十勝・帯広・八千代の極楽トンボ

十勝・帯広・八千代の極楽トンボ

八千代100年物語りーその1


帯広市内から南の方角に約30キロ。車で約30分の所です。
直ぐ隣が八千代牧場で、夏には牛たちがハエを引き連れながら、
のんびりと牧草を食べに来ます。

市内の人は、ここら辺を「山」と称し、我々は市内の人を「町の人」と呼んでいます。

移住してきたとき、周りの人に「何でこんなとこに住むんかい?」と聞かれました。でも、歓迎してくれてるんです。
なにせ、町内世帯が1軒増えて18軒になったのですから。

だって、周辺は畑で静かだし、何町歩か先にチラホラと農家が見え、一応隣近所もあるし。
日高山脈が連なり、すぐ西方には十勝幌尻岳が悠然とそびえ、
崖下からは帯広川の源流のせせらぎが聞こえるのです。

都会とは全く違う田舎暮らし。
畑を耕し、花壇を作り・・・、そんな夢が広がりそう。

しかし、現実は厳しく、一年の半分は雪の中。冷夏になればビニールハウスでしか夏野菜が採れない!
いくらでも土地はあるけど、すべて牧草に占領されて・・・。
開拓時代の苦労が忍ばれる。

まあ、こんな一面もあるにはあるけど、いいじゃないですか。
都会を捨て、第三の人生をのんびりいこうと決めたのだから。

さて、私共の土地を紹介してくださった近所の堀さんが、
何と!この八千代開拓の元祖の曾孫さんだったのです。

堀さんの曾爺様に当たられる方が、本州岐阜県からはるばる移住され、
この地に足を踏み入れられたのが、丁度100年前。
1905年(明治38年)3月のことでした。

当時は当然トラクターもブルドーザーもありません。
うっそうと茂った柏の木や萩のまとわりつく原野を、馬とクワとで開拓したなんて!。

「丁度あんたらが住んでいる場所の崖下、帯広川沿いに入地し、
家を建て、牧場を作ったんだよ」
「毎日毎日、何百という木を切り倒し、燃やして土地を広げたんだ」
「川は熊の通り道でねえ。姿は見たこと無いが、足跡や物音は聞いたことがあるさ。」
「台風で50メーターもの強風で屋根を飛ばされちまったことがあるよ」
「川が氾濫して住めなくなったので、高台のほうに引っ越したんだ」
今も元気な80ウン歳の堀家の分家のおじさんが、いろいろ語ってくれます。

これは凄い話だぞ。
丁度堀家100年を記念して、「100年物語り」として残そうと言う話しになり、これも何かのご縁。夫とともにお手伝いさせて貰うことに。

まだご健在の年輩の方々に、開拓時代の思い出話を聞かせて貰い、
少しずつまとめていこうと思っています。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: