルガーについても、カケラも知識がない頃のことだ。旦那が、出かける前の夫婦間のイザコザで、気持ちを切り替えられずに不機嫌を撒き散らしながら、約束していた時間に私の友人宅訪問をしたことがある。友人は、とても察しが良く、何も言わず「子供の様子を見てくるからちょっと時間かかるけど」と私達夫婦に時間をくれた。それを、私は旦那にきちんと伝えた。喧嘩は、夫婦の問題で他人の家にまで持ち込む事ではない。後できちんと話を聞くから、この場は招いてくれた人へ最善の対応を、とお願いした。彼としては「今、目の前にいる自分をないがしろにされているように感じる」と喧嘩の続行=自分を丁寧に扱う、失礼のないやり方だと私に言った。私が彼に失礼を働いているのがどうしても許せないのだ。私がした説明は「思いやりある友人を、友人の家でないがしろにする失礼は私にはできない。あなたとは家でまた話し合いできるけれど、友人とはこの数時間だけしか過ごせないのだから。その数時間を、私達の個人的な喧嘩で費やし、約束までしていた友人を待たせるのは失礼な行為だと思う。」というと、ようやく理解してくれた。彼は、「相手に失礼な事をする」「他人に迷惑をかける」行為が嫌いなのだ。礼儀正しい実家の教えが、体に浸透しているのだ。なので、説明すれば理解してくれる。他人の家で夫婦喧嘩を続行することが、その家の人には迷惑である。ここがわかれば、切り替えがきくのだ。友人はというと、夫婦そろって話し合いが収まったタイミングを見計らって登場しお茶やケーキで、とても優しく明るく対応してくれた。切り替えができた旦那と、元の雰囲気にもどった私達を見て安心したのか何も聞かれなかった。この、私にとって貴重で大事な友人夫婦とはかれこれ25年の付き合いだ。ルイの自閉症スペクトラムの診断についても、唯一知らせてある人物達である。私の幼馴染であり、今でも変わらず大事な友人で、先輩パパママでもある。貴重なアドバイスをくれるし、懐深い。私は人に恵まれていて、友人の多くは私とは比べ物にならないぐらい魅力的だ。思いやりがあり、面白く、特技があり、家族みな円満である。海外で出会った家族的な人たちも、ありえないぐらいに懐深い。人が、私には貴重な財産であり、それを旦那には都度伝えている。彼は友情がわからなかったけれど、私が友人を大事にしていること、大事にしている理由を理解し、尊重してくれている。この長年の変わらぬつながりと交流が友情ならでは、というのもずいぶんと感じ取ってくれているようだ。今の私には、旦那とルイが一番大事だけれど二人だけが私の世界にいるわけじゃなく私にとっては人生の中で出会い、大事だと思える人たちが何人もいる。私には私の世界があり、それを楽しんでいる。旦那と私のバランスがいいのは、互いの世界がしっかりとあるからかもしれない。時に、二人の違う世界を紹介しあい互いが知らない事を発見しあうのも新鮮でいい。こうして、私達も長く長く、交流を深めてあと10年、もう10年と年を重ねれば夫婦としての関係も深まり、友情も深まっていく。そしたら、旦那は「友情がなんとなくわかった」と言う日もくるかもしれない。にほんブログ村
2011.07.31
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旦那の本棚には、自己啓発系の本がたくさんある。20代の頃、思うところあってたくさん読んだようだ。読めば、なんとなく言っている事はわかる。だけど、頑張る動機にどうしてもならない。皆は、どう頑張ってモチベーションを上げているんだろう。頑張って、それが何かいい事になるのだろうか。何が得られるのか。やってみても、中途半端に終わる。毎日コツコツ系をしてもコツコツして終わるだけ。そこから学べる事が・・・よくわからない。この↑ようなことを、結婚当時、時々聞いていた。結婚後3ヶ月目で旦那はうつ病を再発していたのでムリは禁物だから、いいんじゃないか。とその時は聞き流していた。頑張り具合は人それぞれ。パワー全開で 何でも頑張るのが好きな人種と静かに、穏やかに人生を歩む人間もいるのだ。だからいいんじゃない~と 単純に思っていた。そんな単純なものじゃないのだと気がついたのはアスペルガーの障害特性について学び始めてから。・将来への見通しが立たない・少し先の予測がつかない・過去の失敗や苦しい記憶に囚われる・聴覚や感覚が過敏(疲れを誘発)・全体像をとらえるのが苦手(部分的な注視が得意)・こころの理論がわからないこの↑の特性があれば 達成感を感じ取るのは本当に難しいだろう。結婚後に、結婚してからの理想の家庭像や目標が持てず私とひと悶着あったけれど計画や予測は苦手なのだ。仕事の悩みにも↑の特性はからんでいる。そして、達成感を感じ取れないということは「幸福感を感じ取る力が弱い」ことだと思う。人は、幸せを感じるから次もまた幸福感を得たい!と頑張れるのだ。辛いことから逃れるための努力は、苦しいものでしかない。旦那の人生は、聞けば聞くほど達成感という頑張った最後に感じる「幸せ」の落とし所がなくひょっこりと 幸せ感の欠落した「頑張りのみ」「落とし穴のある道」を、繰り返し繰り返し、歩んできたような印象を受ける。味気ない。そして、辛い記憶ほどフラッシュバックでよみがえる。幸せな記憶の再生は、ほとんどないのだ。彼の「特性の中で歩む人生」は幸せの落とし所を感じ取れない幸せの方向へ舵を取れない状態だ。彼の障害を知らなかった頃数々の辛い過去を、ぽつり、ぽつりと語るので彼の苦手な分野、頑張ってもできない分野があることは感覚として知っていった。そして、ひらめいた。それなら、私が気がついた時に舵を取ればいいのだ。一人でだめなら、二人でやるんだ。小さいことも、大きいことも。家族、夫婦って、そういうもんだ。私と出会う前の人生がたとえグレーな色で塗りつぶされていても私と出会った後の人生がアホなほどカラフルでレインボーな色で塗りつぶされていて笑える人生だったと思えるものにしたい。花は綺麗よ!家の中は光に満ちて、華やかに!気分はウキウキが最高だよ!あなたそっくりの子どもは、きっと可愛いよ!みんなで、休暇はおいしもの食べて、ごろごろして。悩んだら、家族みんなで考えよう。保険、貯金、雑事は任せて!子どもの悩みは、一緒に聞いてね。子どもの独立、自立、応援しようね。子どもが独立したら、二人であちこち行こう。田舎で二人、平屋の小さい家で庭いじりしたいね。海外の友人の所で、のんびり数年過ごすのもいいよね。楽しいこと、いっぱいあるよ!楽しみ方、色々あるから一緒にやろう。かれこれ、10年経過して 楽しい事に彼をまきこむことの成果を感じてきた。達成感がわからなくても幸福感を感じる力が弱くても楽しい雰囲気真っ只中に突っ込んでいく人間の隣にいたら「ふ~ん、こんな感じか」って思うことがあるようなのだ。時々、旦那がぼそっと「平和だなぁ」「子どもは、かわいいな」「子どもがいて、お前がいて、これが幸せだな」と言う。努力する気になれない、と言っていた旦那が子どもの喜びはしゃぐ姿に感化されて頑張って外遊びに出かけていく姿を見ると・・・人生、本じゃなく、経験と「まきこまれ」から学んで成長していくんだな~としみじみ、思う。発達障害で悩む人も発達障害がない人も人生の伴奏者を得れば人生が倍楽しくなるかもしれない。そう思います。
2011.07.31
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ルイは時々、やってほしくないような事をする。悪気はあまり、なかったり。まあ、普通の子供でもするだろうことをしている。だから、悪戯自体はまあ、どうでもいいレベルだ。私はあきらめも早い。ただ、その行為を改めるように指導しないといけないから、頭が痛いのだ。言い聞かせを受け入れられないルイ。止めようと言われている事を、やめられないルイ。まだそこまで、自分を律しきれないルイ。言い聞かせ自体、まだルイの自己コントロールが未熟なのだから今すぐ、この時期に理解させるのは無駄だと思う気持ちと社会的ルールを身につける基礎は 親として根気良く指導していかないと、という気持ちがある。しかし、旦那は両親からうるさく事細かに言われて育っていない。大家族で忙しい共働き家庭だったので大人が監視しない、兄弟従兄弟の中でのびのび育ったのだ。大人になってから、世間とのズレを修正しはじめたけれど(私の知らない20代は、相当すごい状態だったようだ)今普通に生活している。それでいいような気がしている私・・・だめか。せっかくの旦那と私のコンビを、子どもの人生に生かしきれないのもシャクだ。最近、そこで注目しているのは「おさるのジョージ」だ。おさるのジョージは週末にテレビでやっている。最近のストーリーではジョージと同居しているおじさんの大事な大事な帽子を ちょっとだけ~と借りてかぶるのだけど色々トラブルがおこり、穴を開けてしまう。私とルイは見ていてうわ~やっちゃったよ、おじさん怒るだろうな~と話し合ってたんだけど・・・おじさんは、すごいのである。怒りもせず表情を濁らせず、イラっともせずう~ん、と考えて 笑みすら浮かべてネクタイでちゃちゃっと 穴の開いた部分を隠すようにぐるぐると巻いたのだ。そして、その帽子をかぶったままジョージに「パーティーに遅れるぞ。」と手をつないで出かけるのである。この姿勢、この精神。私は見習うべきである。反省しているジョージに、過剰に叱らない。ジョージのすることだからか「おさる」と同居している前提だからかおじさんの懐は深い。おさるのジョージへの「受容の姿勢」は素晴らしい!子どもが悪意を持ってやったわけではない失敗ややってほしくない事などをジョージのおじさんのように受容して見守ってやりたい。子どもはきっと、ジョージのように安心感を得るだろう。なんか、悪かったなぁ、という気持ちが残ればいいのだ。手本は、ジョージのおじさんだ。旦那にそう言うと、「え?まあ、確かにすごい人だよな・・・(でもマンガだからね)」の反応。( )の中の、旦那の声が顔にそのまま、出てました。あくまで、理想としておきます。完全には、ムリです。頑張ります。
2011.07.30
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こどもが、自閉症スペクトラムと診断され主治医から 一般的にその後どのように成長するかを聞いた。その時から、私の中には「ホームティーチング」の可能性を頭に置いた。日本では一般的ではないがアメリカでは、かなり普通にやっている事だ。広大な土地で、通える学校がない場合や親の仕事で世界を移動する必要がある時に教材を国(州だったかな)から支給してもらい家庭で親からスケジュール管理してもらい学習する。アメリカだけではなく、南半球の国々でもやっている事だ。トレイラーハウスで生活し、移動が多かったためホームティーチングでエレメンタリーの頃(小学校時代)を過ごしたアメリカ人の友人がいたが彼は発想がすばらしく、ユーモアにあふれ、常にトップの成績を維持していた。彼曰く、「大事なのは学習すること。場所が問題ではない。学ぶ喜びは親とシェアした。社会生活は大人になれば必須なのだし、いつでもできることなのだから、教育施設にこだわる必要はない。」目からうろこの意見だったので、ホームティーチングの存在は記憶に刻まれた。その後、仕事で海外に出ている間にホームティーチングはごく一般的なことであると知った。私がルイに願うのは学ぶ事の喜びを自分の能力では追いつけない社会生活に足を引っ張られて見失い自信をなくし自己肯定感を低め学習する事までも、教育施設と共に嫌って欲しくないということだ。学ぶ喜びは、素晴らしいのだ。世界で学んでほしいぐらいだ。なので、幼稚園時代は平和で楽しく過ごしても小学校に入学してとたんに人間関係や集団スケジュール、集団行動についていけなくなったり1人の先生が集団に教えるというスタイルが 本人にちんぷんかんぷんであるのならそれは母親として、私が環境選択を調整する必要がある。日本の人口の多さでは、一クラス30人いても仕方ない。しかし、海外の一クラス6人だったり一クラス10人だったりする良質の教育を目の当たりにした後では「自閉症スペクトラム」という 数々の能力のハンディを背負ったルイには我らが住む地域の小学校の環境では、難しすぎる環境だと言わざるを得ない。おのずと、籍は置く必要はあるだろうが強制的に小学校という環境への過剰適応をルイに求める気は全くない。家庭で、ホームティーチングをしてもよいと考えている。サマースクールで、海外の学校へ出しても良い。私が短期であれば、ついていくことも考えられる。長期は、旦那のフォローができないから幼少期は不可だ。中学、高校ともなれば日本の私立に通う費用で留学可能だし海外へ出しても良い。きちんと、特性理解とフォローのある学校を検討もする。費用的には私も仕事復帰しなければならないし大変だろうがルイのように、「興味の矛先」が限定的に限られる場合はイギリス系、オセアニア系の教育がピッタリ来ると思う。日本の、すべての科目を均一に、知識の安定を求めて学習する総合教育のスタイルは、ルイには半分退屈だろう。自分の「やりたい事」「好きな科目」「得意分野」を限定しその分野を研ぎ澄ませていくイギリス系の高等教育の方が特性にピッタリと合う気がする。アートが好きなルイが、そのまま興味を絶やすことなく創作活動を続けていくのであれば中学後半から、その科目に集中して大学まで直結するアート一本のコースに入るがいいだろう。教育は、自分がどの教育を受けたいかを選べる。私は親からそう教わった。昭和の最後の亭主関白のような父がアメリカの教育を受ける事を歓迎し大いに理解をしめし、バックアップしてくれたのだ。私にできないはずがない。教育は、人の力になる。生きていく原動力になる。自分の中に力を感じれば一人で生きて行く事が楽しくなる。そして、自分と同じ考えの最高の仲間達と出会えるのだ。私が得た経験で伝えられるべき事を伝えルイが将来、自分が自分であってよかった自分は人生を楽しんでいるそう思えるよう 精一杯ナビゲート役をしてみよう。ママはパパと出あって人生の宝を得たからルイにも、自分の人生を楽しんだ延長上に自分にぴったりの、素晴らしい伴侶と出あってくれたら・・・最高だろう。パパのような、素敵な人を見つけてね!いつも言ってるこの言葉。ママが願うルイの将来の形です。ルイの将来は、楽しいよ。家族みんなで、楽しく生きていこう。
2011.07.30
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旦那は非常に真面目だ。真面目で、古風である。これは、旦那の実家由来だ。とても真面目で実直で、誠実なご家族のルーツを受け継いでいる。結婚当初、一緒に歩くときに 腕を組んでぎゅっとなついたら、「これこれ。」とストップがかかった。腕組みで、ストップである。私はもともと、恋愛体質ではない。べったり、とか、肩を組んだり、腕を組んだりはめんどう・・・というか、けっこうです~というタイプだった。しかし、旦那は別だ。なぜか、犬猫のように惹きつけられる。なついてしまう。かれこれ、10年近く変わらず惹きつけられるのだからDNAレベルで引き合うのだろう。その、腕組み程度でステイをさせられていた状態が今では、私の猛アタックに慣れてしまい(人に流されやすい性質であるので・・・)今では、べったりくっついていても、周囲が気にならなくなったようだ。(というか、すでに慣れすぎていて、体の一部的な付属品扱いに)ここ1週間以上の夏の休暇では、遠慮なくべったんこと張り付いていた。私は幸せ満喫。旦那にとっては、私は付属品であるから気にならないから問題ない。問題あるのはルイで、間に割り込み猛アピールしてくる。ルイも私のDNAを引き継いでいて、パパにだけは猛烈に執着する。私とルイの間で パパの取り合い戦争になるのであるがパパはクールに 気にならない図太さを発揮して 私達のしたいようにさせている。それで家庭平和が成り立っている。私の夏休みは最高~旦那と、べったりだよ。夜は3人、ホテルのベッドで川の字です。ツインをくっつけて、パパが真ん中がいいのだけどルイは寝相が悪くて落ちるから、ルイが真ん中。それに不満な私を静めるため、寝る前に私の横に来て手をモミモミ、もみもみ指圧してくれる。さ・い・こ・う~。夢のようである。旦那の傍に居ると 本当にすべてが癒される。心のオアシスは、いつまでも健在であり 私の宝だ。仕事で抜けられない用事で留守中は元気炸裂なスーパーボール・ルイにつきあって真夏の炎天下で公園遊びにつきあったり、遊園地へ行ったりとふらふらになるけれど旦那のモミモミと、ハグりんこさせてくれる心の広さに癒される。毎日のフレンチ・キスはすでに癖となり旦那も意識しないで24時間受付け状態。たまに、外で(人気の少ないとき)軽くキスしても外だと気づかずに されるがまま~な 図太さを発揮している。慣れとは、怖いものである。旦那は、10年かけて 私使用にカスタマイズされました。
2011.07.30
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夏休み、美術館や博物館に良く出かける。子どもが「これ見たい」と言う所を中心に回る。しかし、現場に出掛けてみると、意外な所で1時間も費やしメインのはずの展覧が、わずか10分の滞在で終わったりする。全く展開が読めない。絵本の作画展に行きたいとリクエストがあり出掛けてみたら、海外の絵本は絵柄が「不気味だ」と一瞬で却下され…常備展の郷土展示なんかのパネルで1時間費やしたり。その間、私は忘れ去られひたすら気がすむまで待ち続ける。子どもの近くを離れる訳にはいかないからすぐ横の休憩座席なんかでぼ~っと…何が楽しいのかわからないツボがある。4歳になってから、気の散漫度は格段に酷くなり2歳の頃の寡黙な(外でだけ)観察期に比べると観察力なし、勢いのみ、行き当たりばったりという主義に転向したようだ。だから(?)、過集中する時は振り子が振れるかのように極端に、外界を遮断して自分の世界に籠る。話しかけても、気を引こうとおやつなんかをちらつかせても他の子どもに囲まれても気がつかないし、目は集中している先しか見てない。よそ見や、周囲の確認すらしない。普段は興味の気移りや、動きがとにかく激しいので多動気味なのかと思うがツボにはまり、過度に集中した時の物静かさピクリともしない佇まい30分でも1分時間でも一つのことに集中する凄さは散漫な時との差が激しくてびっくりする。継続性は、美術、創作関係においては生まれてからずっと変わらずあるようなので将来はアートな道でもいいから得意な事に邁進してくれたらいいなぁ。
2011.07.29
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今日は連続、ルイは失敗続き。「どうしてルイは、何回もこんなことしちゃうのよ」と自分で自分に腹を立てて悲しんでた。かなり凹んでた。ああ~5歳児にも、自己嫌悪ってあるのだな~ご飯を食べていて、ふと腕を動かした瞬間にお茶を入れたコップを倒し奥の方の小鉢を取ろうとして、お味噌汁を突飛ばしてしまいペットボトルの蓋を閉めてる最中に両手の力加減に不具合がありボトルがふっとんで服がお茶びたし。見ていても可哀想だった。自分で体が思ったようにコントロールできないのは辛そうだ。大人になれば、マシになるよ。気にしない気にしない。大したことない。そう声をかけても、努力家のルイは納得いかないのだ。大好きだよ。ママがいる時は、腕があたらないように飲み物を移動してあげる。服が濡れたら、着替えたらいいよ。テーブルは拭けばいい。慰めにもならないかもしれないけどママができることは、これくらい。大好きだよ。明日はなんとかなるよ。一緒に笑って過ごそうね。
2011.07.28
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旦那と知り合った最初の頃些細な内容で人の言動が許せず容赦なく責める所がある事に気がついた。自分が「 正しい」と思っている枠内から逸脱した「他人の行為」が「こだわる」というか、気になって仕方ないらしい。できれば、直接物申して正したい・修正したい、とまで衝動がこみあげるみたいだ。疲れるだろうな~他人の気に入らない部分にこだわるのは。マイナス面に強くこだわりがあるのは、許せない、迷惑を考えろとかいう気持ち、正義感もあるんだろう。指摘は自分から人への発信。人から自分への受容(指摘される)はまた別問題でされる側になるのは嫌だそう。他人にそこまで捕らわれて介入したい気持ちのとき怒りや、不満、批判したい気持ちが湧き出るとき他人との壁を易々と越えられる瞬間のようにも見える。強い欲望があると、他人とのコミュニケーションにひるむことなく近づき、話し、意見を堂々と伝えるような。躊躇がない。指摘したい衝動のせいか。勢いとは素晴らしい。これを、人に対する正の感情に実践できたらバランスが良さそうだ。人に「素晴らしい」「尊敬する」「見習いたい」そういう気持ちを、↑の負の感情と同じ強い衝動と勢いで 相手に伝えるのだ。そうすれば、多少は他人のマイナス面に言及して批判的で責めてくる辛辣な人、と思われても良い所もたくさん見て、誉めたり感嘆したりしてくれてるから…と、受け入れられそうな感じがするのだが…。要は、総合的な正負のバランスなのではないか。海外にいると、仕事相手や友人達から時にはこっぴどくストレートに批判・指摘されるけど、批判・指摘が2割賞賛・賛同・サポートが8割って感じなので(私個人の抱く印象)信頼関係はゆるぎなく強いし、からっとしていて付き合いやすい。批判・指摘が辛辣だけど、必ず手助けがセットだから良いのかも。「1人で解決が無理なら、いつでも相談に来なさい。力になるから。」と誰からも、決まり文句のように言われた。大学の教授からも言われたし、アメリカ人の友人もそうだった。仕事でも、必ず上司が辛辣な評価とセットで目標設定や達成までのノウハウのコツを「求めたら」教えてくれプライベートも気にかけてくれた。批判・指摘したら、面倒を見てやるというそこまでトータルの責任感と包容力を示されれば相手も軟化するのだ。この経験で学んだことを、自分の人生に取り込んだ。仕事で後輩に接する時に、とても役立った。もちろん、旦那に対しても実践している。もともと、旦那に対して指摘したい・変わってほしい部分はない。発達障害の可能性についての話はしたけれど、もちろん生涯寄り添うつもりだしできる事は提案し、検査等も付き添い特性の学習も、より快適な生活の為の工夫も一緒に取り組んでいくつもりでやっている。旦那から、私は強く責められたり厳しく指摘されることは ほとんどなくなったが、結婚当初はあった。しかし、私は指摘とアドバイスはセットだと思ってるから「どうしたらいいか」をもちろん相手に聞くわけで彼の方で指摘するだけで、対策のアドバイスができない場合は…彼の方がどん詰まりになる。旦那:「ちょっとこれ、味や焼き具合が今一つだな。もうちょっと、美味しくできない?」私:「そう?どんな具合がいいか、今度試しに作って教えて♪」旦那:「え…無理。料理できない…」私:「そっか~他の料理でカンベンしてね。」旦那:「うん。いいよ」とおさまる所におさまる。指摘すると戻り(私からのお願いや問い)があるのでドギマギするからやらなくなってきたのかな(^_^;)他にも、できるだろう、って前提でいつも意見されてたけど、私は完璧ではないので、できない事は、できないよと言い代わりににやってみてとお願いしやらないので、諦めたのかな?常識だ、改めろと責められた内容も私には、やり過ぎ。もう少し力を抜いて形に捕らわれすぎないように時と場合で使い分けしてるよ、と説明したり。まあ、彼との異文化交流は盛んにした。ここ4、5年で、家庭内ではきつい表情が無くなったので彼の受容力や、包容力がアップしてるように思う。ありがたいことです。優しく指摘して、的確なアドバイスをくれる素敵な旦那になってます。こだわりは…仕事場では、またまだ炸裂しているようだけど。眉間にシワよせて、カリカリして帰宅してくる時もある。そういう時は「後輩の事が頭から離れない」とモヤモヤ感満載で、捕らわれて辛そうだ。「人間関係を深めたい相手ではないから」歯止めもきかないらしい。…なるほど。旦那の好きな甘いものと紅茶を出してとらわれから出てこられる日を待つのでした。
2011.07.28
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子どもに発達障害があるとわかって一番心配したのは、体の運動感覚がこのままなのかな?年齢とともに落ち着くだろうか視覚トレーニングや作業療法でマシになるのかという点だ。旦那は運動嫌いだから、例え運動感覚が鈍くてもあまり問題なかった。ルイの場合、運動大好きで2歳台後半でブリッジしたり組体操を6歳の子にまじってやっていた。決して運動神経が悪いわけではないと思う。走ると早いし、恐怖心がないから公園のジャングルジムも2歳からすいすいてっぺんまで登っていた。ただ、日常生活で怪我が多すぎる。何もない廊下で、転び、壁に激突する。幼稚園では、何もない廊下で自分から壁に激突し側頭部、耳を打撲で紫にしてきた。園庭で、砂場の縁で躓いて転けては顎を擦りむき上靴に履き替えるたった2段の階段で何度も膝下を打撲し、紫のあざだらけ。友達と手を繋いでお歌を歌った時、家で何かに捕まって飛びたはねた瞬間、腕が外れて何度も病院へ。家や公園で数回抜けた時はもう私がはめこんだ。軽く抜けた程度だったらしく、軽く曲げたらコキッと入った。ヨチヨチ歩きの頃から、猛烈なスピードで走るから勢いでつんのめって転ける。用心して、必ず手を繋いで歩くのだけど手を繋いでいる間にも、1日で軽く5回は転けて私が手で支える。家の中でも、バリアフリーなのに転けてるし部屋の入り口、戸口で頭や肩をしこたま打って涙ぐんでいる。作業療法を受けたくても、管轄の療育部には作業療法士が1人しかおらず順番待ちが1年以上の状態で、ルイは療育対象外となっている。相談先では、おそらく空間認知に問題があるだろうし力のコントロールがわからないようだし予測できない性質から危険な動きも平気でやるし(物を握ったまま、思いっきり飛んで引っ張り、自分の腕が抜ける)繰り返す失敗体験から学ばない(同じ場所で同じ怪我を繰り返す)からでしょうね~と、先生と私で確認しあった。だから、解決や改善方法は?というとまだ良くまとめきれていない。平均台はやらせたが、上手い。つまり、集中すると慎重に動けるのだ。器械体操も、きちっと決めポーズができる。脳内がいせがしく多動ぎみだから気が散漫にわ~っとなっていて衝動的に勢いつけた時に、転けてるのだろうか。MRIやCT、脳波には、神経的な異常はない。やはり、空間認知と感覚統合とやらの問題か?砂場の縁や、靴箱近くの2段の階段は視覚的な認知の問題でぼやっと視界全体を見ていて散漫になっているかまたは一部分(上靴のみとか)しか見ておらず体の感覚で位置など記憶できないこともあって転ける、ぶつける、になっているのか…我が家にはトランポリンもあるが普通に飛んでるし作業療法でやりそうな遊具を使っての体全体を使う遊びもかなりあちこちの遊技場でやってるが、そういう時は怪我をしない。今のところ、↑の自宅療育では効果がみられない。何気ない日常生活で怪我が絶えないのが、何とも辛いもんである。皆さんどんな訓練や工夫してるのだろうか。
2011.07.27
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旦那と子どもの、かわいい共通点。食べこぼしと、食べ忘れ。食べこぼし方が、そっくりで微笑ましい。2人とも、食べ物が落下して服の上、膝の上を転がっても気がつかない。旦那は特に、私より箸の使い方が上手だし食べ方も綺麗なので 微笑ましい。理知的な人が、ポロッ、ポロッとやるのだ。…可愛い。惚れた欲目?ルイも上手に食べるけどポロッ、ポロッである。2人が食べた後の椅子の下には色々な物が落ちている。さらに一番感嘆したのは食べ忘れというか、「え!そんなのあった?」と視界に入ってない食器があることだ。茶碗の配置次第で、視覚的に認知しにくい場合がどうやらあるらしい。先日は、ごちそうさました後に食器を下げようとしたら、もずく酢が食べてない。あれ?と思ったら「気がつかなかった~」でした。旦那もルイも、好き嫌いないし残さない。だから、残ってる物=見えなかった物、だ。お盆にのるぐらいの茶碗の数だから私と同じように配置してて見えなかった、と言われると、本当にナゾ、なぞ、不思議だ。珍しく、滅多に作らないハンバーグを作ってケチャップダレを手前に置いておいた。悩んだのだ。見えやすい、一番手前に置くかハンバーグ皿の近くに置くか。「ハンバーグにつけて食べる」んだからハンバーグの横に置けば2つの皿の関係性がつながるはず!と意気揚々と配置した。結果…撃沈( ̄▽ ̄;)。旦那視点:ご飯茶碗と味噌汁椀が目の前で堂々とアピール。後ろに、ハンバーグの皿。「お、珍しい。ハンバーグだ」と思ったところで意識はハンバーグへ。…隣のケチャップダレは視界(意識)の外へ。付け合わせのサラダは気がついてもらえたんだけどな~(T-T)。タレなしハンバーグを食べたとは…私の一生の不覚!後日、リベンジでハンバーグを作った時はタレの存在をすでに知っていたので無事、見つけていただけました(^O^)ルイは、溢さないように少し汁椀を離してそのまま食べ忘れ、というパターンも多い。でも、離したと言っても僅か数センチなんだけど。自分で離したんだし。味噌汁大好きルイは、私に「お味噌汁が忘れられてるよ~」と教えると「んあ(゜ロ゜)」と大慌てで食べ始める。この「見落とし」は生活に密着していてオモチャが目の前にあるのに「ない!ない!な~い!」とカンシャク起こしてることが多発。旦那も、「どこにやったかな」と探してた物が、目の前にお座りになってたり…視覚認知の問題かな?空間認知の方?忘れっぽい性質と複合的なのかな?とにかく、私と同じように物が見えてるわけではなさそう。日々、色々発見な毎日です。
2011.07.27
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旦那の実家ファミリーのこと。会話するとき、誰一人として視線があわない。あわないどころか、体ごと横を向いていたりする。今でこそ 笑い話だけどその当時、婚約期間中や結婚直後は「私って、もしかして嫌われてる?何気に無視されてる?」「う~ん、これは『息子の嫁にふさわしくない!』って一家の集団無視か?」と悩んだ。なにしろ、初めて会った挨拶からして私の顔を見てくれないし義理の両親、義理の兄弟ともに同じ態度。横向いて、あさっての方向と会話。会話も続かないし、頑張って話をしてもボソッと一言、二言の返事で終わる。初めての会食は、総勢10人が誰も話さず一心不乱に(?)茶碗だけを見て食べていた。あまりに静かすぎて、笑いの片鱗もないものでまるでお葬式…私が原因なのかなぁ、とちょっとしょんぼりした。 本当に、今となっては笑い話。単純なことだ。初対面は緊張するご一家なのだ。何を話せばいいか、わからないのだ。質疑応答一往復にて、会話終了してしまう。今は私にも慣れていただいて話は私が繋いでそれなりにはずむ。食事中も、我が家3人が賑やかなので笑いがある食事風景にもなり、砕けてきた。もうだめ~!と緊張が最大になったお義父さんだけ離れにこっそり避難する。そんな環境で育った旦那は、というと…「目を見て話すようにすると、相手の顔のシワやパーツが気になって、話がさっぱり頭に入ってこない」と言う。「人と話をする時は、きちんと相手の目を見なさい」などと、しつけられようものなら目を見る事に必死になり、会話にまで頭が回らないということになる。これぞ、本末転倒。うまく、変なプレッシャーがない家庭で育ったのは行幸だ。しかし、視線が全くあわないとなると相手に不愉快な思いをさせたり、または相手を軽んじてるような雰囲気にしてしまう恐れも…なので、「相手の目を見なくても、体を相手の方に向けて、なんとなく視線は顔近く、であれば、無難な気がする。」と、体の向きだけ他所を向かないように伝えてある。定型って、本当に細かい!視線や顔、体の向きが自分に向いてない、ってだけで何かと勘ぐる。会話の相手が、自分に興味がない(疎んじてる)とかに直結する考えをやめないといけない。幸い、旦那とその実家家族には変なかんぐりは全く必要ないので楽しく気軽にお付き合いさせていただいてる。会話の時に、子どもに視線をあわせるように言うと「目だけが気になって、会話の内容が頭から飛ぶ」ことになりそうかな、と方向指導だけにとどめている。子どもの場合は、横向きどころか後ろ向いたまま、とか返事せずスルーとか他に手足を動かしたり話を聞きながら、他の作業をしてしまうので本気で聞いてくれてないと勘違いされ「聞いてよ!」とお友達にも時々言われてる。難儀だ。それにしても、「会話する時は目を見て話す」と思っていた私の常識が旦那と子どもには不都合をもたらすなんて家族ならなければ、知らなかったなぁ。もっと「横向き会話が落ち着くタイプもいる」って認識が普通に世間に広がるといいのに。
2011.07.26
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発達障害な2人がお風呂に入ると決まってルイは熱を出し、旦那はちく膿の具合が悪化する。どうやら、体温調整の機能が不具合を起こしやすいらしいのだ。いつも、我が家はシャワーメインだ。シャワーなら、シャワーが原因で体調不良、とはならない。私は貧血気味で、風呂が苦手。しかも長く滞在した国では水不足で10分シャワーが習慣だったので手早く綺麗に洗う効率の良さがぴったりきて、定着してしまった。旦那は仕事で風呂にゆっくり入る時間がない。なので、たま~に風呂をためて父子で仲良く入浴すると…体をあらいっこしたり、湯船で遊んだり湯船の外で風呂用オモチャで遊んだりと、楽しい時間を過ごす。でも、彼らは風呂の翌日は体調を崩す。テンションが上がりすぎて?なのか、ルイは熱を出す。1日で引く程度だけど。過剰なハイ状態でオーバーヒートしたのかな?パパと狭い空間(パパは逃げ場なし)にいる事が狂喜させるようだから。ただ、パパとルイを見てると2人とも普段から体温が高いのに、手足が冷たくなりがちでパパは冷え性、ルイは汗かき。加えてルイは、皮膚上が寒がりで夏でも少し風がふくと鳥肌立てて寒いと言う。私にはない体感なので、こればかりは対策に四苦八苦している。2人には自分だけで体温調整するのが難しく快適さは、季節・その日で意見も異なるので2人に快適な温度・湿度は・・まだまだナゾである。
2011.07.25
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旦那と子ども、2人と行動する時は2人の疲れる前に 休憩時間をもうける。家庭内でも 旦那と子どもが遊ぶ時はご飯で休憩、昼寝で休憩、おやつで休憩と こまめに過集中のジャマをする(^_^;)ジャマの仕方も、いきなりだと2人とも切り替えがきかないし子どもはパニックするので何回かに分けて、事前にノーティスする。公園でも、ショッピングモールや旅行に出かけても、同じ事をする。気分がガン!と一段階、下がった時あたりに事前ノーティスを2回、3回と入れて、その場所からフェードアウトを企む。最近、旅行先で私が疲れ不調になりルイのガン!と気分が下がった後、迅速に対処できなかった。やば!と焦ったのは、2回目あたりのガン!が来てから。・・・修羅場である。久々に、ルイを脇に抱えて立ち去りました(T0T)でかい自分を、誉めてやりたい。その後は、ルイが落ち着くまでかなり時間がかかった。慰めたり声かけしたり、は逆効果なので一人で立ち直るのを待つしかないのだ。私は待つだけ…何回経験しても、切ないもんである。でも、2人を追いつめたくないので私も気持ちに折り合いをつけている。 後で2人が落ち着いてからフォローして、気分が↑ったことを確認して、私も安堵する。こういう気分のアップダウンは本人たちも気力を消耗するし、私も見てて、辛そうでお互い楽しくもなんともない。だから、予め2人の気分のアップダウンを読んでパニックを起こす前に彼らから「渦巻く暗黒の」空気を抜く。 それで、平和な幸せ時間がキープできるのだから喜んで調整役を引き受けよう!しかし、彼らは2人そろって風邪をひき体調を壊しました(>_<)それはまた、別の話で。
2011.07.25
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旦那から、「共感するってことがわからない」と聞いていた。知り合って、10年が経過した。共感はわからないけど、楽しいね嬉しいね綺麗だねのワクワク感は、通じてます!旦那は、喜怒哀楽の怒と哀の感情は強くて、意識しなくてもイライラする腹がたつ、辛いは、気持ちが緩むと爆発的に出る。でも、喜と楽が、どうやら自然と感じとれない。脳内が、負の感情に敏感で正の感情には反応しにくいのかな。私と付き合って初めて「花は綺麗なんだ。本当だ。綺麗だな。」と理解したそうだ。理解、するんだ。感情は自然の発露。そう思ってた私には、新鮮な感覚だった。花好きの私は、いついかなる場所にいても花を見つけては「うわ~綺麗!綺麗だね~」と嬉しくて楽しくて 旦那や子どもに共感を求める。子どもは私に洗脳されて無表情な2歳までを返上しことばが出始めるた2歳から私のテンションに理解を示して(?)花は綺麗。綺麗だね~ピンクがかわいいね。と似たような話をするようになった。積み重ねとは恐ろしい。旦那も子どもも、私に花を貢いでくれるようになった。「ママが喜ぶから」結婚記念日は、花束を毎年くれる。保育園や幼稚園で見つけた花を持ち帰ってくれたり家でも、花の絵を描いたり 紙細工をせっせと作っては プレゼントしてくれる。私は嬉しくて、2人にキス攻撃!抱きしめて、キスして、大好き!嬉しいよ!ありがとう!!って大興奮。2人の反応が微妙~で面白いけど(どうしたらいいかわからないみたい)何年も、何年も繰り返してると2人にも笑顔が出てきて「ママ、良かったね」と私が嬉しそうにしてると喜んでくれてる。定型と非定型の共感っぽい交流は、達成されました♪
2011.07.25
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まだ、発達相談をしていない2歳前の頃。対社会面で子どもに急激な変化があった時に家での子どもの活発な姿と外での無表情に固まり、自分を出せない姿に「不器用なんだな~」と感じた。私は母親なので、子どもの手助けになるような事はしたくなる。それが自然な私の母性の働きかけだった。その当時、家庭では私の存在を意識している様子は全くなかった。ひとり、意気揚々と遊び、走り、歩き、楽しそうに過ごしている。けれど、外界に出ると、人に話しかけられじっと見つめられ、関わろうと手口を出される。無表情になり、しゃべらなくなり、体を硬くしてしまうのだけど回数を重ねると、何となくわかってきたのは・・・「他人の存在が、邪魔なのかな?」「自分のしたいこと以外、迷惑に感じるのかな?」「自分の言動に、集中したいのかな?」・・・いやいや、「ルイに目的がないのに、働きかけられても、どうしていいかわからない」のだ。きっかけは、私が通院する際に、1日、無認可保育に預けた出来事だ。預ける前に、調べに調べて、1日数人しか預からない、という所で木製のおもちゃがたくさんあり、庭に手作りのブランコがある。なんというか、アートな家屋で、趣味のように数人乳幼児を預かっている。ルイにあいそうだ。と思い、見学した。ルイの反応ははっきりしている。保育士の先生と初対面でも、固まらなかった。なぜなら、目の前に「夢の世界」が広がっているからだ。あれして、こうして遊んで、それからあれもして・・・と目がキラキラしている。保育士が、眼中になかった。ここならいける、と思った。「ママが病院に行ってる間、ここで一人で遊んで待ってられる?」と聞くと、「待てる。また来たい。」との返事。即決で登録し、預ける日を予約した。それから、あえて用事のある日は、月に数日預けた。保育士にも慣れ、思う存分、遊び、癇癪も少ない。別の無認可保育園も数箇所、同じように見学・預けるを繰り返し最終的に全体で20~30人の少人数無認可保育園に2歳~3歳の時期、週に2、3回通わせた。あっと間に慣れ、固まらずお泊り保育にも参加した。段階を踏むと、子どもも対社会面でものすごい伸びを示す。「自宅以外のおもちゃ、場所、保育士との遊び」の面白さを知り「物や遊び」を目当てに、見事社会デビューし、無難に過ごした。保育所は赤ちゃんも、年上の子どももいる。寡黙ながら、よく遊ぶルイは幸いにも可愛がられ年上の子がする運動や、遊び方を覚えてきて家で一人で、熱心に練習していた。遊びを通じて、「保育士さんは頼りになる」「年上の子は、色々なことを知っている」と自分なりに小さい頭で「カテゴリーわけ」したようだ。その後、幼稚園を見学、本人の意見で決めた所に入園。ここまでの経過が約1年半。その間に、私の中で、子どもの将来への未来図が見えた気がした。こうナビゲートしたらいいだろう、とアイデアがまとまったのだ。「子どもの視線を、見ている先が何かを確認して、そこを思いっきり伸ばす。適した環境を探し、与える。力が伸びてきたら、次の発達段階に入る。その時、また子どもの視線を、見ている先を読み取る。子どもが、行き先を指し示す。」そうすれば、結果として、社会生活のイロハを少しずつ身につけていくような・・・。大事なのは、私がこういう風にしたいとルイを操る事でなくルイが示した興味の行き先を知り、伸ばし、自由にのびのび活動していく環境を整備する役割に徹することなのかなと思っている。
2011.07.24
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旦那、子どもに共通しているのが「些細な人の心の機微・曖昧な交流がわからない」ということだ。この特性は、たかが5歳の子どもの社会生活でも、多大なる影響を及ぼしている。時々、私の気持ちについて話していると、顔が?という表情をしている。他人の気持ち、について感じ取る力がまだ弱い。お友だちの感情の起伏は、感じ取れない。感じ取らないまま遊ぶのでちぐはぐに見える事がある。お友だち:退屈で疲れた顔と表現(言葉)VS ルイ:明るく元気、まだまだ遊びを提案・続行お友だち:一緒に遊びたい(共に動きたい)VS ルイ:一緒に遊ぼう!と返事し、どこかへ行く(共に動かない)小さい、3歳児でも、「一緒に遊ぼう!」と声掛けすると「うん、遊ぼう!」の後に、手をつないだり顔を見合わせてにこにこしたりお互いの服を観察していじりあったり、と接触や交流がはじまる。ルイの場合は、一緒に遊ぼう!という意思表明をしたところで交流が完了した感じなのだ。友だちと離れて、違うところで遊んでいても自分の楽しさを「一緒に感じてる」と思い込んでいる節がある。ブランコで出会ったお友達が、「一緒に遊ぼう」と声かけしてきて「うん、遊ぼう!」と返事したら定型は、そのまま共にブランコの場所にしばし留まって人と人の↑のような交流をする。そして、共に次の遊び場へ移動する。ルイは、「うん、遊ぼう!」のあと、視線を友人に向けるわけでもなく頭は自分の楽しさでいっぱい。次から次へと、したいことが湧き起こる衝動そのままにあちこち移動し動き回る。お友だちは、というと・・・涙ぐむケースが多いのだ。好きだから、一緒に遊びたくて、勇気を出して「一緒に遊ぼう」と誘うのだ。定型とて、誘いをかけるのには勇気もいる。どきどきしてえい!っと勢いでお友だちを誘う子も多い。そこで、やっと嬉しい「いいよ、一緒に遊ぼう!」の返事をもらった瞬間相手は違う場所へすっ飛んでいく。「え?どういうことなんだろう・・・」としばしお友だちは困惑しながらルイを眺める。ルイは一人、楽しそうに遊んでいる(ルイ的には、友だちは公園内にいるので、共に遊び楽しんでいる気でいる)。その、ルイの楽しそうな姿を見て、お友だちは「私は必要ないんだ・・・忘れられてるんだ・・・興味ないんだ・・・一緒に遊ぼうの返事は、嘘だったんだ・・・」ぐらいの感覚を抱いている。ここで、両者の交流はマイナスで終わる。傷ついた友人は、その後、頑張って勇気を振り絞ってまでルイに「遊ぼう」と声をかけることはなくなる。ルイは、そんな事も知らず、平気で遊びにさそったり↑の調子で邪険(定型的に)にしたりで他の友人達もそんなルイを観察して、ルイの評価は低下していくに違いないのだ。「友だちを大切にしない子」「誘っても、勝手に好きなことばっかりする子」「返事があてにならない子」「関わると、自分が傷つくから離れておいた方がいい子」基本的に、公園で↑のような状況になった時、私はとりあえずルイに解説する事にしている。ルイは、心根が優しい。泣いている子はほっておけない。しんどい子には、お世話したい。なので、知らせるだけでいいのだ。「ルイ。お友だちが、置いて行かれて悲しそうだよ。ルイが好きだから、傍にいたいと思ってるみたい。手をつないで、一緒に動くといいよ。『滑り台する?嫌じゃない?』って聞いてあげたら?」ルイは、この一声で、はっと気がつき、お友だちの所へすっ飛んでいく。そして、手をつなぎ、満面の笑みで話をするのだ。やれやれ、どうやら交流続行のよう。私の管轄外は、社会生活だ。旦那、子どもの社会生活には、関われない。だから、私は彼らの外部での活動には直接、役に立てない。私にできることは、旦那とは家庭で安心・安全な場を共に楽しむこと。子どもとには、幼稚園の先生に子どもの特性を伝え主治医や担当心理士を紹介し風通し良くして園生活でのフィードバックをしてもらう。家庭で教えられる事は、教えていく。園生活では、やはり人間関係でつまづきが大きい。「貸して」「いいよ」の単純なやり取りに、つまづく瞬間もあるのだ。1対1で「貸して」「いいよ」は簡単。1対3や4の「貸して」「いいよ」は難しい。ルイが一人でブロックで遊んでいる。作品もできてきた頃お友だち3人が「貸して」と言う。ルイは反応できず、固まる。先生は、「貸して、いいよ」のやり取りをするようにサポートするがルイは「わからない・・・」と困惑し、ますます挙動不審になる。この話は単純だ。先生には「すいません、相手が多いので『どれだけの量のブロックを貸せばいいのか、相手の人数が多いので自分は遊ぶのを止めないといけないのか、遊び続けていいのか、何とこの疑問を言えばいいのか』というような感じで、何もかもがわからない、という意味だと思います。家で、パターンを教えておきます」とお返事して、早速伝えておいた。ルイはやはり、↑のような事がわからず先生からも急かされたと勘違いしたようだ。「先生は、ルイが悩んでいるのがわからなかったみたい。電話がきて、ちゃんとルイの考えを知りたいからって、言ってたよ。だから、ママから伝えておくから安心してね。ルイが「わからない」って言えたから先生もママもルイの考えている事がわかったんだから、ルイは偉いよ。ちゃんと自分の気持ち、言えたね。」ここ↑のフォローで、先生への芽生えそうだった不信感は一掃され先生大好き!ルイの事、助けてくれる!と今でも先生好き好きラブラブモードが継続している。信頼感が育たないと、ちょっとでも不信感が残るとその後のやり取りに多大な負の影響が出るのだ。だから、↑のフォローがなにより大事だと思っている。旦那も、私への信頼感があるから、リラックスしてくれているわけだし。子どもにも、色々な場面でこの「他人を信頼する」エトセトラを応用しないといけないのだ。ブロックの件については、具体例を与えておけばいいだけだ。2人の子が貸して、って言ったら、3人でわけわけする。3人以上で、どうわけわけしたらいいかわからないときは先生に『わけわけ手伝って』ってお願いしてもいい。遊びたい時は、遊び続けていい。自分が使っているブロックを、相手が使いたいと言った時はあきらめられたら貸す。まだ遊びたい時は、「あとで貸すから」と待ってもらう。「後で」は、ルイは言われた場合が難しい。「後で貸すから待って」と言われたら、ほぼ100%「拒否された」になっていた。これも解決はした。先生に介入をお願いしていたので「あと10数えたら貸して」と具体的に妥協案を作り先生と10数えて待つのだ。そして、貸してもらう。今の所、小さいやり取りでのトラブルが多発していたのが↑のような調子で解決に至る事もあった。でも、見えない所で、子供同士の曖昧なやりとり・交流の仕方がわからず自己流で困り感満載の中なんとか、サバイバルしているのだろう。幸い、素晴らしい先生のサポートを受けて、幼稚園生活は楽しいばかりで泣く事はほとんどなくルイの中で「集団生活」「社会生活」「大人達」へのイメージもすこぶる良い。不器用ながら、集団生活力は、身についている。幼稚園を卒業するまでは、このスタンスを継続するつもりだ。ルイが理解できない、他人の感情の機微や曖昧な交流の仕方については知識で補っていくしかない。でも、その知識はルイの心の平和を維持するために役に立つだろう。小学校以降についての私の考えは、また別に書こうと思う。
2011.07.24
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旦那との関係は、とても良好、ラブラブだ。私の目下の課題は、「子どもとのよりよい関係を築くこと」だ。旦那と子どもは、同じ特性を持っているが、ある意味「完成され」成人し社会人として生きている旦那と成長期真っ只中の子どもとでは、雲泥の差があるのだ。私が心してかからないといけない、と思っているのは「特性からくる誤解」だ。旦那との関係を築く中で、ほぼ解決(改善)したと思われる問題は「旦那と両親の関係」だ。旦那は、私の知らない過去に重い欝病を、数回患っている。結婚してからは一回再発した。その時に知ったが、彼の根底にある「自己肯定感の低さ」は、両親との関係にもどうやらある。一言で言うと、「ほぼすべてが誤解」であったのだ。彼の両親から受けた、と思える物は少ない。しかし、カウンセラーや私からすると、愛されてきたのだ。ご両親と直接会い、人柄を知り、様々なエピソードを聞くにつけこの両者間に横たわる「誤解」は、旦那の人生に大きなブラックホールのような影を落として様々な価値観、人間関係に横たわり、最悪なことに「負の感情」に囚われて生きるような感じすらあった。彼のプロフィールを書く必要性は感じないので、詳細は省く。しかし、彼のお陰で、私が子どもに対応するとき、「戒め」のようなものがある。・与える言葉の威力を知ること・自分が子どもに向ける負の表情、視線は「永遠に多大な影響を与える」と自覚すること・子どもが言わない(表現しない)心のうちを、常に意識すること・子どもの言葉は、時には幾通りかの解釈をし、その解釈を幾通りか私が言葉で子供に提示し、フィードバックをもらうことも必要であること・表情だけで、定型的な判断をしないこと・自立しているからといって、心は放置しない。心の状況を見極めること。・成長し、反抗期に至る度に、手書きの育児ノートを見せたり、その時の親の気持ちを、きちんと伝えること。・不満や不平を言う時にで、その解釈が自分の思うところとズレている時には、「私の視点」を伝えること。子どもの考えていることを、聞くだけでなく、書いてもらうことも試す。・会話を大切にし、信頼関係に少しでも違和感を感じたら、専門家に介入をお願いすること。一例を挙げると、今、一番気をつけて取り組んでいるのは、「抱っこする」ことだ。なんだ、「抱っこ」?とあなどるなかれ。旦那は、「自分は抱っこされた記憶がない。」と、私に出会ってからも何度か口にしていた。それが、「愛情をもらっていない」「気にかけてもらえなかった」というもやもや感として沈殿しずっと拭えない親への不信感につながっていたことは、確かなようだ。理屈ではないのだ。そう「感じた」だけで、何十年と自分の評価を落とし続ける。そして、この問題は解決されている。「特性の理解」なくして、解決はありえない。単純なことなのだ。「抱っこされた記憶がない」のは、私達の子どもを見ていたらわかる。「生まれた時から意思があるような感じ」「育てやすい」「何でも自分でやり、自立している」このフレーズは、耳にしたことがある。ご両親が、似たような事を言っていた。親は、「親の存在に気づかず自分の世界にいる生まれたばかりの未熟な子」が自立し育てやすいと思い、その後ずっとそう(もう自立したんだ。賢い子ね。と)思い続けただけである。発達障害の子は、障害はあるが成長する。その成長が「定型の子より遅い」ことがあるのだ。旦那とわが子の場合、「親を意識する」「親に甘えたい時期」が大幅に遅れて来たし、来ている。旦那の場合はこうだ。「小学校の頃に、親の膝に座りたいと思っていた。でも兄弟誰も座らない。思えば、甘えられる時期はとっくに過ぎていて、親もまさか大きな小学生を膝に座らせようとはしなかった」つまり、旦那と私の解釈からすると、旦那の親への認識が発達し、愛情を求める時期に来たのはかなり遅く、「親に甘えたいな」と思い始めた小学校の頃。それまでは、親いらず、面倒見てくれたらだれでもいい、という感覚なのだ。だから、親が共働きでも、祖父母に世話されていても、小学校以前で寂しかった記憶もなく両親が寂しいと感じるぐらいにあっさり「じゃあね、ばいばい」ができるほど自立していたのだ。どこか似たようなエピソードだ。そう、わが子だ。わが子は今5歳。かなりでかく110センチある。体重も18キロ。今までになく、抱っこの時期がきた。よちよち歩きの頃から、一人で歩いて行き、2歳、3歳では自分で行きたい方向へ走るような子だ。親がついてきているな、と確認しだしたのは3歳からだけど、それでもショッピングモールなどで興味ある物があると、没頭して親を忘れる。平気で誰にでも抱かれ、親のいない所で過ごせる。2歳、3歳の年齢で、お泊り保育に平気で行ける。祖父母宅に一人で泊まりたがる。ショッピングモールで没頭して親を忘れる傾向は、まだある。しかし、違うのは、「自分から、自ら抱っこを求め始めた」ことだ。私に、抱っこ、抱っことせがんだことはこれまでなかった。ようやく、5歳にして1、2歳並みの要求を素直にしはじめた。私は背が高いのが幸いして、でかい子どもでも抱っこはできる。子どもは、「幼稚園の年中、年長の子が堂々と抱っこされる状態が恥ずかしい」とは全く思っていないし一応、客観的には、お友だちや大人は、抱っこはもう恥ずかしい年頃と思っているんだよ、とは話している。だけど、「いままで抱っこしなかった分、してほしかったら抱っこいっぱいしてあげる」というとそれはそれは、花が咲き誇るかのような、満面の笑みで抱っこされるのだ。その笑顔を見れば、他人が何を言おうが、関係ない。私の両親などは、「そんな大きな子が、抱っこか!歩きなさい」などと平気で言う。他人も、きっとそう思っているだろう。だけど、満たされた笑顔を見ると、ひとつ心配事が減った気がして、喜びを感じる。旦那は、自分が「抱っこされなかった、ではなく抱っこしてほしいと思った時期が遅かっただけなのに親から気にかけてもらえなかったと誤解していた」経験があるので、他人の目も気にせず抱っこしまくっている。夫婦そろって、「今の時期に抱っこすることの重要性」を感じ、抱っこすることに共感を感じている。(非定型でも、理論的に理解して共感できていると感じる。少なくとも、抱っこに関しては。)今は、お泊り保育にも行けないだろう。私と離れて、祖父母宅へ泊まることも嫌がるようになった。私や旦那に「強い愛着」を感じてくれているらしい。私は今、子どもが可愛くてたまらない。たっぷり、好きだ、可愛い、宝物だ、と隠さずそのまま、抱きしめて伝えている。べたべたにくっつき、お出かけも楽しむ。会話も楽しむ。4年近く、親子の親密さを経験できなかった私には、この時期が来たことが奇跡のように嬉しく幸せすぎる。親ばかになっていい時期だと、自分に許している。発達障害の子と親の関係は、一つ間違うと、わが子のように独自の発達をするので、坂道を転げるように破錠する可能性が大きいのでは、と感じている。私が実家の両親のように、「大きくなって抱っこなんて、何甘えてるの!自分で歩きなさい!」と言い聞かせ、「定型の発達」に沿って指導していたら、どうなったことか。もっとソフトに、「頑張って歩こうね。もうお姉ちゃんだからね。カッコイイ所、見せようね。」などと言い聞かせていても、同じである。旦那のケースより悪い。初めて自分から求めた親との触れ合いを拒否された、という大きな衝撃を与える。旦那のような子どもにとっては、0か100で判断することが多いのだ。受け入れられたか、拒否されたか。中間がない。そしてもう一つ、大きな落とし穴。旦那は受動型であるようで「自分の欲求を表現しない・言い表さない・表現の仕方がわからない」タイプである。わが子は積極的であるが、その要素もあるかもしれない。「子どもが言わないから親はやらない」では、すまない事がある。もし、旦那のご両親が小学校時代に「膝においで。」と抱っこしていたらどうだろう。言わなかったことを、親は僕のことをわかってくれて、抱っこしてくれた。嬉しかった。そういう記憶になるのではないだろうか。愛情については、心を配っておいて、気にかけて実行しておいて損になることは一つもない。過剰なくらい、愛を伝える行為はしておいて損はない。そう実感している。
2011.07.24
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発達障害について、カテゴリーを作ってみたけど、書くことあるかな?と思ってしまった。「障害、か・・・ふーん」それで終わる。もともと、結婚して、子供が生まれて、旦那の性質(特性)に注目せざるを得ない事態になって、夫婦間のイザコザの内容と理由、状態の観察をし、本を読みネットを調べて・・・その頃が一番、煮詰まっていたのではなかろうか。今は、喉もと過ぎれば・・・ということで、もう何も問題がないのだ。しかし、その当時の困惑は、結構すごいものがあった。なにしろ、大好きな人と、何故か通じない「もの」があるのだ。「う~ん、う~ん、なんだろ。彼の人柄は信頼しているし・・・会話だ。会話している時に感じる違和感。今までやりとりした人間とは、確実に異なる反応をする箇所がある。どこかの言葉で、ひっかかると、とたんにダメになるよな。う~ん、会話が苦手とはいえ、機嫌が悪くなると、友人達の前でも、平気でそのモードで私とのバトルをするのが流儀だと信じて疑わないし・・・」と、言葉だけでなく、客観的に、総括的に自分のおかれている立場を見たり突然の激高の後、相手を泣かせても急にもとに戻って、数分前の出来事を綺麗さっぱり忘れているような所。私が旦那と「一緒にいてもひとり」だと感じてしまう、人が見えていないかのような、家庭内での行動。これは~何かがある、何かが、変だ、と思っておかしくない。夫婦として、親しくなれば親しくなるほど、私が「同じ考えを持っている」前提で話をし「同じ物の見方をしている」ことが前提で、なぜわからない、と怒り、私に感情や気持ちがある、ということを想像できないように、「八つ当たりして怒りをぶつけて」すぐにすっきりしたら、ニコニコとやりとりをする。豹変の仕方が、尋常じゃない瞬間が、数回あったのだ。人間関係上、相手に理不尽な八つ当たりをして雰囲気をぶち壊したり相手を泣かせたら関係が軋むので、その直後すぐに仲良くなぞできないだろう。マイナスな方向へ行くのは当たり前である。それが、理解できない。何度も、急に人間関係が終わったことがあると聞いたが、さもありなん。相手を攻撃して、まるで敵に対するように、怒りでもって「その後の関係の継続へどう影響するか」を全く考慮せずに、言動を繰り返せば、相手は嫌になって逃げていく。結婚したからといって、永遠と一緒にいるわけではない。そこには、お互いを「大切にする」言動が必要だし、お互いを尊重し、「違う人間同士」である前提で「異なる考え方」を、受け入れたり、受け入れられなければ、それを伝えて穏便にまとめる「歩み寄り」が必要になる。それが全く理解できないようであれば、一人で生活している自分の中に、他人を一生懸命押し込めようとする「相手を無視して自分と同化させる」ようなシュールな世界になってしまう。とにかく、旦那を良く知ることにした。その上で、彼に感じる違和感をピックアップし、「アスペルガー症候群」にたどり着いた。彼が私に断片的に伝えていた彼自身についての内容が、より具体的に書いてあった。「一緒にいてもひとり」という本を読んで、確信した。夫婦間のトラブル、定型と非定型の異文化衝突、すべてが、びっくりするほど一致していた。謎はとけた。とけたら、それでもう、私の中では問題はほぼ解決していた。わかれば、対策がとれる。改善のやりようがあるのだ。なら、話ははやい。旦那への、説明の仕方も、アスペルガーの人の特性を考慮して、ああすればいい、こうすればいいと書いてあるのだから、そこに気をつけて伝えれば、内容は的確に伝わるのだ。結果、そのとおりだった。特性を理解し、意思疎通しようと思えば、きちんとできる。相手のペース、苦手なこと、できないこと、こうしたら楽になること、それをマスターすれば夫婦間の交流も、人間関係の構築も、簡単。ありがたい世の中である。一人で悩まなくても、本が、ネットが教えてくれる。そして、相談相手であるプロも、簡単に見つけられるのだ。旦那との関係はその後急速に改善し、年々熟成し、出会って最初の頃のラブラブモードにまで戻った。もともと、彼は魅力的な人なのだ。同一化さえしなければ、人と人として、素晴らしい付き合いができる。彼にそっくりな子を産むのが私の野望であったが、それもかなった。子どもの話は、また別に書く。旦那の「発達障害について」の謎や問題点は、すでに何年も前に解決して終わってしまった。だから、「障害か、ふーん。」と、もう過ぎ去った事のように感じてしまうのだった。
2011.07.23
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旦那が仕事や人間関係でいっぱいいっぱいの状態になった時のための、家庭のルール。一時避難という意味で、1人の空間を持つ為に、ホテルに滞在したり週末であろうと祭日であろうと、ネットカフェでマンガ見たりネットしたり仕事の続きしたりまたは家の寝室に籠ってゴロゴロしていい、というルールだ。きっかけは、子どもが生まれて少したった時のこと。ルイは、パパに執拗な執着を見せ、人を道具的に使う性質全開でパパへの扱いはひどく、また休息なく遊ぶ過集中な性質にも対処しきれず、心身ともにいっぱいいっぱいになったのだ。それでなくても、仕事はハードで、万年睡眠不足、休日にも仕事したり。そこに、家庭に帰れば、容赦ない子どもの集中攻撃を受ける。気は休まらず、かえって消耗する。「安心・安全な家庭」であるためには、彼の休憩スペースが必要になった。そこで↑のルールの提案である。努力して、ワークライフバランスを整えられるなら、とっくにしている。私から見て、旦那は真面目に、社会でも家庭でも頑張っている。そこで無理して負荷がかかると、仕事に集中できなかったり、セルフコントロールができなくなったり、イライラしたり、対人関係に悪い影響がでたりして、結果、本人が後悔したり自己肯定感が著しく下がったりしてしまう。心優しく、子どもを愛し可愛がり、父親として育児にも熱心なだけに、真面目になりすぎて仕事、子ども、体調を両立するのは、至難の技であるのだ。彼のキャパシティというコップの水も溢れてしまう。仕事は彼の大切なライフワークだ。家庭をささえるためでもある。こちらを省略することは、彼の誇りを傷つける。仕事を辞めた私は、家庭を担当する際に、できうるかぎりの事をして、楽しく明るく、リラックスできる環境にしていこうと決めたのだ。その時決めたもう一つのこと。我が家のルールは、門外不出。一般家庭とかなりハズレたことをしてるとしても、気にもとめる必要はない。だから、あれこれ言われそうな事は、あらかじめ言わない。きっと、「旦那は仕事と人間関係でピークに疲れてるから、緊急措置で、ホテルに避難してるの~」なんて言おうものなら、「家で可愛い子どもに接して癒された方が」「家で、貴女があれこれ気をきかせて世話してやった方が」「悩みは、良く聞いてあげて一緒に背負ってあげるくらいの気持ちで、夫婦支えあって」と、言われそうな(^_^;)我が旦那は、究極に疲れた時は「話すことすら辛い」状態になる。考える力も、言われた言葉を咀嚼する力も、発言のために言葉をまとめる力もなくなる。残りの力をふりしぼって「嫁に悩みを話す」、「子どもの要求に応える」、「僕は大丈夫だよ」と家族に安心を与えるため気をつかう…のは、拷問に近くないだろうか?定型は、辛いとき、語らい、触れあい、支えあう。私なんかは、親しい人間と飲みに行き、美味しいものを食べ、語り明かす。非定型は、距離を少しあけて、1人になり、頭を完全に休めて、エネルギーがたまってきたら、またいつもの自分に戻れて、生きづらい社会でやっていけるようなのだと感じる。家庭を持ったから、といって、旦那のキャパシティが突然増えるわけではない。育児に、嫁さんの実家家族との付き合い、自分の実家との交流、町内会の人間関係も加わる。結婚して、24時間、家族のメンバーと人間関係を持ち続けるのは、一つ間違えば、精神的な消耗が延々と続く縛りにしかならない。私が旦那のパートナーになった意味は、きっとある。恋人として、誰にも抱かなかった「信頼感」と、「誠実さ」が私を虜にし、結婚を自ら望んだほどだもの。私の中の価値観が、将来、彼の役に立つからと神に引き合わされたのではないだろうか!アメリカの大学生活で、常識もこだわりもルールも足元から崩され、大事なのは形式ではなく「気持ちの繋がり」「心から喜び楽しめる」活動を、自ら成すこと、と知った。旦那は私のルール提案に「えっ!本当にいいの?」と最初はびっくりしていた。実際に今まで何回となく試してみて、驚くほど上手く機能している。結婚前後に、たまに見られた激しい怒りの衝動が見られなくなった。帰宅した時に、前は顔の表情が硬直していて、家庭で「マズイ事をしでかさないように」気をはっている感じがした(そして、マズイ事は多発した)。今の彼の表情は、驚くほど穏やかで、自然と笑みが出ている。自然な笑みは、なかなか彼には見られなかった貴重なものだ。「お帰りなさい!」と飛び付くルイとの、自発的な(気持ちがついていってる)抱擁は、 見ていて微笑ましく、平和だ。定型と非定型が結託して、安心・安全な場所が手に入れば、非定型とて、他人と心を寄せ合う意味・意義が、生活体験の中で得られるのだと、なんとなく感じている。
2011.07.23
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旦那が、どうやらアスペルガー傾向があるようだ(臨床心理士の検査を受けたが、医師に診断はされていない)とわかってから、我が家にはいくつか、ルールができた。できた、といっても私が主に提案し、彼に同意を得て、決定したという感じだ。 ルールが必要だ、と思ったのは「家庭は 可能な限りストレスフリーな、くつろげる環境、安心できる環境、心身ともに安全である環境であるべきだ」という 私の持論からきている。それまでの旦那は、定型の私=世間一般にいる人間と同じ、という感覚で緊張し、身構え、責められないか、自分の欠点を疎まれないか、等々、無意識に意識しうまくいなかい対人関係から、家庭の人間にもその影響を引きずって来ている気がした。「嫁は別だ。自分の味方だ。評価したり、されたりする関係ではない。一緒にいると安心して過ごせる絶対的な味方だ。」と思って欲しかった。なぜなら、私はストレスフリーな人生をモットーにしている。目標や努力は、自分を磨くために頑張る。けれど、自分を追い詰めるほど極端な無理はしない。あえて自分の感情をどす黒くするような対人関係や、環境には興味なく、また近づかない。たまには遮断してもよし。自分の幸せと安心・安全な環境は、自分で選んでカスタマイズする。なので、旦那にもその快適さを経験させたかった。 提案したのは ・仕事や対人ストレスでいっぱいいっぱいな時は、一人の時間を遠慮なくもっていい。 ホテルに泊まって良し。ネットカフェに行くも良し。家の部屋で過ごすのもよし。・体調不良に気がつかない性質だけれど、私がイエローカードを出した時は 休息をとる・病院へ行く・寝る いずれかをやってみてほしい。・会話や些細な物事でも、説明しにくかったり 自分でもよくわからない時には 「わからない」「時間がほしい」「どうしたらいい」など、遠慮なくとりあえず言ってみる。・私が甘えたい時は、ハグやキスをよろしくね。と、こんな感じだ。他にもあったと思うが、今思い出すのはこんなところ。 このルールは絶対ではなく、臨機応変に「そういえば、そんな事言ってたな」というぐらいの軽い認識で、避けられるものなら、旦那のコップの水があふれる瞬間を待つのでなく「コップが満杯になってきてるよ~そろそろ、休憩したら~」と声かけして彼の心身の状態を気づかせるきっかけになれば、と思ったのだ。 絶対ルール化すると、こだわって内容がそっちのけになるので、あえて「軽く意識」を強調した。私は「人生のパートナー」として、環境を整え、お互いが過ごしやすい空間を作るようにしようと思っているよ、という意思表明のつもりだった。 私の思惑が、きちんと事前に伝わっていれば私からの働きかけも、旦那にとってわかり易く安心して、夫婦としての人間交流ができるに違いない。あれから4~5年は経ってるはずだけど、家庭は楽しく、明るく平和でその環境で過ごす3人は、今、私達のできうる限りのベストな状態のはずだ。人間関係というのは、お互いを理解して思いあうこと。それは発達障害があってもできることだと、確信している。
2011.07.22
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子ども用の育児ノートがあるので、ネタが山ほどある。この育児ノートは、疑問を感じたり、不可解だったり、困難を感じたり、感嘆したり、といった内容を、考えをまとめるために書いたものだ。「どういう風にしたらいいか」という悩みに対して、自分なりに対策をたてその対応で試したこと、結果と、こうしたらいいのだ!とひらめいた事などは旦那にも報告して、あーだこーだと、意見を聞いたりもした。 旦那のアドバイスは的確かつ、De-centreなのだ。私の視点を、中心からスズラして、別の視点を与えてくれる。子どもの性質を彼の視点から見て、私に「わかりやすく」解説してくれる。自宅に専属解説者がいるようなものだから、本当に助かるのだ。言葉をほとんど理解している、と感じた2歳代のルイに「物事を教える」のが とても難しかった。習慣とは別に、物事の善悪や、こうしたらいいよ、という「やり方」や「使い方」を教えようとするのだけど、体をねじって 傍に居る私を振り払い、頑なになった。どうやら「教えられる」事が嫌いなのだ。しかし、2歳児の育児に「教える」こと抜きに対応するのは難しい。旦那に相談したら「きっと『責められてる』『ジャマされてる』と思ってるんだよ。あと、自分がわからない事を人から教えられると、腹が立つことがあるから、そのせいじゃないかな。」とのこと。 なるほど。教える以前の、気持ちの問題ですか。で、相談した結果、ダメな事はもちろんダメなので 譲らない一線はあるが「こうした方がいい」というような、やり方の教え方の場合はとりあえず見守り、やらせてみるまたは、同じものを隣で使って見せて、言葉でなく「見本」を見せる。(本人が興味を示したときだけに有効。50%の確立で、他人の『してみせる』見本動作に興味なし。)第三者に教えてもらう のどれかを、その場面にあわせて試すことにした。結果的に、一番有効だったのは「第三者に教えてもらう」であった。しまじろうを0歳から取っているのだけど、このDVDが、子どもの先生となり歯磨きのこと、トイレのこと、交通マナー、エレベーターの乗り方、外へ出る時はママと手をつなぐこと、車道は歩かない、人ごみで大声を出さない、バスや電車では静かにする、などなど・・・ 数え切れないほどの社会的常識を、しまじろうは子どもに教えてくれた。DVDプレーヤーで、自分で何度も何度も繰り返して見て暗記しているようだった。2歳代の、一番コミュニケーションをとるのが言語的にも、性質的にも難しい時期にしまじろうは助け舟となった。
2011.07.22
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ルイはママがいなくても、どこにでも行き、どこにでも泊まれる。これも、生まれてからずっとの性質。今日もママは放置され、ルイは一人で祖父母の家に遊びに行き 大暴れしてきた。普段は学校があるので、たまにしか祖父母宅には行けないのもあり大歓迎されて、夕飯も食べて来ることが多い。そして、大好きなじいじに我が家まで送ってもらうのだ。顔を見ればわかる。大満足!って書いてある。帰宅したら、自分で歯を磨いて(仕上げ磨きだけママ)シャワーを浴びて(仕上げ流しだけママ) ころっと寝る。 非常に楽だ。しかし、祖父母は疲れ果て、明日は使い物にならないだろう。なにしろ休憩を一切せず 朝から晩まで動きまくって遊びまくってしゃべりまくる。祖父母は初孫かわいさで 言いなりなので(私の子ども時代にはありえなかった事だ)振り回されて、大人二人がへとへとだ。 ただ、この「振り回される」は良い方へ出ている。子どもの興味や動きに、祖父母があわせてくれているので癇癪が出にくい。ある程度のしつけが終わっている今だから、可能な事だ。祖父母が叱る要素がない。座って食事をする。立ち歩いて食べない。自分で箸で残さず食べる。トイレへ行く。脱いで座って用をたし、拭いて流す。「一度決まったパターンを繰り返す事が好き」という特性のお陰で身についた生活習慣は、ほぼ崩れることがない。 生まれた時から、大人のように意思のある目をしていたので「一人の人間だ」と実感し、私が生活上で身についている習慣を当たり前のように「すりこみ」した。「しつける」のは難しいが、真っ白な0歳、1歳、2歳の子に「すりこむ」のは難しくなかった。ここでも、幸いだと思うのは、「まだ赤ちゃんだから」と一拍置いてしまったら・・・今のこの平和はなく、修羅場だったかもしない。 今、比較的平和だ。 ルイは一度パターンにはまると、そこから修正するには時間と根気がいる。もし、食事時に一度でも「膝の上で食べさせた」「歩いてどこかへ行くのをOKした」ら頭の中に「食事=膝の上に座る+食べる」「食事=歩く+食べる」とインプットされる。それを変えるのは困難だ。軌道修正のために、余計な労力を強いられたに違いない。 旦那の家庭は真面目で厳格な大家族だった。だから、食事時のマナーは素晴らしいものがある。 一度身についた習慣は、「なかなか変えられない」。 旦那は子どもにも、きっちり仕込んでいる。彼ら二人を見ていると 「障害特性は正しい習慣・マナーの定着をバックアップする」気がする。
2011.07.22
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旦那と子どもが共通している特徴(特性なのだろう)は「耳の聞こえに問題がある」ということ。結婚前、イタリアンレストランで食事してたら、旦那が急に怒りを表した事があった。10人ぐらいでクリスマス気分で盛り上がっていた人達に「鬼のような形相で」ぼそっと「騒がしいな」「迷惑を考えろ」と言う。普段の温和な彼にしては、過激な表情とセリフだったので印象に残っている。仰天した、と言ってもいい。その日は早々に、デートを切り上げた記憶もある。しんどそうだったからだ。今思えばイタリアンレストラン=わいわいがやがやとしゃべりながら楽しく食べる所という認識もなかっただろうしあの雰囲気であっても(クリスマスで皆が幸せそうに、楽しそうに盛り上がっていた)一人マイペースに「世間の常識=静かに食事をし、人に迷惑をかけない」を守ろうとしていた。万が一、楽しそうにしていた彼らに旦那の言葉が聞こえていたら年に一度の楽しい気分に、冷や水をかけていたことだろう。クリスマスだから、という寛容さと、特例だという意識は彼には皆無であった。アスペルガーの彼にとって最悪だったのは「騒音レベル」の音の洪水の中での食事だった、ということだ。今では、あんな場所で家族で食事するなんて考えられない。人が少ないのであれば、まあ、可能であるけれど話し声が大きく騒々しい店内に流れる音楽がテンポが早く、気分が落ち着かない私の話し声が、聞き取れないこれではイライラMaxであっても仕方がない。耳が過敏であるということは、聞き取りが鋭いというわけじゃない。「すべての音が洪水のように耳に入る」らしいのだ。彼が参考として見せてくれた資料の中にアスペルガーの人が書いた「耳の聞こえ」を説明したプリントがあった。それには店内に入ると人の話し声や店の音楽食器のかちゃかちゃという音店外を走るバイクや車の音が、同じような音量で聞こえるというような事が書いてあった。さらに、視覚的にも、店のディスプレイや人々の服、動き、目の前のテーブルにあるもの色々なものが視覚に一度に入ってきてどこを中心に見たらいいのか混乱し結果、視覚的にも疲れ、聴覚的にも疲れここが肝心なのであるが「目の前の人の話に集中できない。話し声を聞き取れない。返事をしようにも頭がしびれて疲れていて、何を言えばいいのか全く途方にくれる」状態になるのだ。旦那からこの説明を受けたとき、非常にわかりやすくかつ、印象的だった。相手の話を聞き取るために、非常な努力をして、集中力と気力を総動員している。なので、それ以降ずっと、旦那と子どもと出かける時は静かな環境を求めるようにしている。家では、無駄なBGMはかけない。私は結構、テレビがついていても、消えていても構わないけど旦那がいる時は、なるべくつけないようにしている。精神的にいっぱいいっぱいな時はテレビの音が精神を逆なでするのだ。静かな環境で、視覚的にも混乱しない場所にいるとそれだけで、感覚的刺激は減らすことができるし精神的な余裕もできる。家族との対話も、落ち着いてできる。「環境整備」という言葉を、子どもの主治医から習った。旦那から経験として教わったとおりアスペルガーの人間には 「生活しやすい場」があるということは、心身の安定につながる重要な要素なのだと思う。
2011.07.22
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ルイの睡眠は安定してます。昼間活動的に動き、夜疲れて寝る。これを、0歳児からマイペースに主張してます。0歳児で昼寝しないって、ありえないです。なので、生後半年ぐらいまでは、昼寝は長いのを1回のみ、多くて2回にしてました。寝かさないわけではなく興味津々で 周囲を観察したがるので寝ない。そんな感じだったので、初めての育児ということもあり赤ちゃんのペースを守りました。なにせ、一番大事なのは「夜にしっかり寝ること」であって「昼寝をしっかりさせること」ではないから。しかし、しかしです。里帰りしている間は そうはなかなか、問屋がおろさない。__________________________________________________________________育児経験豊富な祖父母が、「昼寝をしっかりさせないと、赤ちゃんは体力がもたない。食べて、寝てを繰り返すものだ」と主張され・・・もともと押し出しの強い父と母である。私も負けてないが、兄と私を育てたのであるから、参考に意見は聞き入れた。そして、祖父母は交代で、昼間抱っこをして寝かしつけを頑張る。私は横目に見て「かわいそうになぁ~全く眠そうじゃないし、あちこち観察したがってるのに。」と思っていた。案の定である。夜、寝かしつけしても泣いて寝ない。1時間経ち、2時間経っても寝ない。しかも、寝たと思えば、度々お乳だ、おしめだ、寝れない、と泣く。私の体力がもたん・・・というわけで 「この子は体力がありあまってるんだよ。夜の泣き方見たらわかるでしょ。力いっぱい、ひきつけそうに泣いてるじゃない。体力ありすぎて寝れないんだよ」と主張し、見事昼寝はなし、ということに。夜は8時になれば 気持ちいいベビーバスに入れ「ほうっ」っとため息をつきそうなぐらい 気持ちよさそうにしてくれてる顔を祖父母と共に堪能し風呂上り、肌にローションをぬりぬりして肌着を着せてお乳をあげたら・・・イチコロ。______________________________________________________________一度寝たら、夜泣きもせずぐっすり死んだように寝ます。お乳とオムツが汚れた時は 寝ながら「ふえ~ん」と2、3度軽く泣き私がオムツを替え始めると 熟睡です。大また開きしてても、びくともせず寝てます。お乳も、くわえさせて飲ませていると、喉が潤ったら寝入るので何度もつんつん、とほっぺをつついて意識を覚醒さえて腹いっぱいになるまで飲ませてました。素晴らしく、マイペースが出来上がったオリジナルな赤ちゃんでした。私には育てやすく、祖父母にはわかりにくい子だったようです。この睡眠パターンは、5歳の今も継続してます。昼寝はなし。我が子のマイ特性です。
2011.07.22
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生まれ育った地元で生活しているので小、中、高校の時代からの友人達も 今では子持ちのパパ・ママだ。たくさん、遊ぼうというお誘いがかかる。もちろん、誘いにのる。でも、1歳後半から2歳代は10回に1回ぐらいだった。「お友だちを作ってあげて、なるべく遊ばしたほうが色々学ぶしいいと思うよ」という、ありがたいアドバイスもいただいていたのであるが・・・ニコニコ笑って、10回に9回はスルーしていた。理由は ストレスです。私でなく、子どもの・・・子どもが一人遊びが好き。これは普遍的。0歳~1歳前半は、公園でも同い年の子とよちよち歩きで交流していた。1歳半から2歳は、極端に対人が困難になった。人見知りどころでなく、表情が固まり、緊張し、話さなくなる。う~ん、どこかで見たような・・・「!!」そうですよ、旦那です。旦那がストレスマックスに至ると、表情がなくなり体が緊張します。話をする余裕など、なくなります。それがどれだけ、強いストレスか、どれだけ苦しいことかを聞いてきた私としては「今この時期に子どもの集団に入れる事は、過度なストレスをかける」事になると判断しました。たったの1歳、2歳です。急ぐ必要もない。その当時は、診断もされてないし、発達相談にも行ってなかったけどなんとなく子どもの気持ちがわかったのは 旦那のお陰。彼の特性を、そこからくるストレスや緊張について聞いてきたお陰。というわけで、友人のアドバイスは少し先、将来に実行することにして、1歳半~2歳代は馬耳東風で、子どもと私二人で楽しみニコニコと笑顔な毎日を送ってもらいました。主な活動内容は・・・・人気のない公園でおもいっきりやりたい遊びをさせてあげた。(他に人がいると、緊張して固まる)・社寺仏閣や、庭園、植物園、動物園などに出かけて一日過ごした(体力があり一日動きたがるので)・おしゃべりしながら楽しく散歩。(歩きながら、花や木、虫を見たりして話をする。言葉が達者じゃない時期なので集中できてよく聞いているようだった)(・・・3歳になってぺらぺらに会話できるようになると、聞く方に集中できず。この2歳までが貴重なInputの時期だったと実感)こんな感じだった。あとはたまに、物静かだけど優しい親友の、同じく物静かで優しい子どもさんと1対1で遊ばせた。(静かなタイプの子と1対1だと、比較的上手に遊べる)集団生活には、その後無認可保育園に少々と、幼稚園に行かせたけれど↑の時期を過ぎると 自分+物 で遊ぶことに満足して 自分+他の人(反応のある物)と遊ぶ興味が湧いたようだ。結果、保育園ではぼちぼち(同年代はダメ、年下か年上とよく遊ぶ)幼稚園では全く問題なく集団生活に入れた。この経験で思ったのは「私の子どもは、他の子どもと同じ成長段階を踏まないような気がする。子どもを良く観察して旦那のアドバイスを生かして、この子の笑顔をキープできる子育てをしよう」ということだ。その実感を、ずっと5歳になる今まで、ひしひしと感じている。発達障害があっても子どもの能力は伸びるし成長する。でも、その成長の時期やタイミング、成長の仕方やベストなサポートの仕方は、定型のそれとは全く違うと自覚しておかないといけない。もし、1歳半~2歳代で、ストレスで固まるような社会面の能力が凹んだ時期に無理に子どもの集団に入れて 子どもの世界に慣れるように背中を押してしまっていたら・・・旦那が味わったような、人との違和感を感じたりとか、対人緊張の強化とか、笑顔がなくなったり、癇癪が激しくなったり・・・したのじゃなかろうか。5歳になって、自閉症スペクトラムと診断された時の医師の言葉。「無理に、幼稚園の帰りとかに約束して遊ばしたりしなくていいよ。コミュニケーション能力が、まだ育ってないからね。家庭で、信頼できる人と練習してからでいいよ。園生活で問題がないってことは、いっぱいいっぱいまで、頑張ってると思うからね。ニコニコしているからって、気持ちがそう(ニコニコ)とは限らないよ。お母さんが用心してあげてね。」肝に銘じておきます。
2011.07.22
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子どもが自閉症スペクトラムだと診断された後の言語聴覚士さんのフォロー面接では「子どもさんはどちらかというと『鈍感』でいらっしゃるんですね~」って見も蓋もないコメントをいただいた。そうです。鈍感です。それで、私は大いに助かってます。一番のメリットは好き嫌いがないということ。好き嫌いがないのではなく、おそらく、嫌いな物に鈍感なのだ。スペクトラムやアスペルガーに良く見られる、感覚過敏がない。あえて言うなら、形のないどろどろした物が嫌い。なので、離乳食はすっとばした。最初から、白ご飯をあげた。おかゆだと、赤ちゃんなのに「え~なにこれ~ぐじゃぐじゃだよ~」って、あうあう言いながら訴えてくるのだ。私のご飯を、じーっと見て、「それ!それほしいの。それがいいの。ちょうだい?」と可愛くおねだりされること、毎回。もともと離乳食を開始しよう、と思ったのも8ヶ月を越してからだった。お乳好きで、母乳たくさん飲んでたし、6ヶ月の時にあげたおかゆは ↑の状態で、私のご飯をほしがったし(さすがに6ヶ月に普通食はあげられない)・・・まあ、いいか。と離乳食あげることは、早々にあきらめた。8ヶ月目ぐらいになって、指を口に入れてみた所、しっかり力入れてかみかみしてたし体力的にも丈夫で、お腹もそうそう壊しそうにないし・・・と普通食を解禁。大人が食べる食事の中で・白ご飯・お味噌汁の具(豆腐、大根、にんじん、たまねぎなど)・温野菜(にんじん、じゃがいも、ブロッコリーなど)をあげたら、喜んで食べる食べる。それからずっと、普通食です。私と旦那は、完全に和食好きに育っている。お互いの実家の家族が、和食等なのだ。なので、子どもは和食で育った。子どもの味覚は出汁、かつおぶし、いりこに染まっている焼き魚を食べ、きゅうりの三杯酢和えを好み、納豆を食し、わかめと豆腐の味噌汁や舞たけの味噌汁をこよなく愛する。1歳過ぎからこんな感じで、5歳の今まで、食の好みは普遍である。食材にこだわりがなく、舌触りが過敏でないわが子には天から「食を楽しむ」という素晴らしい舌を賜りました。
2011.07.22
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今、子どもがいて3人家族だけど3人とも性質が違うわりに、ベストコンビネーションだと思う。旦那:物静か、穏やか、寡黙、受身型、優しい、知識が広い。落ち込み易い、気分がアップダウンする、気持ちを引きずる、悩み、迷いが常に生じる。会話が苦手。私:元気がとりえ、楽しいこと好き、話すことも聞くことも好き、行動するのも、静かに過ごすのも好き。大雑把、適当、手を抜きすぎ。子ども:元気はつらつ、積極的、行動的、静かは苦手、常に動く。鈍感。大雑把でありながら、こだわりの点ではきちんとしないと気がすまない。話すことだけが好きで、聞くことが苦手。人の話しのスルーが多発。共通点:頑固。自立している。自分のことは自分でしたい。仲良くする事が大好き。3人で行動すると、子どもと旦那が吸い付くようにコンビになる。子どもは旦那との接触、会話、交流を好む。ストレスを一切感じないらしい。しかし、こだわりがあり、適当が理解不能、過集中な二人を放置すると修羅場になる。私は二人が爆走するのを止めたり(遊びの止め時がわからず、朝から晩まで遊ぶ)二人がストレスになる環境を見極めたり (人の多い、雑音の多い場所を避けて、疲れの度合いを知らせる)逃げをしらない旦那と引くことを知らない子どもに距離を作ったり調整係に徹する事が多い。二人ノリノリで遊んでいる時は、お一人様を満喫(?)状態だ。少し寂しくはある。忘れられた存在になりそうな時がある。私と子どものコンビは・・・毎度おなじみの癇癪にも、適当にかわす事ができる。たまに、しつけモードに入ると熱心になるから、子供と衝突するので大体は適当にスルーするか、距離をあけることが多い。二人で外出する時は、非常に楽しめる。子どものテンションは普通。(パパといる時は異常にハイになるけど)環境を選んで体調さえ気をつけたら、ほぼ癇癪もないし遊びの止め時、場所から離す時も 気をそらせたらすんなりいく。一緒に、ティータイムや食事も楽しんでくれる。(ルイが集中できる小道具は必須なので持参する)旦那と私のコンビ・・・一言で言うと、補い合う関係。繊細で丁寧な旦那と、適当で大雑把な私。お互いにないところを、二人でいると上手くまわせるので 絶妙なコンビだと思っている。旦那が気分がジェットコースターのように上下するけど私は「なるべく楽しくいたい」主義なので、彼に引きずられない。自他の区別がはっきりしにくい旦那には、ちょうど良かった。旦那は自分の特性を理解してからは表情も言動も変化しますます魅力的な人になった。硬かった表情が、笑顔が多くなり過去では困り感にイライラするだけだったのが、今では相談してくれるしダイレクトに 「今、ちょっと無理、いっぱいいっぱい」と警鐘を鳴らしてくれる。なので、突然の怒りの噴出や八つ当たりもなくなり平和で穏やか、安心感と信頼感ばりばりの、この世で一番頼れる男として私の中での存在感大である。旦那も子どもも、いい相棒である。
2011.07.22
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子どもの失せ物と癇癪について、考察。基本、構造化した部屋で遊ぶんだから、おもちゃは一つだけ出して遊びましょう。次のおもちゃで遊ぶ前に、遊んだおもちゃはもとの場所へ戻しましょう。そうすれば おもちゃを失くすことも、部屋中ぐちゃぐちゃになることもありません。これ↑が理想です。理想ではあるのですが、私は実践できないでいます。なぜなら、子どもは創作活動が好きで、そのためには複数のおもちゃや材料がいります。「一つのおもちゃ」で飽き足らないからです。「一つのおもちゃで、集中して遊ぶ」これは得意です。延々と、絵を描いている事があります。なので、「物事に集中する力をつける」必要はないけれど・・・「お片づけができるように」「物を失くさないように」=癇癪を起こさなくてすむようにこれはしてあげたほうがいいと思っています。が・・・創作活動は、一番大事な事じゃないか?子どもの欲求を満たし、興味、集中力、工夫を自然に学べる。得意分野にもなる。そうすると、部屋を綺麗に使う物をちらかさない失せ物をしないように、道具は一つに限定おもちゃは一つに限定を両立するのは難しい。私は早々に、「一回に一つのおもちゃで遊ぶ」ことはあきらめました。なので、複数のおもちゃが、一度にどばっと 遊び指定場所に出現します。例えばブロック画用紙はさみのりセロハンテープクレヨン鉛筆色鉛筆その他空きカップなどを、子どもはいそいそ出してきて、一心不乱に創作活動します。作りたい「理想像」がすでにあるらしく、迷いなく、書いて、切って、張ってと黙々と集中します。これがしゃべり始める頃からなので、少なくても2歳からずっと続けてます。片付けは大変です。紙くずは散乱してるしお道具はあちこちにぶちまけられテーブルと床一面に散らばってる。一緒に紙くずを拾い、お道具箱に直し、うんたらかんたら・・・片付けだけは、一人でするのはかなり嫌らしい。でも、今はさせてるけど。片付けのお手伝いしてたのは2歳、3歳はじめぐらいまで。それからは 自分でさせている。適当に箱につっこむだけだったりするので、次の時使いたいのに「ない~ない~!」になったりしますが、それでも「元の場所に戻す」練習をさせてます。でも、「元の場所にもどす」記憶が曖昧なので場所で「書き物の部屋」「本の部屋」「ブロックの部屋」と棚に定位置を作ってあります。でも本質的に「大ざっぱ」で「細かい所に目が行かない」のでどっかーん!とつっこむだけになりがち。パパが、時々、配置ごとに一緒に直すようにしてくれてます。パパに言ってました。「ルイはわかんないの。どこにどれを直したら言いか、さっぱりわからん」数が多くなると視覚的にも混乱するし混乱した頭の中が疲れて、片付けに至るまでが難しいんだろう。ここ↑のルイのとまどいを無視して片付けのしつけをするのは、ちょっと無理そう。なにせ、パパが片付け苦手だしね。何が大事で、何がいらないか分別が難しいし使いたいものを出しておくと、直すきっかけをなくして置きっぱなしになる。でも、大人だから、やろうと思えばできるので構わないのだ。子どもも、成長して視覚的な混乱に引きずられず落ち着いて、「棚に戻す作業」に集中できる精神状態になった時に片付けというものを 身につければいいかなと。複数の道具を使っての創作活動を優先し複数の道具を片付けられるようになる技術を身に着けるのはもう少し先にしてあげようと思っている。
2011.07.22
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子どもの変わらない性質は、「物を失くす」事だ。生まれてこのかた、ずっとである。かわいらしくしゃべり始めた時の言葉が「ぱぱ」「まんま」「ないね~」である。よちよち、歩きながら「ないね~ないね~」と物を探す。毎日毎日、「ないね~」を連発。しまじろうの起き上がりこぶしで遊んでいたとする。楽しく遊んでいた所、自分の左手側に 布製絵本を見つけた。ぽいっとしまじろうを放り、布製絵本へ。ひとしきり布絵本を見たあと、ふと思い出すのだ。「しまじろう、どこいったっけ?」そして、部屋中を徘徊しながら「ないね~ないね~」を連発。かわいいですよ。それはもう。座っていた自分の右側に、しまじろうは居ました。視界に入っているけど「認知していない」だけである。(これは旦那にも共通する)うろうろ、うろうろしたあと、最終的に「しまじろう」を見つけてご満悦。さて、5才の今もこの「ないね~」は続いています。さらに激しく、バージョンアップして「ない~!ない~~~!!」と泣き叫びながら床を転がり、ばったんばったんしながら、「ない~ない~!」と一日数回切れてます。子ども(ルイと仮名を設定)は旦那とは性質が違い鈍感・大らか・いつも上機嫌・喜怒哀楽の表情がはっきりしている。その大らかな子が 癇癪を起こす唯一の原因は「失せ物」だ。何のことはない、目の前にあるのに「認知してない」ので、大騒ぎ。私: 「ルイ、目の前にあるよ、これでしょう」ルイ:「あ・・・」癇癪終了。非常に単純である。
2011.07.22
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旦那と子どもには、共通点がある。二人とも「普遍的な性質」があるということ。生まれた時から何年経とうと変わらない性質がある。私はこれを、こよなく愛している。なぜなら、安定しているからだ。本人達にはどうだかしらないが、「変わらない」ということはある意味、すごく意義がある。例えば、旦那は出会ってからずっと「言葉」を大事にしている。そして「話す速度」が変わらない。どんな時でも、急いでいる時でも、のんびり時間がある時でも言葉を選んで丁寧に話そうとしている。早口で適当に話す、ということがない。だから、彼に何かを質問すると、非常にわかりやすく解説してくれるのだ。そこまで、細かく言わなくていいよ、質問したポイントだけでいいんだけど・・・と思うこともたまにあるが、万人に、老若男女にわかりやすいのだ。これは大きなメリットがある。子どもが生まれて、旦那の語りかけや、子どもとの会話を聞いていて彼の話す速度や、丁寧な言葉を選んだ会話は 子どもには最高の会話環境だ。お蔭様で、2歳ぐらいからすでに子どもは語彙数も多く旦那が色々と教えてくれるので理解度も高い。今でも、子どもが旦那に対しては「なんで?」とか「わからん」という切り替えしをしている回数は かなり少ない。私が子どもと会話していると、度々、もう一度説明を求められる。「なんで?なんで?」と省略された部分や「暗黙の了解」部分が謎なのか曖昧な理解になることが多いようなのだ。それで、「はっ!」と気がついて、省略せず、丁寧に、具体的に説明し直すのだ。会話や説明は「具体的に、かつ、綺麗な言葉で、丁寧に。スピードは一定に、速くもなく遅くもなく」このスタンスを何年も、何年も、毎日、忙しい時も暇な時も変わらず続けるのは 私には至難の業だ。それを旦那は、私が付き合ってから数えても 軽く10年続けている。
2011.07.22
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旦那の特性に気がついたのは、結婚前後の2年間の期間。ときどき、お互いの間で主に会話でいざこざがありいや~な雰囲気になる出来事があった。回数を重ねると、見えてくるものがある。根本的な問題、というやつだ。じっくりと、メールなどでやりとりをするとずいぶんと 彼の見識や意見は 私が生きてきた30年の中では「かなり新鮮」な類だった。そして、私の考え方を伝えると、「えっ」と初めて聞いた、という感じで相手にとっても「かなり新鮮な」意見だったようだ。そこで大学で培った、ブレインストームからの分析と結論を導くやり方に近い作業でネットや本で根拠付けを徹底して、旦那に伝えたのだ。「私たちのトラブルは、お互いのせいではないかもしれない」「定型と、非定型という 全く違う考え方、物事のとらえ方をする人間同士の異文化衝突みたいなもの」らしき事と、旦那の性格や考え方が「アスペルガー」と言われる発達障害に似ている事を伝えた。衝撃はあったと思う。が、その特性に納得する点もあったのか、真面目に私の話を受けてくれた。それから、カウンセリングへ行って検査を受けてみたり本を読んだりお互いの考え方を照らし合わせたり。私は非定型の考え方をマスターしようとし旦那は、定型の考え方を知ろうとしてくれた。そして今に至るのである。この、結婚前後の2年~3年でじっくりとお互いを知り合ったことで今では 快適な生活を送っている。旦那が発達障害であるか、そうでないかは重要ではなくお互いの「特性を理解して」つきあえば、何のことはない、異文化交流ができるのだ。それは、驚きもあれば、親しみを深める事にもなり 絆を作ってくれる。旦那の多大な努力と理解に、今の幸せが持てたことに、感謝したい。
2011.07.21
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自分の、結婚前の実家家族は面白い家族だった。なんというか、全員がよくしゃべり、よく笑う。ピラミッドの構造はがっちりあって 昭和最後の亭主関白 太陽のような母しゃべり好きユーモアあふれる兄 自由気ままな私という構図で、力関係は歴然としているんだけど父と母は、ずーっとラブラブである。父は、外では人食い虎並みに強面なのに家に帰ると 母の前ではなついた犬猫並みだ。子どもの前では、楽しく頼りがいある父だけど 怒らせると虎になる。兄と私はよくしゃべる。が、力関係が歴然としていて、やはりそこそこに兄に対する時は わずかながら(笑)尊敬を伴わなければならない。兄は自由と外が大好きで、早くから自立して家を出た。父の方針で「20歳になったら独立せよ」をよちよち歩きから叩き込まれ当たり前の様に、独立していった。私には違うのだ。「結婚まで、女は実家から出るな。門限は10時」という ふる~い家庭だった。でも、海外へ武者修行に出してくれた。社会人になり、実家に戻ったときは、またしても「結婚まで、女は・・・」だったので休日は門限あり。仕事で国内外を行ったり来たりするので もちろん就業中は自由だ。しかし、実家での生活は厳しくはあったが、楽しかった。父は 広く広く、色んな知識を話して聞かせてくれた。母や兄とは、恋愛体験や人生のこと、あけすけに話した。夜中まで、楽しくて話しこんだ事も多い。実家で貯めたパワーをそのまま社会に持ち出して、仕事にも埋没した。そして10年過ぎた頃に、旦那と出会い、結婚した。私にとって旦那は、「あ~落ち着く」オアシスのようなものだ。今までのパワフルな生活も楽しかったけど 旦那に出会って平和で、優しい、穏やかな時間が こんなに癒されて素敵なものだと 初めて実感したのだ。そしてぞっこん。もうすぐ、結婚10周年。相変わらず、付き合ってた頃の気持ちそのまま持続してる。彼の、性質が私を癒してくれるのだろう。
2011.07.21
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ずぼらで手抜きなママには もったいないぐらい うちの子はしっかりしている。「生まれた時から意思がある」そんな感じ。目力が、なんだかちがってた。ぼーっとしてない。お乳が欲しいとき、オムツが汚れた時しか泣かない。いつも、どこかを観察してる。そして、ご機嫌。あの赤ちゃんの時と、5歳の今と、しっかり度はUPしてるけど首尾一貫して「意思がある」事に変わりない。自立もはやくて 自分で何でも「試して」「観察して」「研究して」マスターしていく。すごいなぁ。・・・この自立度はパパに似たんだろうね。でもパパいわく、「『頼る』ってことがわからない。自立してるのは 頼る発想がないから」なるほど。私にいっぱい、甘えてください私は、たくさんパパにも、子どもにも頼って甘えさせてもらってるからね。
2011.07.21
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最愛の旦那の、ここが好き。私が「これいいな~」とか 「これかわいいな」とかつぶやくと覚えててくれて たまにくれたり、「あったよ」って情報くれる。些細なことを、ちゃんと覚えてくれてる。聞き流してそうで、聞き流してなかったりする。会話を大事に、大事にしてくれてるね。結婚してから どんどん大事にしてくれてるな、って感じるよ。
2011.07.21
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誰にも 旦那と子供のヒミツは言ってない。例えば・・・旦那はどうやら、アスペルガーなようです~ とか子どもは、自閉症スペクトラムと診断されたよ~ とか。普通に生活しているもの。私の人生で、一番好き!と言える旦那とは、ずっと変わらず好き好きだし子どもはパパにそっくりなお顔をしてて・・・たまらなく可愛い!こんなに幸せで、本当にいいんだろうか、って日々思う。それにしても、発達障害ってイメージと現実は、全然違う。一言で言うと・・・ラブリーですよ。愛さずにはいられない。発達障害家族のこと、色んなエピソードを書けたらいいな。
2011.07.21
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